たいした仕事してもいないのに講義が終わると病気になるわたくしですが、総理大臣とか大統領はなぜあんなに元気なのでしょうか。
スーパーマンのマントは襟からでていました。
中井久夫は病気の時に読むと迫力がある。
「現行の法律は、句点が生み出す深淵を嫌っている」
山本貴光氏の本。面白く読んだ。でも、文体の話をしながら、小林秀雄の引用が間違ってた……。これは象徴的な事態であって、この本の秘密は、山本氏の文体にある。
二人三脚
突然思い出したのですが、バカ映画「バトルシップ」で、バカ主人公の士官が部下に「やつはドナルド・トランプとマイク・タイソンをあわせたようなミュータント」と言われていました。やつは、海軍の司令長官の娘をひっかけようとして、深夜にコンビニにチキンブリトーを盗みに入るようなバカなのです。
http://digital.asahi.com/articles/ASK2D25LCK2DUTFK002.html?rm=405
……ゴルフって楽しいか?そもそも。ゴルフやるより本読めよ。だいたいトランプ氏のあの
http://www.asahi.com/articles/ASK2C5QJTK2CUHBI01M.html
……日本の安倍を馬鹿にするなよ。英語が苦手なわたくしは彼が日本で何を言ってるのかよく分からん。多分英語でしゃべっていると思う。ちゃんと聞けば分かるはずだよ。だからイヤホンなんかいらないよ。でも、なぜか、トランプ氏の英語は分かりやすいよな……
http://www.bbc.com/news/business-38894819
……オレも、アメリカの車は買ってないなあ……。そもそも免許持ってないから、日本の車も買えないんだが。だいたい日本車もアメ車もかわいさとかっこよさが足りない。
http://www.asahi.com/articles/ASK2C4RXSK2CULOB002.html?iref=comtop_list_nat_n03
……戦時中、おやつに毒混ぜた人がいたから気をつけて象さん!
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/south-sudan-nippo?utm_term=.tfPwjXEjy#.rhLb9V09R
……「戦闘ではなく大規模な武力衝突」……、どっちにしろ、というか後者の方がまずいのでは……。はいはい、撤収、撤収!
・チョコレート
・ゴーリキーの原作に結構似ている黒澤映画。教育学部で「心に寄り添う」とか言っている人は、こういう作品を観て見通しの甘さを自覚してほしいと思う。にっちもさっちもいかなくなる時があるのである。それはこの作品みたいな「どん底」の人々だけではなくて、すべての人たちに当てはまるのであって、希望が不幸の原因となり、その逆はない。
・ゴルフ接待してんじゃねえぞ。どっちが接待してるのかわからんが。
・そりゃポチは可愛いだろう。人間より。
「裸のジャングル」という邦題だが、十九世紀に調子こいて象狩りをしていた白人を、現地の方々が、逆に狩る話。挿入される野生動物同士の闘いの映像が素晴らしく自然な演技なので(理由は、演技ではないからだ)、現地の方に追いまくられる白人のおじさんの演技も自然にみえてくる。この話は、――確か、町山智浩氏が言っていたが、アメリカの先住民族と白人の間にあった実話を元にしているらしい。それを時間と場所を移して表現しているところが、植民地主義のあれそのままのあれなのであるが……。殺人は自然的必然的だが、文化は必ず共有できるという、あれもあれだし……
まあそれはともかく、裸足で、舗装されていない道なき道を歩いたり走ってゆく感触を思い出させる映画である。66年の映画だから、裸足の感触を知っていた人はまだ多かったろう。
自然崇拝とコロニアリズムが切り離せないのだろう……
【追記】……と思ったのだが、どうもアメリカというのは、内部に未開のユートピアを抱えているところがあるのではなかろうか。フロンティアと言えば聞こえはいいが、それはいわば「野生の王国」である。どうも「ツインピークス」みたいなオカルト話がなぜアメリカから出てくるのか不思議なのだが――、ともかく、トランプの登場はいろいろと文化的な面から考察が必要だ。
人の往き来は一層繁く、灯影はまた一段と輝かしく、暗いけれど高い空にほんのりと余光をあげてゐた。風を切つて行きちがふ電車の煽りを喰つて、街樹の柳がすうと枝を靡かせて行く。
活々とした雑閙と、華々しい灯の飾りの中にその姿を現はせば現はすほど、妻は自分の体から光りなり色彩なりを吸ひ取られて行くやうなのを確かに覚えた。自惚れはいつか影もなく去り、自ら足り、自ら満足を感じた心も姿を隠して、たゞぐわんぐわんするやうな物の響きに、散歩を楽しまうとした心もめちやくちやに掻き乱されてしまつた。そしてたゞなんともいへぬ不思議なものゝ圧迫を感じるばかりであつた。
――水野仙子「散歩」
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
……「このかさ さしたまえ」と言っておきながら「ピッチピッチチャップチャップ ランランランラン」がすごすぎる。自立してんのか依存してるのかわからないこの子であるが、やっぱり依存していないと自立しないし、他人のためにも生きることはないというのは本当なのかもしれない。いずれにせよ、雨を我々の文化は風景として自明のものとして扱いすぎるかもしれない。あ、香川県は別か……
今年度の授業が粉砕されたので、記念に、録画しておいた、NHK交響楽団の定期演奏会を聴いてみた。
井上道義の指揮で、ショスタコーヴィチ3連発である。
「ロシアとキルギスの民謡による序曲 作品115」
「ピアノ協奏曲第1番 作品35」
「交響曲第12番 作品112」
タコさんは、根本的にロシア?民族楽派だとおもうのである。プロコフィエフやストラビンスキーがフランスとかに魂を売った人たちだったとすると、タコさんは全然違うので、彼らに比べて泥臭いのではない。R・コルサコフよりもムソルグスキー的に発展的に泥臭くなったのがタコさんなのである。ロシアにもジャズや社会主義や12音音階が入ってきた、それをロシアの頭のいいおっさんが料理した――それがタコさんの音楽である。ブーレーズなどのすかしたおフランスが嫌うのは無理もない。
井上氏の指揮は、そういうタコさんのロシアの歌魂をよく表現したものだったが、すごく整理整頓がされていたように思いました。
初めて観たが、ヒッチコックがダリ化したような作品ですごかった。この映画は、アリの演技がすごいと有名なのだが、確かに人間より自然な演技である。理由は、演技ではないからだ。
このレベルの演技になると、人間でそれが可能なのはマーロン・ブランドぐらいであろう。
テーマは、なんだろう、「猿の惑星」と同じで、植民地での革命への恐怖であろうか?蟻塚がなんだかトーテムポールみたいだし。
無論、この頃のプロレタリアートの反乱的なテーマの映画の欠点は、アリや猿よりも恐ろしい人間の姿を描けていないことであろう。歴史の必然として現れる強力な「ボス猿」――
クーベリック指揮、ウィーンフィルで、「新世界より」。1956年かな…
ウィーンフィルの太鼓、いつもかっこいいなあ、どるどるどるどるどるっ、でん、どるううううう……