Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜も積雪

2025年03月04日 22時47分59秒 | 天気と自然災害

         

 横浜でも1cmにも満たないが積雪は積雪。
 団地内でも芝生に雪が積もり始めた。アスファルトの道路もうっすらと白くなってきた。
 もう花が終わりかけたとはいえ紅梅の赤や、赤い山茶花の散った花弁に、降ってくる白い雪片が映える。

 このまま降り続くと明日の朝は、短時間であっても雪掻きをしなくてはいけないかもしれない。すぐに解けてしまいそうだが。
 最近は雪掻きをする人も極端に少なくなった。団地内外問わず、学校の周囲の商店街でも雪掻きをする人はごく限られている。高齢化が進んでいるだけでなく、新しいチェーン店がいくつかあるが、オーナーも店の責任者も店舗には住んでいないので、対応しなくなっている。またマンションの住人も、地域のことには興味はないようで雪掻きに出て来る人はまずいない。
 残念ながら私の住む団地でも高齢者が団地内道路をするのが精いっぱい。団地の周囲の公道まで雪掻きをする体力も人手もない。

 都会も雪掻きなどをする人は、高齢者ばかりである。


阪神淡路大震災から30年

2025年01月18日 20時50分00秒 | 天気と自然災害

   

 昨日は阪神淡路大震災から30年、神戸をはじめ各地で追悼の集会が催された。

 私は退職者会の資料作成やスマホの不具合などで慌ただしかったので、30年前のことを思い出すゆとりもなく過ごした。
 本日もニュース印刷の直前に少しばかり手直しをしたい箇所を見つけたら、全体の構成まで手を入れる必要に迫られ、100部の印刷に9時から13時過ぎまでかかってしまった。
 しかし本日印刷している間に、モーツアルトのレクイエムを聴きながら、30年前に自分が何をしたか、反省がてら思い出していた。
 今更70歳を超えた自分が、当時出来たこと、出来なかったことを列挙しても今後に生かすことなどないかもしれない。しかし「災害」というものに関わった自分のことが「懐かしく」思い出された。
 当時第一報は横浜で聞いた。30年前のこの日、政令指定都市の建設部局の労働組合の代表者の集まりが仙台を当番都市にして開催されることになっており、朝7時に家を出て、新幹線で仙台に向かった。
 仙台で関東以北の仲間は定刻通りに集合、テレビで深刻な被害状況が少しずつ明らかになるのを見ていた。名古屋の代表者がかなり遅れて到着。そこで名古屋が把握した関西の状況が報告された。
 議題は最低限の合意で決め、支援体制をどのようにするか等を議論した。会議を早めに切り上げそれぞれの都市に戻り、支援活動の最前線を担うことを誓い合ったことを覚えている。
 自治体の労働組合、とりわけ建設部局の組合として何が出来るか、頭と体を駆使して、組合員と議論を重ね、労働組合・行政側の現地支援への組合員の派遣、支援物資やカンパの取り扱いなど今考えるといつ眠ったのか、不思議であった。仕事をしながら、議論と会議、当局交渉などなど。当時の手帳を見ると隙間がない。この活動の先頭で力を発揮してくれた組合員の顔が未だに思い浮かぶ。
 仙台での会議に参加できなかった神戸、そして大阪・京都の3都市の建設部局の仲間の顔がいつも浮かんだ。
 30年前は、私の属していた労働組合の再建がひと段落し、ごく少数ながら組織が一応整ったばかり。不遜で被災者には申し訳ないが、この過酷な支援活動を通して組織人員が3倍増したことで、少し報われた気分になったこともある。
 「災害」というものの法整備の問題点、災害時対応の問題点、労働組合の役割、支援のあり方、自身と家族の災害対応、そして自分の働く横浜市の災害対応、さらに日常業務を災害対策の観点から見直す視点など、実に多くのことを学んだと思う。「災害」対応、というものが行政にとっても、そこに働く者にとっても、労働組合にとっても大きなキーワードとなることを実感した。

 私の人生にとっても大きなエポックであった。

 


