Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ジャズコンサート~近代ジャズの魅力~

2015年11月30日 23時23分49秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日の夜は神奈川大学横浜キャンパスで開催されたジャズコンサート「近代ジャズの魅力」(演奏:MURAL)を聴いてきた。
 主催は「神奈川大学教職員クラシック音楽愛好会 ろばの会」、そしてなんと入場は無料である。普段はクラシックの小編成あるいはソロの演奏会である。妻はときどき参加していた。本日も18時からのセッション1から聴いていた。今回初めての私は遅れてセッション2~参加させてもらった。
 演奏はとても素晴らしいものであったと思う。ジャズについてはあまり聴く機会はない上に、最近は横浜ジャズプロムナードでも入場無料の街頭コンサートを聴く程度である。しかしそんな私でも久しぶりに良質で理知的なアンサンブルを聴かせてもらったと思う。
 まずギター、ベース、ドラムのシンプルなトリオであるが、聴いた途端に音のバランスの良さにびっくり。それぞれのテクニックも素晴らしいが、音量におおきな差がある楽器なのに客席にどのように響くかキチンと計算し尽くしていることがすぐにわかった。
 ベースの細かなテクニックに驚くと同時に、ドラムの終始抑え気味の演奏に並々ならぬ力量を感じた。
 とても素晴らしい演奏を堪能させてもらって感謝であった。この次はクラシックの演奏会らしいが、是非また参加させてもらいたいと思った。



髭剃り騒動の記

2015年11月30日 12時11分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝食後髭を剃ることにした。しかし大騒ぎとなった。

 最初に4000円かけて理髪店に行くか、理髪店で2000円少々を払って顔剃りだけをお願いするか、悩んだ。妻との相談の結果は「この顔と頭に3000円から4000円をかけるのはもったいない」という本人も納得の選択。結局自分で剃ることになった。
 まず、髭の長さは長いもので約14.5ミリとなっている。先月の29日の朝5時に剃ったので、実質32日放置をしたので、1日あたり0.45ミリ伸びたことになる。ここら辺の計算をすぐに考えるのは理系の人間らしい振舞い、と昨日会った友人にからかわれたばかりである。
 次に髭にぬるま湯で温め石鹸をつけて2枚刃の剃刀で剃ってみると、想定どおり一剃りで剃刀が目詰まりしてしまう。何回か試みたがどうしてもはかどらない。
 その次に電気カミソリのトリマー機能を使って当ててみた。しかしぬらしい石鹸がついていても切れた髭があたりに飛び散る。整える程度には利用できるようだが、全体を剃るには周囲の壁や洗面台が汚れる。これは長い髭全体を剃るには実用的ではない。
 さらに2枚刃の剃刀で剃っていると、長い髭が剃刀から一部こぼれて、上着に落ちてくる。これでは洗面所で剃っていては大変なことになることも分かった。

 やむなく理髪店に行こうとしたが、少しだけ剃った後があるのでは外歩きには不向きである。とても恥ずかしい。

 結局、服を全部脱いでシャワーを浴びながら気長に2枚刃の剃刀を使うしかない、と諦めた。シャワーを浴びながら風呂場で約20分、格闘することと相成った。
 だが、20分も剃っていると何度も同じところを剃ることになり、ヒリヒリとして痛くなってきた。とりあえず全体の長い髭を剃ったところで一時中断。
 スキンローションを軽く塗ってから休むことにした。30分ほどしてからいつも利用していた電気カミソリで剃って、ようやく終了。
 スキンローションをたっぷり塗ったが、今もヒリヒリする。皮膚には無理をさせたようだ。
 髭は伸ばすのも面倒だが、長く伸ばしてしまうと剃るのが大変だということを実感した。

 髭を剃った後の顔を見て、妻はようやくホッとした様子である。人よりは大き目の顔がさらにひとまわり大きく見えて、とても品のない顔になっていたと思う。三国志の関羽のような美しい髭ではなく張飛の髭であるとは、辛辣な友人の評。反論のしようがなかった。

 リクエストに応えて恥ずかしながら写真アップ。


   

早い就寝に心掛けたいが

2015年11月29日 23時12分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は早めに寝ることにした。といってももう23時を過ぎている。夜更かしと、夜遅くまでのパソコン操作が睡眠に良くない影響を与えているということはわかっていてま治せない生活習慣である。

