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鶏既鳴矣 朝既盈矣 匪鶏則鳴 蒼蠅之聲
東方明矣 朝既昌矣 匪東方則明 月出之光
蟲飛薨薨 甘與子同夢 會且歸矣 無庶予子憎
恋人達の共寝はコケコッコーではなく、蠅の羽音とともにあった。こういう時代が長かったのだから、いまでも、恋人達はエアコンのきいた密室で、がんばって蠅を入れておくという点が必要であろう。異性婚だ同性婚だと、二人のことに口出しするなと憲法に書いてあるのに、肝心な解釈を間違えている。さっさと恋人たちから手を引け。そのかわり閨に蠅を入れよ。
小林道憲氏『生成流転の哲学』を少し読んだ。まじめなエッセイ集であった。蠅がいないような気もしないでもない。
たしかに和歌に倦んだときに詩経をよむとすごく見通しが良くなったりするのは、我々が無意識に蠅を入れて恋をしていたことをもう一回賦活させるからである。
松本秀文氏の『詩後』古本買ったら、すごく鉛筆書きが余白にあったから、詩集もなんか凝った造りになってきたなあらかじめ余白にコメントをかいてくスタイルか、と思ったら、ほんとに旧持ち主のコメントであった。我々の時代は、コメントの時代だ。無意識を抑圧し、自分の思い込みだけが賦活する。
「まどか☆マギカ」という作品を、エライ学者達がすすめてくるからいつか見ようと思って5年経つ。なにか私の無意識か思い込みが邪魔をしている。こういうアニメに限らずわたくしは案外そういうところがある。けっこう嫌いな作家達がいるのだ。