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君の見たまへば、消えぬべく火ともしたり。几帳、屏風ことになければ、よく見ゆ。向ひゐたるは、あこきなめりと見ゆる、容体、かしらつき、をかしげにて、白き衣、上につややかなるかい練の衵着たり。添ひ臥したる人あり。君なるべし。白き衣の萎えたると見ゆる着て、かい練の張綿なるべし、腰よりしもに引きかけて、側みてあれば、顔は見えず。かしらつき、髪のかかりば、いとをかしげなりと見るほどに、火消えぬ。くちをしと思ほしけれど、つひにはと思しなす。「あな暗のわざや。人ありと言ひつるを、はや往ね」と言ふ声も、いといみじくあてはかなり。「人に会ひにまかりぬるうちに、御前にさぶらはむ。大方に人なければ、恐ろしくおはしまさむものぞ」と言へば、「なほ、はや。恐ろしさは目なれたれば」と言ふ。
落窪物語で冒頭から継母が「お前は顔が悪いから裁縫しとけ」みたいな科白を繰り出すことは有名だが、実際こういうことを嫁や子どもに言うやつはおり、一見こういうタイプは孤立した馬鹿のように見えるが、同じようなタイプの不良どもとつるんでいる。我々は悪人がそもそもつるんでいるということをつい忘れがちである。そういうつるんでいる群れの顔も見えないが、いまだに当の姫の顔もみえない。彼女の顔は、継母から悪いと言われている。窪地にいるみすぼらしいかっこをさせられた顔のない姫、これは一種の竹のなかにいる姫と同じく秘められた見えない何かである。これは、考えてみると、天皇そのものである。
この三日間、夫婦でなんとなく体調を崩したところを見ると、やっぱり寒いのはふたりともだめになっている。天皇も長い歴史の中で、暖を取る費用もなくしたことがあったようだが、京都も案外寒いところである。のっぺりしている割に平地ではない。そもそも京都自体が窪んでいる場所である。木曽人としては、窪みも何も山に挟まれているよりもましであるきがするのであるが、木曽殿はたぶん、京都人の持つ、微妙な高低差ののっぺりした感覚が分からなかったのだ。最期、田んぼに馬が足をつっこんで討たれるところは、かれにとっても窪みが難点だったことを示している気がする。
木曽人としては、氷点下十度ぐらいは普通だったはずだが、もはやそうなったら冬眠するかもしれない。