Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「チェロソナタ第1番&第2番」

2014年10月31日 22時06分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ブラームスのチェロソナタ第1番(作品38)、第2番(作品99)はチェロの音を存分に聴かせてくれる曲である。私はとても気に入っている。
 この堤剛とサヴァリッシュの組合せのCDは録音が1978年5月というから、CDが普及し始めて間もない頃の発売だと思う。さらに録音場所は東京サントリーホールとなっている。私としてもかなり早い時期に購入したものである。

 第1番は1862年から65年にかけて作られている。ブラームス29歳から32歳の頃である。ドイツレクイエムの作曲(1868年)に先駆けた年でもあり、弦楽六重奏局第2番やピアノ五重奏曲、ホルン三重奏曲などが同時期に作られている。
 チェロの厚味のある低音が存分に聞くことができる。チェロという楽器の低音の魅力が味わえる。当初は4楽章形式をめざしていたらしいが、緩徐楽章が省かれている。省かれた緩徐楽章が第2番の第2楽章として18年後に復活したという見解もある。緩徐楽章が無い分、第1番の第1楽章は13分40秒と長大である。
第2楽章は旋律に少し高音があり、相対的に明るい感じもするが、基本的にブラームス特有の憂鬱な感情が前面に出ている。

 第2番は第1番に比べて多少は音が高く、明るい感じもする。ただし情熱的なという言葉がぴったりな、強さを感じる。
 交響曲第4番が作曲された翌年の1886年、ブラームス53歳の時の作品である。この年はバイオリンソナタ第2番、ピアノ三重奏曲第3番、翌年にはバイオリンとチェロのための二重協奏曲も出来ている。
 第1番よりさらにチェロの響きが厚みを増しているように思える。そして艶やかである。この艶やかに聴こえるのは堤剛という方のチェロの音の特質だと思っている。

 このCDもレコードならばすり切れてしまうほどに聞いている。

   

「キリコ展」web内覧会

2014年10月31日 20時32分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 パナソニック汐留ミュージアムで10月25日から開催されている「ジョルジョ・デ・キリコ―変遷と回帰」展のweb内覧会に申し込んでいたが、さいわいにも抽選で参加できることとなった。
 2014年11月4日(火)の夜の開催で90分の内覧と30分のギャラリートークが行われる。久しぶりに抽選に当たった。籤運の悪さは人一倍のような気がしていたが、たまには当たることもあるようだ。
 展示は、パナソニック汐留ミュージアムの解説によると、次の五つの構成からなり、104点ほどの作品が並ぶという。

Ⅰ.序章:形而上絵画(メタフィジカ)の発見
 1910年代、パリとフェッラーラの間で、説明しがたい謎の雰囲気を湛えた独自の芸術「形而上絵画」を生み出したデ・キリコ。ここでは、パリでデ・キリコの画商となったポール・ギヨームに関連する作品、そしてフェッラーラで描き始めた「形而上的室内」と呼ばれる作品を展示します。

Ⅱ.古典主義への回帰
 1919年頃より、デ・キリコは多くの美術館を訪れ、古典絵画の図像と技法を探求し、突如として古典に回帰した作品を描き始めます。ここでは、新たに登場した剣闘士、馬などを描いた作品、1920年代前半の重要な自画像を展示します。また、一連の素描作品により、この時期における画家の探求の多様性を紹介します。

Ⅲ.ネオ・バロックの時代 - 「最良の画家」としてのデ・キリコ
 1940年代初頭より、デ・キリコは再び作品の様式と探求の対象を変えます。バロック絵画やロマン主義絵画のような古典の世界に新たな規範を見出そうとし、デ・キリコのネオ・バロック時代が幕を開けるのです。妻イザベッラをモデルとした作品やルーベンス風の馬を描いた絵画、そして観光絵葉書のような風景画など秀麗な作品を紹介します。

