★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

亀甲+ゴジラ

2023-09-09 20:53:00 | 思想
至誠之道、可以前知。国家将興、必有禎祥。国家将亡、必有妖孼。見乎蓍亀、動乎四體。禍福将至、善必先知之、不善必先知之。故至誠如神。

蓍や亀甲をつかった占いが当たるのかどうかは知らないが、国家の興隆に兆しがあるとすると、占い師をする人が占いの結果を当てるのは容易である。なぜなら、だいたい国家が勢いが良くなるときや衰退するときには、アホウで無い限り、なんとなく分かるからである。我々は、たいがい、そんな認識を人に通用するだけのものにするために、エビデンスとやらを持ち出すに過ぎない。いまの科学者なんかも、亀の代わりに数字を使っているにすぎない部分はあるのだ。全部がそうなのではないが、すべてがそうではないと言い張る科学者はアホウである。



ゴジラが出現したときに、八幡山からでたというので、やはりこれはむかしから八幡の上に出てくるなんとか如来とかその類いかとも思った人も多かったとおもうわけだが、さすが当時は二十世紀だったので、彼は科学でやっつけられた。しかし、この科学はSFで、実現していなかった。観客は、結局嘘じゃないのはゴジラのほうだと思ったわけである。しかし、これは科学によって引き起こされた原爆のメタファーである。我々はめんどうなので、なにかによって引き起こされた現象を愛でつつ、なにかを検討することをしなくなった。なんとか如来は、予祝となる。予祝中毒となったわれわれは、予祝を司る人間がなにをやっていても観て見ぬふりをするようになったのだ。もともと予祝は性的なものが関係している。司る人間の問題も性的なものによってその司祭の地位を守っていた。

――行動様式はかわらないのに、生活様式が代わり、われわれは予祝がすきなのに田んぼや畑やんないからすっきりしなくなったんだろうな。そのうちに感度がいろいろと悪くなる。所与の感覚が鈍っているのに、やりかただけ同じようにやろうとする。もはや、なにかを目撃したり体験しなければ我々は空気をむしろ読めない無能なところがある。小さいことでもなんとなくでも察知して空気を読めるのは頭のいいやつで、偏差値エリートでもそんなのほとんどいねえよ。むしろ鈍いから脅しじゃないとわからんだろみたいなかんじで脅しがでてくるのだ。


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