Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「弦楽六重奏曲第1番、第2番」

2015年12月31日 22時58分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本年最後に聴いている曲はブラームスの弦楽六重奏曲の第1番と第2番。演奏はコチアン四重奏団に、スメタナ四重奏団のメンバーのうちヴィオラとチェロのメンバーが加わり6人返送としている。1987年の録音である。
 弦楽六重奏団というと、ヴァイオリン2本、ヴィオラ2本、チェロ2本の編成である。弦楽トリオで楽器が2本ずつである。ではトリオとどう違うか、という単純な疑問が出てくる。無論楽器の数が倍だから、複雑になるのだが、不思議なことに2倍になった以上の音の厚みを感じる。
 これはやはり楽器の特性とアンサンブルの不思議な相乗効果を充分に発揮した作曲家の能力によるものである。
 27歳と32歳という若い時のブラームスのロマンティックな面を読み取ることができる。前者は甘く、後者は渋い情念を感じ取ってしまう。当然そのような鑑賞の仕方もある。
 同時に構築的な音楽の立体模型をみているような気分にもなる。少しばかり内省的な気分になるひと時を味わうことができる。

   

正月用の焼酎

2015年12月31日 19時52分27秒 | 読書
      

 正月用の焼酎は泡盛と壱岐焼酎を見比べて悩んだが、結局壱岐焼酎とした。購入したのは、玄海酒造の「壱岐」の「大謹醸」25度の4合瓶。商品を見て、指をくわえながらどちらにしようか、と悩むことが一番嫌いな所作であるのだが、恥ずかしながら酒店の棚の前で5分ほど悩んでいた。
 泡盛は他の酒屋さんでも良く棚にある。壱岐焼酎が置いてある店はあまりない。それが最終的に壱岐焼酎を選択した根拠である。25度の4合瓶で1500円もした。高いものはもっとあるが、これが私の購入できる限度である。
 玄海酒造というのは確か私が壱岐を訪れた時、バスで通りがかったような気がするが、曖昧なのが悲しい。
 壱岐の旅行のことを思い出しながら、少しずつ大切に飲みたいと思う。

   

大晦日は時間の経つのが早い

2015年12月31日 17時40分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 セキセイインコの籠をきれいに洗った。年に4回、季節ごとに風呂場で石鹸をつけて洗っている。鳥籠とはいえ洗うと人間の方は気分もさっぱりする。鳥にとっては迷惑かもしれない。

 出かけるまでの間、NHKのFM放送でロンドン交響楽団,ベルナルト・ハイティンク指揮の、
・ベートーベン「ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 作品58」、ピアノはマレー・ペライア
・ブラームス「交響曲 第1番 ハ短調 作品68」
の2曲を聴きながら支度をしていた。いづれも2015年10月のNHKホールでの演奏。

 ベートーベンのピアノ協奏曲は久しぶりに聴いたが、やはり歯切れが良くて引き込まれる。ブラームスもいつものカラヤン・ベルリンフィルと違って、新鮮に聴くことができた。どこがどう違うかと云われると具体的に指摘は出来ないが、それでも今回はヴァイオリンのソロが大変美しく聞こえた。ときどきは手持ちの演奏以外の演奏も聴く必要があるのだろう。

 自宅から中華街までは歩いて約1時間15分、約9000歩と思われたが、横浜駅の有隣堂で昨日購入しそこなった本を購入したり、若干立ち読みをしたりしているうちに遅くなった。2時間で11000歩ほど歩いたことになる。歩いているときはそれなりに早く歩いたので、十分運動にはなったと思う。中華街は大変混雑していた。

 帰途は待ち合わせの時間に間に合いそうもないので、石川町駅から横浜駅まで京浜東北線を利用。買い物を付き合って先ほど帰宅した。あと7000歩ほどは除夜の鐘が鳴るまでに挑戦出来ればいいのだが‥。

