
則日中淪影。夜半能書。地下徹瞻。水上能歩。鬼神為隷。龍騄為騎。呑刀。呑火。起風。起雲。如此神術。何為不成。何願不満。又有。白金黄金。乾坤至精。神丹練丹。薬中霊物。服餌有方。合造有術。一家得成。合門凌空。一銖纔服。白日昇漢。其余呑符。餌気之術。縮地。変体之奇。推而広之。不可勝計。
日中に姿が見えない。夜中に本を読める。――姿が見えないのは家に籠もって寝ているからであるが、もしかしたらわたしも仙人への道を歩き出しているのではなかろうか。残念ながらまだ地下の物が見えたり水面を歩いたりは出来ない。――冷静に考えてみて、こんなのが可能な人はもう死んでいるのではないだろうか。鬼神を使ったり龍に乗ったりと完全に人の域を超えている。また、刀を飲んだり風や雲を起こしたりできるそうである。あと、白銀や黄金、神丹や練丹などの薬物を服用すると一家揃って登仙出来るらしいのだ。瞬間移動や変身も可能である。ここまでくると、ただ死んだだけでは不可能なことばかりだ。
後半の様子はほとんどドラゴンボールの世界である。悟空は死んだり生き返ったりしていたが、たぶん仙人なのであろう。――というより、日中に姿が見えず夜本を読んでいて、ドラゴンボールみたいな世界を実現している人は、つまり現代でいえば漫画家の類いなのである。作者は、作品によって死ぬとはロランバルト先生も言っているとおりだ。漫画家の先生がたは、たぶん体を持たせるために節制しているか薬漬けに違いない。
薬はそういう風に使うものであって、鬱病やストレス発散に使うと大変なことになる。
唐の天宝年中、河南緱子県の仙鶴観には常に七十余人の道士が住んでいた。いずれも専ら修道を怠らない人びとで、未熟の者はここに入ることが出来なかった。
ここに修業の道士は、毎年九月三日の夜をもって、一人は登仙することを得るという旧例があった。
夜が明ければ、その姓名をしるして届け出るのである。勿論、誰が登仙し得るか判らないので、毎年その夜になると、すべての道士らはみな戸を閉じず、思い思いに独り歩きをして、天の迎いを待つのであった。
張竭忠がここの県令となった時、その事あるを信じなかった。そこで、九月三日の夜二人の勇者に命じて、武器をたずさえて窺わせると、宵のあいだは何事もなかったが、夜も三更に至る頃、一匹の黒い虎が寺内へ入り来たって、一人の道士をくわえて出た。それと見て二人は矢を射かけたが中らなかった。しかも虎は道士を捨てて走り去った。
夜が明けて調べると、昨夜は誰も仙人になった者はなかった。二人はそれを張に報告すると、張は更に府に申し立てて、弓矢の人数をあつめ、仙鶴観に近い太子陵の東にある石穴のなかを猟ると、ここに幾匹の虎を獲た。穴の奥には道士の衣冠や金簡のたぐい、人の毛髪や骨のたぐいがたくさんに残っていた。これがすなわち毎年仙人になったという道士の身の果てであった。
その以来、仙鶴観に住む道士も次第に絶えて、今は陵を守る役人らの住居となっている。
――岡本綺堂「登仙奇談――中国怪奇小説集」
登仙はある。虎が関与していようと必ずあるに違いない。それを信じない人間が上の様に「役人」になるのである。