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「日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事」(『宇治拾遺物語』)は恨みを抱くと大変だ、というより、いったい世の中どうなっとるんじゃろ、という話である。
日蔵上人というのは、袴田光康氏の曰く「冥界の宣伝者」みたいなひとであって、冥界で菅原道真や醍醐天皇に会っている。そして帰ってきたのである。すごく怪しい……。この人が、山中で鬼にあった。鬼は二メートルを超えるタイプであった。しかしいきなり泣き出す。理由を聞いてみると、四百年ぐらい前、ある者に強い恨みを抱いて、その一族子孫皆殺しにしてきたのだが、そのけっか相手がいなくなった。彼らが生まれ変わったところも殺そうと考えているのだが、こればかりは何に生まれ変わったのかわからない。で、この恨みばかり煮えたぐってどうしようもない、シクシク……みたいなことらしいのであった。
かねてこのやうを知らましかば、かゝる恨をば、のこさざらまし」といひつゞけて、涙をながして、泣く事かぎりなし。そのあひだに、うへより、炎やうやう燃えいでけり。さて山の奥ざまへ、あゆみいりけり。
こんなことになるんだったら恨みを残さずにいたはず、ってそれは無理であろう。現世で恨みを残さないためにはどうしたら良かったのであろうか。そもそも、どうしてそんな恨みが残ってしまったのだろう……具体的に四百字以内で答えよ。
さて日蔵の君、あはれと思ひて、それがために、さまざまの罪ほろぶべき事どもをし給けるとぞ。
明らかにもう遅い。宗教が、具体的な事柄を看過してしまう悪い例であるとわたくしは思う。
ところで、中島みゆきの「金魚」の長い前奏の中で、すごく弱音で心臓の音みたいなリズムが刻まれているのであるが、これどうやって演奏してるんだろう……。自分の鼓動音かと思ったが、そうでもなかった。あと、これも中島みゆきの曲であるが「未完成」というのがある。これを薬師丸ひろ子が歌っている。で、後半、薬師丸ひろ子の声の多重録音がわらわらと湧いてくる箇所があるのだが、これもわたくしの幻聴かと思ったが――、そうではなかった。