Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「野哭」(加藤楸邨)から

2020年03月31日 22時41分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連

加藤楸邨の第6句集「野哭」の「流離抄」(1945年5月~1946年7月)から。
 「野哭」の冒頭には次の句が掲げられている。

 この書を今は亡き友に捧げる
★火の中にしなざりしかば野分満つ                          

 「火の中に死なざりし」は加藤楸邨が戦争末期東京に残り、空襲の被害に遭いながらも生き延びたことをいう。友の多くは戦地で、あるいは空襲で亡くなったことをさしていると思われる。

★一本の鶏頭燃えて戦終わる
★かくかそけく羽蟻死にゆき人餓ゑき
★飢せまる日もかぎりなき帰燕かな
★雉子の眸のかうかうとして売られけり

 1945年の8月15日から年末までと思われる句の中から4句選んでみた。
 第1句、赤い鶏頭の葉に、空襲の記憶が投影されていると思った。
 第2句、かそけくある羽蟻は「戦争で亡くなった人々」と「戦後の飢えにくるしむ人々」が二重に重なって迫ってくる。
 第3句、「国破れて山河あり」と詠嘆する状況にはない戦後の飢えの時期、生身の人間が剥き出しに生きるために駆けずり回る混乱と、飢えの厳しい現実が浮かび上がる。
 第4句、死んで吊るされた雉子の生命のありように身震いをするような厳しい句である。たが「戦後の闇市」という場面設定をするとさらに飢えて「食らう」人間と「食らわれる」雉の生々しい対面も見えてくる。戦後の厳しい「生」の場面が浮かび上がる。私もはじめてこの句に接した10代後半の時、戦後闇市という場面設定については教えられなかった。そのことを知ったのは残念ながら20年ほど前、偶然に。


「図書4月号」から その2

2020年03月31日 20時00分33秒 | 読書

 いつものように覚書として。

・「風の谷のナウシカ」に響く声    赤坂憲雄・三浦しをん
「<赤坂> (宮崎駿さんは)ナウシカのイメージの源になったものは‥ギリシア神話に登場する「ナウシカ」と、「堤中納言物語」の「虫めずる姫君」です。「虫めずる姫君」は「本地を尋ねる」精神のありようが愉快なのだ、つまり、花や蝶の表に現れた美しさではなく、それ以前の蕾や毛虫までさかのぼって本質を考えなくてはいけない、それこそが楽しいのだと‥。マンガ版のナウシカは、まさに「虫めずる姫君」のように、非常に知的で聡明な探究者です。その部分を宮崎さんは徹底して描き込み、小さな現象を集めて世界の謎を解き明かす役割をナウシカに背負わせる。ナウシカが少女戦士と読まれることへの宮崎さんの抵抗感が、大きくこの物語を変えていったのだと思います。」
「<三浦> ナウシカは、戦闘だけではない「戦い」をしている女性なのだと思います。強い探求心を持つ人物が冒険をし、‥ついに世界の深淵に触れる、そうした物語の型はこれまでもありましたが、「ナウシカ」のように女性が主人公のものはなかなかありません。」

「<赤坂> 宮崎さんはマンガの中で、声として表に出ている言葉を、吹き出しやコマ割りを工夫して描きわけていて、ナウシカ自身の声も多声化されていますよね。」
「<三浦> 「ナウシカ」の吹き出しの処理は、マンガの文法から外れてるなと思っていました。吹き出しのしっぽの向きからすると、しゃべっているはずのない人がしゃべっていたり、物理的な音声として伝えているのか心の声なのかが曖昧なものもあったりで、そこがまた、すごく面白い。」

「<赤坂> 神話的想像力というものが、古代や原始の時代ではなく、われわれの時代にもいきているとしたら、マンガがそうしたものを表現する媒体になっているのでしょうね。」
                                       
・二〇一九年秋の回想的断章 --非対称性をどうするか    片岡大右
「関係の非対称性に還元されることのない何かの存在を、この非対称性がたしかに内包する暴力的次元を正当化することな、どのように証していけばよいのか。」

