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Peu de jours après Thermidor, un homme qui vit encore et qui avait alors dix ans fut mené par ses parents au théâtre, et à la sortie admira la longue file de voitures brillantes qui, pour la première fois, frappaient ses yeux. Des gens en veste, chapeau bas, disaient aux spectateurs sortants : « Faut-il une voiture, mon maître ? » L’enfant ne comprit pas trop ces termes nouveaux. Il se les fit expliquer, et on lui dit seulement qu’il y avait eu un grand
changement par la mort de Robespierre.
ミシュレの『フランス革命史』を、むかしななめ読みしたときに、頭のいいひとは最後の閉め方が天才的だと思った。ロベスピエールが死んだことで大変革が起こったのだと子どもに語る、心底怖ろしい場面である。
フランス革命が変革でも革命でもないことを示しているというより、――子どもに対してだけでなく様々な文脈をもった様々な人がロベスピエールの死を「語った」ことは、この文章の背後にあって、その大きさを否定することができないので、我々はこの革命の顛末を否定できないのである。我々は、このような背後を失って、すべてが虚実の皮膜――ではなく、虚実の分離した細胞が密集する社会をつねに「見る」ことになっている。そこでは否定も肯定も難しい社会であり。我々は、群衆社会をうしなって、大衆社会を完全に主観化しているといえるかもしれない。
田舎で小学生の頃の合唱部でつかってた楽譜がどっさりでてきたが、ざらざらしたわら半紙に印刷されてて、ほとんど書き込みがない。当時は指揮者の指示とかはほんと歌っておぼえていたんだと思う。そもそもほとんど楽譜に頼ってないかんじだったと思うし。ほんとは文学だってこういうありかたがあるにちがいない。これが、大学の楽団なんかでは楽譜にやたら書き込みしてて、楽譜の間にベルクソンか何かのコピーが挟まってたことからもわかるように、まあそういうことだ。。。