★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

言行一致

2022-02-13 23:51:14 | 文学


うばたまや闇のくらきに雨雲の八重雲がくれ雁ぞ鳴くなる

黒いもの集めて詠んだ歌。井伏鱒二に「屋根の上のサワン」という作品があったが、これは「山椒魚」を反転させたような作品で、我々に果たして解放はあるのかと自問させる。サワンは人間の比喩であろうか。たぶん、それを言うにはあまりに動物は動物であり、サワンは我々にとって願望みたいなものだ。もっとも、上の実朝に比べればまだもがきたがっている精神が描かれているという意味で、絶望(――達観か?)の度合いは低い気がする。

一方で、実朝も井伏も両方やっつけようと思えば、次のような考えも出てこなくはない。

三島「ことばを刻むように行為を刻むべきだよ。彼ら(全学連)はことばを信じないから行為を刻めないじゃないか。[略]彼らはことばの軽さに慣れて、テレビ的行為を素晴らしい政治行為だと思っちゃうんだよ」

――三島由紀夫・高橋和巳「大いなる過渡期の論理」


実朝のみた闇の世界もサワンに逃げられた井伏もそれは行為と同じような言葉の世界を持っていた、それは一種の言行一致で、その他に行為の世界があった。――に違いないのだが、テレビの出現によってそれが揺らぐ。今度は言行一致の条件は、テレビ的な甘さを払拭していなければいけなくなったのである。太宰治が、最後に映像作品の脚本を書いて亡くなったのは、非常に面白い現象である。

感情刷新と新しき生涯

2022-02-12 23:51:14 | 文学


時によりすぐれば民の嘆きなり 八大龍王雨やめたまへ

実朝のうたを鑑賞してると、本歌取りなどのオリジナリティをなかば放棄したようなやりかたがかえって素朴さを生み出すみたいな感じがする。それは感情の刷新だったんだね、という気がする。主客未分の状態でそれがでてくるのである。

なぜかといえば、そこには自分の思索ではなく他人の歌が自然に流れ込むからである。そのためには、他人の歌を自然に歌わせる技術がなければならない。これは演奏に近い。例えば、西田幾多郎が、主客未分の説明の時に「一生懸命に断岸を攀ずる場合の如き、音楽家が熟練した曲を奏する時の如き」(『善の研究』)と言っている。西田幾多郎は、こういう熟練が好きで、彼が古典世界をよく知っていたことと無関係ではないと思う。しかし、自我の輪郭にこだわるわたしなんかが、西田の言葉に続いて想起してしまうのは、――二階から飛び降りたり手を切りつけたりする「坊っちゃん」の行為で、西田と漱石の違いはけっこうわたしにとっては重要である。漱石のは、新しい感情というより、何か不気味な何かという感じがする。

漱石の主人公は、不器用で、――というより、行為や言葉が急に飛び出すタチなのである。漱石の作品には、感情の刷新ではなく、何かの塊がごろごろ転がっている印象である。藤村の方が「新しい感情」にちかいものに拘って居た。

誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。

――藤村「藤村詩抄 自序」


これは、小学校の担任の牛丸仁先生が、小6の我々に配ったプリントのなで、自分の文章とともに引用していて、いまでも強烈に頭に残りつづけている。彼にとっては新しき言葉は新しき生涯のことである。彼の生涯が案外新しくはならなかったことを詰ってもしょうがない。藤村たちは、実朝の時代と違い、人生こそが容易ではなくなってしまった事態をよく分かっていたに違いないのである。

歎きと懺悔

2022-02-11 23:06:21 | 文学


塔をくみ堂をつくるも 人のなげき懺悔にまさる功徳やはある

第三句が第二句につづくとすると、塔や堂をつくったりするのも人の歎きなんだが懺悔にまさる功徳はなし、という意味になり、第三句が第四句に続くと歎きと懺悔こそが、物を創ったりすることよりも歎きや懺悔する心が大事だよ、という意味になる。わたしは、前者の方がなんとなく含蓄がありそうで良い気がする。つまり歎きと懺悔は似て非なる物であって、塔や堂の物質と心の対比によって、本当に魂があるのは、歎きじゃなくて懺悔なのだということを際立たせているようであるからだ。

