腰の痛みが和らいでいたので、午前中は団地内のボランティア作業を1時間ほど。陽射しが強く汗をかいたものの、作業は日陰で行ったので、体力はあまり使わなかった。腰の痛みも再発しなかった。
午後はいつもの喫茶店までウォーキングとバスで出向いて、「トウガラシの世界史」を少々。久しぶりに目を通した。しかし午前中の作業の疲れが出てきて、30分ほどでウトウト。情けないと思いつつ、まぶたが閉じるのを止めることは出来なかった。30分ほど寝たと思う。
帰りは50分ほどのウォーキングで妻と待ち合わせ場所へ。新しく開店していた鰻の店でうな重を注文した。あっさりしたタレで私の好みであった。今年は3回目の鰻、贅沢をしてしまった。
減量した体重は今のところ、維持しており、本日のうな重でどうなることか。明日の朝に体重計に乗るのが、ちょっと躊躇われる。
昨晩は減量にひと段落後3回目の小麦摂取。素麺を熱いくらいの薄めの汁に入れた「にゅうめん」を食べた。一人前の半分はとろろ昆布をたっぷり入れて、残り半分はツナ缶を半分ほど加えた。ツナ缶の大豆油が暖かい汁と意外と合うものであった。
冷たい素麺に味噌味の鯖缶を載せて食べたことがあり、これも美味しかった。暖かい汁には薄味のツナ缶がぴったりである。サケ缶もいいかもしれない。久しぶりのアツアツの素麺が汁ごと胃に染みわたった。
さて、次に食する穀物は何にしようか。お粥もゆっくりと食べてみたい。その次には、「ほうとう」のような具材を味噌で煮込んだうどんも食べてみたい。
かなり薄味の我が家の料理は、病後の回復期のような私には特にありがたい。
昨晩は、冬至ということで、カボチャと小豆の煮もの。お風呂には柚子をひとつ浮かべた。私は鼻が聞かないので柚子湯に浸かっても、香りはまったくわからない。しかしたったひとつの柚子であっても何となく湯が「柔らかく」なったように思える。木のせいかもしれないが‥。
カボチャは妻が好きでよく食卓にのぼる。ただし私は汁気の多い「べちゃぺちゃ」のカボチャが好きであるが、妻は水分の少ない「ホクホク」したカボチャが好きという。これは柿も同じで私はスプーンで掬えるくらいの柔らかい柿がいいのだが、妻は硬めのものが好みである。
このカボチャと柿の論争は果てしなく続くので、二人とももうその話題はしなくなった。私も出て来たカボチャと柿をパクパク食べるだけにしている。どうも妻は交互に柔らかいものと硬めのものを食卓にのぼらせているようだ。
栗についても同じである。私は栗はお粥に入れるくらいが好みである。水分が多くて味わいがあると思う。しかし妻は炊き込みご飯がいいという。サツマイモは妻は天ぷらにするのも好みらしいが、私はサツマイモはみそ汁に入れて柔らかくしたものが好みである。
同じ食材が好きでも調理の仕方でこんなにも好みが分かれている。それもまた楽しい。
昼前に大雨注意報が出た。時間雨量換算で20ミリ未満の雨では基本的には路面の排水の能力を超えることは無いので、溢水や冠水の怖れはない。また土砂崩れなども想定はされない。30ミリを超えると危険信号である。
現在は横浜市域は5ミリ未満の雨の区域に覆われている。
この記事を書いていたら、19時過ぎに大雨注意報が解除になったというメールを受信。ひとまず雨のピークは過ぎたようだ。しかし未だ5ミリ未満の雨が降っている。レインアイよこはまを見ると間もなく雨は上がりそうな気配がある。
予報最高気温は乱高下していた。今のところ最高気温は日付が変わったばかりの0時1分の21℃、最低気温が16時直前の15.8℃でとなっている。ある意味では予測の範囲内と言えなくもない。
