Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

少し外出してみた

2021年07月31日 22時38分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日ものんびりと過ごさせてもらった。体温も安定しているので、夕方少し気温が下がり始めたころ、妻に付き添ってもらって、2時間ほど外出。ゆっくりと歩いてもらった。
 久しぶりに中華料理店で外食。帰り際には地下鉄を利用して、日の入り直後の西の空で宵の明星を見て、理由はないがホッとした。夕焼けの色に負けずに光っている。もう少し太陽から離れて、暗くなるまで高い高度で光っていてほしい。

 帰宅後に体温を数回計った。一度は36℃台半ばであったが、おおむね36℃台前半と、いつもの体温の変化の中におさまっている。このまま寝汗もかかずに一晩経過すればありがたいのだが、どうなることやら。

 本日も日付の変わる前に就寝する予定。明日の午後には少しだけ、パソコンでの作業を試験的にやってみたい。その気力が湧いて欲しい。


読了「北斎づくし」

2021年07月31日 14時02分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 体温は昨日の就寝前から変化がなく、いつもの私の平熱の範囲におさまっている。左足首の腫れは少しずつ軽快しているように思える。抑えた時の強く腫れた感じは消えているし、痛みも少し弱まった。しかしまだまだ皮膚は浅黒く荒れている。体感的にもまだまだ、という感じである。

 読書の気力が少し湧いてきた。それでも小さな活字はつらいので、「AERA MOOK 北斎づくし 生誕260年記念企画特別展 完全ガイド」の残りの頁をめくって、最後まで目を通した。
 「物価からみる江戸文化」、祖父江慎氏のインタビュー、広重・歌麿・国芳の作品との比較、樋口一貴氏のインタビュー「ベロ藍革命を起こした北斎」や寄稿「73歳のターニングポイント」などは楽しく読むことができた。
 西洋絵画と西欧社会の受容・享受・画家の生活のありようと、江戸絵画のそれらとの比較も面白かった。


日曜までは養生と外出自粛

2021年07月30日 21時30分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 朝起きると月曜日以来連続して寝汗で寝間着がびしょびしょ。寝る前も、起床時にも体温は私のいつもの体温の範囲内であったが、寝ている間、意識しないうちに体温が上がっているようだ。
 2年前の入院直前の症状に似ているものの、背中の鈍痛や、腹痛、ベッドに磔にされたような筋肉のこわばりはない。
 体に出ている左足首の腫れは今年の顕著な症状である。まずはこの外にあらわれた症状を軽快ざせることで体温の上昇がおさまることを期待したい。それがかなわなければ、次に内発性の要因を追求するのが、順番と思われる。その場合は、市民病院にも相談することも考えなければならない。

 日曜日に抗生剤を飲み切るはず。それまでは、家からほとんど外出せずに過ごすことにしている。夕食後、いつもの薬のほかに3回目の抗生剤を服用、ついでに体温を図ると、36℃代の後半。私にとっては少し高めである。朝から昼間ではいつもの体温であったのでホッとしていたのだが‥。

 本日早朝のすさまじい雷と強い雨も、ベッドの中で聞いた。鋭い稲光と雷鳴が聞こえるたびに身をかたくした。パソコンもテレビの電源も切り、身をすくめるように雷雲と雷雨が通り過ぎるのをまった。さいわい停電にもならず、また近くに落雷被害があったという話は無いようだ。一時は大雨・洪水警報、雷注意報が出ていた。

 寝室やリビングルームを行ったり来たりしながら、「近代絵画史(下)」(高階秀爾)、「墨子」(浅野裕一訳・解説)、「地を這う虫」(高村薫)、本日届いた「図書8月号」を交互に手にしたが、まだ読む気力が湧いてこない。日曜日にはA4のニュース号外の原稿づくり。これは原稿依頼済みで、裏面も高層済みなので、手間は掛らない。月曜日の会議に出られるかどうかは微妙。


