Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ヴラマンクの風景画

2024年03月26日 20時11分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ヴラマンクの三越で開催されていた「没後30年・フランス野獣派の旗手 ブラマンク展」の図録を見ていたら、この作品《林檎の木と燕麦の畑》(1943年)という風景画が目に付いた。
 確かに見た記憶がある。1943年というのはヴラマンクが47歳頃の作品である。展覧会で見た当時の印象も思い出した。中央の嵐がやってくる前の不安な雲か、嵐の過ぎ去った後の雲間から差す陽射しを受けた雲か、どちらなのか不明であるが印象に残った。
 しかし題名を見ると、雲の下の燕麦と手前の木に作者は着目していたことになる。
 構図的に見ると、木の横に延びた幹の葉、雲、燕麦、手前の土に映る斜めの太陽光線の束、この強い横の線に対して右端の林檎の木の垂直な太い幹、実に単純である。しかし太陽光線の輝きと暗部が交互に重なって複雑である。またこの林檎の木の曲がり具合が実にいい。
 今回は畑の麦の細い垂直な線の連続もまた見どころに思えた。広々とした空間を演出している。もうひとつ雲は実にさまざまな形態をしているのも目に付いた。低い群雲、黒い雨雲、高層の雲等嵐に搔き乱された大気の様相を表している。
 念入りな構想力を感じた。

 


ヴラマンクの花と花瓶 その2

2024年03月26日 12時57分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 昨日に続いてヴラマンクの花と花瓶の作品。本日は2回目。1922年の「花瓶の芍薬」と1946年の「花束」。制作した年を見ると長い年月に亘って花と花瓶の作品を描いていることがわかる。
 1922年の作品では対象の復元性は強いが、次第に形態の復元性は希薄になる。
 1946年の作品では筆致は粗くなる。しかも花瓶の置かれている空間への執着も希薄になっている。しかしあふれるような生命感は強くなるように感じる。同時に、花の醸し出す光の躍動が周囲の空間に与える影響がより強調されている、と感じた。


ヴラマンクの花と花瓶

2024年03月25日 22時00分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 読書の気力があまり湧いてこないので、本棚から2冊のモーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)の図録を2冊引っ張り出してきた。ひとつは1989年に日本橋三越で開催された「没後30年・フランス野獣派の旗手 ブラマンク展」と、1997年にBunkamuraザ・ミュージアムで開催された「生誕120年記念 ヴラマンク展」の図録である。
 「花瓶の花」(1939-40年)は前者に展示され、「花」(1940年)は後者に展示されていた。
 激しい嵐の風景画を描くブラマンクが、静物画、しかも花瓶の花を描くのかと驚いたものだが、激しいタッチの花々が花瓶からあふれ出るように描かれている。大変印象的な作品を両展覧会で堪能した。
 特に黄色の細い花弁とつややかな黒い花瓶が印象的な「花」を私は気に入っている。白い花弁に呼応するように多分室内の光の乱反射を描いたと思われる白い光線の短い煌めきも線香花火のように忘れられない。
 この外の花瓶と花を描いた作品が多数展示されていた。硬質で陶器の表面のつややかな花瓶をねっとりとした質感に描き、対称的にそれまでの画家が柔らかく描こうとした花を勢いのある強い筆致で描いた転換が私の目に新鮮に映った。粗い勢いのある筆致と言ったが、決してぞんざいではなく、花の形や色彩は良く計算された描き方でもある。
 しかしこの激しい生の横溢に圧倒されるような花と花瓶は、狭く密閉された日本の家屋には合わない。少なくとも我が家の壁に掛けたら、圧倒されて居住者である私は縮こまってしまいかねない。

 2冊の図録はだいぶぼろぼろになってきた。

 


今晩はモーツアルト「ホルン協奏曲」

2024年03月17日 22時34分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 夕食は久しぶりに娘を交えて。娘が帰宅後は、静かにモーツアルトの「ホルン協奏曲」の第1番から第4番、ならびに同梱の「ホルンとオーケストラのためのロンドK.371」を聴いている。ホルンはペーター・ダム、ネヴィル・マリナー指揮でアカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、1988年の録音。
 何となく疲れた時や、静かな時間が欲しいときはこの曲はいい。