私の正月三が日の過ごし方

2015年12月31日 10時29分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 いよいよ大晦日。物理学的な事象で云えば取り立てて節目でも何でもないし、特にめでたく思ったり、過去の反省をする節目であるわけでもない。しかしどこかの時点で季節や太陽の運行の起点・終点を決めて、節目とする必要性は理解できる。
 次の1年に備えるという意味で、冬至を元旦にしていたといわれる中国などの例もある。冬至は現在の暦で12月21ないし22日であるから、多分「クリスマス」もこの日に合わせたと云われている。現在の暦の1月1日と冬至との関係は、残念ながら私には明確なことはわからない。カトリック信仰に重要な「復活祭は、基本的に春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」「春分は3月21日」ということで、グレゴリオ暦が制定されたという。春分の日を3月21日に決めたことにより1月1日が決められたらしい。「冬至から何日目が元日」という決め方ではなかったようだ。
 一応人並みに松飾のごく小さいものを玄関扉に飾り、季節の花を玄関に活け、一週間後に食べるのを楽しみにしている鏡餅の一番小さなものを棚に置き、お屠蘇を家族で飲んでごく質素だが口に慣れた手作りのおせち料理を楽しみ、年賀状に目をとおす、というのが元日の過ごし方である。31日に一年の反省会を家族でするわけでもなく、元日に一年の目標をたてることもしない。団地の東端で元旦の日の出は見に行くこともあるが、団地の方に新年の挨拶をするのが主な目的である。
 二日はテレビで箱根駅伝を見ながら、カメラを携えて、母親と妻に随って近所の神社まで行くが、私は参拝はしない。そのまま大森の親戚とともに会食をして帰ってくる。三日目は箱根駅伝の復路を横浜駅近くのコース脇で見てから、横浜駅周辺を歩いて帰ってくる。
 今度の三が日は東京国立博物館にでも行ってみるかと妻と相談している。ただし親族の会食の都合もあり不確定である。数年前に本館前で獅子舞や和太鼓を見た。風もないいい日和であった。本年は「松林図屏風」の展示や「カレンダー付きワークシート」の配布もあるという。

「石垣りん詩集」(岩波文庫)と「命売ります」(三島由紀夫、ちくま文庫)

2015年12月31日 00時39分05秒 | 読書
 日付が変わってしまったので、昨日、横浜駅の有隣堂で2時間ほどウロウロと立ち読みを続けた。
 岩波文庫のところで27日に取り上げた石垣りんの詩集を販売していた。伊藤比呂美編となっていた。紅白歌合戦を聴く妻にチャンネル権があるので、毎年パソコンの前でその時間は読書タイムである。また除夜の鐘を聴きながら読むのも悪くない。そう思って756円を持ってレジに行ったら、並んでいる人の数がとても多い。レジは6~7台あるのでそれほどの時間はかからないかもしれないと思ったが、如何せん並ぶのが嫌いな性分なので、さっさて諦めてしまった。
 本日中華街に行く前に、早目にもう一度覗いてみて、購入できるようならば購入したい。ついでに三島由紀夫の「命売ります」(ちくま文庫、734円)も見つけたので、これも購入したいと思う。合わせて1490円也。

正月用のお酒は「松みどり」

2015年12月30日 22時01分04秒 | 料理関連&お酒
 9月21日にこのブログで紹介した「松みどり」を正月用に購入してきた。半分の2合はお屠蘇用に、のこり半分は無論私が飲むためのもの。
 このお酒に屠蘇散を漬けてしまうのはもったいない気もするが、そのまま飲むには好みのお酒なのであえて購入した。屠蘇散を漬けてどう変わるのか、元旦の楽しみである。正月用のお酒としては名前がいい。
 多分3日目には無くなるので、明日泡盛か壱岐焼酎かを購入する予定でいる。

 明日は急な用事ができて中華街のこれまで使ったことのないお店に行って予約の確認、調整をしなくてはいけなくなった。我が家で利用するわけではないが、成り行き上顔出しをする必要ができた。
 午後に行くので、家で食べる夕食のことを考えると試食をするわけにはいかない。

 

