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杉浦正一郎の「冬」は、昭和八年の小説で、杉浦の叙情的な芸風がよくでている。秋子の娘(弓子)は唖であった。父親はおとなしい学生であったが――、秋子は彼との間につい子どもをつくってしまったのである。父親は逃げた。子どもの死を願い、生まれてきても声を立てないようにという母の願いそのままに生まれてきてしまったのが弓子である。彼女が年頃になり最近家を訪ねてくる学生に愛情を感じているんじゃないかと母親が思う、それだけの話である。
弓子のために、母親は口をきく習慣を失っていた。弓子は少し前から絵を習っていて、柘榴の絵なんかを描いている。母親の秋子にとって、心内語と風景などの視覚的なものが、大きくなっていっている。
二人の神経の谷間には桐が一杯たちこめてゐて、秋子は自分でのぞいてみることも出来ないのだと思った。
秋子は弓(子)の絵をみてゐると、そのなかの絵の具の色彩のけじめから隙間をもる風がそうそうと吹き上がってくるのを幾度の経験から知ってゐた。其風を理解することが出来なかつた。ふたりのなかの谷間から霧をふきあげてくるのだらうかと思つたりした。
ある日、弓子が金魚の尻尾をはさみで切って遊んでいるのを母親は見た。母親も、小説の最後に、蛾の羽根をきってみる。それで娘の気持ちが理解できるような気がする。
思うに、言葉が禁じられると、それはそれで視覚的なものや触角的なものが言葉のような働きで機能しはじめる。この母親は、若い男と見れば、自分を捨てた男のようだと見始める。娘の弓子も自分と似ているから、ほぼ自分のようだと思ってしまう。そして、このような曖昧さが、かえって言葉の無意味な逡巡をつくりだすのである。
杉浦もこの時代、言葉が禁じられることへの危機感を持っていたに違いない。無論、いまも同じようなことが言えるとおもう。