萩、紫苑、いろいろの衣に、濃きがうち目、心異なるを上に着て、顔は引き入れて、硯の箱に枕して、臥し給へる額つき、いとらうたげに艶かし。絵にかきたる物の姫君の心地すれば、口おほひを引きやりて、「物語の女の心地もし給へるかな」といふに
物語にとり憑かれた女・紫式部。道長とそのぼんぼんも物語の中に回収。ふとみると、宰相の君(道長の兄・道綱の娘)がお昼寝中。額だけ覗かれるその姿が可愛い。絵に描いたお姫様のようです。故に、彼女の被っていた衣を突然取りあげて、「物語の女君みたいYO」
物語にとり憑かれた女・紫式部。物語のネタを見つけると、体が言うことをきかない。わたくしも、教授会の最中に、「死の家の記録」の場面がありありと浮かび妄想が止まりません。しかしこれは案外よい結末を持っているので安心です。「バトルロアイヤル」でなくて本当によかったと思います。
見上げて「物狂ほしの御さまや。寝たる人を、心なく驚かすものか」とて、少し起き上がり給へる顔のうち赤み給へるなど、こまかにをかしうこそ侍りしか。おほかたもよき人の、折からに、またこよなくまさるわざなりけり。
ただでさえ美しい人は、ただの寝起きでも「場面が場面だけにぬきんでた行為であったことだ」とか言われてしまうのである。わたくしなんか、ただ蒲団を抜きんでた行為にしかならない。
そう心の中でお前に訴えかけながら、私はいかにも何気ないように家の中にはいって行き、無言のままでお前の背後を通り抜けようとすると、お前はいきなり私の方を向いて、殆んどなじるような語気で、
「何処へ行っていらしったの?」と私に訊いた。私はお前が私のことでどんなに苦い気もちにさせられているかを切ないほどはっきり感じた。
――堀辰雄「菜穂子」
これは「物語の女」として発表された部分の最後の部分である。わたくしは若い頃、この堀辰雄の「はっきり感じた」みたいな言い方に言いようのない不快感を持っていた。いまでも、NHKでアナウンサーが「~を感じました」を連発すると非常に不愉快である。我々は堀辰雄の時代から、物語を物語として素朴に楽しむことが出来なくなっていた。例えば「煩悩」や「我執」も概念ではなく物語であった。それらが一念となり生きるにあたいする人生を我々の前に置いていたのだ。それがなくなったいま、感じました、感じました、の連発だ。虚仮ではなく虚無だからこそ我々はきわめて暴力的な何者かになってしまう。虚無としての動物化が恐れられていた時代もあったが、それはむしろ隣の人間を動物として貶めたいだけのことで、真に自分を恐れていたわけではない。動物が居なくて淋しかっただけのことだ。虚無は虚無だ。