Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

綱渡りの業務と忘年会

2018年11月30日 23時03分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は1000円の理髪店に行って、かなり短くしてもらった。しかしたって3分ほどで終了。いくら髪が少ないとはいえ、もう少し時間をかけてもらいたいものである。いくら10分で終わるのが売りであっても。半分悲しくなって店を出た。髪の毛が少ない人は、少し割り引いてもいいんじゃないの、というのは頓珍漢ではあるが‥やはりさびしい。

 明日は午前中から午後にかけての退職者会のイベントが二つ重なっている。ひとつは15時くらいまでかかり、もうひとつもイベント終了後は夕方まで飲み会などが予定されている。どちらかに参加しようと思っているが、団地の会議の資料作りと、退職者会ニュースの原稿を作り始める予定もあり、朝のうちの進展を見ながら決める予定。

 夜には都内での忘年会がある。これもどうしようか最後まで悩んでいる。これも会議の資料作りと睨めっこである。参加申し込みはした。短時間だが、参加することにしている。ただし1時間半ほどで退席する予定である。そしてお酒は飲まない。
 作業と、各種忘年会、飲み会の綱渡りである。なんとなく現役時代の慌ただしさが戻ってきたような気分。こういう老後を送りたくないと思って退職したのに、残念である。

★年忘れ仕事の話抜け出せず    辻本善一

仕事の話は、勤務時間の中だけで、という思いで就職し、その気持ちを手放さずに60歳を迎えた。災害時など残業も含めて仕事が終われば、みんなでわいわいと仕事とは離れた会話が楽しかった。私は仕事以外のことが、趣味も含めて極めて忙しかった。そんな私にはありがたい職場であった。


「図書12月号」から 3

2018年11月30日 20時14分11秒 | 読書


 とりあえず読み終えた。

★十二月、寒さの中の楽しみ       円満字二郎
「感じ的にちょっと面白いのは、「ダイコン」の方。日本語では、『古事記』の昔から、この植物のことを大きな根っこを持つところから「おおね(おほね)」と呼んでいました。それを感じで書き表すと「大根」。これがいつのまにか、中国語風に音読みされるようになって、「ダイコン」ということばが生まれた‥。つまり、「ダイコン」は和製英語ならぬ和製中国語のようなもの。日本人の外国語好きは、昔も今もあまり変わらないようです。」

★動く神、歩く人、作られる道      三浦佑之
「風土記を読むと、神も天皇も人も、思いのほか頻繁に移動しているようにみえる。現存する五か国の風土記にはそれぞれ特徴があるが、移動伝承にも個性が窺える。たとえば、天皇が各地を巡行する記事は、出雲国風土記を除く四か国の風土記に頻出する‥国によって登場する天皇に違いがあり、語られ方にも特徴がある。天皇をほとんど登場させない出雲国風土記の場合はスサノヲの御子神やカムムスヒの御子神がよそからやって来て鎮座したという地名起源譚や‥オホナムチが各地を巡行する伝承を数多く伝えている。」
「播磨国風土記の些細なと思える伝承を少し掘り起こすことで、その便利な出雲街道が古代から存在したことに気づかせてくれる。風土記が遺されたおかげである。その一方で、そうした道は列島中に張り巡らされていたはずだが、今は消えてしまい探る手立てもない。」


★東京ではじめて会ったヤンソンは、「してやったり」とばかりに笑った。 冨原眞弓

「図書12月号」から 2

2018年11月30日 13時00分18秒 | 読書
 いつものように覚書として‥。

★歳暮の滋味               辰巳芳子
「料理は片付けながら   流しが洗い物でいっぱいになっていると、皿洗いの面倒がちらつき、せっかくの酒の味に障りましょう。酒の肴はどうあっても片付けながらお作りくださいませ。」
「(大根の)葉の外側部分がごわついているのは、水分量が少ないからです。この部分の(軸を除いた)葉を低温を保った油で上げると、‥ごく薄いパイ皮のような透けた緑の揚げ物になります。‥(芯を取り巻く柔らかい部分の外側の)外側の中葉は、漬物にするのもいいものですが、歯ざわりがいいものですから、甘辛に痛めて鷹の爪をそえて‥。柔葉は湯引きして細々に刻み、塩をして固く絞ります。それを炊き立てご飯に混ぜれば、酒席の〆にぴったり、菜飯のできあがり。(大根の)皮を同寸に刻み、胡麻油で炒めて醤油を垂らして七味を振れば、立派に美味しいきんぴらなります。」