・プルーストの謎           吉川一義

・ことわざの森に出かけてみよう    藤村美織
「「言葉一つは黄金百より重い」(ブータンのゾンカ語のことわざ)」                        

・黄色い本のあった場所(1)      斎藤真理子


「図書4月号」から その1

2020年03月31日 12時02分45秒 | 読書



いつものように覚書として。

・水の夢 1            司  修
「家族三人の中に、見知らぬ男が入っていて、私の「夫」であるといいます。妻も娘もそれは認めていて、「夫」は私の書棚の本を売りはらい、やたらと研究書を買い、四六時中読書です。‥「夫」は書斎を実験室にしてしまい、ドアから無臭の煙を出すようになりました。私はその煙を吸うと、近くの川辺を歩かなくてはならなくなりました。‥ついに川に落ちてしまうのでした。‥‥T氏は、何気なくハリガネ虫の話ををしてくれたのです。カマキリに寄生するその虫は、カマキリを殺さぬようほどほどに栄養をとりながら育ち、受精産卵期を迎えると、ある物質をカマキリの脳に送り込んで、カマキリが川辺に近づいて落ちるよう操作するというのです。水の中でハリガネ虫はニョロニョロとカマキリのお尻から出て、産卵行動をとるらしいのです。私はハリガネ虫の仕組みが、原発とその利益の構造に似ていると思ったのでした。」

・幻の松林             野見山暁治
「この先、どうやって生きてゆけばよいのか。砂丘のゆったりとした凹みに、いくらか体を埋めて、丘陵をおおったこの松林がどこまで続いてくれれば、と願っていた。‥戦地で、まったくの廃品となったぼくは、ソ満国境の置き忘れられたような陸軍病院の一角に、漂流物のようにしがみついていた。生死の争いが、日々ぼくの体内で過ぎていったのか、本人にはもう関連のない時間帯だったのだろう。それまでぼくのいた兵舎には凍てついた絶壁が、すぐ目の前に立ち塞がり、見渡すかぎり続いていた。ソ連領。壁面の随所にあけられた穴ぼこの暗い影からは、銃口が一斉に、その遥か下で動いているぼくたちに照準を合わせているはずだった。‥ほぼ垂直なその岸壁をよじ登り、そのどこかでぼくは射抜かれ、はるか下を流れる川に落ちてゆく姿を、病室の壁にありありと見ていた。‥つい先ごろ何気なく歩いていて、松林の中に踏み込んだ。あれほどに泌々と、体ごと入り込んだ今わの景色とは、違うのは間違いない。ぼくは生きていたのか。あれはずっと昔のことだ。ぼくが大人になりかけた頃。嘘だろ。じゃあ、それまでの長い歳月はどこへ行ったか。」


ツバキの不安

2020年03月30日 23時44分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★みな椿落ち真中に椿の木        今瀬剛一
★椿的不安もあるに井の蓋は       小川双々子

 まったく傾向の違う俳句だが、おもしろいと思った。
 第1句、赤か白か、花が咲きそろっているときのツバキは実際の樹形よりも少し大きめに見えるのであろう。赤いツバキなら膨張職でもあるので実際に膨らんで見えるかもしれない。白いツバキであっても葉影が暗いので白い花は目立って樹形がより大きく見えると思う。
 花が散ってしまうとツバキは確かに少しばかり小さくなったように見える。それは他の樹木でも同じかもしれない。しかし咲いているときの形そのままに下に積もった花を従えてツバキの樹形を見ると、「真中に」すっと立っている樹形にハッとする。
 第2句、「椿的不安」とは、多分ポロっと突然に頭が落ちてくるように花が落ちてしまうという恐怖に近い不安をツバキの花に感じたのではないだろうか。もうひとつ、私は小さい頃庭に古い井戸があり、ポンプはすでに朽ちて取り払われていたけれど、コンクリートの枠がのこり、木の板の蓋が使われなくなった井戸の枠に掛けられていた。草に埋もれていた。
 親からは「危ないから絶対に蓋を取って覗いてはいけない」ときつく言われていた。たまたま隣の中学生が蓋を捲って井戸の底を見せてくれたことがある。暗い底に自分の顔が映っていて、底知れない不安を感じた。板を捲ると奈落の底のような不安感は今でも記憶している。
 そんな古井戸を巡る不安と、ツバキの花の突然の落果という不安、これが私には結びついた。                                          