体調不良 顛末 検査陰性とその後

2021年07月29日 21時31分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 28日(水)、食欲は少し戻った。夕食後には38℃半ばの発熱があったが、解熱剤が効いためか、37℃前後に下がって睡眠が取れた。二日ぶりに全身にシャワーを浴び、すっきりした。処方しもらった抗生剤を服用し、ステロイド剤を塗って就寝。
 29日(木)、本日は6時まで、37℃台の発熱が続いた。しかし8時に起きた時には36.0℃に下がっていた。夕食後まで、この体温が続いている。まだ1度しか服用していないけれども、処方された薬が効いていると判断していいのだろうか。
 昼前に、検査結果が電話で知らされ、陰性と判明。医師は「思った通り陰性でした」とのこと。私も一応陰性のはずだと、考えていた。しかしあらためて聞くとホッとするものである。
 かかりつけ医には、窓口の職員に「陰性」であったことをことづけた。26日急遽幹事会を欠席して皆に心配を掛けたので、役員に陰性であったことを個別に連絡。しかしまだ発熱の再発の販売もあり、仕事は日曜日までは勘弁してほしいとお願いした。

 午後、陰性であったことを踏まえて、緑内障の点眼薬が無くなっており、また視野検査を7月中に実施しようと言われていたので、眼科を受診。視野検査では、前回の検査よりも視野が広がっていた。誤差が主な原因であることはたしかだ。しかし、医師から「しばらく目の休養をしていたのかしら」とこちらから聞きたかったことを先に指摘された。
 医師の言葉から、月曜から本日まで目を酷使しなかったことが良かったと、勝手に自画自賛。パソコンと睨めっこが過ぎると、緑内障が進行するという強迫観念はあったほうが目にはいいのかもしれない。

 左足首付近の腫れは赤味は少し引いている。押すと痛いのは変わらない。遺体部分、かたくなっている部分が少しずつ上に移動していると思う。皮膚科の医師に示唆された通りである。
 体温は20時現在、36℃台前半のいつもの私の平熱の範囲内におさまっている。解熱剤は服用しておらず、抗生剤が効いている、ということなのだろうか。

 かかりつけ医には8月2日(月)に再度訪れることになっている。それまでに発熱がおこらないこととと、足の腫れと熱、痛みが消えて欲しいものである。
 


体調不良 顛末 PCR検査まで

2021年07月29日 20時36分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 24日(土)あたりから人よりも少しばかり低い私の平熱が人並みとなり、体が重く感じた。

 26日(月)の明け方4時前に39℃を超える発熱となり、1時間に6回も排尿を繰り返すした。
 かかりつけ医に9時過ぎに電話相談、高熱については2回目のワクチン接種から2週間経っており、新型コロナウイルスの可能性は低いものの、変異株では高熱だけの症状もあるので、PCR検査をセンター経由で申し込むように指示された。
 「ただし頻尿というのは、他の原因も考えられるから熱が一段落したら別室で診察する」といわれ、16時過ぎに解熱剤で37.5℃になったところで10分ほど徒歩で病院まで出向いた。
  採尿の結果は腎臓・膀胱等に異常は見られないとのことで、採血結果は明日、医師より直接電話連絡をするとのこと。その結果とPCR検査結果を考慮して治療を考えようと言われた。
 夜になって、左足首の周囲が赤く帯状に腫れていることに気が付いた。アキレス腱のあたりに虫に刺されたような痕が2個所。触ると痛みがあり、かなり熱を持っていた。足首の違和感は日曜日からあったが、ここまで腫れてはいなかった。とても気になった。

 27日(火)、かかりつけ医とは反対方向に10分ほど歩いた病院へPCR検査を12時に申し込んだ。
この日は、38℃近い発熱と、8時間おきの解熱剤の服用を繰り返し、ベッドで寝て過ごした。一番きつい日であった。