明日は親の用事で出かけなくてはいけない。明後日は別の用事があり出かける。しかし明日は降水確率40%、明後日は雨マークがついている。傘は必携。膝が痛いので杖を手放したくないので、出かけるときは雨は降らないで欲しいものである。
本日は久しぶりに台所に立って、梅たたきを作ってみた。梅干し8個、長ネギ・大葉・焼き海苔をみじん切りにし、鰹節と親指の先程度の味噌を混ぜて包丁で細かく叩くだけ。これだけでも腰が痛くなり、悲鳴を上げそうになったが何とか出来上がった。
これを妻にささみのはさみ揚げ、豚肉で肉巻き揚げにしてもらった。残りの梅たたきは冷ややっこの薬味として利用。少々塩分の絶対量が多かったかもしれない。私の好みとしては、焼き海苔が多めのほうがおいしい。またミョウガを入れるのもアイデアとして頷ける。
さらに残ったものは冷蔵庫へ。お粥と一緒に食べても良いし、日本酒のつまみにもできる。あるいはフライものにつけてもおいしいはずである。
この梅たたき、最近は居酒屋でも作ってくれるところが無くなった。昔、ときどき顔を出した居酒屋で、持ち合わせが少ないときに簡単で安いつまみを所望したら店の親父さんが即席に作ってくれた。そしてその次に店に行ったときに新しい短冊に「梅たたき」として一番安い新メニューになっていた。ここでは白ごまを最後に振りかけてくれた。本日はその白ごまを忘れて、今思い出した。
久しぶりにおいしいお酒とおいしい魚をいただいた。いつも行く居酒屋よりも少しだけ値のはる居酒屋で、神奈川県の蔵元の純米吟醸とハイボール2杯、そして冷やしトマト1個分とサワラの西京焼き。最後にうどんやさんで細めのうどんを一枚。このうどんがとてもおいしかった。
明日は午前中が美術のオンライン講座。午後は整形外科でリハビリ。連休を前にして少々予定が詰まっている。
一昨日の夜は妻が好きな栗ご飯であった。それもいつもより多めにつくっていた。本日もそれを温かくして賞味できた。
秋はいろいろな具材で炊き込みご飯ができる。きのこは種類ごとに作ったほうがいい。栗は細かく砕いた栗がいい。零余子、銀杏の炊き込みご飯も食べたい。
実は学生時代に、秋刀魚を大量に安く購入した。魚屋さんが、指をくわえて秋刀魚を見ている私を哀れに思ってくれたのか、薄いが大きめのビニール袋にぎゅうぎゅうに詰めてくれて、50円位で譲ってくれた。秋刀魚自体は小さめだったが、今年見る秋刀魚よりは太っていた。
小さな冷蔵庫の冷凍室に入りきらないほどで、もっとも小さい脂があまりのっていない秋刀魚の内臓を取って、1尾をまるごと2合の米で炊いてみた。軽く醤油を入れ、生姜の千切りと昆布片を入れて炊いたのだが、これが実に美味しかった。しかし妻にそのときのおいしかったことを幾度も言ってもつくってくれない。私が再現しようとしても台所を使わせてもらえない。拒否されている。
今年の秋刀魚はやせ細って、いかにも脂ののりがない。炊き込みご飯にはちょうどいいのだが、今年も私の口には入らないのが悲しい。
もっとも20歳前後の時の舌には合っても、この歳では少々くどいご飯なのかもしれない。
それにしても今年の秋刀魚は出始めとはいえ、哀れでしかも高いのだそうだ。塩焼きにするにもあまりに寂しい姿である。煙もたたないのではないか、と余計な心配をしている。
琉球泡盛が好きなので時々購入してくる。お酒の安売り専門店で、7月半ばに購入したのが「久米仙ブラック古酒35度」。好きでもそんなに高価なお酒は購入できないが琉球泡盛は廉価なので嬉しい。この古酒も1500円前後だったと思う。
それでもいじましくちびちびと飲んでいるうちにとうとう8月末に最後の一滴を迎えてしまった。
