Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

朝の汗だく通勤

2011年07月27日 19時48分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の通勤時、私は汗が異常に多いのではないか、ということに最近気づいた。家を出て下り道を8分早足で地下鉄のホームへ、1駅で乗り換えは5分の歩行。この乗り換えで汗が止まらない。頭の天辺から汗が滴り落ちる。
 決してスリムではないが大いなる肥満体ではないにも関わらず、ひたすらハンドタオルで頭からの汗をぬぐっている。気づくと自分だけがしきりに汗を拭いている。ハンドタオルもびっしょりとなってしまう。約30分後職場に着いて作業服に着替える頃に、ようやく汗もひいているが、シャワーでも浴びたい気持ちである。
 梅雨明け後特にこの症状が著しくなったと思う。ここ二週間で気づいたことは、職場について自動販売機で冷水のペットボトルを購入し300mlほど摂取すると汗が気持ちがいいようにひいていくことである。ひょっとしたら熱中症の前駆症状であったのかもしれない。
 不思議なのは帰路では、30分のウォーキングをこなしているがそんな症状はないということだ。朝起床してから40分後のほんの些細な運動が体に大きな負担を強いているのかもしれない。朝起き抜けの通勤というのは身体にとっては大きな負荷なのかもしれない。

夏風邪長引く

2011年07月25日 21時47分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 三週間ほど前に喉が裂かれたように痛く、水っ洟が出た。あまりに痛く長引くので医者にかかったところ、咽頭炎ということであった。要するに夏風邪といわれるもののようだ。もしも痰が青い汚い色になったらたちが悪いことになるが、とりあえずということで葛根湯を主とした漢方薬と炎症止めとうがい薬を処方された。しかしこれが発疹を誘発したため、医師に相談することもなく、一日で服薬を止めてしばらくうがいだけで様子を見ることとした。
 少しずつ喉の痛みは和らぎ、痰が盛んに出るようになった。ここ4~5日で痰も減り水っ洟も止まった。しかしまだ咳がとまらない。痰も量は少なくなったが出る。夏風邪は長引くといわれるが、しかし長すぎる。医師の言うことを信ずれば、幸い痰は透明なままなのでたちは悪くないのだろうが、いいかげんうんざりしている。
 何となく気が散っていけない。

 漢方薬は体に優しいとよく云われるが、私の場合はこの葛根湯は合わないようだ。以前にも冬に風邪気味のとき、仕事を休めないので市販の葛根湯を服用して発疹があった。同じ状況にならないように気をつけないといけないようだ。

俳句誌投稿句

2011年07月20日 21時28分09秒 | 俳句・短歌・詩等関連
今月の投稿句

★言い出せぬ言葉はあまた梅雨の闇
★一瞬に遅れて一羽燕の子
★梅雨湿り古き手帳のにじみ跡
★手も足も影も六月の徒競走
★曲折ありて富士赤々と夕陽影
★とうとうと梅雨の川辺や人黙す
★道白し家一軒へ蟻の行く
★朔月に黒々と夏彷徨す
★風鈴鳴る奥の暗がり媼立つ
★夜の雲ふわりふうわり梅雨明ける


栃尾又温泉

2011年07月18日 17時48分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日から一泊で新潟県の栃尾又温泉に出かけた。37℃のぬる目の温泉に3時間余つかり、くつろいだ。長風呂好きにもちょっと低めの湯温かもしれない。しかし時間を忘れてひたすら湯の中に身を沈めるのはいいものだ。温泉宿の周りでは「カナカナ」ともう蜩が鳴いていた。
 八海山、駒ケ岳の姿を見て、久しぶりに一人でどうしても夏山縦走に行きたくなった。
 帰路は西福寺というお寺により、江戸時代末から明治にかけて足跡を残した石川雲蝶の彫刻と絵を見学。