わたしは作品にはなにか言いたいことがあり、それを最大限汲まなくてはならないと考えているので、――わたしの意に反して、文学作品にこそコミュニケーションの能力の発揮を見るべきではないかと思い始めている。その言いたいことがあるかぎり、その理解が論理的整理でも受容者の感想でもあってはならないのは当たり前だ。もっとも、近代文学は普通のコミュニケーションにおさまらない意味の複雑さを発達させていったにもかかわらず、それゆえにかえって「作品」という鑑賞物というモノになってしまった感があって、粗雑な人間たちに理解されずに骨董品や観光資源の仲間入りをしようとしている。

文壇というのは対談で出来ておらず、鼎談とか合評でできている。後者はコミュニケーションというより、むしろ社会的なものである。この前、石原慎太郎と三島由紀夫の対談集を読んだが、結構面白かった。まったく話がかみ合っていなかったからである。これに対して、三島由紀夫と花田清輝と安部公房とかの鼎談になると、なんか話がかみ合っているようにみえる。つまり、鼎談が「作品」を生成させるのであった。

私の文学上の経歴――なんていっても、別に光彩のあることもないから、話すんなら、寧そ私の昔からの思想の変遷とでもいうことにしよう。いわば、半生の懺悔談だね……いや、この方が罪滅しになって結句いいかも知れん。

――二葉亭四迷「予が半生の懺悔」


近代文学の「作品」をつくった一人であるこの方には、懺悔だけがあって案外歎きの方がない。なるほど、こういう態度が信用できないから、歎きばかりでいっこうに懺悔しない連中がこのあと出てくる訳であった。この延長線上に、我々のバカが成立している。

ゆくへもなしといふもはかなし

2022-02-10 23:34:09 | 文学


炎のみ虚空に満てる阿鼻地獄 ゆくへもなしといふもはかなし


既に地獄に墜ちてる気分になっていたのか、その地獄というのがその中にしか行方がないような閉じた空間であると感じられていたのか。地獄というのは脱出できる救いがないのであり、この現世と同じである。

若い頃は分からなかったが、殺人偸盗なんでもござれの小説ばかり書いていた芥川龍之介は、世の中を若い頃から地獄だと思っていたにちがいなく、主人公たちがほとんど八大地獄のどこかに墜ちているはずであった。これにくらべると、後年の私小説じみたものには現世は地獄であったほしくないような祈りみたいなものがあったのかもしれない。しかしそれをなにか法則に外れたものとして認識してしまったようだ。

人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは 一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは 目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児の起ることもあると同時に、又存外楽楽と消化し得ることもあるのである。

――「侏儒の言葉」


これでは、「楽あれば苦あり」みたいな箴言よりも間違っていることは確かではないか。芥川龍之介はあまりにも人生を「同時に」みたいな相に於いて見てしまったのではなかろうか。

以前、西村賢太氏が東大の阿部先生との対談で、若い頃、土屋隆夫の、純文学の作家と絡めた推理小説を読んでて、それで田中英光を知ったと言っていた。それは度々氏が告白していることでもあった。もっとも、推理小説と私小説というのは似ているのである。前者が、謎から真相に迫るのに対して、後者が真相から語り出して謎に行き着くだけである。そこには、一直線の因果関係への信頼と懐疑がある。

芥川龍之介の知性は、さすがに、そのような因果関係をみるには、人生を圧縮して「同時に」の相に見ることにおいて先を読みすぎていた。やはり芥川は探偵小説のあとから出発した男である。

人を育てたり、生きやすさを追究したりするのはものすごく複雑な行為と試行錯誤の積み重ねが必要であるにもかかわらず、基本どうにもならない偶然に対する気楽な構えと覚悟が必要である。どうみてもコミュニケーション能力とか何とか力とかいうガキの鉄砲みたいなものだけじゃなんともならぬ。そこには、AだからBになるはずみたいな、子ども的な願望があり、私小説以前、芥川以前的なものに過ぎない。