雨の音に癒された時間

2024年11月27日 10時38分23秒 | 天気と自然災害

 昨晩は、久しぶりに21時過ぎに入浴。強い雨の音を聞きながら優雅に体を温めた。いつもは23時過ぎに入浴タイム。追い炊きは音がするので遠慮。体を洗うのもできるだけ音を立てないようにして入る。一週間に一度くらいは22時過ぎに追い炊きをして入るくらい。
 昨晩は浴槽に2度浸かり、贅沢にも2回も追い炊きをしてみた。一日あまり体を動かさなかったので、少しは血の巡りを活発にしてみたかった。
 久しぶりに復旧したレインアイよこはまの画面を見ると、小さい面積ながら時間雨量で最大80ミリの雨の区域が複数回横浜市域を通過していった。ちょうど一番雨の強い区域が通過しているときに浴槽の中にいたようだ。
 雨の音を聞きながらの入浴は実に気持ちがいい。山の中で樹木の葉にあたる音、岩に当たる音にはほど遠いが、それでも自然の音に近い。雨の音に紛れるだけでなく、雨粒が音を吸収する効果もあるようで、街の中の人工の音が弱く聞こえる。
 むろん災害の起きない範囲で、という前提である。雨の降る音が、人間の耳に恐怖をもたらす場合は、災害の危険が迫っている証左でもある、と以前、山行の先輩に教えてもらったことがある。もっとも山のなかと都会と、川の状況などを考えれば一概には言えないとは思うが、貴重な意見ではある。危険を察知する能力は大切にしたいものである。
 日付が変わった2時ころ、大きな雷の音で目が覚めた。スマホの情報を見ると1時ころには、大雨(浸水害)警報、洪水・強風・雷注意報が出ていた。竜巻注意情報も出ていた。洗面所の窓から覗くと、猛烈な雨とその音に驚いた。空から押しつぶされそうな圧力を感じた。入浴中はこのようなひどい雨ではなかった。

 まだ雨の上がらないうちに就寝しようとしたら、能登半島の輪島市、志賀町にて、震度5弱の地震の情報。深夜なので避難も厳しい。雨も降っている。羽咋市では震度5弱以上の可能性ということもNHKで報道していた。
 マグニチュードは6.4と大きいが、津波の心配はないとのこと。志賀原発も心配である。深さは10キロと浅い。
 心配ではあるが、体調を考慮してはまずは就寝することにした。
 朝のテレビのニュースでは、特に能登半島の地震についての報道がなく、特に被害は出ていないのかもしれない。


 


着るものの選択が難しい

2024年11月21日 22時50分12秒 | 天気と自然災害

 本日は予報よりも雨が上がるのが遅くなった。私が出かけた11時近くでもまだ雨が降って寒かった。つい厚着をして出かけてしまった。12時過ぎにはひとまず上がったものの、14時過ぎに再び降った。16時ころには雲が切れて青空も見えた。
 青空が見えると気温もあがり、最高気温は14.3℃になった。着ていたレインコートが暑苦しく感じるた。居酒屋で時間を過ごし、外に出てみると今度は寒いくらいに気温が下がっていた。
 明日はもっと気温が上がるという予報。着るものの選択が難しい。

 明日に予定されていた親の通勤の付き添いがなくなった。通院が隔週になったためである。とりあえずホッとしている。しかし予定がなくなり、手持無沙汰である。


雷鳴と強い雨

2024年11月02日 19時47分32秒 | 天気と自然災害

 先ほど夕食を食べようとしたら、突然鋭く雷鳴がして、雨が強くなった。カーテンを閉め切っていたので、稲光は見えなかった。ほとんど同時に大雨(浸水害)警報が出たとのメールが届いた。慌ててパソコンの電源を落とした。
 気象庁のレーダー雨量計では時間雨量換算で50ミリを超す雨の区域が私の住んでいるところを通過していった。
 東海道線、京急線で運転の見合わせや遅れが発生しているとの情報も来た。テレビではテロップが流れ、神奈川県に記録的短時間大雨情報が出たとのこと。

 さいわいなことに、夕食を食べ終わるころには強い雨も弱まり、雷鳴も聞こえなくなった。雷鳴がしなくなったので、パソコンの電源を入れることにした。このまま回復に向かってほしいものである。雨の区域は途切れてはいないが、猛烈な雨の区域は通り過ぎた。
 本日は気分がすぐれなかったので、アルコールはなし。

 


木枯らし1号かと思ったが・・

2024年10月20日 21時43分10秒 | 天気と自然災害

 明日の退職者会の役員会・幹事会のための資料づくりで大半の時間を過ごした。息抜きに近くの喫茶店まで歩いて往復したのみ。
 昨晩は強風注意報が出ていた。かなり強い北風が本日まで続いた。風速10m(最大瞬間風速は19m)にもなった。ケヤキの葉が一挙に大量に風で飛ばされていた。本日の夜も一時強い北風であった。
 「10月半ばの晩秋から11月末の初冬の間に、初めて吹く毎秒8メートル以上の北よりの風のこと」を木枯らし1号と定義されている。風速も9mを超えていたので横浜では木枯らし1号かと思っていたら、そうではないらしい。しかし北海道の北部では初雪であったという。気圧配置も冬型である。
 夏日が続き、土曜日には29.5℃にもなっていた。本日の最高気温は235℃、それも日付の変わったころで、日中は20℃に満たなかった。
 夏の次は秋ではなく、冬であるらしい。一年は四季ではなく夏・冬の二季と変化したようだ。一気に冬というのは人間の体調だけでなく、植物にも過酷であるとのこと。これからどうなるのであろうか。