 たった一泊であったがいい時間を過ごすことができた。


「いじめ」の発端

2011年07月12日 20時58分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 川崎の小学校に通っていた4年生の時、運動会か何かの入場行進の練習をさせられた。
 そして行進している最中に、どうしたわけか他のクラスの男性教師が私の傍に来て「ちゃんと歩け、歩き方がおかしい」という。私はふざけていた覚えもないので、きょとんとした。
 もう一度全体で歩かされたが、今度もまたその教師が来て「歩き方を直せ」という。その教師に列から引きづり出され「歩いてみろ」といわれた。教師の「一、二」という掛け声に合わせて歩くと、それにつられて周りの男子生徒が私を見ながら笑った。笑った生徒がなぜ笑ったか、今でもわからないがおそらく教師が「おかしい」というのにつられて理由もなく笑ったと思われる。別に手と足の左右が一緒に出ていたわけではない。
 教師が「手の振り方が悪い」という。どう悪いのかわからずに立っていたら見本を見せてくれた。しかしそれが私の手の振り方とどう違うのか、さっぱり理解できなかった。しかし真似して見ろといわれてやったがどうしても教師の気に入らないらしい。3度、4度繰り返した後、その教師は「腕の肘の内側が前を向いている。体側を向いていない。それを気をつけろ」と命令された。
 私は真剣になって肘の内側を体側に向けようとひねったが、そんな簡単にできるわけがない。そして「ちゃんと歩かんか」と一喝されて列に戻された。周囲の男子が皆、私を見てまた笑った。
 私はその日の行進練習の間中、肘を内側に向ける練習をした。しかしなおらない。
 私は二重に傷ついた。私の歩き方は皆に笑われるほどおかしいのか、ということと、肘が他の人と違って外側を向いているのかということ。今になって考えればどうでもいいことである。列から引きづり出されて揶揄されるほどのことではどう考えてもないはずだ。
クラスの男子には一ヶ月ほど、そのことでからかわれた。「肘を前に向けるな」と。当時の私は真剣に悩んだ。私ははじめは自分の身体が他人と違うのかと考えた。通学の途中他の生徒や通行人の肘ばかり気にかけた。しかしみんなが同じようなものだと感じた。
 翌週だったか、当の入場行進は自分自身ぎこちなく歩かざるを得なかった。幸いその教師に声をかけられることはその後なかったから良かったし、5年生の時の担任にもならなかったからホッとした。
 同じ小学校で5年生になったときはまったくこのことは生徒の話題にはならなかった。当の私も5年生になったときにはそのことは忘れていた。
 多分現在の教育現場ではありえないことだと思う。あの当時だからそれが当たり前のように行われたと信じたい。
 しかしあの教師は何を言いたかったのだろう。何にこだわったのだろう。他のクラスの私に目をつけたということは、私が教師の間で話題になる存在だったのだろうか。いまでも私には解せない。また当時の私のクラス担任の女性教師はそのときどうしていたのだろう。
 確かに私は運動能力は良くなかった。鉄棒はぶら下がることしかできなかったし走るのも遅かった。そうはいってもボール遊びや相撲の真似事やキャッチボールは普通にこなしていた。歩くことに支障のある状態でもなかったし、歩くことが苦手ではなかった。2年後の6年生のときクラスで1番に早く走るようになっていたことを考えれば、子供の歩く仕草にあそこまでこだわった理由がわからない。
 ただいえることは今にして思えば「いじめ」というものの発端を垣間見たような気がする、ということだ。「発端は教師の場合」という「いじめ」がままあるはずだ。私は6年生の時、横浜の学校で当時の「いじめ」を体験した。その頃この小学校4年生の時のことを思い出した。川崎でもあのまま行けば「いじめ」の対象になっていたのではないだろうかと、6年生のとき考えた。4年生では「いじめ」が行われるまで各生徒の自我は確立していないなどということは6年生の私には理解できなくて、実に暗い気持ちになった。
 とてもいやな思い出である。

「アンフォルメルとは何か」展から2

2011年07月11日 12時41分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「アンフォルメルとは何か」展の最後のコーナーでこの絵を見て、「パウル・クレーが出展してるのかな」と勘違いした。上部の月のような半円や船の形象と思われる形にクレーを感じた。作者には失礼になるのかもしれないが、構図も色の使い方もよく似ている。しかしよく見ると下辺の葦を思わせる描写などは違っている。
 解説によると作者、ザオ・ウーキーは1921年北京生まれで1948年渡仏と書いてある。題は「21.Sep.50」と製作年月日が記されているだけだ。ブリヂストン美術館はこの作者の作品を収集しているようで他の作品も多く並べられていたが、題はいづれも製作年月日となっている。
 解説は「書や水墨画といった東洋の造形的伝統を色濃くかんじさせる。それは自然そのものを霊感源とし、豊かな色彩と深奥な空間、スピード感を備えた筆致、荘厳さと奔走さを併せ持つ構図」と、他の美術の解説と同様よくわからない表現となっている。
 私は、色彩の氾濫や形態のどぎつい自己主張もなく、この展覧会の他の作家の絵とは随分と印象が違うように感じた。落ち着いた色彩、何か具象性をほのめかすような形態があるようでいて、それを拒否しているような形態が印象的だ。私には好感の持てる作者だと感じた。

「アンフォルメルとは何か」展から

2011年07月10日 16時23分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 ブリヂストン美術館で行われていた「アンフォルメルとは何か」展を先週の土曜日に見に行った。アンフォルメルとはフランス語で、不定形なるもの、を意味するとのことで、第二次世界大戦末期、フォートリエ、ヴォルス、デュビュッフェらの絵を指したのが始まりらしい。
 私は抽象画の場合も、緻密で繊細な感じのものが好きだ。細部までこだわった絵画でないと心惹かれない。
 今回の展覧会で二点ほどそんな絵にめぐり合った。そのひとつがこれだ。上辺のかすかな暗い青と下辺の明るい青の間の黒の空間に、引っ掻くことで描かれた繊細な線描がいいと感じた。黒の下には幾重もの絵の具の層があるようだ。幾本もの線が微妙な色の変化を見せている。
 上下の青と中間の黒のバランス、そして白っぽい描線のバランスも計算されつくされているようだ。
 作者は、アンス・アルトゥング、題は「T.1963-K7」ということで1963年の作。

