★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

折れ地蔵を訪ねる(香川の地蔵16)

2017-11-20 19:07:32 | 神社仏閣
天満宮に行こうとしたら、目の前に突然現れた。




右手には川を挟んでキリスト教会もあり、すごく意味もなく宗教的な圧を感じる!

  

生きている地蔵さん。というのは変だが、ちゃんとお世話されている地蔵さんは生きている気がする。

とおもって、中を拝見すると、



なんかキティちゃんの上のあたりがちょん切られているぞ……

案内板によれば(以下、渡邊による相当の脚色あり)、江戸末期に疫病が蔓延して困ったので祈祷してもらったところ、「潟元に地蔵さんが埋まっているので祀れ」とデタ。掘り出し系の話の多さからして、ほっておいたのか、洪水で流されたのか、なんだか知らないが、結構な数が埋まっているらしく思われるが、それはどうでもいいとして、――早速掘り出して草相撲の大関「佐野監造」が背負って運んでいた。しかし「当地で足が動かなくなってしまった」。

また出ましたよ、地蔵のわがままが……「オレはここ(が町だしうまいもんにありつけそうだから)で済度するからうごかへんで」といったところであろう。前にもそんな輩がいましたね、太田に。本当は、この大関が疲れただけであろう。だいたい、お相撲さんというのは、神事をやる力持ちにみえても我々と同じ人間です。カラオケにいきゃ、人をぶんなぐるかもしれません。派閥もつくりゃ、かわいい女の子も大好きです。この佐野とかいう御仁も、あまりにも自分だけが地蔵を長時間担いでいるので嫌気がさし、「はい、地蔵がうごかんて言ってるで~」と嘘をついたのでしょう。案の定罰があたりました。

「どっこいしょ、と下ろしたところが、地蔵の上部が折れて白煙がたなびいた」


あああああっ。折れてしまいました。我々は肝心なことを忘れておりました。地蔵は、只の石だったのです。しかも、長い間土に埋まっていて痛んでおったのですっ。

大関は、「我のせいにあらずっ」と逃げようとしましたが、地元民の怒りはおさまりません。「この腐れ大関何してくれるんなら」と寄ってたかって殴り続けました。将軍には文句を言えない庶民のことです。何かミスした人を見つけるとその鬱憤をぶつけてしまう哀れな精神にとりつかれております。大関は、ついに辞任に追い込まれ、モンゴルに帰ってしまいました。で、その子孫を朝青龍といい

あやしいですね、このあと、みんなの疫病が直ったというのです。本当は、地蔵の頭がもげたのではなく、佐野という人を人柱にしただけだったのではないでしょうか。まさか、地蔵の頭からたなびいた白煙に、ルルや葛根湯の粉末でも混ざってるわけでもあるまいて。

で、それはともかく、「賽の河原の子ども」の絵馬が奉納されていて、子どもの成長や胸から上の病気の人の参詣が多かったそうです。



たぶん、これです。何か円谷プロ的な何かを感じる!


最新の画像もっと見る