 28日(水)、かかりつけ医から採血の結果、細菌による炎症反応が極めて高い。原因がウイルス以外の原因があるはずだ、と指摘された。私からは、左足首の状態を電話で説明。かかりつけ医はそれが原因の可能性があるので、午後ならば受診可能、と伝えられた。
 発熱が38℃の発熱であったが、正午前に、PCR検査をしてもらう病院によたよたと歩いて出向いた。
 日曜日からの病状経過を記したメモも、ワクチン接種の有無も、現在治療中の病名も聞く耳をもたず、体温を聞かれただけ。「解熱剤で熱は下がっているか」と聞かれ、メモを見せながら「この体温推移と服用状況を見て、医師として判断してほしい」というと「自分で判断しろ」とひどい言い方でムッとした。喉を診て「赤いからこれから風の症状が出る」とだけ言われた。最後に「検査受ける受け内はあんたの判断。どちらを選択するか」といわれる始末。選択はたしかに患者の私の選択なので「受検する」とこたえ、唾液による検査を受けた。
 素人の私の感じでは、38.5℃を超えると解熱剤は効いているようには思えなかった。38℃以下の場合、急激に下がるように思えるが、不確かな推断はまずいので、黙っていた。
 患者のつくった病状のメモも読まず、病気の履歴も調べようとしないあの病院には二度と行くことはない。検査などの分析的な方法よりも、経験に基づく病状の見た目だけの勘で治療をするような姿勢にしきりに腹が立ったが、結果が出るまでは献花するわけにもいかず、暑い中とぼとぼと帰宅。むろん、検査数値の判断だけが治療方針ではなく、そこでも経験と病態を見る目と、両方に基づく経験則が大切だと私は思っている。
 16時過ぎに37.5℃を下回ったので、かかりつけ医に採血結果を聞き、抗生剤を処方してもらった。同じ院内の皮膚科の診療で丁寧な触診をしてもらいステロイド剤の塗布と処方をしてもらった。しかし虫刺されの虫の特定は困難とのことであった。同時に、虫に刺されただけでこれほど炎症反応を示す数値が高くなることもあまりないので、原因はこれからも探る必要があるとも言われた。

 PCR検査をしてくれた医師とはずいぶんと違う対応だと感じる。


「北斎づくし」から 2

2021年07月27日 20時21分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

「広重は真面目で抒情的、平明な絵に情感が漂う。北斎は圧倒的な力で見る人に迫ってくる。ただケレン味が強くて大袈裟という人もいます。外国の人は北斎の大胆な構図が好きな人が多いと思います。」(浦上満)



 この「北斎づくし」で私は「鍬形惠斎」という絵師の名を初めて知った。
「「北斎嫌いの惠斎好き」。北斎と並び称せられ、一部では北斎以上の人気を博した鍬形惠斎は、北斎より4歳年下の浮世絵師。北尾派の創始者北尾重政の高弟北尾政美として頭角を現し、30代で津山藩の御用絵師に取り立てられるという破格の出世。1795(寛政七)年から惠斎は「略画式」をはじめとする絵手本シリーズを刊行。軽妙なタッチでデフォルメされた人物や動植物が評価された。「北斎漫画」を刊行したのはそれから約20年後。「略画式」に描かれた“ゆるい”絵とは違い、しっかりしたデッサン力を見せつける作品になっている。「北斎はとかく人の真似をなす。何でも己が始めたことになしていへり」という惠斎の言葉が残っている。‥北斎は人の真似もするが、それを消化して大胆にアレンジするすることで、オリジナルを生み出したと称されていますが、裏を返すと、そんな天才・北緯にインスピレーションを与えた惠斎もまた優れた絵師だったことは確か。」(12~13頁)

 法政大の田中優子名誉教授は、いつものように小気味のいい文章で次のように述べている。
「18世紀半ば以降、日本の浮世絵触診はずれや滲みを起こさない完璧な多色刷浮世絵を完成し、ヨーロッパや中国の版画技術を凌駕した。世界的にも高度な色彩版画技術が完成したのは、武士、職人の区別なく文字や芸術に没頭する複数の「連」が都市の中に出現し、彼らが文化の質を高めるため技術を職人の求めた空である。北斎が新しい方法を拓くことができたもうひとつの理由は、江戸時代の国際性である。中国やヨーロッパから、最新の織物、版画、版画入り書籍、レンズとそれを使った望遠鏡や顕微鏡や眼鏡、ガラス、コンパスなどが日本、とくに江戸に入ってきていた。ヨーロッパの遠近法によって‥立体的な資格作品も生まれていた。西洋人物画や銅版画、そしてプルシアンブルーのような人工顔料ももたらされた。北斎が活躍を始める16年も前の1783(天明三)年、浮世絵師だった司馬江漢は、化学薬品を使って日本で最初の風景画を完成していた。北斎の風景画は司馬江漢の銅版画とも異なっている。「神奈川沖浪裏」の浪は波じたいが生き物のである。富士山は光によって筋肉隆々の力強さ(山下白雨)にも、優しい柔らかさ(凱風快晴)にも変化する。無生物に生命を感じ取っている。北斎が描いたのは、自然と人間の「生命」の世界なのである。」(42~44頁)