モーツアルト「ヴァイオリン協奏曲第6番、第7番、外」

2015年12月30日 12時56分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 現在ではすっかり偽作、疑作として整理されてしまっている二つの協奏曲を収録してある。これまでと同じくヴァイオリンはヨゼフ・スーク、プラハ室内管弦楽団、ともに1973年の録音。当時からすでに偽作とされており、規格車も演奏者も十分そのことを承知の上でこの全集が出来ている。あくまでも参考作品の扱いかも知れない。
 不思議なもので偽作とわかっていて聴いているので、確かにモーツアルトらしくないな、と感じる。知らなければモーツアルトの作品として受け入れてしまうものである。
 だが、そうはいっても確かに第7番などは現退風のアレンジがあるように思われる。優れた演奏家や鑑賞者というのは、真作といわれていた時代でもうすうすは感付いていたのではないだろうか。
 真作が偽作かというのは残された楽譜について慎重な史料批判から学術的な調査に基づかなければならないので、演奏家はなかなか判断を表明するわけにはいかないだろうが、分かるものではないだろうか。印象を語ることは許されるだろうが、断言的な言辞は無理なのかもしれない。
 現在ではすっかり偽作と扱われているが、6番では二つ以上の弦を奏でる重奏部分の多用とその部分の少々乱暴な筆法に思える。モーツアルトの未完成の独奏部分を手にしたヴァイオリニストがオーケストレーションも含めて完成したという推測が解説に記載されている。
 私の耳には、オーケストレーションものホルンの響きも、フルートとオーボエのユニゾン部分も、偽作という前提できいている所為もあるが大いに違和感がある。また第2楽章も美しい旋律ではあるが、唐突感のある装飾音などものモーツアルとの響きではないように思う。第3楽章の重奏部分も耳障りに聴こえるほど多用している。ここら辺も偽作といわれる根拠ではないだろうか。
 第7番では、19世紀的な要素が入り込んでいるとして、解説でも第6番以上に偽作という評価を強く記している。これは聴いていると後代の手になるものだという解説の指摘はすぐに納得できる。特に第3楽章の早いパッセージの部分などはモーツアルトらしからぬ。
 しかしはっきり云って美しい曲である。特に第1楽章。モーツアルトの偽作だといってお蔵にしまい込んでしまうのはもったいないような気もする。私の鑑賞眼がダメなのだろうか。モーツアルトというくびきを外して聴く分には悪くない。
 ともに偽作と云われるが、比べると第6番の方がずっと古風な感じである。
 3つ目の曲は「ヴァイオリンと管弦楽のためのロンド」。これはモーツアルト自身の作曲として現在も扱われている。
 これは十分にモーツアルトらしい曲である。第7番の後に聴くとふっと懐かしい雰囲気が漂ってくる。

      

今年の反省を少々

2015年12月30日 11時26分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 最近は美術展に行っても素直に作品や作家の営為を受け入れないで、自分のこれまでの判断軸や好みを先に押し出してしまう傾向が強くなっている、と自分でも感じるようになった。その挙句に、自分の尺度に強引に当てはめようと、論理ならざる論理をひねくりまわすような文相になっている。
 マルグリットについては感想を書いていない。これもその一環かも知れない。フジタについても同様である。いくつかの美術展は一瞥しただけでげんなりして、ほとんど見ないで一巡だけはしてそのまま帰ってきてしまった。さっさと忘れることにして、感想を持つことすらやめてしまった。

 それが私の限界でもあるし、現状ではあるので、そのまま掲載してしまっている。批判は批判として、自分の感性にとどかなかったら届かなかったとして、受け入れるだけは受け入れなくてはいけないのだろうが、素直になれないのはもどかしいこともある。

 虚心坦懐に作品に対する姿勢を取り戻すことを来年は心がけようと思う。

先ほど帰宅

2015年12月29日 22時28分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の予定は終了。
 不思議なもので、29~31日と年末の作業は3日かかるということがどうして定式化したのだろうか。料理を除けば3日というのは妥当なような気もするが、正月の料理のことを考えると、とても足りない時間だと思う。昔の人の段取りというのは手際がものすごくいいのかもしれない。
 年末、年始に部屋に飾る花を花屋さんで購入。店先はさまざまな花が揃えられていたが、ことのほか水仙が美しかった。
 本日は年賀状を投函した後、食事に出かけるまで約60分を利用して45分ほどのウォーキングを行った。短い時間ということで45分で6600歩、約4.6キロ。1時間換算で8800歩、約6.1キロである。かなり早く歩いた。息がとても苦しく、咳込むような感じであった。たぶんこれ以上は早くは歩けないと感じた。汗を随分とたくさん流した。
 しかしこのようなはげしい運動よりももう少しゆったりとしたスピード、1時間当たり7000~7500歩ほどで歩いた方が気分的にはずっと気持ちがいい。爽快さはあるが、すぐに披露感が襲ってくる。
 昨日の1時間あたり8000歩というのも早すぎると思う。あまり早いと気分的に開放感が無いし、精神的にあまりに自分を追い詰めているような気がする。気分的にゆとりがないと、体にも無理があるはずだ。疲労感が強く残る。
 適度な疲労感と爽快感、筋肉の心地よい疲労感というのは貴重な感覚だと思う。

