
建築の本義は「善美」にあると云ふのは、我輩の現今の考へである。併し或る人は建築の本義は「安價で丈夫」にあると云ふかも知れぬ、又他の人は建築の本義は「美」であると云ふかも知れぬ。又他の人は建築の本義は「實」であると云ふかも知れぬ。孰れが正で孰れが邪であるかは容易に分らない。人の心理状態は個々に異なる、その心理は境遇に從て移動すべき性質を有て居る。自分の一時の心理を標準とし、之を正しいものと獨斷して、他の一時の心理を否認することは兎角誤妄に陷るの虞れがある。これは大に考慮しなければならぬ事である。
――伊東忠太「建築の本義」