 以前にも触れたが、場面がまったく同じの司馬江漢と北斎の東海道五十三次の全場面の比較も欲しいと思った次第である。ほぼ西洋画の技法を忠実に日本の風景を描いた江漢と、それを参考に大きくデフォルメして風景画にドラマを吹き込んだ独自の風景画を示した北斎。もっといい比較になったのに、とも思えた。


「北斎づくし」から

2021年07月27日 13時58分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 病院は明日に行くことになり、その間は自宅でおとなしくしていることにした。
 ベッドの中で日曜日にたまたま購入した「AERA MOOK 北斎づくし 生誕260年記念企画特別展 完全ガイド」が細かい字の読書の気力が湧かない状況では、手ごろな読み物になった。



 取り上げられているいくつかの作品の中で、この「冨嶽三十六景 駿州江尻」は「風」が主題である。私も幾度もこの作品を観ている。この解説では「風」を描いた作品として、西洋絵画の伝統との比較をしている。私はこの作品をあらためてじっくり見ているうちに、今回はじめて二点ほどの「?」に気が付いた。
 まず、左端の人間である。紙が風に吹き上げられてしまった人物である。この作品中で人間の肌は白か暗緑色である。この人物の足は白なので、腰のあたりに左手と思われるものが描かれている。しかし顔を含めて上半身がどのような位置関係にあるのか、さっぱりわからない。風で布状のようなものが顔や上半身にかぶさってしまっているのだと想像できるが、風に吹き飛ばされた紙をどのように持っていたのかも不明である。なぜあんなにも紙を持っていたのか、どのような仕事で街道を歩いていたのか、想像もつかない。
 二番目の湧いた疑問が、真ん中の少し右側にある家のようなものである。遠くの人物の大きさからすると人の住む家とするにはあまりに小さい。形が人家であるので祠・社とは思えない。しかも下に支えがあり空に突き出ているようにも思える。

 昔の農村の習俗や、旅人の出で立ちについては、知らないにひとしい現代人の私には分からないものもたくさんあると思える。
 細かいことまで見ると、理解できないことや知らないことがたくさんあるものだと思った。知っているかたに教えてもらいたいと思う。


体調不良

2021年07月26日 21時47分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は体調不良につき、一日横になっていた。読書もせず、ひたすらベッドの上で過ごした。夕方にかかりつけ医を受診。この2週間、根を詰めて作業に邁進したためか、連続3日間炎天下で1時間以上のウォーキングをしたためか、原因は不明。
 これよりまた就寝。
 朝からの退職者会の作業・打ち合わせ・会議等は、他のかたにおねがいした。2種類のニュースなどは昨日までに仕上がり、書記のかたに送信済みだったのがさいわいした。

 ということで、本日はブログの記載はこれのみとさせてもらう。


明日から台風の影響

2021年07月25日 21時40分01秒 | 天気と自然災害

 本日も13時30分をを過ぎたころに33.4℃の最高気温を記録していた。横浜駅近くの喫茶店まで半分歩き、残りは私鉄を使って出向いた。地下街は日曜日の割には少なく思えたが、それでもかなりの人出。



 細かい字の書籍には近寄らず、雑誌コーナーで「AERA MOOK 北斎づくし 生誕260年記念企画特別展 完全ガイド」を購入した。9月17日(金)まで六本木の東京ミッドタウン・ホールで開催している。8月中は都内に行くことはあまりしたくないが、9月に状況が落ち着いたら行きたいと思っている。
 しかし本日は喫茶店でもこの本を開いて図版や活字を追う気にもならず、ボーッと目を休めていた。
 喫茶店では、かなりのサラリーマン風の男女が、ノートパソコンと睨めっこをしながら仕事に没頭していた。なんだか休日なのか、自己との日なのか、けじめのつかない仕事の仕方をしているようにしか私などには思えない。
 在宅勤務を繁華街の喫茶店にまで出向いてこなしているのか、会社がクーラーがないのか、執務スペースを会社が確保しなくなったのか、私どもの世代にとっては理解不能の勤務形態に思える。

 喫茶店の便所には「勉強、テレワーク等での長時間利用はご遠慮ください」との貼り紙がしてあるが、肝心の店内にはそれは貼っていない。店の意思表示もずいぶんと遠慮している。これではまるで効果はない。
 大声の電話利用や、Web会議での会話による迷惑はなかったので、こちらには影響のないことではあった。

