Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜美術館で残念だったこと

2019年07月31日 23時37分51秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日、久しぶりに美術館を訪れた。先ほど記載した「原三渓の美術展」である。慣れている美術館なのだが、今回は照明がかなり暗くしてあった。作品保護ということなので、それはやむを得ないのだろうと思うことにしている。
 そしてほとんどの作品がガラスケースの中に収めてあった。これも致し方のないことだと思う。しかしこの場合、スポットライトの照明の仕方はとても難しい。

 ガラスに反射したライトが鑑賞するわれわれの眼に入って、残念ながら見ることのできない作品がいくつかあった。
 立ち位置を変えても映った光が目を追いかけてくる。または反射する光が目に入らない位置に立つと、作品の主要部分が暗くて陰になって見えない。

 特に残念だったのは、国宝の「孔雀明王像」と重要文化財指定の「観音菩薩立像」(平安時代、細見美術館)の2作品である。これらを目当てに見に来る人も大勢いるはずである。
 この照明については是非とも再考してもらいたいと思った。学芸員が実際に鑑賞者になったつもりで、展示を見て照明の点検をしてもらいたいものである。

 

 


「原三渓の美術」展(横浜美術館)

2019年07月31日 21時47分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は暑さのなか、横浜美術館で開催されている「原三渓の美術」展を見に行った。

 今回の展示についてホームページでは次のように記されている。

 原三溪(富太郎、慶応4╱明治元年から昭和14年)は、横浜において生糸貿易や製糸業などで財をなした実業家です。明治初年に生まれ、昭和戦前期にいたる近代日本の黎明・発展期に経済界を牽引しました。
 一方で三溪は、独自の歴史観にもとづき古美術品を精力的に収集したコレクターであり、自由闊達な茶の境地を拓いた数寄者、古建築を移築して三溪園を作庭・無料公開して自らも書画・漢詩をよくしたアーティスト、そして、同時代の有望な美術家を積極的に支援し育んだパトロンでもありました。三溪のこうした文化的な営みは、財界人としての活動や人的交流、社会貢献活動家(フィランソロピスト)としての無私の精神にもとづきつつ、近代日本における美術界・美術市場の確立の過程と軌を一にしながら展開したと言えるでしょう。
 本展は、原三溪の四つの側面、すなわち「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」としての業績に焦点を当てます。それらの相互関連を時代背景も視野に入れて探りながら、今日、国宝や重要文化財に指定される名品30件以上を含む三溪旧蔵の美術品や茶道具約150件と、関連資料を展観することによって、原三溪の文化人としての全体像を描きだします。三溪自身も一堂に観ることが適わなかった旧蔵の名品を、過去最大規模で展観する貴重な機会となります。

1.驚くべき大コレクション。その真髄を、過去最大規模で紹介!
 三溪が生涯に購入した美術品は、優に5,000点を超えます。コレクションは没後に分散しますが、国内各地の美術館や博物館を代表する所蔵品となり、また個人などに受け継がれています。本展では三溪の旧蔵品約150件を展示。三溪の旧蔵品がこの規模で一堂に紹介されるのは初めてです。三溪自身もこれらをいちどきに鑑賞したことはありません。本展は、三溪がコレクションの公開のために建設を夢見ていたとされる、幻の美術館を具現するものとも言えるでしょう。

2.国指定文化財(国宝、重要文化財)30件以上を含む、珠玉の美術品が集結!
 三溪が収集した美術品のうち現存する作品の多くは、今日では国宝や重要文化財に指定され、三溪の審美眼の確かさを物語っています。本展では、三溪旧蔵品を代表する国宝《孔雀明王像》や《寝覚物語絵巻》を始め、30件以上の国指定文化財が出品されます。三溪旧蔵の至宝が、最大規模で横浜に里帰りします。

3.「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」 ――四つの切り口で、三溪と芸術との関わりを紐解く。  三溪は茶道具の収集も行い、実業界の先輩で茶人としても知られた益田鈍翁(どんのう)や高橋箒庵(そうあん)を招き、慣例にとらわれない道具の取り合わせなどで自由な趣向の茶事を楽しみました。書画の才能は余技の域を超え、その恬淡とした画境は三溪ならではのものです。また、今日、国の名勝にも指定される「三溪園」は三溪の最大かつ最高の芸術作品に他なりません。そして実業以外の三溪の功績で最も広く知られるのが、日本美術院の画家を支援したパトロンとしての役割でしょう。本展では、「コレクター」「茶人」「アーティスト」「パトロン」の四つの切り口で、文化人・三溪の全体像を紹介します。

