★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

過度な契約金その他に断固抗議する

2023-12-10 23:32:32 | 思想


九二。枯楊生稊、老夫得其女妻。无不利。
九三。棟橈。凶。
九四。棟隆。吉。有它吝。
九五。枯楊生華、老婦得其士夫。无咎无誉。


考えてみると過度なこととは何であろうか。老夫が若い妻を持つことであろうか。老婦が若い男を夫とすることであろうか。こんな風に対照的な交差が起きる過度は滅多にない。こんな過度なら、ある意味で我々は過度になれてくる可能性すらあるのではないだろうか。

こうの史代氏の『長い道』は傑作である、それは我々のノスタルジーを夢として再生させてくれるからでもあろうが、もっと「過度」について考えさせてくれるからである。卒業論文で正月が消滅するのは過度な出来事ではない。すなわち、このマンガの教育的意味は、就職決まった主人公の妹が正月に「まだ卒論書けてないから、就職が決まったわけじゃない」と家族にからかわれて「それが初笑か」とキレるところにある。

われわれの頭脳は、疲弊すると過度な――というより、思考が反対側に「転がる」。反対側のホームの新幹線に乗ってしまったことが一回だけある。日本哲学会を聞きに行ったときだ。慣れないことをするものではない。慣れない懐疑のせいではない。疲労であろう。

忘却による過度もある。例えば、我々は横溝正史のおどろおどろしい田舎モノも当時どの程度同時代性の感じられる田舎だったのか本気で分からなくなってきている。一般には、晩年の「悪霊島」の頃からもう既にいつの話だみたいに感じられていたんだろう。その頃田舎もんのわたくしは全く同時代の話だとして受け取ったが。。確かに、過去との距離が分からなくなると、忘却していないもののポジションまで迷い出す。私の記憶がそうであろう。上のように「全く同時代」などと言い出すのである。かような脳みその記憶に頼るのは確かに危ない。しかし、記憶が体にあるみたいな議論にも疑問がないわけではない。そんなものが果たして認識出来るのか、と思うからだ。

ミッシェル・トリュオンの『禁断のクローン人間』の舞台がたしか来たる2030年代だった。出てきたのは、たしか頭脳だけないヒトクローンだったような気がするが、我々の現実に於いては逆に、頭脳のほうが先にクローン化されて、――と言うよりAIに我々が似てしまい、結局、体をつくるのは難しいぞこりゃ、となりそうな気もする。だいたい調子が良い体ってなんだっけ?という感じのふにゃふにゃな流動体が我々の体だ、すくなくともわたくしは一年中体調が悪い。ちなみに、そんな体調の不安定さを持たないチャットGPTは、東浩紀について全然無知なのに、AIとの性行為は広義の自慰なのではないかという質問にわりと詳細に答えるのはなぜであろうか。他人には興味がないのであろうか。

そもそも、こんな面倒くさい議論の前に、我が国では国語教育を一生懸命すべきなのだ。世の中なんでこんなに紛糾するんだろうと思うが、他の教科と一緒で、国語に関しても同じような時期にかなり分からなくなってしまっているということだけは自覚したがらないひとが多いことが原因のひとつだ。

もっとも、国語教育のために読書をすりゃいいというものでもない。頭のいい人の発言をよく聞くことが大事である。私はつい最近まで知らなかったんだが、三島由紀夫が死んだとき『週刊現代』のアンケートで、大数学者の岡潔が「夕立のさわやかさ」を感じると言い、でも「一冊も読んだことがない」と言っていた。さわやかなのは岡氏である。これに比べて、他の文学者たちのコメントは読むに堪えない。お前はまだ死んだことないくせに、みたいな感情を起こさせる。そして、彼らと同類であるが、この『週刊現代』に載っていた三島の檄と要求のヨコに「名菓ぽんぽこ」の広告出すいやがらせあり。

一方、この御時世、時間の過度な使用について紛糾している。西本郁子氏の『時間意識の近代』には羽仁もと子の時間意識について書いてある部分がある。母が「主婦の友」を読んでいたせいか、私にもその時間感覚があるような気がした。自由時間を創出するために計画的な効率を求める感覚である。私に限らず研究者は実際主夫みたいな人も多いのだが、結局、この自らの存在理由を作り出す自由時間の創出が、時間を分割して繋げて行くような、過度な肉体の機械化をもたらすのである。

そのためには、全体を自由時間にして、目的に過度に適応させるという手があるが、――いちぶの特殊な人種しか成功しない。大谷君みたいな人である。彼は「労働」ではなく遊戯的な「仕事」(アレント)に就いているからなんとかなるのかもしれない。今日の昼ご飯は、何回転生したらビックフライおおたにさんの給料に追いつくか夫婦で計算したのでよしとしよう。彼は十年間で1000億円稼ぐそうである。某猫のように100万回生きれば大谷君ぐらい軽く抜ける、かどうか怪しくなってきた。大谷君の給料すげえとか言ってるプロレタリアートの皆さん、こういうのも格差問題である、共産主義になれば大谷君と同じ給料をもらえるぜ。

我々のちっちぇえ根性では儲けるために思いつくのは、せいぜいキックバックぐらいだ。おれもキックバックほしい、というか幼稚えんの時にバックからキックをもらったことはある。先日も述べたように、大谷君がその実アメリカの高級奴隷なのではないかという疑惑は措いておこう。植民地民は、せいぜいリア充爆発しろという言葉を、幸福そうなカップルにむかってなげるのではなく、裏金着服やあいつらは殲滅とかいっている野郎に言うべきである。

要するに――大人気の大谷くんであるが、このままだとうちの細を寝取る可能性がある而してその前に寝取るしかない殴られる。せめて、大谷君はもうアイドル並みの人気なので、始球式なんかに呼ばれるのではないか、と思っておきたい。


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