妻の顔色をうかがいながら、ちびちびと飲んでいると、味が分からなくなるが、一週間で無くなると、もっと悲しい。ちびちび飲んでいる合間には、ビール、ワイン、チューハイやらワンカップなどで気を紛らわせながら過ごした。
本日はお酒の専門店には寄らず、スーパーで私にしては高めのウィスキーを購入してきた。税込み1600円のブラックニッカの「ディープブレンド」というのだそうだ。
私は1本2000円を超えるお酒を購入することはまずないし、その上、ウィスキーは購入するのはさらに珍しい。
思い出すと、ウィスキーは学生の頃は、トリスやエキストラニッカ、レッドばかりであった。昔の髭のブラックニッカなどはとても購入できなかった。今回は、あの髭のブラックより少し高めであった。ずいぶんと私も贅沢になったものである。
現役時代はウィスキーはほとんど購入することも、まして外で飲むこともなかった。この10年ほどハイボールが流行りだして、居酒屋で時々飲むようになった。しかし家ではほとんど口にしないまま現在に至っている。ウィスキーが欲しい時は、角瓶のポケット瓶を一年に一度くらい購入する程度であった。
ということで妻の目を気にしながら、記念撮影。
恥ずかしながら、味の良し悪しについては、まったく分からない。ただこれが1600円のウィスキーというものか、という程度の感想で満足している。
泡盛や、九州各地の乙類焼酎などのほうがまだ違いが少しだけは分かる。日本酒についても少しだけは違いは分かるつもりであるし、日本酒特有の旨味が好きである。
だが、日本酒はどうしても一度に1合程度しか飲めない。口の中が1合だけでべとついたように感じて、それ以上飲めなくなる。
多くの人とは反対に、日本酒をまず1合未満飲んでから、焼酎のお湯割りないしロックを注文する。同行した人も、店の人も不思議そうな顔をする。
今夜はこのウィスキーの水割りで満足することにしたい。
何もするつもりがなかったが、ゆずジャムを作るから手伝えとのご託宣が降りてきた。
娘の借りている住まいの敷地にゆずが毎年たくさん実る。今年は摘んだものを5キロほども送ってきた。実はとても小さい。昨年は今年よりも大きめの実で2キロほどを作った。
妻の計画では、今年はまずは3キロをゆずジャムにするとのこと。 3キロで60個以上もあった。半分に切り、搾って、果汁と種と薄皮と外側の皮を分離。外側の黄色い皮を2ミリ×4センチほどの大きさに切る。私が手伝ったのはここまでの作業。肩と腰が痛くなった。
外側の皮を煮詰め、種や薄皮を加え、砂糖で味付けをするのは妻に任せた。
明日からは退職者会の記念誌の作成作業を再開しないといけない。読書タイムも再開しないと、「眼の神殿」(北澤憲昭)のこれまで読んできた部分を忘れてしまう。
先ほどオンラインの講座と飲み会が終了。飲み会では、初めて抹茶ハイボールなるものを用意した。しかし口には合わなかった。半分飲んで、泡盛に切り替えた。
泡盛は石垣島の八重泉(やえせん)の30°をお湯割りにして飲んだ。石垣島では請福や於茂登も有名であるが、私が購入する酒店ではこの八重泉がいつもそろえてあるので購入している。値段も安くて私にはありがたいのである。
そして嗅覚がほとんど働いていない私は、お湯割りで香りが匂ったつもりになって湯気にあたるのが好みである。だから水割りやロックで飲むよりもお湯割りがいい。
だいぶ泡盛を飲んだが、明日の10時からのオンライン講座に向けて、資料の残り半分を読んでから就寝予定。
オンラインの講座が終了後は、月曜日の会議の資料の一部手直しと打ち出し。月曜日の会議の準備はこれにて終了。
妻は所用があり私がオンラインの講座を聴いている間に出かけた。