久しぶりに横浜駅を利用

2020年03月30日 23時02分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後は妻と近くのスーパーに出向いて安売りの食材を購入しようとしたが、すでに売り切れてしまい、無駄足となった。私は横浜駅経由で夜の講演会の会場に向かった。横浜駅はいつも程度の人出だったと思う。そして関内での講演会の内容はとても勉強になり私としては満足。
 講演会の終了後5人ほどでいつもの居酒屋に出向いた。普段は多くの客でにぎわう広い店内にわずか3組の客。これでは商売にならないのではないかとわれわれ客の方が心配してしまった。
 この店、ランチタイムはサラリーマンでいつものとおりの混雑であったらしいが、夜は客が来なくなったようだ。みな家に早めに帰宅したと思われる。我々も1時間半ほどで終了して先ほど帰宅。

 行きも帰りも横浜駅で乗り換え。

 明日はみなとみらい地区で安売りの日用品の購入をめざして、出かけるとのこと。荷物運びの指令が出ている。

 


坂道の多い街

2020年03月30日 12時01分15秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日の雪はすっかり融けてくれた。横浜では多分明け方の路面凍結の事態もなかったと思われる。まして横浜市の地理的特徴の一つが丘の多いということである。当然道路は起伏が多い。

 日本列島の地理的状況を考えれば、山・坂の多い場所が当たり前である。その坂に沿って人がさまざまに活動して歴史を刻んできた。
 私の長く住んだ函館も坂が有名であった。その時は五稜郭の近くで平坦だったが、函館山に近い方に行くと、坂がきつくなった。観光地はそちらの方が多かった。学生時代の仙台では大学のキャンバスも下宿・アパートともに山の方であった。ずいぶん足腰を鍛えられた。
 横浜市内で転居したのは谷底の分譲地から丘の上の団地。しかし普段の往復のことだけを考えれば同じである。出掛けに坂を上るか、帰りに坂を上るかの違いでしかなかった。水害のことを考えれば谷底と丘の上では大きな違いはあるが、そこまで私の考えは及ばなかった。そして通った小・中・高校いづれも電車の駅からはかなり高い丘の上であった。
 長年勤めた二つの区も、山と坂の多いところであった。それが区の特徴になっていた。

 2年半住んだ川崎だけは平坦な地域で、今思えば随分楽であった。今度60年近く前に住んでいた辺りをもう一度歩いてみたいものである。
 10年近く前に行ってみたが随分変わっていた。むかし豆腐店・肉屋・八百屋などのお使いにいつも行かされた商店街は区役所の庁舎が建っている。父親の勤めていた会社の長屋の社宅はマンションになっていた。10年前は通りかかっただけだが、今度はじっくりと歩いてみたい。


私流雪掻きの効率的な方法

2020年03月29日 19時34分30秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先ほど記載するのを忘れた。この雪掻きの「極意」は巻頭よりも南、暖かい地方で有効と思っている。北国ではあまり有効ではないと思われるので、無視した方が無難。
 関東地方、特に南関東での雪は南岸低気圧の通過に際して降る。雪がやむときは低気圧が通過してそのあと南風が入り込んだり、北からの寒気が緩んだりして気温が上昇したり太陽が顔を出すことが多い。その特性を生かすと、

1.歩道の確保のために
① 歩道ないし車の通行量が少ない道路では、スコップ1本分の幅で雪を除けて、アスファルトを露出させる。
 体力に余裕があったり、時間的に許されるならば2本分の幅に広げる。
⇒これにより、濡れて黒くなったアスファルトが露出し、太陽光(曇りでも十分)の熱を吸収して雪を融かすのを助長する。

② その際、道路には横断方向に勾配がついているので、高い方に筋をつける。中央が高い山なりの道路では中央、片勾配の道では高い方。
⇒水捌けをよくした方がより早く雪を解かすことになる。融けた水が流れる方向の雪をさらに融かす。
⇒体力的・時間的にゆとりがある時は3本目は低い方の路面排水の側溝があるところの除雪。

2.車の往来の多い車道、歩車道の区別のある車道は危険なので、人力の除雪は実行しない。
① どうしても実行する場合は、歩道のある側の側溝の排水を確保する。
⇒下流側のL型側溝の枡を見つけ出し、その枡の上の雪を除いて露出させる。
⇒枡の上流からスムーズに水が流れるように側溝の上だけ(スコップの幅とほぼ同じ)除雪する。


