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乳房吸ふまだいとけなき嬰児とともに 泣きぬる年の暮かな
年の暮と嬰児の組み合わせがおもしろいが、なんでこの人は泣いておるのか。実朝はまだ老人とは言えない年であったらしいのだが、老人になったつもりで詠んだのだという説がある。
もっとも、よくわからんが、嬰児の泣き声にもらい泣きをしてしまうことだって、人生永い間ならありそうだ。子どもの泣き声が親の動揺だけを導くとは限らない。嬰児ももう悲しいのか、と思う人だっているはずである。あるいは乳房を吸いながら泣くという高等テクニックを弄しているところに何か感動を思えたのかもしれない。これはいわば、涙とともにパンを食べたことのないひとは信用できない、といった格言みたいなものかもしれない。
実朝は子どもがいなかったと思うのであるが、――たしかに私もいないので、あれこれ状況を想像して意味を考えたりできる。実朝もあるいはそうだったのかもしれない。たぶん実際泣いている子どもを目の前にしては人生を達観している場合ではないであろう。
「では、どうだから殺したのかね?」
「それは、だれも悪くないと思います。いまの社会がそうできているからだと思いますわ。父が失職しなかったら……父が失職しなかったら……」
鶴代はそう言って、また泣きだした。そして、彼女は咽びながら、父の吾平がいかにして失職したかを話した。
「……ですからわたし、今度こそは自分のために自分の身体を売らなければいけなくなったのですわ。それには、子供がいては働けませんし、子供は生きていたってかえって惨めですから……」
「つまり、子供を殺したのはだれのためでもなくって、おまえの父親をそういう風に失職させた社会が悪いというんだね?」
「でも、いまの社会はそういう社会なんでしょうから……だれが悪いのか、わたしには分かりませんわ。わたしを、生きていくのに苦労のないように、監獄へ入れて……監獄へ入れて……」
鶴代はそう叫ぶように言いながら、そこの地面へくずおれてまたひどく泣きだした。
――佐佐木敏郎「或る嬰児殺しの動機」
まさかと思うが、こういう状況だって考えられなくはないのだ。嬰児を殺すのはあまりなかったかもしれないが、――実朝自身が殺されるところからも分かるように、人の子を殺すなんて平気の世の中であった。