★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

深さと秋空に

2012-11-19 23:35:18 | 文学


田島正樹氏の「『神聖喜劇』論」を読み直してみたのだが、私は、『神聖喜劇』の日本浪曼派についての批評は不徹底であり、だからこそ田島氏の示唆する公共的な「政治」が生じたりもするのだと以前考えていた。しかし、どうも最近、その不徹底にはそれなりの意味があるようにも感じられる。ついロマン派の道程にはなにかそれこそ浪漫的な「深さ」を見てしまいがちであるが、深さは表現されなければ「ない」可能性が常にある。三島由紀夫が『きけわだつみのこえ』を「嘘だ」と批判するのも気になるね。確かに嘘はあるだろうが、深さがないが故の虚無としての深さだってありうるのだ。

とか考えながら、『神聖喜劇』をめくった後に、アルンダティ・ロイの『民主主義のあとに生き残るものは』をめくる。なぜか、昔吹奏楽で吹いた「秋空に」を思い出しました。