 以上を要約すると
ア.黒く濡れたアスファルトの吸熱作用を最大限利用する。
イ.路面排水を確保しスムーズに融けた水を流して、夜間などの路面凍結を回避する。
 この2点を常に頭に入れて除雪すると、最小の労力で効果の大きな除雪ができる。

 今回の除雪には間に合わなかったと思うが、どこか頭の片隅にでも入れておいてほしい。


雪掻きはごく短時間で終了

2020年03月29日 14時59分45秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 13時前には雪は止んだ。曇り空ですっきりとしない空模様である。雪はどんどん融けているが、芝生の雪は融けない。北側の玄関、団地の外回りの日の当たらない歩道、団地内の階段で雪が残っているところを30分ほど雪掻き。
 気温は正午で8℃を超えているので、歩道ならばスコップ1本分の筋道をつけさえすれば融けるスピードはさらに上がる。みぞれ状態になっているので、雪掻きは楽であった。

 いっとき近くの子どもが雪が積もっている芝生を駆けていたが、15分もしないうちにいなくなってしまった。雪がやみ、芝生に積もっているのに子どもの声がしない日曜日、これはとても寂しい。団地の中が一挙に超高齢化してしまったような気配である。そういえば雪掻きにも誰も出ていなかった。

 


雪の朝

2020年03月29日 13時10分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜では9時半に1.3℃の最低気温を記録している。雪は明け方から降り続いているけれども、すでに伊豆半島の西側では雨雲・雪雲は消えている。まもなく神奈川県も上がるようだ。予報どおり1~3センチくらいの積雪であろうか。車の通る道では雪はほとんど消えている。団地の中や公園などでは積もったまま。
 雪掻きはしなくとも問題はないと思われる。

 ツバキやユキヤナギやツツジ・ドウダンツツジに雪がついている。
 サクラは花に雪がついていても目立たない。路面に散ったサクラの花弁は、ソメイヨシノの場合は目立たない。ヒザクラならば目立つのであろう。

 日曜でもあり、コロナウィルスの影響で外出を控えている人も多いようで、団地の人通りも少ない。
 雪で遊ぶ子もいない。さびしい雪の日である。

         

         

   

 


春の雪

2020年03月28日 23時05分13秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 19時過ぎから雨が降り始め、今では本降り。20ミリの雨の区域が南西から北東へ移動しており、間もなく私の住んでいるところを覆いそうである。
 明日の昼までの降水確率が80%となっており、明け方以降雪になる公算が高いとのこと。積雪も1~5センチという予報になっていた。雪ならば朝から雪掻きに出なくてはいけない。

 サクラの花びらと雪がまさか同時になるとは思ってもいなかった。

 古今和歌集に

★み吉野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける    紀友則
 (吉野の山に桜が咲いている桜は、まるで雪かと見誤りそうである)
★春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯のなく      素性法師
 (春がきたので、花が咲いたと勘違いしたのだろうか。雪が降りかかる枝で鶯が鳴いている。)

 新古今集には
★朝日かげにほへる山の桜花つれなくきえぬ雪かとぞ見る    藤原有家
  (山上の桜の花が朝日に白く見える。太陽の光にも消えずに残る雪と見えてしまう)

という歌があり、10代半ばの私は何とも大袈裟でありもしないことを例えにして歌を詠むんだろうと、思っていた。鶯もずいぶん馬鹿にされているように感じた。この3人の作品は飛ばして読んだ。

 しかし桜の散り始めのころに雪が降る天気が現代の関東平野で起きるとは思いもしなかった。   


訪問者数100万突破に感謝

2020年03月28日 21時31分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日で、このブログ開設以来のトータルの訪問者が1.000,133となった。あらためて訪問してもらった方々に御礼申し上げます。

 ブログの解説から4,787日(13年余り)。そのうち登録してから2回目の記事まで約1年の空白があったものの、2回目の記事以降はコンスタントに記事を更新してきた。

 こんなに続くとも思わなかったし、こんなに書きことがたくさんあったということにもびっくりしている。あまり進歩もなく、過去のことを蒸し返しつつ、それでも図々しく続けてきた。言いたいことの半分ほどにセーブしながら、ここまで続けて来られたのは、ひとえに訪問して読んでもらえていることによる。
 書いている本人が勝手に想定している読者層と対話をしながら、言いたいこと・書きたいことをセーブし、そしてかなりの数の記事を断念している。新しい記事を書くことも楽しいが、書いた記事を没にするということもまた楽しみの一つになっている。書くことが楽しくなっている。内容をセーブしていても今では1日3回の記事の更新のペースが身についてしまった。

