栗林公園の近く、花の宮にあります。
燈籠(結構古い)
鳥居(安政五年)、拝殿と本殿。
案内板にいわく、
「伝ふる所によれば、昔此地より東一帯は香西氏の武将唐人弾正の所領にして、父祖数代上村城(琴平電車栗林停留所南約一丁)に居住し、唐渡氏(弾正姓を唐渡と言ふ)の鎮守神として天児屋根命、応神天皇の二神を奉齋せしが明治十三年七月現今の地に奉齋せらありし天照大神の社殿合祀せられしものなりと言ふ。」
実際のところ、合祀してよい、だめはだれが判断できるのであろうか?勝手にやってよいのであろうか。唐人弾正は、秀吉の四国征伐のときに、屋島の方の昔の高松城(喜岡城)に救援に行った。秀吉軍は、宇喜多秀家・蜂須賀正勝・黒田孝高、最後には仙石秀久(
当社に於ては、眼病平癒の神として伝えられています。信念を持って拝願せられたし。
はいっ
境内社、というより案内板によると、こちらが眼病平癒の神みたいです。本殿にいるのがアマテラスで、こちらが天児屋根命、応神天皇なのかもしれない。
三社神社の後ろをふり返ると、巨大な楠がある。
立派に囲まれているから、これはこれで、三社神社とは別の括りに見える。「楠大荒神」らしい。荒神様ですね。
カメラに収まりきらない威容です。一回切られたあとがあるような気がするが、それでもモノともせず伸びたみたいです。
案内板によれば、この大木は戦国時代のものらしい。案内板が建てられた平成元年三月の時点で、周囲6メートル45センチ。高さ、70メートル(これは書き直されていた)。ここらは、郷東川の堤だった。そこに生えていたのが今でも頑張っている。やっぱり説明によると、三社神社の御神木だった。たぶん、高さは25メートルといったところか。
境内末社の神々