ふまえりゃいいのかよ問題

2022-02-08 23:28:26 | 文学


いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の母をたづぬる

母と子と涙を出しときゃいいのかよと思うが、これはむろん定家の「たまゆらの露も涙もとどまらず亡き人恋ふる宿の秋風」とかをふまえているにちがいない。しかしふまえりゃいいのかよ、という感じはするわけである。

小林や太宰、吉本が実朝を重視するからあれにみえるけど、けっこうこのチョイスは特殊なわけですわ。――かどうかはまだわからないが、何かは常に特殊であることを想定しておくのがいつもの心がけであるべきである。

すらだにも

2022-02-07 23:58:16 | 文学


ものいはぬ四方の獣すらだにも あはれなるかな親の子を思ふ

すらだにも、に関して賀茂真淵がすらかだにかどっちかにせい、と言っていたと思うが、――むろん、実朝が発見しているのは、親の子を思う気持ちは「ものいはぬ四方の獣」状態であり、圧倒的に普遍的であるが獣的だということである。

我々はほとんど獣から出発し十年ぐらい生きてやっと悟るかと思いきや第二次性徴期だかなんだかしらんが、所詮獣であったことを思い知らされ、その後葛藤を観念に昇華して生悟っていると、子どもを守るぜみたいな感情に掠われ、考えてみたら人間もそこらの獣とやっていることは一緒だったということに気付くのであった。

しかし、実朝は見落としている。四方の獣のなかに、は虫類や昆虫や雑草たちが入っていないことを。それらのなかには子どもをほぼ放って置くものも多い。「人間」は、かえってこのような者達に近いのである。

実際、親子の情がいとも簡単に破られていくのが人間の世界である。

「人間失格」がアメリカで売れているそうだ。No Longer Human(もはや人間ではない)という訳だそうだ。

人間、失格。 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

このばらけた句読点の付け方がこの作品のクライマックスのリズムで、題名は読点を抜いているせいかなんか硬い感じがする。英語のニュアンスよくわかんないけど、確かにNo Longer Humanのほうがいいかもしれない。HUMANLOSTよりも。太宰は、ついに人間を失格することによって、人間らしさから脱出し人間にたどり着いたのであった。しかし、このあと太宰は、尾崎一雄とか志賀直哉みたいな虫的な世界に行くわけにはいかなかった。だから、あとは案外漱石的な心理的な喜劇に行った気がする。死んじゃったからなんともいえないが。。

あなたは駄目人間なんです。それはもう一生変わらないんです。突如、明日からもてはじめることもないでしょうし、明日から頭がクルクル動くようにもならないでしょう。永遠にもてないまま、無能なまま、そしてそのまま死んでいくことでしょう。

――中島義道「ぐれる!」


この段階は、太宰の初期であろう。

東条は腰抜けだと言っているだろう。それでいいんだ、気にすることはない。(東條英機の言葉)


この段階は、執筆せずに酒を飲みに行った太宰の段階である。

リベンジャーズ

2022-02-06 23:53:50 | 文学


世の中は常にもがもな 渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも

世の中は常にかわらないものであってほしい、と願う心とはどういうものであろうか。そういう心からみると、渚で引き綱を引いて舟を漕ぐ漁師たちの姿が哀しく見えるというのだ。なんとなく実朝には、確かさの欠ける引き網をあやつり、渚を漕いで行く漁師たちの姿に果てしなさを感じたのかも知れない。田舎の実態を知らぬ実朝がそれを哀しく思ったのかもしれないが、それが世の中への確かさへの希求につながるのは強引なきもしないではない。

もっとも、我々は若い頃は、未来を(ということは、悲惨な歴史と自らの過去を否定するということだが――)変えられると思っている。大概それは、未来と言うより、目の前の恋人とか手柄みたいなものと結びついているが、それ以上に、過去への義憤が上回ることもあるであろう。ただし、それは乱世を生きてきた人間の起こす現象で、案外「その後」の人というのは、世の中を「哀しいね」ぐらいに達観するものなのである。

さっき、NHKの大河ドラマで鎌倉幕府を作った一味の一人があっさりと死んだ。「平家物語」の世界は、ほんとにあっさりと人が死ぬ。当事者たちはあっさりではなかった。こんなあっさりとした感じをだして無常とか言うてるやつは「その後」の人間に違いない。ほんとうに「その後」過ぎるわれわれなんかは、一周まわって、こんな歴史は認められん、変えてしまえと思うようになる。大河ドラマなんて、もともとそんなノリなのである。NHK様、いっそ、とりあえず義仲と実朝が生き延びる世界線をお願いします、あとは好きにして頂いてけっこうです。