 明日の夕刻から台風の影響で雨が降るらしい。明日は8時前に家を出て、一日組合の会館で仕事に追われる。早出がつらい。


編集・印刷作業終了

2021年07月25日 15時14分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 編集作業は何とか終了。娘に校正してもらい、修正を施して我が家での印刷も終わった。どうやら本日はゆったりした気分で明日を迎えられそうである。

 何とか視力はもった。だが午前中のパソコンの作業で目はだいぶ疲れた。眼精疲労用の目薬を2回ほど差しながら、どうやら終わった。

 これより少し外を歩いて、目の保養とコーヒータイムということにしたい。これまででいちばん暑いようなので、本日は近くの喫茶店までの往復程度にしたい。


モーツアルト「ピアノ三重奏曲」

2021年07月25日 11時20分01秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 スポーツにはほとんど興味がないし、目も疲れさせたくないし私には、オリンピックの中継漬けのテレビは電源を入れる気もない。40型のテレビは昔の25型だった以前のテレビよりは目の疲労は少なくて、最近はニュースと科学番組、短時間の番組、時代をえぐろうという意欲のありそうな番組を時々は見ていた。
 しかしこのオリンピック漬けはマスコミの情けなさを感じる。どのチャンネルを回してもオリンピック競技ばかりでは国策放送しかなかった時代と同じである。「感動」の押し売りのお調子者の「解説者」とアナウンサーの饒舌は私の嫌悪感を増大させる。競技数が多いから、当然チャンネル数も必要というが、それならばオリンピック専門チャンネルでもつくって、「日本」だけでなく、すべての競技者を平等に扱え、と毒づきたくもなる。そのためにはチャンネル数が足りないことは認めるが。

 何しろ、スポーツというと小学生・中学生・高校生のころの体育の嫌な授業しか思い出せないので、きわめて強い嫌悪感と拒否感が先に立ってしまう。体を動かすことが楽しいと思えるようになったのは、25歳のころから始めた登山と、ひとりでジョギングを始めた30歳の時である。10歳から18歳までの負の体験から本当の意味で自由になれたのは12年も経てからである。それでも「人と競う」ということと「団体競技」というものがどうしても解せない。
 オリンピックの放映よりも昔の番組や映画を流したほうがまだ視聴率も、そして現在の放送に携わる人間の勉強にもなろうと、余計なおせっかいを言いたくもなる。
 こういう時は読書三昧か、好きなCDでも聴いているのが精神的にもいいことは承知をしているが、何せ細かな字を今は限定したい。編集作業をこなさなくてはいけないので、気分的なゆとりもない。

 愚痴とパソコンのキーボードに八つ当たりをして、イライラを解消するしかない。



 少しでも気分を落ち着かせようと、編集作業のお供の音楽はモーツアルト「ピアノ三重奏曲」。フェルメールの作品に惹かれ、そして安価なので演奏の評価も調べずに購入した。1988~89年の録音。ピアノはワルター・オルベルツ、ヴァイオリンはカール・ズスケ、チェロがマティアス・プフェンダー。
 私にはそれぞれの楽器が明確な輪郭でバランスよく調和している、と感じている。
 


満月&十五夜

2021年07月24日 21時43分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は満月&十五夜。満月のすぐ左(東)に土星、画面の左下(東)に木星。ブレているのはご愛敬ということで許してほしい。
 向かい側の号棟の屋根のすぐ上に見えていた。

 月はたしかに昨日よりも丸いが、風情として眺めるには少し欠けている昨日・一昨日のほうが、趣はあったと思う。

 本日のクラシック音楽鑑賞会は無事終了した。しかし最後のほうでこちらの音声が主催者のほうに入らず、こちらの接続に不備が生じたようだ。コードを幾度が抜き差ししたが、繋がらず、慌ててチャットに意見を入れた。しかし慌てて入力したこともあり、若干の間違いをそのまま送信してしまい、迷惑を掛けてしまった。
 反省とともに、Zoomに嫌われやすい私のパソコンを何とかしたいという思いも強くなった。しかしどうしたらよいものか、とんと分からない。

 本日はこれより20分ほどのウォーキングをしてから就寝予定。昨晩は情けないことに血圧と体温のいつもの測定を忘れて寝てしまった。記録に一回分の欠落があるというのがとても気になる性格である。あまりいい性格ではない。長生きできない性格とも身近な友人に言われ続けてきた。もっとおおらかになれ、言われたが、直らないものは今更どうしようもない。


