シャルロットゲンズブールのお母さんが亡くなったと聞いて、ある学生に「きみたちはなまいきシャルロットっていう映画を知っているかね」と聞いたら、「クレヨンしんちゃんみたいなやつですか」と聞かれたので「まあそうかも」と言っておきました。そう言われればそんな気がしてきました。よのなかガラガラポン的な感じになって、もう一回何十年か前に帰っている。われわれは、根本的に戦前の抵抗運動の性格である隠微な太宰・花田的アイロニーを身に纏うどころではない。初級編だというて、授業で「君たちはどう生きるか」の抵抗精神の話をしても学生は暗い顔するだけだ。
が、「青い山脈」とか「颱風とざくろ」の話をするとけっこうニコニコするし、「青い山脈」とか「娘十六ジャズ祭り」とかで笑う。学生のセンスはいまの八十代とかに近いぞ案外。。。
暑さでつかれているせいもあるが、わたくしも素朴な模倣でアイロニーを跳ばす努力ぐらいしか出来ない。――大谷が3試合連発ホームランらしいが、おれもさっき爪楊枝でビー玉をつついて消しゴムに三回連続当てたのでいいとおもう。
とにかく我々は戦時中と似た「精神の危機」(ヴァレリー)以上に危機なのである。AIでもグーグルでもなんでもいいが、それができる以前にそれっぽくなっているのがわれわれで、いまだに我々の似姿しかつくっていない。そりゃシンギュラリティするに決まっている。我々の方が合わせているのである。それをなんかもっともらしく悟った風にみせかけても無駄である。
香川にもとブルーハーツの梶原さんが障碍者と一緒に太鼓叩きに来ていて、テレビでも報道されてたが、彼は仏教徒なのである。リンダリンダーとか言いながら仏教徒みたいなのが確かに仏教徒らしい。スマホを覗き込んでいるのは、むかしなら木の棒なんかを趣味で持ち歩いているおかしな人であって、決して悟りはしないのであった。
わたくしが今日気付いたことは、――外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」の最初の拍子木のところが、クマゼミのなき声に似ていることだけだ。クマゼミの声って子どものときにあまり聴かなかったからわからなかったのか。。。わたくしは、この曲が民謡のコラージュにすぎずと思いすぎていたために、夏の風景をえがいていたことに気がつかなかったのである。それにしても、この曲は、日本の風景よりもなにか別世界への軌道を描いている。
以前、あるホームランバッターのホームランを球場で生で見たけど、ほんとボールが落ちてこなかった。落ちたんだけど落ちてこない軌道で飛んでいたのである。こういう幻想にしか希望はない。