★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

The Naked Pray

2017-02-09 22:23:12 | 映画


「裸のジャングル」という邦題だが、十九世紀に調子こいて象狩りをしていた白人を、現地の方々が、逆に狩る話。挿入される野生動物同士の闘いの映像が素晴らしく自然な演技なので(理由は、演技ではないからだ)、現地の方に追いまくられる白人のおじさんの演技も自然にみえてくる。この話は、――確か、町山智浩氏が言っていたが、アメリカの先住民族と白人の間にあった実話を元にしているらしい。それを時間と場所を移して表現しているところが、植民地主義のあれそのままのあれなのであるが……。殺人は自然的必然的だが、文化は必ず共有できるという、あれもあれだし……

まあそれはともかく、裸足で、舗装されていない道なき道を歩いたり走ってゆく感触を思い出させる映画である。66年の映画だから、裸足の感触を知っていた人はまだ多かったろう。

自然崇拝とコロニアリズムが切り離せないのだろう……

【追記】……と思ったのだが、どうもアメリカというのは、内部に未開のユートピアを抱えているところがあるのではなかろうか。フロンティアと言えば聞こえはいいが、それはいわば「野生の王国」である。どうも「ツインピークス」みたいなオカルト話がなぜアメリカから出てくるのか不思議なのだが――、ともかく、トランプの登場はいろいろと文化的な面から考察が必要だ。

雪明りの散歩路2017

2017-02-09 15:42:01 | 旅行や帰省


 人の往き来は一層繁く、灯影はまた一段と輝かしく、暗いけれど高い空にほんのりと余光をあげてゐた。風を切つて行きちがふ電車の煽りを喰つて、街樹の柳がすうと枝を靡かせて行く。
 活々とした雑閙と、華々しい灯の飾りの中にその姿を現はせば現はすほど、妻は自分の体から光りなり色彩なりを吸ひ取られて行くやうなのを確かに覚えた。自惚れはいつか影もなく去り、自ら足り、自ら満足を感じた心も姿を隠して、たゞぐわんぐわんするやうな物の響きに、散歩を楽しまうとした心もめちやくちやに掻き乱されてしまつた。そしてたゞなんともいへぬ不思議なものゝ圧迫を感じるばかりであつた。

――水野仙子「散歩」

「雨」についての卒論を読む

2017-02-09 01:55:55 | 大学


あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

……「このかさ さしたまえ」と言っておきながら「ピッチピッチチャップチャップ ランランランラン」がすごすぎる。自立してんのか依存してるのかわからないこの子であるが、やっぱり依存していないと自立しないし、他人のためにも生きることはないというのは本当なのかもしれない。いずれにせよ、雨を我々の文化は風景として自明のものとして扱いすぎるかもしれない。あ、香川県は別か……