4月19日の朝出発して3泊4日のソウル・安東市の旅から昨日帰ってきた。今度で3回目の韓国訪問となった。
一度目は済州島へ漢拏(ハルラ)山登山と自然景観鑑賞を目的に2泊3日。二度目は釜山・慶州へ古代の歴史に触れようと、博物館等を中心に見学し、最後にソウルを少々体験しに鉄道で訪れた。そして三度目の今回はソウルの下町と古い歴史的な景観(北村(プッチョン)界隈)を見、そして安東市までバスで足を伸ばしてユネスコ世界遺産登録の河回(ハフェ)村で仮面劇を見学し、藁屋根家屋で1泊した。
三度目の韓国、感じたままを以下綴って見る。
今回1泊目は、大統領府である青瓦台そばのサンチョンドン(三清洞)を散策し、国立民俗博物館を見学した後、プッチョン(北村)界隈を散策し、喫茶店で休息し、家庭料理の店で夕食。
国立民俗博物館は李朝時代以降の貴族階級であるヤンバン(両班)と庶民の生活の再現を中心とした展示。「民俗」という言葉がもう一つはっきりしない所為もあるが、李氏朝鮮以降の暮らしに焦点を当てており今ひとつ展示に民俗学の奥深さが感じられないと思うのは私だけだろうか。
プッチョン1
プッチョン2
三清洞の通りは今変化の真っ最中の通り。新しい店が開店しつつあり、建て替えやら新規開店やらで活気にあふれている様子。下町でもなく、ファションの発信のような街でもなく、新しい何かを模索している感じがした。これから変わっていく街なのであろう。背後に控えるのが古い住宅地の町並みを残すプッチョン(北村)界隈というのも面白い対照だ。夜は現イミョンバク(李明博)大統領がソウル市長時代に整備したというチョンゲチョン(清渓川)を歩いたが、あまりの人工的な川の復元に違和感を感じた。
トクソックン1
トクソックン2
2日目は、午前中は桜の名所である漢江の人工島ヨイド(汝矣島)と63シティの63階展望台からソウル市内を展望した。その後トクソックン(徳寿宮)を訪れ、李朝時代の衛兵の交代式を見学したが、中の美術館は閉鎖されていた。その界隈の狭い路地に入り込み活気に満ちた狭い、決してきれいとはいえない食堂でランチタイム。午後はミョンドン(明洞)の界隈の路地を歩きつくしてその活気に当てられた。夕食もミョンドンの外れの食堂に入り込んで調達。帰途、ナムサン(南山)に登り途中の桜・連翹・雪柳・山躑躅・辛夷・ライラックがいっせいに花を咲かせている情景に目を奪われた。
雨の静かな河回村
仮面劇
河回村の庭にて
3日目は、高速バスで東ソウルのバスターミナルから安東市まで雨の中、片道3時間の道のり。安東市のバスターミナルから40分ほどタクシーでユネスコ世界遺産登録の河回村におもむき、河回別神グッ仮面劇を見学し、夕方からその古い民家の一室に宿泊、オンドル形式の暖房の部屋を経験させてもらい、夕食は安東市の郷土料理チムタッ(鶏肉・ジャガイモ・野菜を甘辛く煮込んだもの)、翌朝食は同じく塩サバを味わった。
4日目の午後は雨の中、サムスン美術館を訪れ、古代の装身具や仏教美術から20世紀韓国の現代美術までを駆け足で一通り見て回った。古代美術品については、プサン(釜山)やキョンジュ(慶州)の博物館で味わった興味・感動を味わうには至らなかった。展示がただ並べてあるだけで解説もなく、私たち素人には不親切のそしりは免れないと感じた。百済・新羅などの時代の遺物の見学を通した博物館見学と、ただ展示されているだけの遺物の見学の差が出たようである。
今回、韓国の桜の満開の季節に訪れた。日本の関東地方より少々遅めで横浜から訪れると二回目の桜の満開を味わうこととなった。韓国の桜は見た限りではどれもがソメイヨシノでそれも若い樹と感じた。街中の桜ばかりではなく、高速道路沿いの桜も最近植樹したような若い樹であった。また河回村の古い川沿いの道にもソメイヨシノが植えられ桜並木となっていたがこれも若い樹であった。
そして桜・連翹・雪柳・山躑躅・辛夷・ライラックが一斉に花を咲かせる景観はなかなか見ごたえがある。今年だけの現象なのか、いつもの現象なのかは私はわからないが、少なくとも今年はにぎやかであった。
河回別神グッ仮面劇は、当時の支配層への批判を込めた、猥雑でたくましい、上品とはとても言えない、ある意味どたばた演劇でもある。これが統一感と筋立てを備えて伝わる中で仮面劇として完成されてきたものであろう。当時の支配階層が支配する僻地の村でこのような劇が保存されてきたことに驚きを感じる。
さて、韓国ではウォン安の政策が続いているためか、1000ウォンが70円位で交換される。タクシーの初乗りが2400ウォンだから、日本円にして170円足らず。とても割安感がある。しかも100ウォン刻みの料金体系でかなり乗っても10000ウォンとならない。これは逆にタクシーの運転手にしてみれば割りのいい料金とは到底言えないものだ。そのわりに街中にタクシーがあふれている。運転手にとってはいい環境とは言えない。
また韓国では水道は日本とは違い、そのまま飲料には適さない。プサンなどではペットボトルの水の自動販売機が多数あり、行き交う人は水を持ち歩いていたが、ソウルではそのようにペットボトルを持ち歩く姿はそれほど目に付かない。そのかわりコーヒー店が実に多い。私など無糖のコーヒーばかり飲む人間にはとても信じられないが、甘いコーヒーを実によく喫する。甘いコーヒーが好まれることは安東市など地方でも同じである。
もう一つ私が困ったことは、韓国では床に直に座ることがまだまだ多いのだ。河回村の仮面劇も雨で室内で行われたが、狭い板の間の会場に直に座らされた。腰に違和感のある私は恐る恐る座ったが、やはり耐えられなかった。途中で立って鑑賞したが、腰痛が悪化してしまった。
妻の片言の韓国語のほかには添乗員・案内人もなくホテルの予約だけでの3泊4日を過ごせたのは、日ごろは何事にも控えめすぎるほどの妻の意外な、○○度胸だけではない要因がある。それは国レベルでいえば、韓国という国が持つ「観光立国」の政策のような気がする。公共交通機関や各地のインフォメーションセンターでの英語・中国語・日本語での案内標識・案内の徹底である。これは日本など足元にも及ばないと思えるほど徹底している。それ以上に博物館などでは英語・中国語の解説だけの場合もあるが、この二つを見比べれば大体のことは日本人ならば理解できる。その上に日本語表記もある場合が多いのだから楽である。ただしプサンなど南部の方が日本語が通じやすい。そしてこの国のこの政策を支えているのは、韓国の人々の他の国の人へのものおじしないたくましさと経済的な飛躍の自信があるだろうと思う。独裁下の韓国とは違った側面が今花咲いているように感じる。
今回の韓国訪問も妻に連れられていったものであり、私自身の思いや興味はまったく考慮されていないが、それでも古い町並みや博物館などをコースに入れてくれた。次回は私の好みをもう少しいれてもらうことにしよう。そのためにはもう少し韓国のことを勉強しなければいけないと感じている。