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しかあれど、当時の博士、あはれ浅く、貪欲深くして、料賜はりて、今年二十余年になりぬるに、一つの職当てず。兵を業として、悪を旨として、角鷹狩・漁に進める者の、昨日今日入学して、黒し赤しの悟りなきが、贖労奉るを、序を越して、季英、多くの序を過ぐしつ」と、そこばくの博士の前にて、紅の涙を流して申す。 聞こし召す人、涙を流し給はぬなし。 あるじのおとど、「この学生、かく申すは、いかなることぞ」と問はせ給へば、博士ども聞こゆ。「季英、まことに悟り侍る者なり。されど、しが魂定まらずして、朝廷に仕うまつるべくもあらず。 これまかり出でたらば、公私妨げとあるべきによりて、えせず侍るなり」と申す。
むかしは上の、勧学院の藤原季英のエピソードなんか、貢ぎ物を送りまくる学生が職を得て彼はそれが出来ないからかわいそうみたいに思っていた。彼は「魂定まらず」だめなんだと言われているわけだが、いまは、本当にそうだったのかもしれないなと思うくらいにはわたしも不純になったものである。実際、社交を怠っているうちに、魂までおかしくなっていく人間は居る。もちろん、幇間がいつの世も掃いて捨てるほどいる塵におなじなのは前提での話であるが、よのなかそんな簡単には孤独な魂の効力は発揮出来ない。
源氏物語の「大和魂」の例の箇所は、漢学勉強しないと大和心も生じませんよ、といった意味だろうけど、どうも我々はその漢学がどういうものが分からず、勉強からコミュ力生ずみたいに思いがちだが、実際社交術を学ぶみたいなのも漢学からはある。中国人たちの魂の籠もった社交から学ぶところはあるわけである。権力と魂を込めて付き合うということはどういうことなのか、中国の文物は語っているような気がするからである。
そういえば、今日、小学生の頃、ワシが自分の詩につけた曲の楽譜が田舎からの荷物のなかから発見されたんだけど、メロディなぞってみた瞬間に魂の底からサブイボがでた。とりあえず、黒歴史は見ない方がよいこともある。社交は他人との付き合いだから気楽なのだ。一番怖ろしいのは自分との社交である。これを他人との社交の気楽さに近づけるために、我々は小さい頃から遊びながら社交を学ぶ。
自分自身の幼稚園小学校の時の文集とかをみる機会があったのは、今年の年末年始の収穫であった。自分の頭の傾向がよく分かるのはもちろん、いちばん想像していたのと違ったのは同級生たちの作文である。今になってみると、この学級をどう教育してたんだろ、牛丸先生は、という感じで見当もつかない。この作文ものすごい感じだがどんなやつだったか?と思い出してみると、そういえば一年生の頃、何回か仲良く遊んでた人だった。今だったら何か配慮みたいなものが働いてつきあえないような気がするが、当時はかえって面白く遊んでた気がする。これは不思議だけれども、あり得ることだ。遊びというのは、「社会性」の実現ではなくて、魂と呼ぶべき存在的な重さを伴っていて、いまならダイバーシティ的な社交の可能性をも含むものである。それが欠落するとどういう「社会性」が形成されるかを示しているようだと思った。
細が人間関係が細って年賀状が来なくなる事がくるのかなあというので、大丈夫だ、ゲンロンからはなんか毎年年賀状くるし、夫婦で出し合えばいいじゃないかと言った――嘘である。お互いそんなにまだ老いておらぬ。しかし、わたくしが何が言いたいかと言えば、――とりあえず東浩紀氏は誤配とかいうほど郵便みたいなことが大好きなわけで、というか、ほかの年賀状が干支と赤ん坊の写真と夫婦の写真がちょこまかと多いなかで、なんともいえないゲンロンの集合写真がウケる。年賀状存在的に誤配だよあれは。。彼の試みは存在として珍しい社交であり、大人の社会のなかでは常にトラブるわけであるが、存在自体は可能性を示している。とくに、時間が止まった年賀状が配達される事でそれを示すのであった。
発掘されたもののなかには、中高校の頃の年賀状には教師からのものもあった。当時の感じ方よりもずっと紋切り型のことが書かれていた。紋切り型でも、そういう風には受け取っていなかった。第三者が、教師と子どものやりとりを空疎だなときめつけないほうがよいのはこういうところからもわかる。でも、教師の事はあまりそもそも気にしていなかったのも事実だろう。しかし名前と顔はいまでもおぼえている。絶対的な上下関係があったからだろう。対して、吹奏楽部の同輩や先輩後輩?はおそろくほど誰が誰なのか思い出せない。それにしてもなんでこんなにおぼえてないんだろう。。。
つまりわたくしの高校時代は、「社会性」に向かって居たのであろうと思う。遊びではないものとしての。部活動の先輩後輩からの年賀状は、知的というよりかけ声のやりとりみたいなかんじだ。高校時代なんてのは大概は反社会的にならない第二のギャングエイジなのかもしれず、考えてみると、ほとんどの人間が就職組だったわけだから妙な大人っぽさがあった。大学生の頃の方が趣味的で子どもみたいだったように思う。そこで我々は文学で描かれるような「内面」を獲得する。
この「社会性」と内面の蛇行運動みたいなものが、二十歳前後で終了するとは私にはおもえない。なんとなくであるが、齢50ぐらいまで反復するような気もする。言うまでもないが、多様性というのは個人の内面においてそれぞれが存在の重さを伴っていないと成り立たない。柄谷行人のいわゆる「単独性」(『探究Ⅱ』)はそのあたりを言いたかったのであろうが、犬とか恋人の比喩をつかったので、なにかかけがいのなさみたいな心理性を捨てきれなかった。
むしろ、多様性でもあるところの単独性とは、論文の存在に似ている。そこに遊びの要素があるのも時間が止まっているのも似ていると思う。論文の読み方にはいろいろ考え方があろうけれども、小説や詩とおんなじで、それを読むことは他の文章との関係性によって生じる解釈や可能性をみることと切り離すことはできないし、そもそもちゃんと読めてるかどうかは論文でどう参照され乗り越えられようと点検され続けなければならないのでめんどうだ。しかしそれが人間を考える遊びに似た面白さなのである。多様性とはそういう点検の可能性=多様性である。そうでないと、多様性は常に多様な差別や切り捨てに繋がるだけである。
実際、人文学のある程度の人たちは、理解されるのは100年後ぐらいかなとかもっとあとかな、みたいに考えてると思う。可能性はあるかもしれないしないかもしれないが。が、はじめからないと決めたり、常に論文は認識をアップデートするものだと断言する学問ははっきりと危険思想と申し上げてよい。