 明日は朝9時前には家を出て、組合の会館へ。3月の退職者会幹事会。午前中は役員会等、昼からは作成した退職者会ニュースと、ブロックニュースの発送日、午後からは幹事会等、15時からは講演会。夕方まで目いっぱいの予定である。いつものとおり、きわめて慌ただしい一日である。


ベートーヴェン「ピアノソナタ第30・31・32番」

2024年03月15日 21時31分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 昨晩と本日の夜に聴いていた音楽は、ベートーヴェンのピアノソナタ第30、31、32番。
 ベートーヴェンのピアノソナタはこの1枚しか持っていないが、一度聴いたら忘れられない3曲である。第32番は苦手、聴いていて頭に入ってこないし、どういうわけか堅苦しさが目立ち、落ち着かない。悲しいかな、苦手というしかない。
 私は何と言っても第30番の第3楽章の変奏曲(特に主題)が私の一番のお気に入り。今回もこの楽譜を見ながら一度聴いた。
 演奏はルドルフ・ゼルキンで1987年の録音。


「中尊寺金色堂」展 その2

2024年02月23日 21時12分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 金色堂は過去に現地で3度見た。中を見たのは2回。最初は学生の時に一人で訪れたが、外から金色堂を眺めただけだったと思う。その後2回訪れたときに中も見ることが出来た。しかしあまり近くからは見ることはできなかったのと、手前の欄干や密集して配置されているので、台座などをじっくりと見ることはできなかった。
 今回、中央の須弥壇の11体が展示されている。ガラスケースにおさめられているが、ここまで近くから見ることが出来て、ありがたかった。
 増長天立像と持国天立像は金箔に顔が覆われているにもかかわらず、優美さや豪華さというよりも力を感じた。私がいつも天部の像に抱く違和感をあまり感じなかった。私はいつも彼等の膝が伸びきって、そのために腰をぐっと落としみなぎる力をため込んだ力強さが抜けていくように見えてしまう。いつの時代でも、誰の作でもこの感想は変わったことがない。
 この像も膝が伸びきってはいるが、しかし軽やかな飛翔をしているように見え、違和感が薄らいだ。足で踏みつけている悪鬼が雲の形にも見えるのが不思議である。雲の形をしていることで、飛翔しているように見えるのだと思う。今回の展示では良い体験が出来た。

 安田登の「『おくのほそ道』謎解きの旅」を先日読み終えたばかりであるが、そこにこんな記述があった。
ヨーロッパの日本ブームを作ったのはマルコ・ポーロの「東方見聞録」。・・・黄金の島、ジパングを作ったのは、中尊寺金色堂などの黄金文化を謳歌した平泉ではなかったかと言われています。この平泉こそ奥州藤原氏の都であり、繁栄の証なのです。」(第6章「鎮魂の旅」)
 あらためて平泉という場所について考えさせられた。


「本阿弥光悦の大宇宙」展 その2

2024年02月22日 20時25分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 東博の「本阿弥光悦の大宇宙」展では、次の5点が気に入った。



 まずは、やはり目玉展示の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」(重要文化財)、「花卉鳥下絵新古今集和歌巻」、「松山花卉摺下絵新古今集和歌巻」。
 解説には「松山花卉摺下絵新古今集和歌巻」は、料紙の継ぎ目裏には「紙師宗二」の印があるとのこと。「鶴下絵・・・」と比べて「筆の打ち込みが柔らかく全体的にたおやか」と記されている。
 料紙の選択もまた光悦の美意識に沿ったものであるのだろうが、私はこの巻頭の山と梅、藤、芒様の「雌日芝(めひしば)」がとても気に入った。筆の肥痩のリズムと和歌の句の上下、そして料紙の文様の上下のリズムが実に心地良いと思った。
 出来れば描かれた歌を知りたいものである。多分、歌の内容と料紙の文様にも対応関係はあるのだろう。