 体に悪いことばかりしてきたのでそろそろ老体に影響が出てきてもおかしくはない。体が急にガクッとゆうことを聞かなくかることがあると先輩たちに脅かされてきた。しかしこの歳になるまでそれが脅かしではなく、みんな本当にそうなって来てしまった、という強い警告が含まれているということに気がつかなかった。

 自分の体は自分で管理しなくてはいけない、そんな当たり前のことがようやくこの歳になって実感するようになった。


最近心にゆとりが無くなっている

2015年11月29日 21時50分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ちょいと仕事がたまってしまっている。少し焦り気味である。といっても昼間は慌ただしくて処理できない。
 処理できないものが4件。
 まずは退職者会のホームページの更新である。21日に「神奈川宿を歩く」会の報告、24日の富岡製糸場・碓井湖のバス旅行の報告、そして本日の日比谷野音の集会報告。
 そして肝心の自分のブログにモネ展の感想のその2をまだ記載していない。
 この4つの記事をいつ仕上げたらよいのか、悩んでしまう。明日は午前中は髭剃りにできれば近くの理髪店に行きたい、そして午後は現役時代のノウハウを思い出しながら友人の方の相談にのることになっている。明後日は朝から夕方まで予定がすでに入っている。来週のスケジュール帳を眺めていると対応できる日は2日と4日の二日間しかない。しかもその間に竹橋の国立近代美術館で開催されている「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示」を見に行って図録も手に入れたいと思っている。

 このようにスケジュールが目いっぱいになった時にこそ、立ちどまってちょっと一息つきながら考えなくてはいけないと思う。行動の整理、考え方の転換、自分の行動の再点検‥と思っているが、最近少し余裕がなくなっている。

明日は日比谷野音

2015年11月28日 23時16分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は13時30分に日比谷野外音楽堂に集合となっている。しかし会場には入れずに公園の中で集会が終わるまで待機となると思われる。その後はデモに出て夕刻解散、そのまま新橋ないし周辺の駅で居酒屋に入り込むというパターンとなるはずである。
 普段は曜日にほぼとらわれない生活をしているものの、実際に土・日に家で食事を取らないとなんとなく次の一週間がつらい日々に思える、というのも変な話である。
 この歳になると外食よりも家でいつもの味の食事が何よりもうれしいということの裏返しでもある。

十二月、冬ぬくし、そして12月8日

2015年11月28日 22時35分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 来週からは12月。早いのかゆっくりだったのか、いろいろな感慨が交錯する12月である。毎年ごとにいろいろと我が身を振り返ることが多い時期であるが、私はそれを強いられると余計それを振り払いたくなる天邪鬼である。
 自分を振り返るのは毎月の末だけで十分とむくれたくなる性格である。どう好意的に見ても素直な人間ではない。そんな人間でもこれまで付き合ってくれた友人がいる。ありがたいことである。そのことには毎年今ごろには感謝することが多々ある。不思議な季節である。

★地下鉄の浴ぶる日ざしや十二月     石田波郷
★冬ぬくき電車に坐せり三年病みき    石田波郷
★冬の日と余生の息とさしちがふ     斎藤 玄
★もののかげむやみにふえて十二月    正岡マチ
★つかりたる臓腑をかかえ十二月     柿本英二
★判子と頸少し曲つて十二月       竹部容子
★冬ぬくし仁王の大き喉仏        原口洋子

 そういえばジョン・レノンの忌日は12月8日であった。その日は確かにショックであった。だが、これまで頭の中で、1941年12月8日という開戦日と1980年12月8日のレノンの死はどうしても結びつかなかった。それは私が生まれる以前の知識としての12月8日と、実際に自分と同時代の人の死の日となった12月8日が交じり合わなかったからなのだろうか。
 しかし近頃このふたつの日が重なって頭の中で溶け合うように浮かび上がってくる。記憶の底からあぶくのように浮かび上がって来て、同時に「ポコッ」と弾ける。このようなことが頭の中で出来するのが11月の末の今ごろの季節である。

★レノン忌より小さき記事なり開戦忌   藤本章子
★食パンの頑固なる四角開戦日      葦岑和子
★十二月八日の霜の屋根幾万       加藤楸邨

穏やかな日和

2015年11月28日 11時55分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日、横浜美術館の帰りにみなとみらい地区を歩いていたら、メッシュの運動靴に冷たいビル風があたり、靴の中がスースーとした。風が強いだけでなく、靴の中から寒さが身に沁みた。
 むろん雪の北海道・東北に比べたら比べものにならないが、長年住んでいる人間にはとても寒く感じる。
 うって変わって本日は風もなく、穏やかな日和である。これから13時開始の講座に間に合うように出かける。