そのため昼食は一人だったので「揖保乃糸」を茹でて、その上にナスを醤油で煮付けたものとツナ缶を上からかけてそのまま食べて終了。ナスの煮付けといっても1センチ角に切ったナスを茹でて、湯を切ってから醤油をかけさらに2~3分ほど煮ただけのもの。鰹節などを加えてもよかったが、省略。ツナ缶とナスだけで、それなりに揖保乃糸とうまくマッチした。ツナ缶の大豆油が麺に絡まって思いのほかいいのど越し。
妻はこのような得体のしれない料理は苦手である。
昼間は、横浜駅傍まで歩いた。外に椅子とテーブルが設置してあるコーヒーのチェーン店でコーヒータイム。
昨日ほどではないが、陽射しがあればかなり暖かかった。
喫茶店も人が少ない。いつもはほぼ満杯になる時間帯なのだが、6割程度。喫茶店を事務所代わりにパソコンと睨めっこのサラリーマンも、教受験生や高校生もいなかった。コロナウィルスの影響が出ているのであろうか。地下街も家電量販店も人出は少なかった。
帰り際に地下街をマスクをして通って壱岐焼酎を購入した。日曜に友人との飲み会で出す予定。壱岐焼酎はなかなか手に入らない。ここの店でも7つの壱岐焼酎の蔵元の内ひとつの蔵元の製品しか扱っていない。7年前に訪れた壱岐が懐かしくなった。
柚子ジャムはどうやらできた。柚子の量は2.7キロもあった。柚子の葉とヘタを取り去った後、洗って、輪切りにして、果汁を絞り、種を分離し、薄皮を剥いでざく切り、皮を細く薄く切り、別々に煮詰め、種を短時間だけ加えてトロミを出し、砂糖を加える。
一連の動作を二人でどうにかこなした。砂糖の量はレシピの7割に減らしたが十分に甘い。半分でもよかった。
瓶詰にしようとしたが、瓶が足りなくなり、急きょ百均まで出かけて密閉容器を二つ購入。全部で10個の瓶詰とワンカップひとつ分が出来上がった。
予想以上に大量にできてしまった。砂糖漬けだから腐ることはないと思うが、毎朝こればかりが出ることになると思うと気持ちが萎える。
娘夫婦と親には分けなくてはいけないが、配布については妻におまかせ。
柚子ジャム作りで草臥れたので、本日は二人で外食。横浜では降水確率が10%であったのに、17時ころにポツリポツリ雨が降り始めた。路面がわずかに濡れる程度で終った。不思議だったのは19時半過ぎに雲が無くなったのに、まだポツリポツリと降っていたこと。どこから降ってくるのか不思議であった。
これから短い時間でも夜のウォーキングをしようと思っているので、雨は気になる。22時から30分ほどの予定。
今年の正月用のお酒は、山形県天童市の出羽桜酒造の「出羽桜 特別純米酒 よいと 原酒ひやおろし」と記載されたものを購入した。
日本酒はいろいろと置いてあった。北海道から九州までの醸造元のお酒が十数種類棚に置いてあった。瓶の裏側のラベルのうたい文句を見比べても味がわかるわけでもないし、私自身が香りは感じないし、舌も心もとない。
そしていつも不思議だが、東北のお酒をいつの間にか選択している。やはり東北地方に無意識であっても私は惹かれるのである。仙台に住んでいた学生の頃、出羽桜というお酒の銘柄は聞いたこともなかった。きわめて安い日本酒しか飲んだことのない私には銘柄というのは、安いか高いかを判断するものでしかなかったからだ。アルバイト代や仕送りがあったときだけ、飲んだらコップや味噌汁用の容器にするために、ワンカップで売り出し中のお酒を幾本か購入した。
出羽桜という銘柄のお酒はそれなりに口にしている。しかしこのようなラベルのお酒は初めて目にした。
