久しぶりに和泉式部の歌を読んでみた。新潮社日本古典集成とネットで検索した和泉式部の歌を昨晩から昔を思い出しながら見た。記憶では高校1年の頃に新古今集と和泉式部集を岩波文庫で読んだのがはじめだ。
私は諳んずるということが不得手である。口に上るのは短歌ならいつも5文字が7文字分の語句でひとつかふたつだけである。和泉式部の歌で言えば、「沢の蛍・あくがれいづる魂」「黒髪のみだれ・かきやりし」「君に馴れにし我が身」「あらざらむ・今ひとたびの逢ふ」、恥ずかしいことにこの程度の記憶しかない。
それでも書物でその句を見れば全体を手繰り寄せることができる。
以下に記した最初の6首はごく初期に眼にしたのは覚えている。しかし今から思うとどのように受け取っていたのだろうか。はなはだ心もとない。多分当時新古今集を理解できずとも読み続けていたので、新古今集に25首入集ということから和泉式部の歌に目をとめたのだと思う。恋歌・哀傷歌・釈教歌が有名だが、なかなか艶めかしい歌を覚えているものである。そして孤独のうちに看取る人もないような死を想定した歌などに惹かれたと思う。
今でも鮮明に覚えている歌は、
・物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる
・暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
・黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき
・かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると
・あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな
・捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば
さらに
・とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり
・あひにあひて物おもふ春はかひもなし花も霞も目にし立たねば
・この身こそ子のかはりには恋しけれ親恋しくは親を見てまし
・もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき
・わびぬれば煙をだにも絶たじとてしばをりたける冬の山里
・つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに
・絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや
・白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり
・いかにせむいかにかすべき世の中をそむけば悲しすめばうらめし
・野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける
・君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける
・寝覚する身を吹きとほす風の音を昔は耳のよそに聞きけむ
・すみなれし人かげもせぬ我が宿に有明の月の幾夜ともなく
・われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花
・ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花
・秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかり人の恋しき
・晴れずのみ物ぞかなしき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ
・今はとて立つ霧さへぞあはれなるありしあしたの空に似たれば
・涙川おなじ身よりはながるれど恋をば消たぬものにぞありける
・人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
・人はゆき霧はまがきに立ちとまりさも中空にながめつるかな
・枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢
・惜しまるる涙にかげはとまらなむ心も知らず秋はゆくとも
・おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人
・わが魂のかよふばかりの道もがなまどはむほどに君をだに見む
・かたらひし声ぞ恋しき俤はありしそながら物も言はねば
・はかなしとまさしく見つる夢の世をおどろかでぬる我は人かは
・身よりかく涙はいかがながるべき海てふ海は潮やひぬらむ
・なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵の稲妻
・などて君むなしき空に消えにけむあは雪だにもふればふるよに
・生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける
などが遠い記憶に残っている。
今はネットでどんどん検索できるし、ブログ等でも取り上げられているのがわかるから、便利になったものである。教科書的な解釈や訳よりもブログ等で取り上げられているのを見るとよりわかりやすく、こなれていることもある。
移り気な私でももっと腰を落ち着けてじっくり読んでみたい気もする。何故和泉式部の歌に惹かれるのか、自分ではわからない。自分なりに納得するところを探したいと思う。見つかるまで暖めておくしかないようだ。ただ孤独の影がいつも見えてくる。そこに惹かれている。
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私は諳んずるということが不得手である。口に上るのは短歌ならいつも5文字が7文字分の語句でひとつかふたつだけである。和泉式部の歌で言えば、「沢の蛍・あくがれいづる魂」「黒髪のみだれ・かきやりし」「君に馴れにし我が身」「あらざらむ・今ひとたびの逢ふ」、恥ずかしいことにこの程度の記憶しかない。
それでも書物でその句を見れば全体を手繰り寄せることができる。
以下に記した最初の6首はごく初期に眼にしたのは覚えている。しかし今から思うとどのように受け取っていたのだろうか。はなはだ心もとない。多分当時新古今集を理解できずとも読み続けていたので、新古今集に25首入集ということから和泉式部の歌に目をとめたのだと思う。恋歌・哀傷歌・釈教歌が有名だが、なかなか艶めかしい歌を覚えているものである。そして孤独のうちに看取る人もないような死を想定した歌などに惹かれたと思う。
今でも鮮明に覚えている歌は、
・物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる
・暗きより暗き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月
・黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき
・かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばやおなじ声やしたると
・あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな
・捨て果てむと思ふさへこそかなしけれ君に馴れにし我が身とおもへば
さらに
・とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり
・あひにあひて物おもふ春はかひもなし花も霞も目にし立たねば
・この身こそ子のかはりには恋しけれ親恋しくは親を見てまし
・もろともに苔の下にはくちずして埋もれぬ名を見るぞかなしき
・わびぬれば煙をだにも絶たじとてしばをりたける冬の山里
・つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに
・絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや
・白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言へば久しかりけり
・いかにせむいかにかすべき世の中をそむけば悲しすめばうらめし
・野辺みれば尾花がもとの思ひ草かれゆく冬になりぞしにける
・君恋ふる心は千々にくだくれどひとつも失せぬものにぞありける
・寝覚する身を吹きとほす風の音を昔は耳のよそに聞きけむ
・すみなれし人かげもせぬ我が宿に有明の月の幾夜ともなく
・われがなほ折らまほしきは白雲の八重にかさなる山吹の花
・ありとてもたのむべきかは世の中を知らする物は朝がほの花
・秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかり人の恋しき
・晴れずのみ物ぞかなしき秋霧は心のうちに立つにやあるらむ
・今はとて立つ霧さへぞあはれなるありしあしたの空に似たれば
・涙川おなじ身よりはながるれど恋をば消たぬものにぞありける
・人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ
・人はゆき霧はまがきに立ちとまりさも中空にながめつるかな
・枕だに知らねば言はじ見しままに君語るなよ春の夜の夢
・惜しまるる涙にかげはとまらなむ心も知らず秋はゆくとも
・おぼめくな誰ともなくて宵々に夢に見えけむ我ぞその人
・わが魂のかよふばかりの道もがなまどはむほどに君をだに見む
・かたらひし声ぞ恋しき俤はありしそながら物も言はねば
・はかなしとまさしく見つる夢の世をおどろかでぬる我は人かは
・身よりかく涙はいかがながるべき海てふ海は潮やひぬらむ
・なぐさめて光の間にもあるべきを見えては見えぬ宵の稲妻
・などて君むなしき空に消えにけむあは雪だにもふればふるよに
・生くべくも思ほえぬかな別れにし人の心ぞ命なりける
などが遠い記憶に残っている。
今はネットでどんどん検索できるし、ブログ等でも取り上げられているのがわかるから、便利になったものである。教科書的な解釈や訳よりもブログ等で取り上げられているのを見るとよりわかりやすく、こなれていることもある。
移り気な私でももっと腰を落ち着けてじっくり読んでみたい気もする。何故和泉式部の歌に惹かれるのか、自分ではわからない。自分なりに納得するところを探したいと思う。見つかるまで暖めておくしかないようだ。ただ孤独の影がいつも見えてくる。そこに惹かれている。
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