 明日は少しゆとりをもって横浜駅で書店をのぞいてみたい。

年賀状作成終了

2015年12月29日 14時08分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方までに年賀状を投函しようとして、何とか間に合った。例年よりも投函した数は少しばかり多かった。
 そういえば昨年は年末に義兄の葬儀があり、賀状は出さなかったことを思い出した。欠礼ハガキの作成は間に合わず、年明け8日に挨拶状を投函した。
 昨年に比べると少し時間的にも余裕のある年末であったにもかかわらず、投函がここまで遅くなってしまった。

 私の部屋は、講座の資料の整理も終わり、美術展などの図録の整理もし、パソコンまわりも片付けた。しかし、本箱から本があふれてきている状態までは手がついていない。

 本日は昨日に引き続きモーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲」を聴いていた。
 明日は偽作とされるようになった第6番と第7番のヴァイオリン協奏曲を聴くことにした。折角の年末、偽作とされた曲を聴くというのも変な話であるが、久しぶりなのであえて聞くことにした。

年賀状が足りなかった

2015年12月28日 23時50分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 結局買い出しに行って、伸し餅を1枚と小さいながら鏡餅を1組、そして屠蘇用の日本酒4合瓶、白菜1個を持たされた。まぁ日本酒1本はほとんどが私の飲む分であるから文句は言えない。
 家に戻って賀状のあて名書きを始めたが、3枚の印刷ミスもあり10枚ほど足りなかった。明日午前中にでも出かけて15枚ほどは買い足さなくてはいけないようだ。
 ついでに荷物が重くて買えなかった正月用の焼酎も購入したい。昼間大きなスーパーのお酒のコーナーで物色していたら、おいしそうな泡盛を見つけた。1本しか棚になかった。明日まで売り切れなければいいのだが‥。

 明日までに印刷は終わるが、ひとことの記入を考えると全体の仕上がりは30日にずれ込みそうである。
 3ヶ日には間に合うだろうが、元日には無理かもしれない。元日に賀状が届くというのはおかしな話である。確か戦後にできた習慣のはずである。戦前は年が明けて、松の内に書いて投函したというような話を聞いた気がする。
 私としては特にこだわりはないのだが、1年に一度の安否確認、無沙汰のお詫びとして有効に利用させてもらっているのが、年賀状である。


モーツアルト「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲」

2015年12月28日 19時37分05秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨日、本日と作業の間にかけていた曲はモーツアルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲、2つのヴァイオリンのための協奏曲」の2曲。これまでと同じくヴァイオリンはヨゼフ・スーク、プラハ室内管弦楽団、前者は1972年、後者は1973年の録音である。

 「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(1779、23歳)をFM放送で初めて聞いた時はヴィオラというのはこんなにもいい音色で表情が豊かなのかとびっくりした。それまで弦楽四重奏曲でしか聴いたことが無かったので独奏楽器として自己主張する楽器とは考えもつかなかった。弦楽器と云うとヴァイオリンとチェロの音色しか思い浮かばなかったのだから情けない話ではあった。演奏者も覚えていないのだからどのような聴き方をしたのかはわからないが、とてもびっくりしたことだけは記憶している。
 私が特に特に気に入っているのが第2楽章である。モーツアルトならではの短調の旋律が印象的である。ヴィオラはヴァイオリンに従属的だが、ふたつの掛け合いの個所が実にいい。ヴィオラの音色の特質を生かして十分に響かせてあると感じる。このくらいのテンポがヴィオラの音色を堪能するのに適していると勝手に思っている。
 第3楽章は雄大な曲想で、晩年の交響曲などを思い浮かべるような感じがする。ホルンの活躍が初めてこの曲を聞いた私には新鮮に聴こえた。当時はまだホルン協奏曲の存在を知らなかったが、それでもホルンの魅力の入門だったかもしれない。
 初めて聞いたのち、同じく学生時代にFM放送でたまたま数回聴いたことがあるだけなのだが、ずっと印象に残っていて、当時はとても高かった洋版のLeaポケットスコアを購入したのをおぼえている。このスコアが横浜に引き上げてくるときにどこかへ行ってしまった。