 最初の記事は56歳寸前の2007年7月。2回目の記事が58歳になったばかりの2009年8月。高血圧や緑内障の治療を始めた頃であった。体がいよいよ老年期の信号を出し始めた頃、ということになる。
 
 さらにトータルの記事の閲覧数も、4,723,362となり、今年の8月までには500万に届きそうである。

 数字に引きづりまわされるのよくないが、それでもこの数は嬉しい。

 これからも時々はこのブログを訪問していただければありがたいと思う。
 今後ともよろしくお願いいたします。
 

 


「古典×現代2020」展

2020年03月28日 18時13分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 3月11日~6月1日まで国立新美術館で開催予定であった「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」展の内覧会に参加された方より、資料のコピーをいただいた。
 現在は休館中であるが、会期については「未定~6月1日(月)」という表記に留まっている。
ホームページには次のように記されている。

【展覧会概要】
国際的な注目が東京に集まる2020年に、古い時代の美術と現代美術の対比を通して、日本美術の豊かな土壌を探り、その魅力を新しい視点から発信する展覧会を開催します。
展覧会は、江戸時代以前の絵画や仏像、陶芸や刀剣の名品を、現代を生きる8人の作家の作品と対になるよう組み合わせ、一組ずつ8つの展示室で構成します。古典側は曾我蕭白、尾形乾山、円空、仙厓義梵、葛飾北斎ら誰もが知る巨匠の作品や、鎌倉時代の仏像、江戸時代の花鳥画、刀剣の名品を選出。現代側は、川内倫子、鴻池朋子、しりあがり寿、菅木志雄、棚田康司、田根剛、皆川明、横尾忠則ら、今の日本を代表するクリエイターたちの造形を選びました。
現代作家たちの仕事と過去の名品との関係はさまざまです。展覧会では、世界観や主題、造形、制作方法の類似を示すだけでなく、先達から得たインスピレーションや、誰もが知るイメージに基づくパロディ、古い作品を取り込んだインスタレーションなど、過去の偉業に積極的に関与していく現代の作家たちの姿にも焦点を当てます。今日の優れた表現と、今なお私たちを惹きつけてやまない古の名品の比較を通じて、単独では見えてこない新たな魅力を発見する機会になれば幸いです。

【展示構成】


★仙厓×菅木志雄

インド仏教に由来する「空」の思想は、この世のすべての存在を否定するだけでなく、否定した先に見えてくる、あらゆるものが依って立つ「縁起」の世界を肯定している。禅における円相は、悟りの境地を表すが、その円相を食べて消そうという仙厓の諧謔には、絶対的存在や自らへの執着を捨てて新たな世界を志向する「空」の思想が息づいている。
菅木志雄もまた、「空」に共鳴してきた。虚構としてのイメージを斥け、ものそれ自体のリアリティーを探究した菅は、ものともの、ものと人との連関や相互作用を考察した。そして、石や木、アルミ、ワイヤーなど、身近な素材にできるだけ手を加えず空間に置くことで、ものと人の在り様に新たな存在の場を与え、空間を活性化してきたのだ。そこでは、物質も身体も意識も、相互に依存しあう相対的な存在としてある。菅の作品は、人間の精神を仮想から現実へと解き放ち、あらゆるものが依って立つ新たな世界を立ち上げる。「空」にもつながる深い思考は、不寛容がはびこる今日の社会に一石を投じてもいる。