4.三溪自筆のさまざまな記録を読み解き、コレクションの秘密に迫る。
 三溪は、作品の購入先や金額を自ら克明に記録した買入覚や数種の蔵品目録を残しました。これらからは、コレクションの形成の過程や傾向、分類に関する三溪の独創的な考え方を知ることができます。また、三溪は生前、古代から近世の所蔵品名品集『三溪帖』の出版を計画しました。そこに掲載される予定であった緒言や解説の自筆草稿において、三溪は研究者の態度で所蔵品を分析し、独自の視点で美術史上の位置づけを行っています。本展ではこれらを含む貴重な記録類から、コレクションの遍歴を辿り、また、三溪の美術史観を読み解きます。

 本日は前期展示にあたる日で、いくつかの作品は後期まで待たなければならない。今回の展示で印象に残った作品は
1.孔雀明王像(平安後期、東京国立博物館)、
2.阿弥陀仏図(鎌倉、MIHO MUSEUM)、
3.四季山水図巻(伝雪舟等楊、京都国立博物館)、
4.奔湍図(伝狩野元信、大和文華館)、
5.琴高・群仙図(雪村周継、京都国立博物館)、
6.松に叭々鳥・柳に白露図(狩野永徳、九州国立博物館)、
7.黄初平・許由巣父図(伝狩野山楽)、
8.賀茂競馬図(久隅守景、馬の博物館)、
9.梅に鶯図(本阿弥光甫、細見美術館)、
10.虹図(円山応挙、MIHO MUSEUM)、
11.伎楽面(迦楼羅、MIHO MUSEUM)、
12.伎楽面(酔胡従、文化庁)、
13.狙公(橋本雅邦、東京国立博物館)、
14.大原御幸(下村観山、東京国立近代美術館)、
15.賢首菩薩(菱田春草、東京国立近代美術館)
の15点。この15点の作品をじっくり見ているうちに閉館時間といわれ、退室した。
 この15点のうち初めて見た作品は、1、2、3、4、7、9、10、11、13の9点と思う。



 1、3、4の3点はポストカードを購入した。図録は3000円超ということもあり、購入しなかった。

 10の円山応挙は初めて。虹を描いた作品は珍しいと思える。13の狙公(橋本雅邦)は初めて見る作品であるが、保存状態がとてもよく、鮮明な彩色に目を奪われた。

 私はアーティストとしての原三渓よりは、コレクターとしての原三渓の眼に着目している。
 できればもう一度くらいもう少し時間をかけて鑑賞し、個々の作品の感想なども書いてみたい。本日のところは概略のみとしたい。

   


スケジュール帳の悩み

2019年07月31日 10時19分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩はスケジュール帳の整理をしているうちに、時間があっという間に過ぎて、2時近くになってしまった。その前に風呂に入っていたので、あわてて就寝。

 エクセルで自分流に作ったスケジュール帳で、自分なりに工夫したので見やすくすっかり慣れている。普段はパソコンで作成し、打ち出している。出先では印刷したものとスマホでの閲覧を併用している。しかしスマホで見るときに表示するまでに時間がかかる。パソコンのホームページのカレンダー機能を使ってみることを考えついて試しに10月以降のスケジュールを入力してみた。
 この機能では、項目別に色分けできない、取り消し線で参加できなかった予定も残せない、時間の入力が意外と面倒などの欠点もある。
 一方で、一年間のカレンダーを正月に作成する必要がない、時間が重なるスケジュールも表示できるなどの利点もある。日々の入力の手間は意外と私のつくったエクセルの方が少し楽である。

 10・11月は併用ということにしてみることにした。8月・9月はすでにかなりの予定を書き込んでいるので、同じものを再度入力するのが面倒なのでこのまま。


8月が意外と忙しい

2019年07月30日 23時30分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 急に暑くなった7月、体調を維持するのは難しいものがある。私のように日中太陽にいつもあたって汗を大量にかくようにしていても、ビルや地下街などクーラーの効いているところから外に出ると、クラクラとすることがある。クーラーをつけていなくとも家でゴロゴロしていて急に外に出てもやはりクラクラする時もある。  5分も歩いていると何ともなくなるが、危険であると思う。