この前、「東京なんとかジャーズ」というアニメを少し見てしまったが、握手をすると中学時代に帰って未来を変えることができ、しかもそれを何回もやれる話らしい。若いというのは素晴らしく、主人公はまだアルバイトをしながら自堕落に夢をみているような青年である。その自分を否定しようとして過去に戻るわけである。――こういう話が大人気になれば、大河ドラマもなんでも変えてしまえよホトトギスの精神で歴史の書きかえを大胆に出来るなとわたしは思った。ちなみに、わたしなんかが趣味的にみてみたいのは、西田幾多郎や西田左派の連中がみんな戦争を生き延びて、戦後派の連中を煙に巻きまくったり、芥川龍之介が生き延びて小林秀雄や吉本隆明の体たらくに「この無教養が、シネッ」とか言ってしまう戦後世界である。太平洋戦争は負けていい。そこを動かすとより悲惨な何かが待っていそうだから。

そういえば、三島由紀夫とドゥルーズって生まれた日が4日違うだけなのだ。それに気付いて、年表をひっくり返してみると、彼らが生まれた大正十四年というのはほんと呪われた年で、ムッソリーニ独裁宣言、治安維持法、我が闘争刊行、ナチス親衛隊設立、一国社会主義採択の第14回共産党大会が一挙に起こっている。これ以降に育った人たちはこの世界が普通だろうが、芥川龍之介なんかほんとに怖かったんだろうと思うのだ。「河童」はサタイアではなく本気の推測だったし、最後に芥川が私小説に接近したのは、歴史をとおして現実の解釈変えるよりも、現実の恐怖が上回ったからだと思うのである。自分がやはり本質的に明治維新の血の戦いを知らぬ、もっといえば日清日露もよく知らぬ「その後」の人間であることが自覚され、初期小説のように歴史を解釈で扱ってしまうある種の甘さを捨てたのかもしれない。

三島や安部公房、吉本隆明たちは、先行世代から見たらヤンガージェネレーションと揶揄される、ある種の理屈っぽい明るさを持っていると思われのだと思う。いまならオウム事件のころ生まれた世代をそれ以前の世代が見る感じに近いかも知れない。彼らの世代は、歴史を知らぬがゆえに「世界」に開かれてしまった世代だ。而して彼らは、閉じた戦後をあまりよく思っていなかったが、一方で有り余る知性で案外歴史を「哀しい」と達観していた気がする。だから、彼らは本気で共産主義者や右翼にはならなかった。本当に危険なのは、その達観した連中を殺した世代である。そしてその世代に反発する連中が、「哀しさ」を抜いたまま現実の否定に本気で乗り出すときが来た。

苦役列車横転――石原対西村

2022-02-05 23:51:14 | 文学


石原慎太郎の追悼文を書いていた西村賢太氏が突然死した。

氏の多くの小説を読んだが、同じような話をくり返し書きながら楽しませる様は、小説落語という感じであった。内容はDVとかなので、いわば悪質な粋という芸風であった。まあ、文体は大正時代や昭和初期の作品に倣ったように一見古風だが、カッコをつけて自虐と悪態をやっているのも現代風だし、無頼だけど、根が趣味的にできている作者であるからして、カッコをつけようとしてもっとカッコをつけてる多くの人よりは遙かにましに見えたから、――けっこう読んだのである。西村氏は石原を買っていたみたいであるし、一方の石原も西村氏のことを「お互いインテリヤクザだな」と言っていたらしいが、西村氏はその某石原よりも相当なインテリだったと思う。

石原には、進学校の中学二年生が過激な悪口を休み時間に言っている趣がある。休み時間は人気取りの時間だ。これでは中卒でどんなひどい情況を生きてきたかわからない西村氏に勝てるわけがない。たぶん、西村氏は休み時間でなくても悪口を言ってしまう。政治家としての石原にはまったく興味がなかったと西村氏が言うのはそういうことである。休み時間に政治家をやってたのが石原氏なのだ。