★花鳥画×川内倫子
庭で鶏を飼い、つぶさに観察して描いたという伊藤若冲。ひたすら鶏に向き合い、そこに「神気」が見えたとき、鶏はもとより、すべての生きものを自在に描けるようになったという。若冲は、さまざまな表情を見せる動植物を、鮮やかな色彩で緻密に描写し、ときに枯れ葉や虫食いの跡までをも克明にとらえた。生命を賛美すると同時に、そのはかなさにも等しく目を向けたのである。
花鳥画に表れた、命あるもの、移ろいゆくものへの深い愛着と感受性は、写真家、川内倫子の仕事にも通じる。思いがけない瞬間で切り取られた花や木、昆虫、鳥、動物たちは、独特の光をともない、日常に裂け目のように現れた無常の感覚を突き付ける。川内は、身近な生きものから、世界各地の人々の生の営み、壮大な自然までを撮影し、イメージとイメージが対話するように写真集を編み、展示を構成してきた。本展覧会では、その対話に、南蘋派や黄檗画、琳派の系譜に連なる江戸時代の花鳥画を加え、生と死という抗いがたい運命を包み込む、自然の摂理と生命の循環を表現する。



★円空×棚田康司

古来、山や木、岩、滝などは、神の依代として信仰を集めてきた。奈良、平安時代に、一本の木から像の主要部を彫り出す一木造が隆盛した背景には、樹木に霊性を見出し崇拝する日本の伝統がある。
江戸時代の僧、円空(1632~1695)は、古代のアニミズム的世界観を彷彿とさせる独自の一木造を開拓した。全国各地を旅し、民衆の心に寄り添う無数の仏像を残した円空は、立ち木を仏に彫り上げ、丸太を割った断面の荒々しさを表現に取り入れ、一本の木から複数の仏像を彫り、自然木とその特性を生かしきった。棚田康司もまた、一木造にこだわり、木に向き合い続けてきた現代の彫刻家だ。その少年少女の像は、無数の可能性を内に秘め、好奇心と恐怖がせめぎあうなかで世界に向かい、頼りなくはあるが決意を持って身を起こす。いまだ神の領域の近くにいる人の精神の切迫と身体のぎこちなさが、素材である木の揺らぎに重なり、彼ら自身が樹木のようにも見える。円空仏、棚田の彫刻ともに、生命体としての木の揺らぎや振動が、神仏や人の像を介して私たちの心と身体に響く。

★刀剣×鴻池朋子
古墳時代から作られていた鉄の刀は直刀だったが、千年ほど前、武士階級が出てきた平安時代中期になると、そこに反りが施される。優れた武器でありながら、その姿に宿る曲線美、強靭な地鉄に現れた複雑な模様、意匠を凝らした刃文は、深い精神性や独特の美意識と結びつき、時間を超越した煌めきとともに人々を魅了してきた。
一方、鴻池朋子は、「切る道具」としての刀剣に立ち返る。そして、縫合した動物の皮に神話的イメージを施した《皮緞帳》(2015年)に、平安時代以降に制作された太刀や刀、短刀を組み合わせた壮大なインスタレーションを構想した。精神性の高い日本刀が、卑近な素材とも言える皮や混沌としたエネルギーに満ちた始原の風景と出会うことで、その研ぎ澄まされた様式美に潜在する、切り裂くという根源的な力が感じられるようになる。鴻池は、「食べる、食べられる」という自然との関係を模索し、近代社会が失っている生命力を取り戻そうとしてきた。芸術と生をつなぐ刀剣と皮の出会いは、さまざまな二項対立に陥った世界を架橋する試みでもある。



★仏像×田根剛

太陽と月を象徴するという日光菩薩、月光菩薩は、それぞれの光で人を導き、癒すとされる。滋賀県にある天台宗の古刹、西明寺の本尊である薬師如来像の脇侍として今日に伝わる二像は、全身を金箔で覆われ、神々しい光を放つ。本展覧会では、国際的に活躍する建築家、田根剛が、鎌倉時代に由来する、この二軀の菩薩像にふさわしい光のインスタレーションを試みる。
田根は、綿密なリサーチを通じて場所の埋もれた記憶を掘り起こし、それを未来につなげる建築で注目を集めてきた。その手法はまるで考古学の発掘のようであり、記憶、時間、光は、田根にとって重要なインスピレーションの源である。数々の受難を潜り抜け、人々の祈りを集めてきた日光菩薩、月光菩薩に魅了された田根は、この像と静かに語らい、深い内面の経験を得られるような空間を作り出す。過去に想いを馳せ、自らの今を見つめ、そこで得られた気づきを明日に生かす。記憶を通じて明日を生きるためのレッスンがここにある。