1.5合は家族3人で屠蘇散を入れて飲む。残り2.5合はそのまま自分だけで味わって飲む。屠蘇散を入れてしまっては造った方に申し訳ないのだが、正月用ということで勘弁してもらう。残りはそのまま冷やで楽しむことで許してもらおうと思う。
先ほど「雨の予報はハズレか?」という記事をアップしたら、22時半過ぎから10ミリほどの雨が降り始めた。昨日は雨が降るという予報はかろうじてハズレはしなかった。
天気予報の当たり、ハズレは論じたくないし、外れたからといって文句は言わないことにしている。そしてこの秋もおしまいの弱い雨の音を聞きながらの風呂は格別である。
今晩から私の部屋にガスストーブを据えた。4畳半用の小さなストーブで、本箱とプリンターと机とパソコン台とタンス、三面鏡が並ぶ狭い室内には十分すぎる大きさである。10分もつけていると暖かさを通り越して暑くなる。
日付が変わって4日になった。今年の立冬は11月7日。ほぼ立冬にストーブを点けることになった。ストーブを据えると冬の気分となる。
★銀の匙おけばチリンと冬隣 長谷川葭
★行秋や膝から暮れる屋台酒 窪田 穣
第1句、例年より気温は高めのようだが、秋から冬へ移ろうとしている。例年なら空気も乾燥し、高い金属音がよく響く時節である。銀の小さなスプーンが何かに触れて微かな心地よい金属音を響かせる。それが夏とは違って気持ちよく響く。作者の音に対する繊細な感覚が好ましく伝わる。そのような音を聞きもらさないところが好ましい。冬を迎えようとする緊張感も伝わる。
秋から冬へ、静かな音楽をじっくりと聴きたくなる。
第2句、行く秋、というと昔から寂しさを含んだ語感である。同時に冬隣りという季語よりはまだ暖かみが残っている。それも多分夕方の太陽に照らされた明るい暖かさのなかに、寒さが潜んでいる。橙色をした深い秋である。寒色だけの世界ではない。まだ紅葉が残っている感じがする。銀杏の落葉が似合う。だが日が暮れてしまえば、冬とも追われる冷気が足もとを過ぎてゆく。
そんな季節を屋台酒を持ってくることで取り出していると思った。果たしてこの作者は屋台の前に座っているのだろうか。それとも屋台で飲んでいる人を観察しているのだろうか。この屋台、私のイメージでは街路樹や公園の樹木の下にある屋台である。紅葉した葉が降っているはずである。ありふれた感傷といわれようがそれでよい。
昼食後の食事は禁止。お茶はOKとのことである。特に理由はないが、本日はコーヒーというよりも紅茶の気分。毎朝のむ紅茶が美味しかった。
毎日のパターンでは、朝食時はたっぷりの紅茶、昼まではウーロン茶、午後はコーヒーと移動途中はペットボトルの緑茶、夕食直後は緑茶ないしほうじ茶、就寝時まではウーロン茶にジャスミン茶の葉を加えたもの。要するにコーヒーを除いて「茶葉」が好きなのである。
ウーロン茶はコップに直接葉を入れて上から熱い湯を注ぐだけ。これを幾度も繰り返す。熱いお湯でないと葉が沈まないので飲みにくい。寝る前の水分補給時にはお湯を注いでもほとんど色はつかなくなっている。それでも白湯を飲むよりは美味しく感じる。
ウーロン茶葉は中華街で安いものを購入してくる。ジャスミン茶はそれなりの値段のものを購入。ウーロン茶場に一つまみほどのジャスミン茶の葉を加える。私は鼻が効かないのでジャスミン茶の香りはわからないが、口の中がスッとすることでジャスミン茶の香りがわかるような気がする。私にはあまり高価なジャスミン茶はもったいない。
ペットボトルの緑茶は抹茶入りのが嬉しい。
コーヒーは酸味が強いのは好みではない。できればクリスタルマウンテンやコクのあるマンデリンがいい。しかし少々高い。少し安いブラジル・サントスがあればうれしい。いづれもストレートで飲む。