★スパイ・料亭・侠客           さだまさし

★小説の起源 -プラトン「ソクラテスの弁明」-  柳 広司
「(「ソクラテスの弁明」は)当時の権力者を批判し、権力者が自らと金持ちの友人のために行っている政治の欺瞞性(何だか最近も聞いたような話だが)を暴き立てがゆえに訴えられ、死刑を宣告された、といった辺りが真相らしい。‥現在で言えば、政権批判をしたために匿名者にネットで攻撃され、晒され、社会的に抹殺、といった感じか。」
「(ソロモン・アッシュの実験が有名だが、人は周囲の者全員が誤った認識判断をすると、それが如何に誤った判断であろうとも、自分の明確な認識に逆らって港同じ結論に至る傾向がある。その一方で‥『周囲に一人でも正しい認識を示すものがいれば、多くの者は同調圧に抗して自分が正しいと思う認識を表明することができる』という結果を示している。『ソクラテスの弁明』のおかげで、‥たった一人で言葉(ロゴス)をもって国家に異議を申し立て、殺された人物が比類なき英雄として人類史に刻みつけられることになった。」


★森嶋通夫                加藤典洋
「(森嶋は)欧州の国家並みにGNPの4パーセント程度を国防にあて、それをすべて非軍事のソフト・ウェアの外交・国際文化交流・経済協力などの領域に投資し、日本を攻撃すると特にならないという非軍事的抑止力網を構築するにしくはない。そこに憲法九条という言葉は出てこない。つまり、その論は戦後初の、九条の平和主義に基づかない、九条ナシの平和論、非武装中立論だった。そういうものがありうることを、彼は戦後の日本社会に示していたのである。」

 ここまで12編、題名を挙げているものは読んでいるが、題名を挙げていないもの(4編)は読んでいない。残り3編は後日。




「図書12月号」から 1

2018年11月29日 23時33分05秒 | 読書


★彷徨い続ける船             司 修
 「親しい画家が、まさに天才的画風を表わしていた時期に、‥箱庭療法、絵画療法をする病院へ入院しました。自分を見失った患者の描いた絵が病院の廊下に張り出されていました。それは児童画に近い素朴な個性を表して芸術的作為のない幻想的な絵ばかりでした。その中に友人の絵もありました。どうしたことか、彼の絵は平凡なものでした。画家である友人の絵が治療として描かれた時平凡であることと、狂気に動かされて天才的な画風を保っていることは、わたしに不思議な思いを残しました。」

★「トランプ」と『リチャード三世』    吉見俊哉
 「『トランプのアメリカに住む』(岩波新書)‥献辞に使ったのが、シェークスピアの『リチャード三世』第1幕第1場のセリフである。‥坪内逍遥から福田恆存、小田島雄志、近年の松岡和子や河合祥一郎までの訳文を比較した‥。それぞれ翻訳時の時代状況や発声法、演劇観の変化が如実に反映されている。坪内訳が歌舞伎の世界を内在された名訳‥、使用した大山俊一訳が政治運動の盛んだった時代を感じさせる一方、小田島役は徹底した口語の世界で文化の時代への変化が生じている。」

★夕陽妄語                ソーニャ・カトー
 「加藤周一。世界中の多くの人びとにとって彼は先生であり模範であった。私にとってもそうであったが、しかし何よりもまず自分の父であった。‥加藤周一が亡くなって10年経った今、一人の人間として彼を思い出したい。知識に溢れ、それを伝えようとし、人びととそれぞれの考えに対する愛に溢れ、好奇心に溢れ、そして平和への検診にあふれた人だった、と。」