 明日で7月も終わり、本格的に暑い日々が続く夏。一応明日まではいつものとおり昼間と夜のウォーキングをするが、明後日からは3割ほど減らすことにした。年寄りには危険である。

 さて7月の後半は、親の入院にともなう病院通いであったが、「仕事」の予定はほとんどなかった。精神的にはのんびり出来た。天候不順ながら早目の夏休みだったと思うことにした。  8月第2週からは少しずつ予定が入ってくる。9月9日の退職者会の幹事会までに退職者会ニュースを発行しなくてはいけない。8月いっぱいで校正刷りまで終わらなくてはいけない。

 美術の鑑賞の集いも2ないし3つ予定している。入院した友人のことも心配である。亡くなった友人を偲ぶ集まりもある。白内障のことで市民病院に行くことも考えなくてはいけない。何かいろいろなことがどっと押し寄せてくるような気がしている。

 まずは明日友人に電話をして、8月上旬に会議の予定を一つ確定して参加予定者に連絡することにした。

 


片蔭・炎昼

2019年07月30日 20時49分38秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★片蔭をうなだれてゆくたのしさあり   西垣 脩
★片蔭の家の奥なる眼に刺さる      西東三鬼
★炎昼いま東京中の一時打つ       加藤楸邨

 片蔭を季語とした句をさらに2句と、俳句ならではの語ではあるが、これも私が気に入っている季語の炎昼。

 第1句、語のつながりが不思議な句である。「うなだれて」というと青息吐息、疲労困憊で夏の暑い日差しのもとを汗を拭いながらようやく歩いているような情景を思い浮かべる。ところが「たのしさあり」と続いてしまう。読んだ人は肩透かしを食らってしまう。
 しかしウォーキングないしジョギングをしていたり、陽射しのもとで元気よく歩いている子どもにとってはひょっとしたら不思議でもなんでもない光景の場合もある。
 さすがに顔を上げで歩くことはないが、暑い日差しのもと地面を見ながら歩いていると、片蔭や電柱の細い影の部分を飛び跳ねるように伝って歩いているときもある。「うなだれる」を「下ばかり見ながら」に変えてみると不思議に何のこだわりもなく意味が通じる。
 言葉とは不思議なものである。いったんその後の働きやイメージにとらえられると抜け出せなくなる。私もウォーキング中にそんな思いをしたことがある。同じイメージを持っていても俳句に定着する優れた感性の人もいるが、何の感興も湧かない私のようなにぶい人間もいる。

 第2句、余りの暑さに日かげを求めて軒を借りてしまったときに、家の人と視線が合ってしまった時の驚きの句であろう。人の家の軒先を無断で借りた、という後ろめたさがあるゆえに、視線が目に刺さるのである。暗闇に潜む目だからこそ鋭い視線なのである。
 二つの句とも、キリコの作品を見るような不思議な句である。背景の人や登場人物が極端に少ないのである。人をあらかじめ排除して、作者が見つめる視線が極端に細く、人間関係が希薄な「語」をわざわざ選んで配置しているような句である。
 人間嫌いの句ともいえる。一人で息をしている雰囲気を漂わせ、一人で気難しい顔をいつもしているが一人のときに顔をほころばせ、いつもは他者を拒否する語感の句である。それでいながら他人の眼を気にする。その視線から過剰な情報を読み取り、ひとりで傷つく。そんな作者を思い描いた。

 第3句、これもどこかシュールで、ひょっとしたらダリの絵に描かれる、ぐにゃりと曲がった時計を思い出した人もいるだろう。不意に襲ってくる未来に対する不安、現在の状況に対する違和、過去の出来事からの逃避、そして世界と自分とが断絶してしまう一瞬というのがある。これは夏の強い陽射しのときにかぎり起きる現象だ。暖かい陽射しに包まれた春や秋、身を引き締めて世界と対峙している冬とは無縁である。
  炎昼という語は、1938年、山口誓子の句集「炎昼」により広まった季語であるとのこと。「万緑」の中村草田男と同じように、俳人にとっては新しい季語の担い手となることは何ともすごいものである。

 