これはインテリが受験労働者として純化していってしまっているなかで特異な現象であって、語彙も文体もいまどきのインテリ文士とはまるで違っていた。我々が受けた受験勉強や学校教育というのは、文体・語彙の画一化、貧困さを生み出している。そのことを証明しただけでも西村氏は生きた意味があった。

大学は、学問をやってることに宿業を感じさせるような人間を失いつつある。これがなんとかならない限り、学生のなかにそういう種類の人間が出てくることもない。学者たちが処世のために生きている限りは、学生だってそうするに違いない。社会的に正しいことを言うだけでは駄目なのは当たり前である。こんなことは小学生でもわかるが、キャリア形成とやらを行っているうちに、その時々の「正解」しか行えない人間が出来上がる。

一方で、わたしのように、学生時代に仲間と音楽ばかりやっていたようなタイプにも問題がある。こういうタイプは案外孤独に耐性がないのだ。単なる感想だが、社会性を養うとかいうて学生を部活漬けにしていることが、社会人として必要な「思ったよりも長い時間の孤独」に耐えられない性格を作ってるんじゃないかとも思う。西村氏には、おそらくそういう耐性もあった。

お天道様は見てござる

2022-02-04 23:48:50 | 文学


恋しとも思はで言はば 久方の天照る神も空に知るらむ

あなたのことを恋しと思わないで言ったのであれば、自然に天照大神にも知られてしまいますワ、嘘じゃないヨ、みたいな意味であろうか。それにしても、久方の天照る神も空に、とは意味の割に長い。しかしそれが、恋しの思いが果てしなく空を飛んで行くさまを示すようでステキである。

お天道様も見てござる、というのは、観念的な意味ではなく、空を見上げてのすがすがしい感覚のことであってほしい気がする。お天道様の罰はそれ自体赦しである必要がある。しかもそれは、そこらの思い上がった人間の赦しではなく、実体がみえない優しい罰の方がよい。

地震の時に天罰だとか口走ってしまった人がいたが、彼だってどちらかと言えば、その天罰による赦しみたいなニュアンスを知っていたに違いない。しかし、それがただの自我主義みたいな人間が言ってもしかたがない、――こんなことを知らなかっただけのように思われる。

少年にして木曾の英雄譚を知つたものは、やがて平家物語の木曾に、長じて美しい人間と激しい歴史を発見し、一つの過度期の犠牲を見出す。そのことから彼らは決して平家をないがしろにせず、頼朝を嫌な男と考へぬのである。

――保田與重郎「木曾冠者」


保田はときどきこういうことを言うが、ふざけている。過渡期の犠牲を強いている主体はどこにあるのだ。平家や頼朝ではないか。結局、かくして、保田は権力には弱い男となる。思うに、保田は、お天道様は見てござる、という感覚を信じ切れなかったわけである。人間に美しさを、歴史に激しさをあてているのだが、わたくしは人間が美しいなら歴史も美しいと言うべきで、――そもそも激しさと美しさは分析されてなんぼではないかと思うのである。保田は人間の自我の存在そのものに拘りすぎている。歴史は、人間の営為に対する毀誉褒貶から導かれる必要がある。営為に対して十人十色の感想がイイネというのは自我主義だ。そうではなく批評的吟味ができるだけの営為だけが必要だ。そのことを軽視するから、NOといえる人が強い自我に見えたりするわけである。

お天道様は、その自我の虚実を暴くはずの存在である。日本ではあまりにも自我主義の平凡人がただの自我の衝突を繰り返すものだから、お天道様みたいなものが要として必要に思われたのである。しかし、要は単に要であってただ単に美しいと思われてしまう可能性がある。

実朝の歌もそんな美を持っていて、――だいたいどういう「恋し」なのか説明すべきなのである。

心ひとつといかが頼まむ

2022-02-02 23:43:07 | 文学


沖つ波八十島かけて住む千鳥 心ひとつといかが頼まむ

これは恋の歌なのであろう。多くの島を心にかけて住んでいる千鳥のようなお前を、心を一つとはみなせないんだよコラッ、という感じだ。もっとも、我々の心はもともと浮気で、波や島々の表象に目移りして過ぎて行く。山国の人間だって、本当は富士山よりも八ヶ岳が好きなのである。