秋の雨、降りやまず

2024年10月08日 21時46分38秒 | 天気と自然災害

 冷たい晩秋のような雨が終日降りやまない。夕方近くいったん雨は弱まったものの夜になり再び本降りとなった。遠くで雷鳴もした。近づいては来なかった。

 明日も昼近くまでは本降りの雨の予報になっている。さらに気温が明日は下がるとのこと。最高気温は19℃と表示されている。半袖のポロシャツではなく、七分袖の開襟シャツを妻が引っ張り出してくれた。減量前は着れなかったがゆとりをもって着ることが出来た。減量のメリットのひとつ。

   

 雨に濡れた花は風情があるものである。

 


横浜はゲリラ豪雨?

2024年10月03日 22時50分32秒 | 天気と自然災害

 新宿で飲み会に参加している間、横浜ではかなりの雨が降ったとのこと。21時過ぎに横浜駅についてみるとホームドアにも水滴が付き、ホームも濡れていた。東海道線も大雨のため遅れが出ていたようだ。さいわい私が乗車した湘南新宿ラインには遅れは出ていなかった。
 帰宅後しばらくして再び雨が強まり、先ほどから雷鳴がはじまった。雨の音もかなり強くなってきた。
 肝心なときにレインアイよこはまは設備不具合のため配信停止とのこと。古いシステムであることは確かだが、もう少し常時稼働を追及してもらいたいものである。
 気象庁のレーダーを見ると80ミリを超す雨の区域が通過していった。短時間で雨は上がるように表示されている。しかし慣れていないこともあり、私にはとても見づらい。

 すでに雨は上がったようだ。河川の増水で避難判断水位を超えた箇所が市内でも1箇所あったが、その後は配信がないので、問題はなかったようだ。
 しかしそれほど強くはないとは思われるが、明け方までにもうひと雨もふた雨もあるようだ。

 本日新宿駅までは座れたので読書は出来たものの、帰りは酔っていたこともあり、本を取り出すこともなく寝てしまった。乗り過ごさなかったことで良しとしたい。

 


南風で強風注意報

2024年09月22日 20時38分02秒 | 天気と自然災害

 昨日からの強い風は、南西ないし南南西の風で、正午過ぎに最大瞬間風速18.8mを記録していた。台風並であった。14時近くになってからようやく弱くなった。団地の中では号棟の間を西から東に吹き抜けていった。湿度が高く、時たま出てくる陽射しで蒸し暑い。
 午前中は、「古墳と埴輪」の第7章以降を読み終えてひと段落。
 昼食後バスにて近くのドラッグストアでの買い物につき合い、いくつかをリュックに受け入れてから、私は歩いて横浜駅の書店と喫茶店へ。
 短時間の書店での情報収集ののち、喫茶店で読書タイム。弱い雨が降り始めたのでバスにて自宅へ向かった。雨が上がったのを確認してからバス停の一つ手前で降りて、歩いて帰宅。
 帰宅後は石川県の豪雨被害の模様をテレビにて視聴。夕食後は北風に変わり気温も下がってきた。


能登半島豪雨被害

2024年09月21日 21時27分28秒 | 天気と自然災害

 昼の時間帯も、喫茶店でのネット情報も、帰宅後のニュースも能登半島の豪雨被害の報告や中継。深夜から明日の昼間でまだまだ強い雨が降る予報となっている。
 正月に地震のあった能登半島だが、すでに多くの被害者が報告されている。中には地震災害復旧従事者が行方不明との報道もある。とても痛ましい。
 当分の間、この豪雨からは目が離せない。

 しかしあの豪雨で道路冠水、河川氾濫の中を強引に通り過ぎようとする自動車の存在に驚いている。どんな理由があるのか解らないが、危険に飛び込むようなものである。
 車は安全という思いこみが強いのだろうか。雨が自分の身に当たらないと不安が消えてしまうのだろうか。危険回避の思考回路が麻痺してしまうのだろうか。
 車内からの危険な状況を、しかも家族連れで撮影した動画をマスコミに送信するということも私には理解できない行動である。それを垂れ流すマスコミもひどいものである。私にはともに理解不能である。

 報道機関は災害時の車移動の危険をもっと前面に出して警告すべきなのではないだろうか。


雲は秋、気温は猛暑

2024年09月20日 22時19分17秒 | 天気と自然災害

  本日も気温が34.9℃まで上がった横浜市域。ほぼ猛暑日といって過言ではない。記録した時間は15時45分。ちょうどその時間は家に向かい始めた時間であった。確かに肌に刺さるような陽射しであった。