「図書8月号」(岩波書店) その2

2019年07月30日 09時53分23秒 | 読書

★武満徹5「聞かせてよ愛の言葉を」          片山杜秀
「戦争に必要な資源や労働力を‥国家が統制しうるという大枠だけを定め、時局の様相に基づく判断を行政に丸投げした国家総動員法は、まことに悪法であった。しかもそれは狡猾な法でもあった。私の自由は、企業から個人まで、大日本帝国憲法によって、原則としてはあくまで守られるという体裁である。私の自由と公の論理によって強制的に抑制しすぎれば、‥国体の変革に繋がり‥治安維持法に抵触してくる。したがって、学徒の勤労動員も、建前としては国家による強制的命令ではなく、学校に自主的に組織された報国隊という名の団体が、国家に自らの意思で協力するかたちをとった。‥国家はいざというときに曖昧さの森の中に逃走でき、免責されうる。‥いわゆる無責任の構造である。日本ファシズムの恐ろしさはそこにある。」
「西洋的な文化教養は日本精神を害する。西洋のどの国が見方で敵で中立なのかということは、いちいち問われない。‥舶来信仰と西洋崇拝とそれがより行き渡ったのが有閑階級であるということへの不快感と反感。それが民衆レベルでの自主的な検閲の論理というよりも情念であった。20歳になっても例外的に兵役を猶予され高塔教育機関に通い続ける「青白きインテリ」と、その予備軍としての中学校以上の学徒に対する、国民の多数派である小学校での庶民の怨念が総動員を社会で下支えした。‥大学生や専門学校生を軍隊に行かせ、未成年学徒に労働者の苦労を味わわせることに一種の快感があったわけだ。」
 
「日本型ファシズム」の定義として、少し丁寧に引用してみた。70年代をピークに、形の上では「学歴」の差は解消したことになっていたが、現在は所得差が拡大し、所得水準による学歴差が大いに拡大している。もう一度、現代を見つめ直す契機としたい。

★風土記博物誌 神が遺したもの    三浦佑之
「(常陸国風土記那賀郡)今も各地に伝わる大男伝説の一つで、ダイダラ坊、ダイダラボッチなどさまざまな名で呼ばれ、山や池などを作った話が遺る。同様の伝承は播磨国風土記にもあって‥。そのなかで(常陸国風土記の)大櫛の伝承が興味深いのは、そこが、縄文時代の貝塚として現代まで伝えられていることである。‥縄文時代の貝塚は、七世紀の人びとにとってもわれわれと大して変わらず数千年も前の遺物であり、大男のしわざだとかんがえたのはよくわかる。それに対してたかたが二、三百年前のことでもわからなくなってしまうこともある。‥風土記の編纂から二、三百年前のことでも、とうに事実はおぼろになり、神や偉人の事績になてしまう。そう考えると、伝承の深浅を測るのは、なかなかむずかしいものだと思わざるをえない。」

 今月号は16編のうち、9編に目を通した。


片蔭・炎天

2019年07月29日 23時02分04秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 30分ほどの夜のウォーキング終了。
 昼間はあまりに暑くて、日かげのある道を思い出しながらウォーキング、というよりもよたよた歩きに近いまま歩いて帰宅した。16時に近かったものの陽射しは衰えることを知らない。
 直射日光を受けるのを避けるためのメッシュの野球帽を被っていると頭が蒸れてしまいかえってよくない。日陰では帽子を手に取り、汗が蒸発するようにして歩き、直射日光のあたるところだけは帽子を被って歩いた。

 片蔭、片かげりは炎天下、建物や塀の陰が道路の片側にくっきりと出来ているさま。俳句特有の語であるが、私は好きな季語である。

★片かげり蝶の出入りの眩しさよ     菅原 涼
★沖縄の片蔭過去をのみて濃し      沢 たか女
★炎天に墓石するどく手を焦がす     庄司たけし

 片蔭は何も沖縄だけが濃いのではない。過去の歴史がその濃さを増す。ものを見る視点によってその像は大きく変わる。それを写し取るのが写生ともいえる。時間の累積は何処でも重みがある。その重みを見つけたい。「過去をのみて」は「過去を飲み込んで」の意と解した。  


「図書8月号」(岩波書店)

2019年07月29日 20時51分03秒 | 読書

 家に戻ったら「図書8月号」(岩波書店)が届いていた。岩波書店の広報誌であるが、読みではあり、勉強にもなっている。いつものように覚書として。

★鯨のしっぽ              司 修
「「言葉は水の中で生まれた」と夢の中の書物に書いてあったのです。私は承服しがたく、書物をめくるのですが、実は、書物に文字がないのです。ただ、言葉らしい響きがあるのです。‥鶴岡政男という画家に誘われて、テープレコーダーを駆使した「音」をコラージュしていました。‥わたしは、スズムシやセミの「声」を、巨大な生きもののごとく、また逆に象や河馬のような大動物の声は昆虫の鳴き声のように、変成させてコラージュしていました。夢に現れた原初の言葉は、鯨の声を聴き続けていた私に入り込んだものと思われます。」