★豆本作家、松平定信           一戸 渉

★アンジェリーナ・ジョリーという名の羊  新井 満


「駒井哲郎」展 概要

2018年11月29日 20時33分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 先々週11日(日)に「駒井哲郎 煌めく紙上の宇宙」展を見てきた。感想は後日にしてまずは、ホームページに記された概要は以下のとおり。



《展覧会概要》
 日本における現代銅版画の先駆者(パイオニア)である駒井哲郎(1920-1976)は、深淵な詩的世界が刻まれた版画により、国内外で高く評価されてきました。黒いインクと白い紙の豊かな表情のなかに立ち上がる、夢と狂気のあわいを彷徨う駒井の宇宙。それは、デジタル時代の今こそ観る者を魅了します。
駒井は銅版画を追求した一方、詩人や音楽家と交流し、総合芸術グループ「実験工房」での活動や詩画集の出版などで、文学や音楽との領域横断的な表現を試みました。またルドンをはじめ西洋画家たちへの敬愛も、駒井の芸術観の形成に深く関わっています。
 本展では、初期から晩年までの駒井作品の展開を縦糸に、芸術家たちとの交流や影響関係を横糸とすることで、多面的な駒井の姿を捉えなおし、その作品の新たな魅力に迫ります。色彩家としての知られざる一面も、福原義春氏のコレクション(世田谷美術館蔵)を核とした色鮮やかなカラーモノタイプ(1点摺りの版画)によってご紹介します。駒井の版画作品や詩画集など計約210点とともに、関連作家作品約70点を展示し、さまざまなジャンルとの有機的な繋がりにより紡ぎ出された、豊穣な世界をご覧いただきます。

《見どころ》
1.腐蝕の魔術師、駒井の幅広い表現を一望
 銅版画と一口に言っても、その技法はさまざまです。駒井は多彩な銅版技法を駆使し、微妙な諧調の面と鋭い線、緻密な描写と幻想的な抽象形態、ストイックなモノクロームと色彩あふれる画面など、一見相反するような作風を同時並行で追求しながら、幅広い表現を生み出しました。他に追随を許さない駒井独自の腐蝕(ふしょく)により生み出された、紙の上に匂い立つような豊かな表情。それは、デジタル時代を迎えた今だからこそ、私たちの心を揺さぶります。
本展では、日本における現代銅版画のパイオニアである駒井作品の展開を初期から晩年まで6章構成でたどります。

2.美術・音楽・文学の交差点
 駒井は1950年代にインターメディアな前衛芸術集団「実験工房」に参加し、作曲家・湯浅譲二との共同制作によるオートスライドや、立体オブジェの制作を行っていました。また、50年代後半から大岡信や安東次男(あんどうつぐお)ら、多くの詩人たちと、詩画集の制作や詩集の装幀などのコラボレーションを実現しました。
本展は、駒井のジャンルを超えた表現に着目し、文学や音楽との領域横断的な特質を持つ、駒井芸術の魅力にも迫ります。

3.美術評論家としての横顔、そして西洋美術と駒井作品の競演
 駒井は、銅版画はもちろん、西洋美術史の幅広い知識を持っていました。ルドンをはじめ、クレーやミロなど西洋画家たちの作品が駒井の創作へ与えた影響も少なくありません。また彼は、そうした敬愛する芸術家たちについての評論を美術雑誌などへ数多く寄稿しており、そこからは駒井自身の芸術観を読み取ることができます。
本展では、駒井の文章を紐解きながら、駒井が敬愛した西洋画家たちの作品と、駒井作品を包括的に並べる初の試みです。


      

血圧の測定

2018年11月29日 10時55分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 20日から高血圧の薬を服用しなくなって9日が過ぎた。一日おきくらいに血圧を自宅ではかっている。最高血圧が120~133位、最低血圧が80~85である。問題はない範囲と思われる。通っている医師から、自分で測ってみて大きな変化はあるか、と時々聞かれた。来月もう一度診察を受けて、この数値を報告する予定。