 出かけたのは13時過ぎ。いつもとは違うコースのウォーキング。神奈川大学の六角橋校舎の生協書籍部に立ち寄ってから、さらに東横線の駅まで歩き、駅前の喫茶店でコーヒータイム&読書タイム。
 読書後は、来た道をもどり、途中古書店2軒ほどをまわり、自宅へ。往復1万2千歩ほど。
 帰宅後は、いつもリュックや財布に入れて持ち歩いている3日分の常備薬の袋に入れている薬名や服用量などの一覧表の書き換え作業。次回11月の診察で再度変更があるかもしれないので、少し早すぎるかもしれなかった。

 途中の公園で空を見上げると雲は秋の雲、しかしながら気温は高い。刺すような陽射しのために帽子からは汗が滴るもののの、帽子を取ると毛のない頭皮が焼け付くようである。大きなタオル地のハンカチも絞ると汗が滴り落ちる。今年になって7月から9月の3か月間でタオル地のハンカチ4枚がごわごわになり、廃棄する破目に。これほどにハンカチを酷使したのは初めてである。

 


雷雨(大雨・洪水・雷注意報)

2024年09月19日 17時51分18秒 | 天気と自然災害

 15時過ぎ、黒い雲が全天を覆い、雷がなり始めていた。神奈川県全域に竜巻注意情報が配信されたころ、横浜駅からウォーキングで帰宅しようとした。
 途中から雷鳴と稲光が頻繁になりその間隔も短くなった。さらに大粒の雨が降り始めた。慌てて横浜駅にもどりバスにて帰宅。
 バス停から自宅まで歩く間に、かなり濡れた。バスの中でザックカバーは出来たが、傘をリュックに入れていなかったのは失敗。

 17時半現在、ようやく雷は鳴らなくなり、雨は小降りになった。西の空が少し雲が切れ、明るくなってきた。
 横浜市からは3箇所で避難判断水位を超えたとの河川水位情報が配信された。その後は水位は下がっている模様。肝心なレインアイよこはまは故障なのかアクセス不能につきどの程度の雨がどの地域に降ったのかの判断が出来ないのは残念。


早くも降ってきた

2024年09月15日 22時53分23秒 | 天気と自然災害

 昼間はウォーキングが出来なかったので、夜に約3000歩のウォーキングをしてきた。運よく玄関前に着いたときにポツリポツリと降ってきた。横浜市北部中心の雨である。雷注意報が出ている。
 埼玉県西部や都内の区部では強い雨が降ったいるようだが、神奈川県内はそれほどでもない。しかし本降りの雨である。まだまだ遠いが雷の音もしてきた。
 明日は渋谷の代々木公園で反原発の集会。退職者会も20名近くで参加する予定。ザックカバー、傘と防水の靴が必要のようだ。本日まで暑い晴れの日が続いたのに、残念である。

 いつものパターンではデモののち、渋谷駅周辺で居酒屋に繰り出す、ということになっている。せめて小雨、出来れば雨は上がってほしいものである。


「白露」とはいえ33℃超え

2024年09月10日 22時58分13秒 | 天気と自然災害

 本日も平年よりも5℃も高い33.6℃にまでなった。調度最高気温を記録した時間に家を出て、横浜駅まで歩いていた。
 始めは建物の影を歩くことが出来、それほどの暑さは感じなかったが、街路樹の影以外の影のない広い道路にでると陽射しが顔に刺さるような熱気をを感じた。慌てて信号を渡り、道路の反対側を歩いた。
 それでも時々は影のない地点を歩かざるを得なかった。バスに乗る選択肢もあり、通り過ぎるバス停ごとに時刻表を見たものの、待つ時間がいづれも長く、気がついたら横浜駅前まで歩いていた。
 この時期の34℃はなかなか厳しい気温である。8月中の猛暑日の陽射しと遜色のない強い陽射しと感じた。
 本日は夕刻に眼科の診察。緑内障の点眼薬の処方箋をもらい、いつもの薬局にも回って帰宅。さすがに9月になって夕方には陽が傾くのが早くなり、17時以降は強い陽射しを避けて、ビルの影を歩きとおすことが出来た。
 帰宅してみると1万5千歩以上も歩いていた。

 


雨の予報

2024年09月09日 22時00分35秒 | 天気と自然災害

 退職者会のイベントは無事終了。スタッフの打ち上げも終了し、先ほど帰宅。久しぶりのイベントと打ち上げでだいぶお疲れ気味。イベントの間、腰痛は続いた。残念ながらまだ完治していない。明日は休養日としたいもの。
 これから横浜でも強い雨が降るとのこと予報になっている。降り始める前に帰宅出来てホッとしている。
 すでに神奈川県内では鎌倉市付近に狭いながら20ミリ程度の雨の区域があり、北上している。都内の23区には時間雨量換算で80ミリ近い雨の区域も点在している。さいわいなことに注意報などは横浜市内にはまだ出ていない。このまま弱い雨で推移してもらいたいものである。
 明日は発雷確率も高いという予報である。本日も早寝に徹したい。