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木曽の水無神社は、朽ちて行く建物が人々の記憶をも終わらせようとしているみたいなところがある。前近代の本殿にくわえて、木曽氏の宮や、戦争の忠魂碑、戦死者(柱)を集めた木曽の宮が、樹齢何百年かしらん大木ととともに周りを取り囲んでいる。ここでは前近代とともに近代も終わっている。考えてみると、こういう田舎ではもともと時間は常におわりつつあり、それを忘れかける人々に対して、神輿も夏に転がされ、境内に野ざらしにされ、冬に一部焼かれる。こういう神輿のある神社では、木曽宮に祀られる戦死者もそういう円環の中にあるのかもしれない。未来にのびて行く近代的人間主義はノイズであり、明治以降も木曽の人々は、壊される神輿を見ながら、ひいては朽ちて行く神社にも人々は意味を見出していたんじゃないかとも思う。いまも、朽ちて行く神社に村落の死みたいなものを見出す廃村探検家多い。死に意味を見出すのは我々のいまだ生きる意味になっている。持続可能性ではなく、持続不可能なことの意味を考えない社会は人間社会とはいえない。
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神輿の残骸を一年間野ざらしにしておくことが何か意味深に感じられたのであった。
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もっとも、わたくしも子どもの頃は壊される神輿ではなく、大騒ぎの象徴が神輿であった。下は小3の私がみた神輿の世界である。
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香川の伏石神社にゆくと、まさに近代が進行し新しく建てられた神社である。樹木も植え直され、切り倒された一部は、表札として頒布されていた。日露戦争の紀念の石柱や軍馬の像とともにいまだ近代は侵攻中である。神社は新たなに作り直されるのが本質であるという説に従うなら、これこそ神社である。あまりにきれいすぎて朽ちてゆくのが想像できないから――木曽の円環して終わって行くなにかは終わってしまっているような気がしてくる。
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加速主義的狸は、他を抜きすぎて金に溺れている。しかも一円が多い。倹約が他を抜く精神を加速させる。