 だいたい毎回4~5回続けて測定する。すると最高血圧がはじめは130前後、次第に下がってきて120位まで下がる。最低血圧は80~85の範囲で上がったり下がったりを繰り返す。
 ときどきフラッとする時がある。そんな時にすぐに測ってみたいのだが、傍に血圧計があったためしがない。そんな折には帰宅後に測ると大体が最高血圧が120くらい、最低血圧が85くらいである。しかし極端な計測値が表示されない限り、測定値に一喜一憂しても意味がないと思っている。
 夏冬の季節変化、腕の左右の違いなどを細かく気に掛けることはないと聞いている。いづれも数値にして5前後の差と効いている。

 それよりは測定器の差の方が問題が多いと思われる。


やはり師走、あわただしい12月である

2018年11月28日 23時38分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日と明後日は腰を落ち着けて団地の会議の資料作りと、俳句関係の資料の整理を少々。
 一方で、横浜美術館の「駒井哲郎展」の感想を早く綴りたいと思っている。できれば、12月16日(日)までの会期中に感想をアップしたいものである。感想をアップする前に開催概要や展示コーナーの紹介などを先に行うことも考えている。「概要」を把握するのも理解の幅を広げる。

 さらに、そろそろ今度の退職者会ニュースは正月号であるので、年末年始の休みのことを考えると、来月の11日くらいまでに原稿を作成しないと間に合わない。来週はその原稿作成に追われる日々となりそうである。
 次第に年末の師走、あわただしい日々は現役を離れても、あわただしいのが継続していることがわかる。
 人並みに師走は慌ただしいということが、現役を離れた私にとって、嬉しいことなのか、いとうべきことなのか、どちらなのだろうか。

★うすうすと紺のぼりたる師走かな     飯田蛇笏

 師走とはいえ、自然を鑑賞できる人間でありたい。


落葉・枯葉

2018年11月28日 22時04分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 久しぶりのおおぜいでのウォーキング、ゆっくりと歩くのはとても疲れる。つい足が大股で早く回転してしまい、前の人にぶつかりそうになる。それを避けるために前のめりになって、爪先歩きを続けてしまう。とても悪い姿勢である。歩くときは胸を反らすくらいがいい。結果として姿勢が地面に垂直になり、大股で歩くことが出来る。
 ウォーキングと登山はひとり、多くても4人くらいで、それも年代や体力が同程度の人と歩きたいものである。
 今回歩いたコース、歩道も住宅街の中の狭い道も、落葉が敷き詰められていたり、庭の木々の紅葉が美しかった。本牧界隈の公園や神社・仏閣の樹々も見頃であった。気持ちのいい道であったのは、新しい発見だったと思う。
 コースとしてはとても良いコースだと感心。是非ともまた歩いてみたい。サクラの季節もいいと思う。
 八聖殿は実は私は初めて訪れた。存在は知っていたが、交通の便があまり良くない。静かな場所に建っている。ここも再度訪れてみたいものである。
 先ほども掲載したチラシにもあるとおり、歴史講座や歴史散歩などを盛んに催している。

★吹きたまる落葉や町の行き止まり     正岡子規
★落葉掃くおのれを探しゐるごとく     平井照敏
★枯葉のため小鳥のために石の椅子     西東三鬼
★枯葉散る笑みの溢れる舞のごと      庄司たけし


横浜市中区の本牧界隈散策

2018年11月28日 19時16分35秒 | 山行・旅行・散策


 朝9時半からの横浜市域南部の海岸線沿いのウォーキングは15時前に終了。参加者のうち4人で関内駅までバスで戻り、2時間ほど居酒屋で打上げ。私はお酒は飲まず、ウーロン茶3杯でお付き合い。ツマミは一人1つずつ注文して4皿のみ。「ハッピーアワー」の適用で飲み物は1杯188円という安さ。結局会計は一人1600円で収まった。
 久しぶりの居酒屋、雰囲気だけで何となく酔っぱらった気分である。