我々は、物象一つ一つに対して優しくない。多様性とかなんとか言って、心一つを護ることができない。三島由紀夫の言うように、リシュリーや天皇がいないと、方向性なんかないのが我々の文化である可能性はたしかにある。石原慎太郎なんか、「みんな違ってみんないい」的な思想のバリエーションなのである。

昭和四十四年頃、政治家になったばかりの石原慎太郎と三島由紀夫は月刊ペンで対談している。石原は、大事なのは個人で、天皇制を守る必要はない、システムはもともと仮象で、――みたいな主張をして三島と対立していた。石原に対して、お前の考えは戦争の時の本土決戦の思想で、それでも日本の文化は残ると思っているだろうがそんなことはないと三島は言う。三島にとって、日本の文化はパーソナルなものではなく、それが文化であることを辛うじて保つために天皇が扇のかなめであるに過ぎないがゆえに、代替可能なものではない。石原にとっておそらく文化はすごく実存的なというか個人的な自由を本質的であると思うことに依存している。

だから、石原には日本のいろいろな制度や何やらを破壊しても個人があればいいんだみたいなところがあった。で、石原にとっては、自分に比べれば他人も仮象みたいに見えるところがあったのかもしれない。この危険性を察知して三島は「お前も仮象になりかかってるじゃないか」とか確か言ってたと思う。

この自我主義者=石原のような、まわりのモノに対する鈍感さを持っていなかった三島は、受験戦士以上に、まわりに負けるかみたいな野放図な文化的精神の持ち主で、仮象の天皇ぐらいもってこないと自我が持たない。高峰秀子様はたしか三島由紀夫との対談のなかで、わたしは嫉妬深いので浮気したら硫酸ぶっかけるみたいなことを言ってた。三島は、戦後派や石原だけでなく、こういうまわりの過激な人に対抗して頑張りすぎたところがある。

石原に限らず、日本人が何がつまらないかというと、カーゲルのティンパニ協奏曲のように、最後に頭からテンパニに突っ込んで聴衆に暖かい笑いをとるんじゃなくて、若者が恥部を障子に突っ込んだぐらいのことでNOと言えるとかなんとか言っているところだ。このようなモノに対する鈍感さと自我があることが常に錯覚される。伝統を大事にしているのが日本人というわけではなく、伝統なんかよりも目の前にある軽薄な自我主義が好きなのがわれわれである。

わたしも若い頃は、勇気のあるマイノリティだけが次の世を担うのだと思っていたが、――そうでもなく、たいがい勇気のない自我主義の多様なマジョリティが生きて死んで行くだけなのが我が国である。勇気はテキストをはじめとする死人に宿って蘇生するだけである。

海的戦後文学者の帰趨

2022-02-01 23:58:10 | 文学


住の江の岸の松ふく秋風を頼めて 波のよるを待ちける

自然の擬人化というのはその実自然に対する盲目をもたらす。わたしはやはり「千曲川のスケッチ」の方を好む。

もっとも、波の気持ちを考える気分になっている人は、やはり波に接近してきた人なのかも知れない。今日、石原慎太郎が死んだが、彼の出世作は「太陽の季節」という、一見、アマテラスでも好きなのかな流石右翼かよ、と思わせておいて、海が好きな作者なのである。彼の作品からは、日本の陸上からの逃避が常に感じられる。ムリに逃避をやめたりすると、「処刑の部屋」みたいになって、地べたを這いずり回る羽目になるのである。よく考えてみたら、石原裕次郎も、ヨットに乗っていたときは颯爽としていたが、そのポジションを若大将に奪われたためか、地上で軍団を率いてパトカーをバク転させたりするような映像にばかり出演させられていた。わたしが視聴した範囲で言うと、なかなかよかったのは「黒部の太陽」で、水が関係していた。それにくらべて「太陽に吠えろ」とかは、太陽に吠えているのかどうかはわからないがとにかく体が動かない。もっとも、部下は動いていて、松田優作なんかが水に頼らぬ暴れぶりをみせて太陽族の上品さのようなものを吹き飛ばしてしまった。――当然である。松田優作は、太陽の國の出身ではなかったのだ。

