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ものいはぬ四方の獣すらだにも あはれなるかな親の子を思ふ
すらだにも、に関して賀茂真淵がすらかだにかどっちかにせい、と言っていたと思うが、――むろん、実朝が発見しているのは、親の子を思う気持ちは「ものいはぬ四方の獣」状態であり、圧倒的に普遍的であるが獣的だということである。
我々はほとんど獣から出発し十年ぐらい生きてやっと悟るかと思いきや第二次性徴期だかなんだかしらんが、所詮獣であったことを思い知らされ、その後葛藤を観念に昇華して生悟っていると、子どもを守るぜみたいな感情に掠われ、考えてみたら人間もそこらの獣とやっていることは一緒だったということに気付くのであった。
しかし、実朝は見落としている。四方の獣のなかに、は虫類や昆虫や雑草たちが入っていないことを。それらのなかには子どもをほぼ放って置くものも多い。「人間」は、かえってこのような者達に近いのである。
実際、親子の情がいとも簡単に破られていくのが人間の世界である。
「人間失格」がアメリカで売れているそうだ。No Longer Human(もはや人間ではない)という訳だそうだ。
人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。
このばらけた句読点の付け方がこの作品のクライマックスのリズムで、題名は読点を抜いているせいかなんか硬い感じがする。英語のニュアンスよくわかんないけど、確かにNo Longer Humanのほうがいいかもしれない。HUMANLOSTよりも。太宰は、ついに人間を失格することによって、人間らしさから脱出し人間にたどり着いたのであった。しかし、このあと太宰は、尾崎一雄とか志賀直哉みたいな虫的な世界に行くわけにはいかなかった。だから、あとは案外漱石的な心理的な喜劇に行った気がする。死んじゃったからなんともいえないが。。
あなたは駄目人間なんです。それはもう一生変わらないんです。突如、明日からもてはじめることもないでしょうし、明日から頭がクルクル動くようにもならないでしょう。永遠にもてないまま、無能なまま、そしてそのまま死んでいくことでしょう。
――中島義道「ぐれる!」
この段階は、太宰の初期であろう。
東条は腰抜けだと言っているだろう。それでいいんだ、気にすることはない。(東條英機の言葉)
この段階は、執筆せずに酒を飲みに行った太宰の段階である。