 ウォーキングは根岸線の山手駅を9時半に出発して、本牧界隈を歩き、妙香:寺-キリンビール発祥地-本牧十二天-吾妻神社-八聖殿で学芸員の説明を聴き、本牧市民公園で解散。途中昼食休憩も取り、14時45分位に終了。
 ハイキングの名称は「失われた海岸線をたざる・本牧」。
 このハイキングで約1万6千歩ほどを歩いた。帰宅した時点では2万歩とかなり歩いたものの、あまりにゆっくりと歩いたので、運動としての歩数は1千歩あまりにとどまっている。
 
 日中は歩くと汗ばむほどの暖かさ、薄いダウンのコートを着て行ったが、暑くて脱いで歩いた。しかし公園で昼食休憩をとっているとやはり寒くなった。
 帰りに三渓園を訪れることも考えたが、早くビールが飲みたいとの同行者の意見が強く、そのままバスで関内の居酒屋に直行した。

   

   

駒井哲郎展の図録を見ながら‥

2018年11月27日 22時39分35秒 | 読書
 駒井哲郎展の2回目を見に行くつもりではいたのだが、何となく行きそびれてしまった。横浜駅までは元気で歩いたものの、その次の一歩で逡巡してしまって、喫茶店でボーっとしてしまった。読んだ本は「印象派という革命」(木村泰司、ちくま文庫)の第2章「エドゥアール・マネ」。残りは第3章から第6章まで。
 帰宅後は、「駒井哲郎展」の図録をめくりながら思い出しているが、やはり実際にもう一度目にしたかった。後悔先に立たず、である。



 駒井哲郎展の展示を見て実に多くの芸術家の影響をうけているということが示されている。私の好きであったり影響を受けた人命を上げてみると、画家では版画家の長谷川潔、恩地孝四郎、清宮質文、ルドン、画家の岡鹿之助、パウル・クレー、マックス・エルンスト、ホイッスラー、作曲家の湯浅譲二、詩人の大岡信、安藤次男、谷川俊太郎、評論家の粟津則雄、瀧口修造、作家の野間宏、埴谷雄高等々。
 貪欲とさえ思える。そんな中で、どんな感想を記すのか、少々しんどいと思ってしまう。気に入った作品だけを羅列する程度しかできないかもしれない。そんなことを想いながら図録をめくっている。
 それにしても展示作品が膨大である。駒井哲郎以外の作家の作品も含むが、展示品リストは全部で8ページ、作品数で数えると310点以上もある。

本日はエアポケット

2018年11月27日 12時40分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝は業者と1時間半ほど立会。午後の予定はとりあえずは空白。明日は退職者会のハイキングに参加予定。朝8時過ぎに家を出発して横浜駅までは朝の散歩とすることを考えてみた。地下鉄やバスに乗るならもう少し時間を遅らせてもいいのだが、混雑する地下鉄・バスよりは歩いたほうが気持ちがいい。横浜駅から先の集合場所の駅までは混雑する方向とは逆である。
 横浜の埋め立て以前の海岸線をたどってみようという企画。国土地理院の地図を持参すると楽しいかもしれない。1950年代の国土地理院の五万分の一の地図があればもっと楽しいかもしれないが、明日では揃えられない。もっとはやく気づけばよかった。

 2日夜の団地の会議の資料作りは29・30・2日の3日間で仕上げる予定。ちょうどエアポケットのように空白日となった。

震度4の地震

2018年11月27日 11時34分15秒 | 天気と自然災害


 初めは自分のふらつきかと思った。その次に洗面台のあたりでカタカタと小さい音が響いてきた。それで地震と認知した。時間にしてどの位だったろうか。揺れを感じたのは30秒近かったかもしれない。私の住んでいる地域は震度2となっているが、実感はもう少し強かったような気もする。

