★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

木太天満宮を訪ねる(香川の神社119)

2017-11-20 22:32:23 | 神社仏閣
木太の天満宮にやってきました。

 

 
大きな樹木が豊かで鎮守の森をつくっている。

  

 
牛さん

 
狛犬さん(慶応三年)

案内板に曰く、

「天満宮は昔一里塚の南の小さな丘の上にあったが、村人から忘れられるほど荒れていた。」


あらっ

「藩主松平頼重の寺社奉行筧助左衛門が、持病を治すため水主(大川郡大内町譽水)にあった岩風呂へ行く途中この地まで来て、荒れ果てた天神の境内で一休みしていた。」


なんの病気だろう……ストレスかな……

「ところが、松の木の上からその名を三度呼ぶ声がしたので、仰ぎ見ると衣冠の菅神が厳然として現れたが、従者には何も見えなかった。」


見えない物まで見始めちゃいましたよ……筧さん

「筧氏は大いに驚嘆し、ここに小さな石の祠を建て毎月二十五日に酒や供物を供えて祭ったと言う。昔、土地の人はこの社を筧天神と呼び、また足止め天神とも言われていた。」


なんか、足止めする人が多いな、さっきの地蔵も……同一人物じゃなかろうか……

上の説明は、『香川県神社誌』のなかでも「讃州府志」の原文のかたちで引かれていた。その時点での崇敬者は二十人と書かれていてそれほど多くはなかったはずだが、いまは地元の集会場も隣接していて、わたくしが訪ねた時もちょうどおばさん達が清掃をした後であって、きれいに片付けられている神社であった。どうも、近くにある折れ地蔵の存在が大きい気がする。合わせ技でどちらも大切にされているのではなかろうか。






本殿





多田潔司は、高松市の議長などをつとめた人らしい。厚生大臣をやった藤本孝雄が題字を書いている。政友だそうだ。神社をまわっていると、自民党と地域の結びつきというのは歴史のあるものだと痛感する。事情はいろいろあるにせよ。


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