★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

文化は私を捨てて逝く

2023-09-05 23:38:50 | 思想


唯天下至誠、為能尽其性。能尽其性、則能尽人之性、則能尽物之性。能尽物之性、則可以賛天地之化育。可以賛天地之化育、則可以与天地参矣。

聖人は天から与えられた本性を発揮することが出来、ということは同じく他人にも与えられているところの本性も発揮させることができるのだ。おもしろいのは、そういうものすごい存在が、天地と並び立つ三番目の存在だということだ。これはつまり、人の科学のことなのではないだろうか。人はほっとけば能力の差みたいなものしか見えない。しかし本性をともに発揮させることができるのは科学である。それで、我々は長生きするようになったし、風邪を治すこともできるようになった。で、ついでに天地に存在していた本性をとりだして発揮させているうちに天地の環境にも影響を与えている。

こんな解釈にならないように、しばしば、人々の個性を発揮させることができるのが聖人だみたいな解釈が行われている。本性とはなにか?文化じゃないな、この場合。

われわれの科学?はしばしば間違っている。わたしが母親のおなかにいる時に、クラシックを聞かすと頭がよい子が生まれるという科学的?珍説を信じた親たちが執念のようにわしに聞かしていたのが、クリュイタンスとベルリンフィルのベートーベンの運命で、いまでも普通にこれが天下の名演だとわたくしは思いつづけている。そこはモーツアルトではなかったかと思わないではないが、モーツアルトは時々眠くなるからいいのではないだろうか。ハイドンもたぶん貴族たちに屡々寝られたのであろう。びっくり交響曲はそれで生まれた。ベートーベンなんかずっとびっくり交響曲みたいなかんじである。こんなかんじで連綿と変化してゆくのが文化であって、わたしなどがよい子に生まれたかどうかはもはやどうでもいい。

ここんとこずっと忙しかったので今日は少し休んで、「プライマル・レイジ」を見た。アメリカのビックフット伝説の映画である。なんじゃそりゃみたいな素晴らしいクソ映画で、こんなのを見ていたら悪い子になってしまうのではなかろうか。いや、そんなことはない。


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