   

 次に茶碗のコーナーでは特に「黒楽茶碗 銘時雨」と「赤楽茶碗 銘乙御前」(共に重要文化財)が気に入った。黒楽茶碗は照明によって釉薬の色合いが変化して見える用だ。展示ではあまりに強い照明なので、白く浮き上がる口縁の部分が黒く沈んでしまったのかもしれない。
 「時雨」「乙御前」ともに手に取って、自然光下の家屋の中で見たかった。また緑色の抹茶の色が底に映えるのを見たいと思ったが、到底適えられない願望である。


明日も雨

2024年02月21日 21時45分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 明日の午前中はオンラインの美術鑑賞講座「初めての日本美術史」(講師:中村宏美氏)の第2回目で「平安時代後期の美術」。資料を打ち出し終わったばかり。
 午後以降は特に予定は入っていない。

 本日の横浜の最高気温は昨日よりも10℃以上低くなり、13.9℃。しかしこの気温は昨晩の日付が替わった直後の気温。日中は8℃台で終止していた。ということは日中は16℃も低かったことになる。
 それでも天気予報に従って身構えたよりは寒くはなかった。明日はもう少し下がるらしい。日中は5℃から7℃くらいで推移するようだ。本日よりも、北風が少し強く雨の時間も長いかもしれないという。

 講座が終わってから、出かけるかどうか、決めたい。


「本阿弥光悦の大宇宙」展・「中尊寺金色堂」展

2024年02月21日 20時10分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 雨の降る中を上野の東京国立博物館へ。当初の予定通り「本阿弥光悦の大宇宙」展と「建立900年 「中尊寺金色堂」」展を欲張って見てきた。

 久しぶりの東博の平成館と本館の第5室を続けて見るとくたびれてしまった。10年前は平成館と東洋館、本館を続けて回って「くたびれた」と言っていたが、そのわずか1/3程度の展示で音を上げてしまった。


   

 まずは平成館の「光悦」展は予想通り人は少な目であった。書・刀剣・謡本・蒔絵は一通り見て回った。特に字が読み切れないので、ほとんど印象に残らないのが悲しい。
 しかし「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」や「花卉鳥下絵新古今集和歌巻」「松山花卉摺下絵新古今集和歌巻」の3巻は興味深く見ることができた。
 料紙に合わせた自在な書法は、字が判読できない私にもそのリズム感がとても心地よかった。この独特のリズム感は琳派に色彩と形態のリズム感として継承されたのではないか。
 そして最後の茶碗のコーナーでも長時間楽しむことが出来た。黒楽茶碗「雨雲」と赤鞍茶碗「乙午前」は手に取り、茶を喫してみたいと思った。


   

 次にの本館第5室の「中尊寺金色堂」展はとても多くの人が魅入っていた。8K画像は見ていて眩暈がしたのですぐにパス。あのような画面の動かし方が今ははやりなのかもしれないが、私は眩暈がするので、見るのは苦手である。じっくりとした鑑賞ができるようにしてもらいたいものである。
 金色堂を見るのは、私は3回目。現地で見たが、やはり遠くから見ると一体一体の像をじっくりと見ることが出来ていなかった、と感じた。身近に見るとはまた、豊かである。特に増長天立像と持国天立像は金箔に顔が覆われているにもかかわらず、力を感じた。そして私がいつも天部の像に抱く違和感をあまり感じなかった。私はいつも彼等の膝が伸びきって、腰をぐっと落とし、みなぎる力をため込んだ力強さが抜けていくように見えてしまう。この像も膝が伸びきってはいるが、軽やかな飛翔をしているように見え、違和感が薄かった。過去2回現地で見たときは、欄干に隠れて膝から下を見ることが出来ていなかった。
 そういった意味では、3回目の今回は良い体験が出来た。
 


