★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

大きい犬とか

2019-07-15 19:54:58 | 漫画など


スケラッコ氏の『大きい犬』はなかなかよかった。昨日の話(動物愛護精神の危険性)ではないが、動物は大きい必要があるのではないかと思う。特に犬は、近代の諸表現によって、人間のような意味に塗れてしまっており、その意味を振る払うためには巨大化でもしてもらわなくてはならなかった。

大仏がでかいのとはちょっと違う。この漫画では犬はそれこそ住宅ぐらいの大きさがあるわけで、これは犬ではなく「居場所」なのである。この犬は何百年も生きているのかもしれない。というわけで、この本ではおおきく時間と距離を越えて人が移動することのお話が続くのであった。――若い作者かどうかは分からないが、人間、高齢化も何もかも何とかしてしまうのであろう、と思わせる話であった。

その大きな犬をみていると、なぜか故郷のことを思い出した。わたくしにとっては山が故郷なので、その犬は山にみえたのかもしれない。

「七福神再び」という話も結構面白くて、父親が実は恵比寿だった話で、――痴呆かとおもいきやそうではなく、さいごに他の七福神たちと旅立って行ってしまった。親というものはそんなものかもしれない、と思わせる話である。最近は、死者を「仏さん」とはいわなくなった。「天国で見守る」みたいな感じになっていて、あまりにも偽善的な……。靖国に帰る人たちもそうだが、そこにはイメージが決定的に欠けている。帰っても死者は救われまい。(その意味で、三島由紀夫の「英霊の声」のアイロニカルなやりかたはすごかった……)恵比寿さんのイメージで少なくとも生者は救われる。

この前読んだ、「ホリック」という力作は、異界もの?なのになんとなく現世に拘りすぎていてるように思われた。現世では魔法が必要になり、そうすると理屈がいるのである。そういう理屈は、我々の苦しみそのものであるから、現実離れを起こした感じがしないのであろう。

付記)考えてみると、英霊の例はちょっと違った。例えば戦争で死ぬことがなぜ悲惨かといえば、決して成仏とか昇天とかのイメージで救われないというのがあるわね……。ばらばらな肉塊になったり、飢餓や疫病で土塊にまみれてはなかなか救われまい。世界大戦は宗教も破壊したといえるのではなかろうか。


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