 モネ展の感想の続きがまだできていない。時間が経つにつれて忘れてしまいそうなのだが‥。


 今のところウィンドウズ10の不具合は気がつかない。このままうまく作動を続けてもらいたい。



横浜美術館でギャラリートーク

2015年11月27日 20時09分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は横浜美術館で「中島清之展」のギャラリートークに参加した。15時から30分の予定であったが、学芸員さんの説明は45分ほどもあった。20名ほどを相手に丁寧な説明をしてもらったと思う。
 いい作品だなと思うものもあり、違和感が強い作品もあり、総体としての判断に悩むところはまだあるが、それなりに考え方はまとまってきた。まとめるきっかけになればいいと思っていたので、一応行った甲斐はあったと思う。
 来月9日のアートクルーズが終わってから感想をまとめてみたいと思っている。

 明日は13時から14時30分まで講座の予定。それ以外の予定はない。モネ展の感想を仕上げるように努力してみたい。

 明後日は日比谷野外音楽堂に集合することになっている。横浜駅集合であるが、一応私が責任者である。集合場所に早めに行かなくてはいけない。15人くらいの仲間と参加する予定。終了後はいつもの仲間とビールを飲みに行くことになりそう。帰宅は遅くなりそうである。


「モネ展」(東京都美術館) その1

2015年11月27日 14時25分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 モネは初期の作品「かささぎ」を見て以来、私はとても気に入っている画家である。今回この作品は展示されないが、東京都美術館の「マルモッタン美術館所蔵「モネ展」」を見てきた。人気の画家だけあって、火曜日の午後14時ころに行ったとき、チケット売り場も入口も人は並んではいなかったが、入口で多くの人が行き交っていた。係の人に聞いたところ「つい先ほどまで直前まで入場制限をしていた」とのことであった。さすがに人気の画家だけのことはある。入場制限を解除した直後ということもあり、挨拶や解説、作品の前には人垣ができていた。
 人の動きに随っていると見終わることはできないと観念して人と人の間から首を延ばしたり、まわり込んだりして作品を見て回った。
 1時間ほどで一通り見て回った後、再度「サン=ラザール駅」の展示室と、最後のふたつの展示室「睡蓮と花-ジヴェルニーの庭」「最晩年の作品」をまわってきた。合わせて80分ほどの鑑賞タイムであった。再度回った時点ではそれほどの混雑ではなくなっていた。



 今では誰もが口にする「印象、日の出」(1872)、これは以前どこかで見たのではないかと思うが記憶は定かではない。今回は前期展示のみということで、見ることはできなかった。あらためて図録で「鑑賞」に変えた。
 この絵について誰が言っていたのか覚えていないが、「画家は光を描きたかったというよりも、波を描きたかったのではないか」というような趣旨を聴いた気がする。私は「なるほど」と思った。
 確かに穏やかな波と、煙突の煙が上がり、スモッグ様の大気をとおして輝く赤橙色の日の出、どちらが主題なのかと頭をよぎる。太陽の影が波間に垂直の線で揺らめいていてすぐ傍に人が漕いでいる小舟の周囲の青い波は魅力的である。濃い青の横に引かれた線が波を表現している。こんな単純な横線で波が表現されることと、波が光をうけて輝く動きを表すということにおどろきをおぼえる。
 大気汚染の結果でもあるスモッグ様の大気が煙の向こうに不気味に塗られている。そして夕焼けのように澱んだ橙色に大気が塗られている。それでも会場は太陽の光をうけて明るくゆったりと揺れている。空よりも水面が主題と云えなくもない。波の表現とその動きが画家の技の見せどころだったのだろうか。2艘の船の上の人影もまた魅力的だと思う。



 今回の後期展示の「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」(1877)は今回初めて目にしたと思う。第3回印象派展にこの作品を含む8点のこの駅の構内外を主題とした作品が出品されたという。
 私は何よりもまず、視点の低さに感心した。解説でも「線路と同じレベルに立ち、‥機関車から吐き出される白い蒸気が霞のように地面や橋を覆い、迫力ある駅のイメージ」と記されている。マネやカイユボットがこの駅を描いているが人物に焦点を当てているとのこと。
 機関車の動きや水蒸気の迫力を表現しようとしたこの作品の迫力が伝わってきた。遠目に見た時は橋の下から立ち上がる水蒸気の先が雲と区別がつかないので不思議であったが、雲を表現する丸い筆致と、水蒸気の丸い筆致が微妙に違うことが分かった
 視点が低いだけに、機関車の横にいる二人の人物の呼吸や、見ている人が水蒸気を直接吸い込んだり、石炭を炊く匂いがするような錯覚に陥るような感覚になると感じた。橋があることで水蒸気の勢いが明確になったのかもしれない。
 構図の設定、視点の設定、遠景の大きな建物の位置、信号機の赤など計算し尽くした配置にも感心した。計算し尽くした画家の姿勢を感じた。



