総合雑誌の意味というのは、近代文学の研究でもいろいろと議論されるところである。いま時々コンビニに置いてあるものを買ってみたりすると、案外楽しい。「純文学」のポジションは、こういう雑誌でこそ、そのポジションが明視される。現実の社会の中になんかそのポジションは最初から存在しているかどうかあやしい。だからそのポジションは誇張であり嘘なのだ。総合雑誌は『太陽』の昔から、むしろ「社会」の「構成」をつくる役割を担っていたところがある。「常識」がその「社会」の「構成」を知っていることと関係があることは言うまでもなし。ネットは、読書が選択的になりすぎてやっぱり偏る。確かに『文藝春秋』は偏っている。しかし……
コンビニで売ってた『文藝春秋』の中に載っている「コンビニ人間」。
コンビニで売ってた『文藝春秋』の中に載っている「コンビニ人間」。