本日も予報では快晴といっていたが、今のところ残念ながら雲が多く、薄日がときどき射す程度。高層の雲ではなく、低い綿雲、それも降り出しそうな黒っぽい雲である。
半袖のポロシャツを着ているが、最高気温が24度の予報なので、夜までこれで過ごせるのか疑問もある。午後は二人そろって整形外科で受診。私はそのまま山下公園傍の会場まで出向いて18時からの講演会に参加予定。
関内辺りの喫茶店で読書タイムとなればうれしい。
友人などに朝から7本ほどの電話。3名がまだつながらない。時間があるようでいて、それなりに慌ただしい。
昨晩久しぶりに30分ほどの夜の散歩。10月1日が中秋の名月(十五夜)であるので、昨晩は月齢11の月が雲の間を縫ってときどき顔を出していた。ただし満月は翌2日。その月に負けずに南の空には赤い火星も雲の切れ目に輝いていた。雲の切れ目にのぞく空は透明度が高く見えたが、火星と月以外の星は確認できなかった。火星は大接近にほぼ近い距離まで接近しており、とても明るい。一目で火星とわかる。木星・土星・火星、そして明け方には金星と、惑星好きには楽しみな空である。
なお、十三夜というのは満月の二日前だが、「後の月」「名残の月」「栗名月」として十三夜を愛でる場合は旧暦9月13日、今年は10月29日(木)。俳句の季語で十三夜というとこの後の月を指す。
本日は通常の十三夜。本日の夜は、居酒屋を出たら月と火星を見ながら帰宅、ということにしたい。
★しみじみとたちて見にけりけふの月 上島鬼貫
★名月や故郷遠き影法師 夏目漱石
★満月や泥酔という父の華 佐川啓子
★十五夜や母の薬の酒二合 富田木歩
第1句、「しみじみと」がとても近代的な句に思える。鬼貫は江戸時代中期の俳諧師。芭蕉とも交流し、「まことの外に俳諧なし」と述べ、「東の芭蕉・西の鬼貫」と言われた。私も岩波文庫で「鬼貫句選・独ごと」(復本一郎校注)外を持っているが、いつか読もうと思いつつまだめくっていない。
第2句、1895(М28)年松山での句。単身で赴任した松山で正岡子規に句の添削を恋うていた時期。
第3句は多分亡くなった父の泥酔姿を「華」とみている。娘からする父との和解なのか、あるいは逆に父への贖罪なのか。いづれにしろ「父」との葛藤が昇華されていく。満月と「華」の取り合わせもいい。
第4句、逆に息子からする生きている母親への視点。第3句と並べてみるといろいろな思いが湧いてくる。十五夜と薬の酒、この配合もスムーズに思えた。
私にとっての親、私の子にとっては私の存在、いつの時代も複雑である。