 「雪の効果、日没」(1875)。雪の描写としては私は「かささぎ」の方がずっと優れているように思うが、都会の、煙突からの煙と始まったばかりのような夕焼けの微かな赤が新鮮な感じを受けた。左の木々が建物と人物に回転しながら覆いかぶさるように描かれている。これが動きのない画面に動きを与えて、下の2人の人物が不安に急いでいるような感覚に襲われる。
 この絵にも左の高木の先に微かに赤く色づいた葉ないし柿の実(?)が描かれている。同時に中央の三角の屋根を持つ建物の壁の赤い縦線(窓?字?)、赤い人物が印象的である。「雪の効果」とは何なのかは今のところ私にはまだよくわからない。
 今回取り上げた3点とも、画中に加える朱色のアクセントのような色がとても印象的である。色彩に対する独特の思いがなにか伝わってくるようである。


冬の雨、冬の雷

2015年11月26日 23時15分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨日の夜通しの雨を思い出しながらいくつかの歳時記で「冬の雨」の句を探ってみたが、なかなか私のイメージとあう句が見つからなかった。

★猛る者みな眠らせて冬の雨     伊藤みち子
★しづけさの音となりゆく冬の雨   鈴木 元
★冬の雨鉄路の細く錆びてゆく    藤田 猛

 2句目が私のイメージを補強してくれたような句に思えた。

 歳時記では、「冬の雨」の項の傍に「冬の雷」があり、そちらも目をとおしてみた。

★冬の雷家の暗きに鳴り籠る     山口誓子
★冬の雷遠近法の一点より      菅原 涼


モネ展の感想の準備

2015年11月26日 14時33分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は「モネ展」の感想を記載するための図版を選択してスキャナで取り込む作業を続けた。チラシを含めて9枚を取り込むのに予想外の時間がかかった。図録のサイズが大きく、A4で取り込むとギリギリで切れてしまったりして幾度も同じ絵でやり直しをせざるを得なかった。図版も大きいので中央部がどうしても暗くなったりゆがんだりする。独りでこなす作業としてはなかなか難しい。
 これからみなとみらいに講座に出席するために出かける。横浜では13時の気温が12.2℃となかなか上がらない。陽射しも今はまったくない。

寒い一日

2015年11月26日 11時16分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨夜は冷たそうな雨が明け方まで続いた。就寝前に風呂の中で雨と風の音がかなり強かった。当初は1時間あたり5ミリ未満の雨との予想だったようだが、それよりもずっと強い雨だったと思う。明日になると本日26日の気象庁の24時間のデータが掲載されるので確かめることもできる。
 晩秋・初冬の雨は布団の中で聴いていると他の季節の雨とは違う雰囲気をことさらに強調しているようだ。多くの人は孤独、寂しさ、寒さ、細さなどと表現してきた。私はどんな言葉を当て嵌めることができるだろうか。今はちょっと思い浮かばない。
 やはり気象庁のデータでは横浜の10時現在の気温が8.9℃と寒い。8時頃、朝セキセイインコの籠の掃除と餌の取り換えをするためにベランダに出たがとても寒く感じた。南国を生息域にしているセキセイインコには寒かろうと掃除が終わり次第部屋の中に籠を戻した。私も午後までは部屋に閉じこもることになりそうである。

 パソコンはウィンドウズ10に変更しても取りあえず順調に作動している。もっともそうでなくては困るのだが‥。アイコンや画面構成で多少のデザインの変更はあるものの、基本的な構成に手を加えていないとも考えられる。


