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丸亀城のあたりで、戦争文学と宗教の世俗化について語りました。しゃべっていると90分ごときはなんてことないし、さらに何時間かはいけるのであるが、ちょっと最近、終わった後疲れが襲うようになった気がする……もっと勉強しなきゃ…
そういえば、
「日本の若者の消費落ち込む、給与頭打ちで広がる不安感」http://www.recordchina.co.jp/a149305.html
という記事があった。確かに、金はないのであろうが、「20代の若者のうち、若者が独立するための「三種の神器」と見なされている「車」「お酒」「海外旅行」に興味を持つ消費者の割合は、5年前の7割から5割に激減した。」という箇所については、よくよく若人たちにそれが本当かどうか聞いてみたいところだ。実は以前授業で聞いてみたことはある。すると、「うーん」「ふーん」という反応しか返ってこなかったので、当の若人たちですら事態はよくわかっていないのではないかと思われる。わたくしの頭の中では、90年ごろからすでに「車・お酒・海外旅行」に興味のある人たちには、「ある種のとんちんかんな人たち」という違和感しかなかった(ある種の宗教的な何かすら感じられた…)。今の若者は、その違和感すらなくなったのであろう。
わたくしの三種の神器に対する感覚は以下の通りである。
・車……こんな高額で危険なもんに乗れるかよ。
・お酒……いろいろなおしゃれなリキュールやらがでてきて、ビール日本酒がぶ飲みのオレはすげえの時代は永久に過ぎ去りました
・海外旅行……海外行ったら「自己責任」とらされるらしいからな……だいたい、卒業旅行の時期に会社の
20代の私の中でこの「三種の神器」は、既に「原付(←危険かも)・トマトジュース・古本屋」だった。今の若者の多くは、たぶん「スマホ・お気に入りのジュース・youtube」であろう。これでだいたい「車・お酒・海外旅行」の快感は得られるからだ。その三種類にあった危険性は、要するに、問題は快感の多様性がある程度確保されていりゃ、消去される方向に向かうに決まっている。そりゃ、この三つを本格的に好きな人たちは今でもいるが、大多数はおつきあいで三種の神器を目指してただけだったのである。
ちなみに、若者としては
・結婚……こんな高額で危険なもんに乗れるかよ
・子ども……こんな高額で危険なもんに乗れるかよ
であろう。商品のイメージや人生設計とか、初期資本主義の「馬鹿を大量に騙せ」のやり方はもう通用しない。差異化や特化も限界がある。私が思うに、これからは「安くて楽ちん・安くて安全・安くてのんびり」の時代である。資本主義が生み出したこの快楽によって、資本主義に必要だった「精神」が食い破られ、社会に深刻なことが次々起こるであろうが、この流れは多分止まらない。これに抵抗しようとして、貧困層をつくったり差別を煽ったりして一八世紀あたりに戻ろうとしているのが、今の時代であるが、――要するに、資本主義ですら、いずれ「世俗化」してしまうのではなかろうか。