 テレビを見ると茨城県南部、ということで、地震の頻発する地域であった。気象庁の発表では、

27日08時33分ころ、地震が発生。震源地は、茨城県南部(北緯36.1度、東経139.9度)で、震源の深さは約50km、マグニチュードは5.0と推定。津波の心配はない。
震度4の自治体は、
茨城県 笠間市 筑西市 坂東市
栃木県 宇都宮市 足利市 栃木市 佐野市 鹿沼市 日光市今 真岡市 下野市 益子町
    壬生町 高根沢町
群馬県 邑楽町
埼玉県 加須市 春日部市 久喜市 宮代町


となっている。

 地震情報を見ていると、昨日の20時頃、この地震の30分ほど前には、茨城県沖でマグニチュード4クラスの地震が連続していた。離れてはいるが、発震のメカニズム上での関連はないのだろうか、とふと疑問に思った。特段指摘はされていないようだが‥。


そろそろ1年を振り返る時期

2018年11月26日 23時21分19秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 先ほど新年会の相談をした時に、函館出身の友人から「蟹いり松前漬け」と「帆立塩辛」をいただいた。私はなんのおみやげも用意をしていなかったので恐縮。しかも松前漬けは私の大好物。そして「帆立塩辛」はこれまで口にしたことがなかった。
 いづれも日本酒とともに味わいたいものだが、残念ながらかなわない。せめて熱いご飯のとともに楽しみたい。熱いお茶漬けにもいいかもしれない。賞味期限の関係で、来週の診察でお酒にゴーサインが出ても間に合わない。それ以前に食べてしまわないといけない。
 もっともお酒にゴーサインが出たとしても、松前漬けと塩辛をツマミにしたら飲み過ぎてしまう。かえって幸いなのかもしれない。

 久しぶりに楽しい時間を過ごすことが出来た。1月末からのインフルエンザと長引いた風邪、7月末からの体の不調と9月の入院と11月いっぱいかかっている予後。ほぼ6カ月近くを体調不良で過ごした1年であった。そんな時に長年付き合ってきた友人に励まされながらのひとときはとても嬉しかった。
 来年に企画した新年会がさらに楽しみである。

★介護妻添ひ老どちの年忘れ       山田冷泉

 上記の句ではないが、来年の新年会は、若い頃、結婚式にそれぞれが参加し合っていたこともあり、配偶者も同伴可とした。妻は遠慮したがっているが、果たしてどれだけの配偶者が集まるであろうか。

忘年会第1号は無事終了

2018年11月26日 22時44分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 新年会の相談会という名の実質的な忘年会は20時30分過ぎに無事終了。中華料理店に3人で集まって食事。一人当たり3000円に届かない値段。当初はイタリアンの予定であったが、この中華料理店の方が駅に近く、集まりやすいということで、こちらに決定。

 私はお酒は飲まずにウーロン茶でお付き合い。昨年亡くなった友人の一周忌も兼ねて来年中旬に開催することにした。

 終了後は歩いて帰宅。昼間、出かけるときに自宅から横浜駅まで大回りをした。神奈川大学のキャンパスをとおり、横浜駅まで歩いた。そんなこともあり、家二ついた時点で久しぶりに2万歩も歩いたことになっていた。
 それほど速足で歩いたわけではないので、疲労感はあまりない。

頭が重い朝

2018年11月26日 10時46分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 9時の時点で11.4℃。それほどさむくはないが、高層雲が広がっており、陽射しが弱々しい。弱々しい陽射しと、枯れた落葉や葉の少なくなった樹々は、それとなく寒さを演出する。外に出てみるとそれほどの寒さは感じない。
 朝起きると、目の周りがそれとなく厚ぼったく重苦しい。目の奥のあたりに軽い鈍痛がある。頭全体か重苦しい感じである。肉体と精神の疲労感というのだろうか、気分的にも落ち着かない。睡眠不足のためかもしれない。夕べは1時半に布団に入り、今朝は7時半過ぎに目がされた。睡眠時間は十分ではないが、不足しているわけではない。いつもの睡眠時間である。

 経験上、こういう時はもう一度寝た方が良い場合もあるので、これよりもう一度布団に入って一時間ほど横になってみることにした。