「世界平和アピール七人委員会」のホームページより

2015年11月26日 10時45分38秒 | 読書
 いつも転載している世界平和アピール七人委員会のホームページに以下の記事がアップされていた。

【今月のことばNo.19】
パリ同時テロと日本の立ち位置     高村 薫
 この夏、内戦の続くシリアからの難民がヨーロッパに押し寄せる光景に、十字軍の時代からヨーロッパ諸国が武力によってイスラム世界に介入し続けてきた歴史の逆流を見る思いがしたのも束の間、IS(イスラム国)による11月のパリ同時テロのニュースは、逆流どころかまったく新しい世界の出現を予感させるものとなった。
 第二次世界大戦以降、アジアや中東や中南米、さらにはアフリカの各地で続いた内戦や戦争に大量の武器を供給し続けた欧米の大国たちが、世界じゅうに溢れかえる武器によって自国民の生命を脅かされている事態は、日本人の眼から見ればまさにしっぺ返しというものだが、フランスはこれを戦争と定めて直ちに空爆を強化し、欧米各国ももろ手を挙げて支援を表明する。有史以来、戦争をくりかえして成り立ってきたヨーロッパの、これが正統な正義のありようなのだろう。
 もっとも、イスラム過激派による無差別テロの脅威がアジアを含めた世界じゅうにも拡散している点で、世界はまったく新しい歴史を刻み始めているのだが、東アジアの一隅で私たち日本人が直面するのは、いまひとつヨーロッパ的な正義の論理が理解できない困惑と、かといって必ずしも日本独自の論理で中東各国と相対してきたわけでもない中途半端さと、イスラム世界で搾取や殺戮をしたわけでもない日本がテロの標的になることの不条理である。
 もちろん、ISにしてみれば自らの勢力を誇示するためには手段を選ばないだけのことであり、「ISと戦う各国」への支援を世界に表明した日本の首相の不用意な軽口は、その恰好の口実を彼らに与えたのだが、私たち国民はそんな勇ましい心の準備をした覚えもない。いまとなっては、平和ボケはいくぶん事実ではあるが、その改善方法については、日本人なりの論理と方法を模索するのが先であって、アメリカの外交戦略に追随するだけが能ではない。それよりも、シリアの内戦については、さまざまな利害関係をもつゆえに事態を解決できない欧米各国に代わって、日本は仲介の労を取ることができるはずだ。アサド政権の退陣を促し、政権と反体制勢力の両者の利害を調整してとにかく内戦を終わらせ、経済と国民生活の立て直しを促すことができるはずだ。
 過激思想にもとづいたテロ集団が生まれる背景を考えるとき、世界が利害の対立を越えて内戦終結のために結束したという事実は、若者たちの過激思想の芽をつむ一つの契機になるだろう。また何より、内戦を終わらせなければどんな民生支援も活きることはない。日常が戻り、国民生活が再生されたところで初めて、さまざまな民生支援が活き、産業の振興を考えることも可能になる。テロに走る若者を救い、世界をテロの脅威から救うのは、空爆ではなく、若者たちの働く場なのである。
 私たちが大事に守るべきは、こんな当たり前の原則論に立つことができる心の余裕であり、それは衣食足りた暮らしのなかでしか生まれない。いまのところこの国がそうであることに感謝しつつ、ならば原則論を押し通すべし、と思う。
ホームページはこちらから→【http://worldpeace7.jp/wp/?p=810】


 ほとんど同意しているが、最後の一行のところについては日本で起きている事態はもっと深刻な状況に突入しているのではないか、という思いもある。働く者の貧困の進行、社会状況、政治状況、労働環境、社会システムの劣化はかなり深刻名のではないだろうか。転落の道は加速度を増し急激であるという直感が強く私の脳内を駈け回っている。むろん政治・社会の劣化は日本に限ったことではない、戦後の世界総体の劣化と同時である、という友人の言は確かにあたっていそうだ。

ウインドウズ10へのアップデート終了

2015年11月25日 23時02分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 2時間はかかると友人に言われていたウィンドウズ10へのアップデート、1時間ほどで終了した。取りあえず使ってみないと分からないので、一太郎を開いてこの文章を書いている。またエクセル、ワードも問題は無いようだ。アドビ・アクロバット9、フォトショップエレメントともうひとつの無料でダウンロードした画像処理ソフトはキチンと機能した。
 この記事を使ってブログの投稿をこれから試してみる。

 明日は16時からみなとみらいで講座がある。昨日と本日は草臥れたので明日午後までゆっくりと休養としたい。


Windows10

2015年11月25日 21時24分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
先ほどwindows10へのアップグレードのOKボタンを押してしまった。
それでも明日午前2時からに設定しようとしたのに、また間違って本日の午前2時の指定をしてしまった。
すぐにアップグレードが開始。そのため今はなにもできない。このスマホをいじってニュースを検索する程度。ブログの更新も思うように出来ない。
予定していた作業もお手上げ。
本日は読書dayとせざるを得ない。