 「2つのヴァイオリンのための協奏曲」(1774、18歳)も前の曲と同じ時期に初めて聞いた記憶がある。前曲と同じく二つの楽器、しかも同じヴァイオリンのための協奏曲にもかかわらず第1楽章から第3楽章に至るまで終始オーボエが活躍する。2つのヴァイオリンとオーボエのための協奏交響曲といってもいいような曲である。
 ソロ3者がそれぞれに対等に活躍する管弦楽の伴奏付きの曲というのはとても無ガスしいと思う。それぞれの楽器の特徴を発揮して統一感を持たせる、しかも伴奏の管弦楽団にも存在感を〆させるというのは、至難の業のように思える。さらにヴァイオリン、オーボエと音域は近い上に音色も分かちがたいものがある。
 やはりスコアを購入しようとしたが手に入らず、ピアノ伴奏のヴァイオリンの教則本を購入している。

      

部屋の片付け

2015年12月28日 13時30分27秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 やはり年末、妻は大掃除に精を出してくれている。私もボーっとしていられなくなり、せめて自分の部屋はきれいにしないといけなくなった。
 午前中かけて机の上以外はとりあえずきれいにできた。あとは机の上るこれが少々面倒である。夕方にかけて年賀状のあて名書き合間に片付けるしかないようだ。残念ながらウォーキングは無理かもしれない。
 いくつかの美術展の図録やらポストカードで整理し忘れていたものがあった。さらにブログに記事を書いたもののファイリングをしていなかったものもあった。つんどく、というのは整理ができていない証拠のようなもの。我ながら情けないものがあるる
 これから買い出しということで、荷物持ちとして雇われた。喫茶店でのコーヒー1杯につられた。

本日から年賀状作成

2015年12月27日 21時17分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日ようやく賀状づくりを始めた。一応デザインだけは決めた。決めたといっても妻はごくあっさりしたものが好きなため、画像を3つ貼り付け田だけである。あとは一枚一枚文言をつけ加えることになる。

 ハガキの文面全体を目いっぱい使った力作の賀状をいただくが、妻はそのようなものが性に合わないらしい。余白がたくさんあることと、地味な画像を小さく添えること、が結局のところの注文である。私も特に異存はないので毎年ごくごくあっさりしたものを使用している。本年は我が家の2羽のセキセイインコの写真を利用させてもらった。籠から出すと2羽は別々の行動をするので、カゴに入ったまま撮影をした。2羽ともカメラが怖いようで緊張してなかなか傍に寄らない。セキセイインコにとっては迷惑な時間であったようだ。
 本日中に文面を印刷して、明日は宛名を印刷、個々に添える文章は明後日の昼までに書いて、投函の予定。たぶんこれで間に合うはずである。

 午後からウォーキングに出かけた。日が陰って寒かった。寒いので、休憩は取らずに7000歩のところのコンビニ、9000歩の折り返し点の公園、16000歩のところの公園でトイレ休憩として各2~3分休んだだけであった。さすがに最後の40分ほどは疲れてしまった。2時間55分で23400歩、約16.3キロほどであろうか。1時間当たり8020歩ほどだったからペースとしては悪くなかったと思う。
 すっかり体が冷えて、シャワーがとても暖かく気持ちよかった。


岩波書店「図書」12月号から

2015年12月27日 13時16分47秒 | 読書
☆「石垣りんの消滅まで」(池澤夏樹)

 石垣りんの「崖」という作品を引用の上、池澤夏樹は次のように記す。

 崖

戦争の終り、
サイパン島の崖の上から
次々に身を投げた女たち。
美徳やら義理やら体裁やら
何やら。
火だの男だのに追いつめられてる
とばなければならないからとびこんだ。
ゆき場のないゆき場所る。
(崖はいつも女をまっさかさまにする)

