現在ではすっかり偽作、疑作として整理されてしまっている二つの協奏曲を収録してある。これまでと同じくヴァイオリンはヨゼフ・スーク、プラハ室内管弦楽団、ともに1973年の録音。当時からすでに偽作とされており、規格車も演奏者も十分そのことを承知の上でこの全集が出来ている。あくまでも参考作品の扱いかも知れない。
不思議なもので偽作とわかっていて聴いているので、確かにモーツアルトらしくないな、と感じる。知らなければモーツアルトの作品として受け入れてしまうものである。
だが、そうはいっても確かに第7番などは現退風のアレンジがあるように思われる。優れた演奏家や鑑賞者というのは、真作といわれていた時代でもうすうすは感付いていたのではないだろうか。
真作が偽作かというのは残された楽譜について慎重な史料批判から学術的な調査に基づかなければならないので、演奏家はなかなか判断を表明するわけにはいかないだろうが、分かるものではないだろうか。印象を語ることは許されるだろうが、断言的な言辞は無理なのかもしれない。
現在ではすっかり偽作と扱われているが、6番では二つ以上の弦を奏でる重奏部分の多用とその部分の少々乱暴な筆法に思える。モーツアルトの未完成の独奏部分を手にしたヴァイオリニストがオーケストレーションも含めて完成したという推測が解説に記載されている。
私の耳には、オーケストレーションものホルンの響きも、フルートとオーボエのユニゾン部分も、偽作という前提できいている所為もあるが大いに違和感がある。また第2楽章も美しい旋律ではあるが、唐突感のある装飾音などものモーツアルとの響きではないように思う。第3楽章の重奏部分も耳障りに聴こえるほど多用している。ここら辺も偽作といわれる根拠ではないだろうか。
第7番では、19世紀的な要素が入り込んでいるとして、解説でも第6番以上に偽作という評価を強く記している。これは聴いていると後代の手になるものだという解説の指摘はすぐに納得できる。特に第3楽章の早いパッセージの部分などはモーツアルトらしからぬ。
しかしはっきり云って美しい曲である。特に第1楽章。モーツアルトの偽作だといってお蔵にしまい込んでしまうのはもったいないような気もする。私の鑑賞眼がダメなのだろうか。モーツアルトというくびきを外して聴く分には悪くない。
ともに偽作と云われるが、比べると第6番の方がずっと古風な感じである。
3つ目の曲は「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド」。これはモーツアルト自身の作曲として現在も扱われている。
これは十分にモーツアルトらしい曲である。第7番の後に聴くとふっと懐かしい雰囲気が漂ってくる。