東京国立博物館へ

2024年02月21日 09時36分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日から気温が低くなり、そして雨模様。当然日も照らず暗い。
 しかしかえって美術館などはすいている可能性がある。ということで、妻と本日は東京国立博物館に出向くことにした。
 東博では現在平成館で特別展「本阿弥光悦の大宇宙」展を開催している。本館特別5室では「建立900年 特別展「中尊寺金色堂」」も開催している。
 本阿弥光悦展の招待券を1枚いただいたので、ずいぶんと助かる。

 11時前に家を出ることは決めたが、昼食を何処で摂るかなど何も決めていない。

 


ブラームス「ホルン三重奏曲」

2024年02月17日 20時19分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 取り出してきたのはブラームスの「ホルン三重奏曲 作品40」と「クラリネット三重奏曲 作品114」。録音は前者が2002年と後者が2004年。

 本日はホルン三重奏曲を繰り返し聴いている。初めは、聴いているうちに心地よく寝てしまった。第2楽章では寝ることはないが、第3楽章の緩徐楽章はゆったりした起伏の少ないメロディーについ寝てしまうことがある。ただし私は有名な第2楽章よりも、この第3楽章が好みである。
 少し籠ったようなホルンの音色は当時すでに古楽器となったナチュラルホルンでの演奏が指定されている。このCDではナチュラルホルンの音に近いウィンナーヴァルヴホルンを使用しているとのことである。
 ブラームスが32歳(1865年)のときの作品。第3楽章はこの年の始めに亡くなった母親の追悼の曲であるらしい。


シベリウス「ヴァイオリンとオーケストラのための曲集」

2024年02月13日 20時15分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はシベリウスのヴァイオリンと管弦楽のための曲を聴いている。6曲のユモレスク、2曲のセレナードなど。久しぶりに聴くCDである。
 ヴァイオリンはドン・スク・カン、ネーメ・ヤルヴィ指揮のエーテボリ交響楽団。録音は1989年。
 ドン・スク・カンというヴァイオリニストの情報は残念ながら解説でもほとんど情報がないが、音はとても澄んでおり、シベリウスのヴァイオリン曲に似つかわしいと私は感じている。

 この曲集の中では、私のお薦めというか気に入っているのは「2つのセレナード 作品69」。哀歌ともいうようなしんみりしたメロディーと、躍動感があるもののどこか飛び立てないで終止を迎えるメロディーが私の好みである。
 「2つの小品(厳粛なメロディー) 作品77」は劇的な展開を予想させるティンパニーが印象的だが、跳躍しきれないもどかしさが「2つのセレナード」よりも強い。
 このCDは気分が内省的な時に落ち着いてじっくりと聴きたい曲である。


「水木しげるの妖怪 百鬼夜行」展

2024年02月09日 20時00分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 「水木しげるの妖怪 百鬼夜行」展を横浜のそごう美術館にて見てきた。楽しく見ることが出来た。
 原画が多数展示されていた。そのどれもが当初の想像以上に背景や構図に凝っており、色彩の感覚も優れたものだと感じた。
 いくつか惹かれたポストカードを購入した。みてすぐにわかると思うが、和洋の名画を換骨奪胎、水木自身のイメージの妖怪に即して描いている。

 歌川国芳の「相馬の古内裏」は妖怪そのものであるが、ルドンの「キュクプロス」を思い出したり、不染鉄の伊豆大島を描いた作品群や川瀬巴水の夜景からの影響、北斎や広重に通じる情景などもあるように感じた。
 また「海坊主」の絵では、船は波に翻弄されているというよりも海坊主を見て恐れおののく船乗りの気分が乗り移っているようだ。
 さらに色彩がとても新鮮である。派手な色彩はないが、どの配色も妖怪が浮かび上がるように考慮されていると感じた。
 アクション重視のアニメのような奇抜さや押し出しの強い人物描写ではないが、妖怪もそれに脅かされる人物も実に生き生きとしている。点描として描かれる人物も多くの物語を語っているように描かれている。演出過剰なアニメーションや劇画とは違う躍動感に浸ることができる。
 創造する力というのは、吸収する力、受け止める力だと感じた時間を過ごすことが出来たと思う。
 


シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」

2024年02月08日 22時14分35秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日の午前中と夕食後の編集作業のBGMは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(作品47)。演奏はヴァイオリンがシルヴィア・マルコヴィッチ、ネーメ・ヤルヴィ指揮のエーテボリ交響楽団。1987年の録音である。
 このCDはジャケットの日の出ないし日の入の写真が気に入って、演奏者も満足に見ないで衝動買いした。今は演奏内容にも満足しており、衝動買いを後悔はまったくしていない。曲の冒頭の雰囲気そのものである。

 ヴァイオリンの高音の抒情的な旋律に低音の木管が絡む冒頭を私はもっとも気に入っている。
 続くおどろおどろしい弦楽器の後からホルンが呼び出されてから再びソロのヴァイオリンのすすり泣くような旋律に移行していく。シベリウス自身が「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」と述べたという逸話を聞いた。あまり情景を思い浮かべることは避けているが、それでもこの言葉は気に入っている。

 シベリウスはヴァイオリンが得意であっただけあって、ヴァイオリンの特性を心得ているなぁ、と納得する。第2楽章、第3楽章まで緊張感が途切れることがない。特に第3楽章の特異なリズムに乗ったヴァイオリンのソロは印象的。
 昔初めてこの曲をスコアを見ながら聴いたとき、こんな難しい曲があるのか、と驚いたことがある。他に五嶋みどり、諏訪内晶子の演奏ももっているが、どういうわけか、このCDを聴くことが多い。

 


鎌倉アート×歴史散歩

2024年01月27日 20時19分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 陽射しに恵まれた鎌倉で「鎌倉アート×歴史散歩」という催し(中村宏美氏主催)に参加した。10時に鎌倉駅に集まり、総勢6名で、若宮大路・段葛・二ノ鳥居、鶴岡八幡神宮社殿、鎌倉国宝館、鏑木清方記念美術館、鎌倉・吉兆庵美術館をまわって13時近くになって鎌倉駅に戻り解散。

 鶴岡八幡宮は幾度か訪れているが、参拝する社殿まで登ったのは2回目。初めて社殿の装飾や、境内から若宮大路の眺望を認識した。

   

 国宝館も2度目。1度目は10数名で訪れて慌ただしかったので、あまり印象に残っていなかった。便所の位置すら覚えていなかった。
 今回あらためて見て「薬師如来及び両脇侍像」(鎌倉時代、養命寺)と「宝冠釈迦如来坐像」(南北朝時代、建長寺)、「初江王坐像」(鎌倉時代、円応寺)が気に入って、しばらく見入っていた。
 平常展示でもあるので、機会を作って再度訪れて拝観したいと思った。

   

 小町通を鎌倉駅へ戻りながら、途中で鏑木清方記念美術館へ。普段はいつも通り過ぎてしまうのだが、今回はコースに含まれており、素直に入館。
 美人画というのは普段はじっくりと見ることがないため、いい経験をした。
 「早春の風情」という企画展(1.13~2.27)を開催していた。作品はずいぶんと凝った制作過程を持っていることも解説で教えてもらったが、その工芸的で職人芸的こだわりというのにはとてもひれかれるものの、なかなか見極められない。
 ただ最晩年の1970年、93歳の時の作品という「白梅」には惹かれるものがあった。「丁寧で凝った」という筆致の作品ではないが、青紫と鉢の土の緑の配色、円弧に沿った梅の枝ぶりが気に入った。ほのかな白い梅の花弁が瑞々しく目に焼き付いた。

   

 最後に回った吉兆庵美術館は存在そのものを知らなかった。和菓子店の奥にあり、外からも分かりにくい。展示は「吉祥文様を読み解く」(1.5~4.7)。解説を読んで知識をもらった。常設展示の北大路魯山人の収集品の中では、私の眼には好きな織部焼の緑の釉薬に吸いよせられていた。狭いながらも凝った古陶器を静かに見て回ることが出来た。