句会での投稿俳句

2011年07月09日 21時10分49秒 | 俳句・短歌・詩等関連
句会での投稿俳句

★影短か葭簀に風の在り処
★手も足も影も七月の徒競走
★残照に染まる夏蝶音もなく


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パウル・クレーの絵4

2011年07月08日 13時29分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「パウル・クレー-おわらないアトリエ-」展で、初めて目にした絵がこの「梟のいる熱帯の薄明」だ。形がいびつなのはもとの左半分を切り取って別の絵にしたため。切り取った左半分も「熱帯の薄明」として展示されていた。具象的な絵だ。1921年だがら41歳、バウハウスでの充実した日々の絵だ。  
 私はこの絵の白色がとても気に入った。切り落とした左半分にも樹木の葉の形に白色が多用されている。引掻いた線のようだ。梟には見えない鳥だが、鳥の右側は、家屋の窓であろうか。鳥が人の家を除いているような構図だ。何を表しているのだろうか?鬱蒼と茂った樹木が印象的だ。

パウル・クレーの絵3

2011年07月06日 20時16分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 パウル・クレーの展覧会で気に入った作品のひとつだ。
 クレーの絵はグラデーションが多用されている。この絵もグラデーションが見せる美しさが堪能できる。茶・うすい青・黒の三色のグラデーションである。
 クレーの絵に表れる矢印は注目点を示すらしいが、絵の中心点を表すといったほうがいいと勝手に思っている。この絵の場合は画面の中心点と同時に視覚の行方を誘っているようにも思える。
 矢印の先の人間のような形象の物や建築物のようなものが何の象徴だか私には理解不能だが、この矢印によって安定感が増していると考えられる。
 この絵、1922年作とのことで、クレーのバウハウスでの最も充実した時期の作品であるといわれている。確かに安定感がある。

パウル・クレーの絵2

2011年07月04日 21時34分42秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 パウル・クレーの絵には、これ見よがしの色彩の氾濫も、他を押しのける形態の自己主張も後景にあるように感じられる。
 何かの目的を持って形態を表すのではなく、遠慮がちな描線の結果として何かの形態とも言うべき形象が現れたような絵ではないだろうか。形態と同じく色彩も何か遠慮深げにグラデーションをもって鑑賞者の前に現れてくる。それとなく現れてくると言ってもいいかもしれない。
 絵画である以上、形態と色彩は切り離せない、また絵画の基本ではあろうが、いづれもそんなことは二の次のような顔をして鑑賞者の前に現れるのである。
 この絵も形態が結果として「蛾」となっただけで、作者の意図したものはそうではなかったのかもしれない。そして青のくすんだグラデーションの中に形態は隠れてしまっている。6本の下向きの矢印も、「蛾」に刺さっている矢羽、その存在は控えめである。かといって色彩が前面に出て自己主張しているわけでもない。しかし心落ち着く絵画であることに変わりはない。
 白の色彩の二つの焦点によって辛うじて「蛾」の頭部と尾部の矢印が浮かび上がっている。
 矢印は下向きだが、グラデーションによる色彩の方向性は上と下、等価であって安定している。
 この安定が私にとってはとても心惹かれる原因なのかもしれない。私にとっては見飽きない絵画である。

パウル・クレーの絵

2011年07月03日 11時04分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 私はパウル・クレーの絵が好きだ。当初理由はわからなかったが、最近になって気づいたことは、その色彩に惹かれるのではないか、ということだ。
 クレーの色彩には強烈な色彩は出てこない。油彩で原色の黄や赤が使われていても、これ見よがしに輝いていない。少し控えめに存在している。原色同士が強烈な色彩を放ちながら並んで描かれることもない。画面全体の中で占める割合も小さい。使われている色彩のほとんどは中間色でくすんでいる。水彩画の場合はさらにうすいグラデーションの変化が見せ所だ。
 こんなところが惹かれるところかもしれない。

 このたびの近代美術館での「パウル・クレー-おわらないアトリエ-」展で私が惹かれたのは「嘆き悲しんで」と題された水彩の絵。「喪に服して」という訳をしている画集もある。
 掲出のとおり一筆書きのような線に区切られた点描画だ。青と赤、ピンクのわずかな違いで顔の表情が細やかにあらわされているように感じた。閉じられた目と口をあらわしていると思われる3本の線がクレーらしい豊かな表情をもたらしていないだろうか。
 制作は1934年、ナチス政権の迫害を逃れ、身の回りのものだけをもってスイスのベルンに移住したのが前年の12月。この年画家は54歳。失意の年でもあったようだ。