★北斎×しりあがり寿
いつの時代も人は、遊びや諧謔の精神を通じて、生きる力を活性化させてきた。葛飾北斎(1760~1849)の鋭い観察眼に支えられた軽妙な人物描写は、この希代の浮世絵師のユーモアの感覚を、ことのほか豊かに伝えている。北斎は、自ら「画狂人」と号し、天真爛漫に描くことに没頭して長寿を全うした。北斎を敬愛するしりあがり寿は、かつて自作のなかで、踊る北斎のキャラクターに「絵を描くのが好き そして北斎は生きることが好き」と歌わせた。この言葉が示唆するように、遊びは、生を肯定し、創造力を高める基本的な態度である。
本展覧会では、しりあがりが「ゆるめ~しょん」と呼ぶゆるいタッチの映像の新作を、北斎へのオマージュとして捧げる。また、北斎の代表作〈冨嶽三十六景〉とともに、これに着想を得たパロディ、〈ちょっと可笑しなほぼ三十六景〉(2017年)が出品される。富士山を望む巧みな構図に庶民の姿を生き生きと描いた浮世絵版画の傑作と、奇想天外な現代風刺画が並ぶことで、時代を超えた笑いの創造力が伝わってくる。



★乾山×皆川明

尾形乾山は、陶器を芸術にまで高めた江戸時代の陶工である。京都の鳴滝に窯を開いた乾山は、花弁をそのままうつわの形にするなど、斬新で卓越した造形感覚を発揮して作陶に励んだ。この鳴滝窯に参加した実兄の絵師、尾形光琳は、その華やかな琳派の意匠や、手描きの自由で伸びやかな線で乾山焼を彩った。
現代のデザイナー、皆川明は、主宰するブランド「ミナ ペルホネン」による服や家具、うつわなどを通じて、良質なデザインを身近なものとするライフスタイルを提案しつづけてきた。花や鳥、蝶、森などの自然に着想を得たモティーフや幾何学模様を手描きしたデザインは、有機的な温もり、シンプルな華やかさに特徴がある。それは、乾山が光琳とともに開拓した乾山焼の意匠をも彷彿とさせる。
本展覧会では、乾山のうつわや陶片に、皆川のテキスタイル、洋服、ハギレを組み合わせて展示する。
用と美の世界を融合したふたりの世界が、ひとつのインスタレーションとして示される。

★蕭白×横尾忠則
横尾忠則は、すでに1970年代から蕭白に魅了され、何度もオマージュを捧げてきた。奇想の絵描きとして強烈な個性を放つ二人に共通するのは、横尾が言う「デモーニッシュ(悪魔的)な」絵画の魅力である。それは、生命の高揚はもちろん、不安や恐怖、いかがわしいものや奇怪なものへの好奇心など、生きることに避けがたく付随するあらゆる感覚を画面に解き放つ。
蕭白と横尾は、イメージのアナクロニズムを創造力に変えてきたことでも類似する。蕭白は、室町後期に活躍した曾我蛇足の古めかしく豪放な画風にあえて倣い、中国絵画や狩野派の高尚さを卑俗に転じて換骨奪胎した。横尾もまた、古今東西の美術や、横尾個人の経験、社会の集団的記憶に由来するさまざまなイメージを、特定の時代や空間に縛ることなく画面に横溢させる。過去のイメージは過去だけのものではなく、今も享受され生き続けている。本展覧会で横尾は、蕭白に基づく新作を発表する。それらは、人類の遺産として蓄積されたイメージの宝庫が、どの時代にも開放されていることを証している。

 作品リストも送ってもらった。さらに図録に収録されている小林忠氏(國華主幹)の「伝統と想像」、長尾光枝氏(国立新美術館学芸課長)の「時を超えた対話-古典と現代」という論考のコピーもいただいた。
 ホームページやチラシ、論考や解説を、実際に会場にいる自分を想像しながら読んでいる。しかしやはり実際に展示を見ないと分からない。残念である。

 チラシや解説を見ると、花鳥画×川内倫子、北斎×しりあがり寿、円空×棚田康司、乾山×宮川明、蕭白×横尾忠則はじっくりと見てみたいものである。
 特に、私はどちらかというと敬遠しがちな、だがとても気になる曽我蕭白を、横尾忠則がどのように感じ取っているか、私の感覚に何か刺激を与えてもらえるか、期待をしたい。