★三島由紀夫を「三島」と呼ぶとき    佐藤秀明
「夏目漱石は1966年、森鴎外は1972年、芥川龍之介は1977年である。何と幸田露伴は1997年。何かというと没後50年の年である。すでに静かに文学史の中に落ち着き、作品は近代古典となっていた。来年2020年は、三島由紀夫の没後50年である。しかし、どうも違う。静けさがない。‥若々しく生きのよい三島の美文に50年の歳月が被さり、枯れず、静けさもなく、えもいわれぬ味わいが出てきた。」
 私はこの文章を読んで驚いた。確かに三島由紀夫が割腹自殺をしたのが1970年、49年前である。そのことと没後50年というのが、とても頭の中で像として結ばれていないのだ。私が夏目漱石をはじめて文庫本で読んだのが1965年だから没後49年で読んだ。その時に50年前の小説として読んだのだが、いま三島由紀夫を読みなおすとしても50年という時間の流れが私の頭の中でうまく処理できない。それは当然にも生きていた夏目漱石を知っていたか、生きていた三島由紀夫を知っていたか、ということだけではない大きな裂け目だと思う。
 その外因のひとつとして1945年の敗戦という大きな時代変革があったことは否めない。だが、もっと大きな裂け目、外在的てはない裂け目があるように直感した。しかしそれが何なのかはまだわからない。しかしこだわって考えてみたい気持ちが強い。
 筆者は岩波文庫からこの度「三島由紀夫紀行文集」「若人よ甦れ・黒蜥蜴 他一編」「三島由紀夫スポーツ論集」を出版した。これも是非目を通したいと思っている。

★丸山真男とボンヘッファー 一つの《架空の対話》  宮田光雄
「時代の政治的風潮に流されることなく、あくまでも《自由な個》として生きながら、日本社会における《未完のデモクラシー》にたいする希望と責任を失わないことを問われているのだ。」
 あまり一般化を急ぐと、個々の立ち位置があいまいなまま、どんな立場の人にも利用される箴言となってしまうのではないか、と私は常に自分に言い聞かせている。アフォリズムが「処世訓」に転化してしまわないことを願いたいものだ。

★土肥原賢二の美女工作         山本武利

★公共図書館という存在 映画「ニューヨーク公共図書館」を観て   松岡享子
「いちばんの驚きは、この巨大な公共図書館がNPО法人であり、民間からの多額の寄付と公費によって運営されてることではないだろうか。幹部職員にとって寄付集めは最大の課題で、寄付の実績が活動の必要性と緊急性を証するものでして、市からの予算を引き出す説得材料に使われているのも驚きであろう。日本では寄付の分だけ公的資金が差し引かれるのが実情だから、寄付文化の社会への浸透度がアメリカとはまったく異なるわが国だとはいえ、これから先は、何事につけ官民協働でなければやっていけないのは明らかなのだから、図書館も「委託」などの姑息な方法で予算をけずることばかり考えず、法人化して発展する道を探った方がいいのではないかと‥」
 
「公共」「寄付」というものが如何に日本では薄っぺらなものとして捉えられ、運用されてきたか、自治体や公共にとっていかに金のかかる「お荷物」として扱われてきたか、考えさせられる文章である。引用の大半は同意である。最後の「法人化して‥」だけはもっと「公共とは何か」「寄付とは何か」を議論をした上で、そして「法人化」とは何かを日本の制度とかの国の制度との比較の上に立って結論を出した方がよりよいものが生まれると思った。
 日本で「法人化」といってしまうと「委託」の果ての「公共性の否定」に繋がる。

★百年たって耳にとどく 鶴見俊輔と金子文子    森 元斎

★それでもなお言葉の力を        藤原辰史
「赤坂憲雄さんの言葉は、民俗学に留まるものではありません。富の不公平な分布、地域の疲弊、一次産業の衰退などの現代社会の病理にも、赤坂さんの言葉はかなりの熱量をもって臨床的に伝わります。‥生活者の言葉と言葉以前のものが絡みあって生み出す渦の中で、もがくように言葉を発しておられるように思います。けれども‥次世代の子どもたちは、祖父母や親たちの世代が残した莫大な借金と自然と人間の破壊のつけを背負い、生きて行かなくてはならない状況です。‥だから赤坂さんに言葉と現実との緊張関係ついて聞いてみたいのです。」