できるなら、石原慎太郎は波のようにしていたかったのであろう。が、戦後は我々を陸地に閉じ込める時代だった。

三島由紀夫は、早稲田大学での講演で、「石原慎太郎なんかボディビルへの批判を一般市民の側から言っているわけ。彼のところにボディビル協会の会長の秘書が行って〈三島由紀夫がボディビルの悪口言うのやめてくれって言ってます〉というと、「ボディビルの筋肉なんか死んだ筋肉だカエレ」と言ったそうです。あいつも相当なこというもんで、まあ彼にコンプレックスがあるからでしょう」(記憶だとこんな感じ。。)と言って会場から笑いをとっていた。石原は本質的にマッチョというより、水のようになりたいのである。三島は違う。とにかく金閣を燃やしたい男である。水をぶっかけられたらたまったものではない。

おなじく右側みたいに把握されがちな、石原と三島は、あくまでこういう対立物であって、後年石原がいわゆる「暴走老人」になっていったのは、大江ではなく三島のような対立者がいなくなったからだと思われる。こういう対立は人が本質的な美質を保つ存在であるために非常に重要なのである。三島は、その自衛隊への殴り込みに象徴されるように、火(間違えた「非」)政治的な男で、「政治じゃないんだ、むしろ刀が重要だ」みたいな思想を実現したがっていたから、行動に出た。石原はおそらくその逆をいこうとして例えば国会で「寄らば切るぞ」としゃべり続けるような「政治」をやろうとしているのである。

彼の水への執着がついには、島を買うぞという発言になって飛び出したことは周知の事実だ。

しかしそれにしても、――確かに、江藤淳が言うように「作家は行動する」のが戦後の時代であるといっても、なんとも元気な御仁であった。

日本の戦後の秩序は、ある意味では老人によって固められたでしょう。なんだか、青年が戦後の日本を作ったという感じはしないですね。現代の日本は、非常に老いぼれてしまった感じで、その点、明治とたいへんに違う感じがするのです。

――三島由紀夫「青年、今と昔」


青年としての反逆が、戦後の一大テーマであったのは、こういうなんだかおおざっぱな認識に支えられている。「第二の青春」にしても「遅れてきた青年」にしても、自分のファクトをちゃんとみろよという感じであるが、確かに属国に住んでいる屈辱はどこに向かって暴走するか分からないものではある。結果、三島に限らず、石原も大江すらも老い方がわからなくなってしまった。しかも「若」くして有名人になった彼らの老いへの拒否はまた独特なレベルだったのであろうという気もする。

そもそも老いという現象が、ますます、科学的にお餅みたいに引き延ばされてわけわからなくなっていて、石原への過剰な讃美と拒絶反応は、我々が生き方が分からなくなっていることの現れかもしれない。太宰治の「人間失格」の最後なんてずるいよな、急に老けさせたりしてさ。。生き恥をもっと晒さなければならなかったのが戦後なのに。石原なんて「人間失格」以降の「人間失格」をゾンビ的に元気にやろうという感じだったのだと思う。我々は忘れてしまったが、戦後というのは、こういう狂気のような虚無感から出立している。それを忘れて、復興を成し遂げたふりをする欺瞞を文学者たちは許せなかった。しかしまあ、属国に住んでいようといまいと、みんないろいろと考えて生きてきたのであって、結局、石原を筆頭にかなり思い上がっていたと言う他はない。数々の差別的発言は、差別心というより思い上がりから来ている。――日本人の差別というものはそういうものである。

この前亡くなった水島新司なんかはよく分かっていたのではないか。技術を身につけた人間は情況がどうであろうと思い上がっていようとなんとかしてしまうものだと。50代のピッチャーがプロで活躍したり、ずっと二日酔いでも2000本安打は可能だ。一番スゴイのは、「ドカベン」の山田で、なんと記憶喪失でホームランを打っている。――これでゆくと、日本人が敗戦もファシズムも忘れてしまっても、なんだかしらないうちに経済復興を成し遂げるのではあるまいか。それはそれでゾンビであるが。