 これを本日・明日とじっくりと目をとおしたい。引き籠りの友を貰って気分は上々。

 


散り際の未練とは・・

2020年03月28日 11時20分35秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 久しぶりに風呂場の電気を消して湯船に浸かった。脱衣場の電気も消した。風呂場のあかりは外の街灯だけ。慣れてしまえばこの街灯の微かな灯りでも洗身・洗髪には充分である。
 それよりも雨・風の音に身を浸すのは、肌で直に大気のありようや自然の状態を肌で直接感じたと実感させてくれる。これは山行でテントの中で感じる自然の息吹と同じ感覚に思える。
 本日は予想されていた雨は降らず、強い風の音を聞いていた。本日見たサクラ、モモ、ほとんど散ってしまった紅白のツバキ、紫のヤマツツジ、早くも咲き始めたヤマブキなどを思い出しながらその散り際の音を耳にした気分になった。
 コブシやツツジは散り際にもぎ取られることへの抗議の悲鳴を発する。サクラもつぶやきながら未練を残して散っていく。ユキヤナギだけは花びらを乗せるように風にみずからを委ねる。
 サクラは決して潔く散っていくのではなく未練をタップリと残して散る、という思いがサクラを意識するようになった10代半ば以降の私に取りついている。幹に未練を残して散っていくからさまざまな思いを人はサクラに託すことができる。その未練に人はさまざまに自己投影して解釈できるのである。潔く、未練を残さず散ってしまっては、人は自分の執着を同値することはできない。またサクラの未練はブツブツと聞き取りにくい。銀杏の黄落も似ている。
 ユキヤナギは自然の流れと予定調和的にスムーズに、ごく自然にその花の使命を風に託してしまう。こちらは眦を決するような強い決意なども匂わせない。

 強い南風を耳に感じながら、春の花の散るさまを思い浮かべた。そんな想像の時間を楽しんだ。


電子マネーがようやくすべて復旧

2020年03月27日 21時58分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 スマホで使用してきた電子マネー3種のうち、2種はすでに利用できている。残りのひとつがようやく本日から利用できるようになった。結構時間がかかった。再登録が一番楽だと思っていたものだったのだが、毀れてしまった元のスマホからの入力など不思議なことを求められた。先日ショップに行って実情を話してようやく本日再登録が出来た。
 この電子マネーは美術館での図録を購入するときなど値段が高めの買い物に利用していた。しかし美術館が相次いで休館になっている現状では使い道がない。

 明日から雨模様の天気予報が出ている。しかも日曜日はひょっとしたら雪になる可能性もあるらしい。

 「外出自粛」ということで、妻からは横浜駅などの繁華街などへの出入りを止められている。政府の「要請」よりも妻からの「お願い」のほうが私には身につまされる。当然と言えば当然である。外に出ないので、ますます電子マネーを使う場面が無くなった。

 明日は読書タイム。ありがたく且つ嬉しいことに新国立美術館での「古典×現代2020 時空を超える日本のアート」展の内覧会の資料をいただいた。これに目をとおすことをしたい。

 さて、風は依然として強い。これより20分ほどのウォーキングに出かける。風の弱い道に目星をつけている。

 


サクラとタケノコ

2020年03月27日 18時27分24秒 | 山行・旅行・散策

 本日は一日家に引きこもりをせざるを得ないのかと思っていたが、妻の通院と昼食と近所の花見を兼ねて出掛けた。

 病院での治療、昼食を済ませてから、住宅街を散策。広い古刹の庭から入ることのできる「市民の森」で桜などを堪能した。風は尾根蜜や谷底の幹線道路ではとても強いが、林の中に入ると気にならない。ソメイヨシノは3部咲き、ヒザクラはちょうど見頃。モモの花も見頃であった。
 子連れの家族連れなどが繰り出していたければ、林の中は広々として気持ちが良い。
 散策後、はじめて入った広い喫茶店では、ひとつおきの席に誘導され、さらに手のアルコール消毒などを求められた。
 帰宅途中でタケノコを食べたいということで意見が一致。30分近く歩いて農協の店でタケノコを購入してから帰宅。

 引きこもりどころか、1万5千歩近くも二人で歩いてしまった。