 残りは後日。


「人を偲ぶ」時節

2019年07月29日 17時13分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 本日も朝から暑い。本日梅雨明け宣言となった。

 暑さが極まると、この列島では人を偲ぶ日々となる。それはお盆という行事に繋がるのだが、「日本」という近代国家が胎動を始めてから一貫して「戦」に駆り立てられ、「近代国家建設」「富国」の名のもとに大きな犠牲を強いられ「命」を差し出させられてきたひとびとの鎮魂の思いでもあったと私は理解している。
 「戦」の死だけでなく、公共事業、鉱工業、後に公害の部類に入れられる「死」、政治的な無策による「餓死」、移民という名の「棄民」等々、国内でも植民地でも無惨な「死」が強いられてきた。
 その行き着いた果ての1945年8月、鎮魂の夏が現在の国家の出発点であった。

★ひろしまや樹齢等しく夏木立      川崎慶子
★人偲ぶとは語ること夏木立       大井雅人

 「ひろしま」は原爆で町が壊滅し、生き残った樹木もほとんどなくなった。戦後の樹木は8月6日以降に芽生えた樹木である。それは一斉に樹木の再生の力で芽吹いたものもあり、人びとが再生の思いを込めて植えたものもあるだろう。
 もしも私があの時代、あの場所に遭遇して生き残ったら同じようにしたのではないか。

 そして亡き人を偲ぶ、とは現在も亡くなった人が自分とどういう関係にあって、自分とどう関わったか、それを確かめることが「偲ぶ」ことであり、「生かす」=「魂を鎮める」こととも理解できる。
 「戦の世」に関わっての「死」は、家族という係累の歴史の中にくり返し思い出し、思い出として「生かし」ていくことが、「戦の世」を繰り返さない方途である。人びとはその行為の意味を深く身に沁みて知っている。
 「国家」の論理を社会の最上位に位置づける人々は、「命」を「国家」の下位に置こうとする。私はこれが間違っていると考える。「命」は「国家」よりも重いのである。「国民の生命」を守るための枠組みのひとつである「現代の国家」がいつの間にか、まるで「神」のように人を支配する。そんな政治にしてはいけない。「戦」を避け続ける政治が現代の世に問われている。

 


たまたま、虫の知らせか‥

2019年07月28日 20時19分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 先ほど、たまたま仙台に在住している学生時代の友人に電話をしてみた。電話に出た友人から「先週、脳梗塞で倒れて入院中」との言葉が出てきてビックリ。
 話していることばは明瞭で何の障害もない。本人がいうには身体に痛みがあって友人に連れられて診断中に脳梗塞が発症したとのこと。身体にも麻痺の症状はないと言っていた。たまたま診察中の発症で事なきを得たらしい。しかし詳細の検査などはこれから、ということも伝えてもらった。

 一昨年は知人がやはり脳梗塞で倒れ、身体に大きな麻痺を抱えている。私も昨年、門脈血栓で3週間入院した。今回発症した友人は、私よりも学年でひとつ上の1950年生まれ。69歳になる直前だったと思う。確か生まれた月はおなじ8月だったように記憶している。

 学生時代、同じ理学部の物理学科に入学、教養部時代は同じクラス、同じ「星の会」というサークルに在籍していた。クラスでもまとめ役を担い、オピニオンリーダーであった。1970年代初頭のノンセクトの学生運動の仲間である。私を学生自治会のクラス委員にした張本人でもある。学費闘争で一緒にバリケードの中にいて、一緒に試験ボイコットをして留年した。私の学生時代のほとんどを一緒に行動していた仲間の一人である。

 彼は高橋和巳と埴谷雄高の熱心な読者であった。私は埴谷雄高の著作をはじめて彼から教えてもらった。高橋和巳は私はあまり感銘は受けていなかったが、はじめて読んだ埴谷雄高についてはよく議論したものである。
 全共闘運動について、あるいは戦後文学などについて、「革命」について、「政治」とは何か、などなど徹夜でウィスキーを飲みながらアパートで幾度も議論をした。