それがねえ
まだ一人も海にとどかないのだ。
十五年もたつというのに
どうしたんだろう。
あの、
女。

 南の島々に何度となく通ったぼくは、サイパン島の通称バンザイ・クリフという場所をよく知っている。戦争に負けたら日本という国は消滅すと男どもに教えられて死んだ女たちのことも知っている。実際には日本という国は消滅しなかったし、今の時世を見ていると大日本帝国も消滅しなかったのかもしれないと思われる。ただ大USA帝国の一部に組み込まれただけなのかと。
 それならば彼女たちの死は何だったのだ?
 早とちりの勘違い?
 そんなひどい話があっていいいのか?
 崖から跳び下りる人々の姿をアメリカ軍は冷徹に撮影していた。1960年になって石垣りんはその映像を見たのかもしれない(少なくともぼく自身、時期はもとかく見た覚えがある)。その時期を境に日本は彼女たちの死をないことにしてしまった。だから彼女たちは「海にとどかない」。
 ここで金子光晴の「落下傘」を思い出してもいい--「万一、地球の引力にそつぽむかれて、落ちても、落ちても着くところがないやうな、悲しいことになりませんように。」



 レオナルド・フジタの戦争画を見ていて常に感じていた不満は、この石垣りんの詩の中にあるような気がする。全てではないが‥。
 さて、私はこの池澤夏樹の文章を読みながらこの詩を目で追ったが、「まだひとりも海にとどかない」が理解できなかった。池澤夏樹の解説でようやく理解できた。バンザイ・クリフから跳び下りた彼女たちの行為と生への叫びが届くことのない世界、その世界を戦後の私たちはやはり暗闇の中のようにのそのそと歩いている。それが団塊の世代の背中を見ながら生きてきた私の歩みである。
 この詩とフジタの「サイパン同胞臣節を全うす」を並べてみる。並べられた石垣りんはそのこと自体に怒るだろうが、お許しを願うしかない。
 やはりレオナルド・フジタの人間観察への在り方への違和が私の中に繰り返し巻き起こる。それもかなり激しい渦が頭の中を駆け巡る。どうしてフジタはあの「サイパン同胞臣節を全うす」以降の自身の体験を見つめ続けなかったのだろうか。あの戦争画を描いた自分は置き去りにしてしまったのだろうか。自分の体験を抉ろうとしなかったのだろうか。戦後のフジタの歩みはどうして止まってしまったのだろうか。そんな疑問もまた巻き起こる。

 だが、私も石垣りんという詩人の存在は知っていたが、読むことを避けてきた。食わず嫌いだったことしか考えられないが、どうも言葉が「強すぎる」詩は避けて通ってきたとしか言いようがない。読んでもいないので「強すぎる」という感慨も勝手なレッテル貼りでしかないのだが‥。
 池澤夏樹もこの文章の次には、以下のように展開している。

 もっと大きな、生活や社会からゆったりと距離を取った、鳥の眼からみたよう光景が彼女の詩に現われる--(石垣りんの「河口」を引用)
 やっと彼女は世界の大きさに達した。‥人生の長い旅路の分だけ長くなった足を大地の上に長々と伸ばしね‥のびのびと横たわる。
 その先、「声」という詩で彼女はめでたく消滅する。

 石垣りんさんは
 どこにいますか?

 はい
 ここにいます。

 はい
 このザブトンの温味が私です。

 では
 いなくなったら片付けましょう。



 この「声」という作品はなかなかいい作品だと私は思った。きっと池澤夏樹も石垣りんのことばの強さに近寄りがたい何かを感じていたのかもしれない。しかし繰り返しになるが、死を前にした老いを読んだこの詩はいい。

 フジタの晩年はみずからの墓所とした礼拝堂の建設にいそしんでそれを完成させて死を迎える。自らを荘厳することに執念を燃やす生き様、やはりこれも私には極めて遠い存在である。フジタという人格を放逐し受け入れようとしない日本という社会に対する違和を問い続けたかも知れないが、戦後生まれの私にはその問い続け方にはどうしても理解できないものが横たわる。
 一方で戦争を問い続けたきた石垣りん、私の勝手な印象を捨て去っていつかは虚心に読みたいと思った。

 まとまらないが感想はここまで。フジタについては、その4を記さないといけないとおもいつつとうとう年末を迎えてしまった。