目の酷使はしたくないが‥

2021年07月24日 19時22分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 14時過ぎに暑い中を出かけた。最寄りの私鉄の駅から2つほど東京よりの駅の構内の喫茶店に入り、ボーッとしながら涼んでいた。読書は昨日に続いて断念。リュックにシェイクスピアの「オセロー」を入れていたが、目の疲労に繋がると思い読むのは止めた。
 月曜日に帰宅するまでは何とか視力は持続してほしい。網膜剥離のように視野が欠けているわけではないので、それほどの心配はしていないが、少なくとも明日までに娘に頼んだ校正を原稿に反映したい。
 日曜日の午後にはカラー版のほうは80部ほど我が家で印刷。モノクロのほうの原稿は月曜日の朝一番に組合の会館にて1000部の印刷作業。
 月曜日の昼前から夕方までの打ち合わせと発送作業、そして幹事会まで連続して慌ただしい。これが終われば、火曜日には眼科で受診する時間ができる。

 本日の19時半からはクラシック音楽鑑賞会。アルバン・ベルクのビアノソナタ作品1と、モーツアルトのピアノ協奏曲第20番を聴くことになっている。アルバン・ベルクのピアノソナタは初めて聴く曲である。ヴァイオリン協奏曲はなかなかいい曲で、結構聴いている。

 


モーツアルト「ピアノ協奏曲第20番、第21番」

2021年07月24日 11時45分11秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 本日はモーツアルトのピアノ協奏曲第20番(K.466、ニ短調)と、第21番(K.467、ハ長調)という同じ年(1785年2月と3月)につくられた曲を聴いている。
 私が持っているCDは、内田光子によるモーツアルトのピアノ協奏曲全集。ジェフリー・テイトの指揮によるイギリス室内管弦楽団の演奏。1985年の演奏である。共につくられた翌日が初演だったから、作曲・初演から200年目の録音ということになる。
 時期的には、双子のように生まれた曲だが、印象は対照的ともいえるほど違う。短調と長調の響きの特質、と言われたり、モーツアルトの性格の2面性という指摘もある。当たっていないとは言わないが、作曲者が自分の思いを込めた作品としてつくられるのは、ベートーヴェンの後期以降でもあることは忘れたくない。このモーツアルトがウィーンで初めて自立して一本立ちしたころの作品でもある。さまざまな作曲の技法を披露するための意味合いが強いふたつの曲という理解をしてきた。
 しかし「さあ、さあ、どんな注文にも応じますよ」というカタログのような一面もあったということも忘れずにいたい。近代的な背景からさかのぼってだけ解釈しつくすのもまた危険なような気がする。
 この年には私のお気に入りの弦楽四重奏曲「ハイドンセット」も作られている。

 共に緩除楽章の第2楽章の美しさは特筆に値する。第20番の第2楽章はデモーニッシュと言われるほどで、私にはとても内省的な気分が味わえる。第1楽章の気分を引き継いでいる。第21番の第2楽章はのびやかな明るさがいい。剽軽さを感じる第3楽章のピアノのソロに繋がっていると思う。

 実はこの内田光子の協奏曲のシリーズで最初に購入した曲である。その後映画「アマデウス」の最後の場面で流れていたのが印象的であった。私はこの映画にひきづられ過ぎたモーツアルト像には違和感がある。

 本日夜のクラシック音楽鑑賞会はこの曲が取り上げられている。


月・木星・土星

2021年07月23日 23時49分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕食後に買い物に出かけようとしたら、雨がパラついた。傘を差さなくてはならないような雨ではなかったが、空一面に薄い雲が掛っていた。
 現在は明日に満月となる月と、木星、土星が良く見える。木星はとても明るく、ギラギラと輝いている印象である。周囲に明るい星がないだけに余計に目立つ。木星から地平線に向かったところにフォーマルハウトが見えるはずだが、みなとみらい地区のビルの明るさに隠れてしまい、見つけられなかった。あるいは少しずれたところを見つめていたのかもしれない。

 セミがときどきジジジジと短く鳴き、コガネムシが団地のドアにぶつかる音が聞こえてくる。セミとコガネムシの生から死への過程で立てる音は、夏を暑さそのものの音でもある。