 友人は札幌出身だったが、郷里には帰らず、そのまま仙台に住むことを選択していた。

 是非とも仙台まで見舞いに行きたいものである。


台風の去った後

2019年07月28日 13時02分50秒 | 思いつき・エッセイ・・・

   

 10時ころに団地の中の樹木に台風被害がないか、歩いてみた。被害がなく、ホッとしている。最大瞬間風速が20mに達しなかったので、特に心配はしていなかった。ケヤキの小枝も落ちておらず、散らかっていなかった。
 しかし歩いてみるととても暑い。蝉の声もいよいよ本番になってきている。

  梅雨明けなので古い擁壁の目地に沿って苔が際立っている。いつもこの時期には目立つ。

 撮影した写真、こんな風に加工をしてみた。

   


ワラジムシという侵入者

2019年07月28日 11時54分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩の最大瞬間風速は1時頃の16.5mとなっていた。3時ころに地震を感じたときにはまだ風の音が聞こえていたように思う。目が覚めたときは風の音もおさまり、カーテンの隙間からの曇り空に若く明るいプラタナスの葉の微かな動きが見えた。

 昨日は私のパソコンが置いてある部屋で、ワラジムシが1匹のそのそ歩いていた。熱帯低気圧の風を避けるかのように部屋に履いてきた。アルミサッシなのでそのままでは入ってこれない。たぶん夕方サッシを開けてベランダで植木鉢を集めて風で倒れないようにしたときに、入ってきたのだろう。見つけたワラジムシは紙の上に乗せて南側の芝生に放した。ダンゴムシは植木鉢の新芽などを食べる害虫ではあるが、ワラジムシは何を食べるのであろうか。
 ワラジムシとダンゴムシ、触って丸まるのがダンゴムシだそうである。部屋に入ってきたのは指で触っても丸まらなかったので、一応ワラジムシとしておく。
 ともに昆虫などのムシではなく、エビやカニと同じ甲殻類ということである。脱皮も変態もしないという。


風が強まった

2019年07月27日 23時13分11秒 | 天気と自然災害



 先ほど夜のウォーキングを軽く30分ほど。風がだいぶ強くなっている。そしてつい先ほどからは風のうなり声がし始めた。ケヤキの枝が大きく揺れ始めた。団地のあちこちで、ベランダに置いてあるものが風で煽られて音を出している。転がっている音も聞こえてきた。
 気象庁のデータはまだ17時過ぎくらいまでのデータしか発表されていない。最大風速は8mほどであったが、今は明らかに10mは超えている。瞬間最大風速はどのくらいであろうか。やはり台風崩れの熱帯低気圧である。侮れない。
 明日、団地の中の樹木に被害が出ていないか、心配である。

 明日病院に着替えなどを持って行く予定にしていたが、午前中までは根ったぃ低気圧の影響がありそうで、出かけるのは無理かもしれない。

 現在、富山・山梨・長野・群馬・新潟・山形各県の一部でかなり強い雨が降っている模様である。


まだまだ気が抜けない

2019年07月27日 18時35分10秒 | 天気と自然災害

 台風6号の影響はどうしたのかと思っていたら、早めに熱帯低気圧に変わり、予想進路よりも北へ向かっているらしい。熱帯低気圧とはいえ、風も雨も侮れない。
 このままでは能登半島の東、富山をとおって日本海に抜けそうな気もするが、進路予想は出ていない。関東地方はそれほどの影響はないかもしれないが、富山市から海岸沿いに北上するのでは日本海側に被害も出てきそうな気配である。
 ひょっとしたら東北を横断する可能性もある。長時間列島に影響を及ぼすコースも考えられる。

 素人の私には確定的なことはとても断言できないが、災害は常に悪い方へ予想を立てるのが対応を誤らない術でもある。

 熱帯低気圧に向かってふきこむ南風の湿気と気温も用心しなくてはならないであろう。


台風6号

2019年07月27日 11時14分33秒 | 天気と自然災害



 風も雨の区域の動きもともに南南西から北北東へ。昨晩よりは少しだけ西寄りになった。ときどき太陽が顔を出す。強い陽射しである。風は徐々に強くなってきている。
 台風6号は三重県に上陸したとの情報。

 これから明日にかけて台風が通過する。予想進路を見ると台風は神奈川県の北を通過するコースになっている。  今晩21時には熱帯低気圧になっているようだが、しかし愛知・長野・山梨・北関東に大きな被害が予想される。
 午後には我が家でもベランダ等の片づけなど準備を整えなくてはいけないようだ。