Ⅳ.再生 - 新形而上絵画(ネオ・メタフィジカ)
 デ・キリコは、1920年代より自身の形而上絵画を繰り返し複製しましたが、1960年代後半からは、新形而上絵画の時代に入り、従来の作品の様式と主題を独自に組み合わせた作品を次々と発表します。ここでは、そうした作品に加え、デ・キリコの偏愛する主題が三次元化したブロンズ彫刻も展示します。

Ⅴ.永劫回帰 - アポリネールとジャン・コクトーの思い出
 デ・キリコの創作には絶えずパリの思い出が見てとれます。特に晩年に描かれた、神秘的な水浴場や太陽のある広場といった新しい主題は、アポリネールの詩集『カリグラム』とコクトーの『神話』のために制作した挿絵から着想を得ています。デ・キリコとパリの深い関係を明らかにするとともに、キリコの分身や自画像とも言える作品、そして時事的な問題を主題にした《黒い宝》などを紹介します。

   

 私はジョルジョ・デ・キリコについてはほとんど知らないに等しい。「形而上絵画」というものの概念がどういうものかも調べたこともない。しかし私はキリコというと憂愁で孤独な画面を思い浮かべる。そして好みの画風である。いつも忘れられないほどの印象を与えてくれる。
 このような印象が果たしてどこから来るのか、また「形而上絵画」論とはどんなものか、是非知りたい。また画風が大きく変わっていった画家であるとも聞いている。普段は作品を見る機会はあまりないと思う。これを機会に理解を深めたい。

中尊寺・毛越寺・瑞巌寺

2014年10月31日 14時16分49秒 | 山行・旅行・散策
 今回の退職者会の会員向け企画旅行は「東北被災地支援、世界遺産・平泉&三陸鉄道の旅」として会員を募集した。
私は、 一昨年の韓国の世界遺産めぐり、昨年の沖縄の世界遺産・戦跡・基地めぐりに続いて3回目の参加になる。

   

 平泉は私は学生時代の1971年、まだ子供が小学校入学以前の家族旅行(いつだったか忘れてしまった)、そして今回で3回目の訪問になる。世界遺産登録後は初めてである。
 学生の頃はまだ毛越寺は発掘前だったような気がする。案内板もごく小さく簡単なものがあるだけで、池の周りの建物の遺構もなかった。毛越寺の傍に小さな旅館が一軒あり、そこに一泊した記憶がある。人がまったく訪れていなくて寂しい寺であった。建物は記憶にない。
 中尊寺は人は訪れていたし、光堂の前で芭蕉の奥の細道を偲ぶ程度であった。眼下の平泉の町や北上川の景観が印象に残っている。金色堂を覗いたが、金ぴかの装飾はあまり好みではなく、一瞥しただけであった。

 家族旅行で行ったのは1980年代半ばの春の連休だったと思うが、その時は金色堂の螺鈿細工に惹かれた。しかし毛越寺には行かなかった。

 その後、平泉の発掘調査についての本などをいくつか目をとおして、平泉の歴史や遺構の規模などを勉強するようになった。

 今回世界遺産の登録後初めて訪れたが、とてもたくさんの人が訪れていた。観光協会の案内などを頼んだものの、団体旅行の制約もあり、一通りの一巡で終わったのは残念。やはり一人ないし数人で来て、心行くまで散策をしたいと思った。




 今回目についたのが、仏像。讃衡蔵(さんこうぞう)に寺の仏像がいくつも展示されていた。入り口にある観音院千手堂の本尊「千手観音像」は両手を頭上で天に向けて組み、手のひらに化仏を載せていて、あまり例がないという。私も初めて見た。百済や飛鳥のスマートで細身の観音像とは違いふくよかである。ただし下半身に比べて上半身がふくよかである。あるいは16対32本の腕を支えるためだろうか、殊に肩のあたりはふくよかというよりも逞しいと言った方がいいかもしれない。
 境内では菊花展も行われ、華やかである。

   
   


 毛越寺は紅葉の赤が大変美しい彩であった。毛越寺で販売していた仏像のカードは本尊の「薬師如来」と脇士日光・月光菩薩と四天王像(上)、常行堂の本尊「宝冠阿弥陀如来像」と四菩薩。天台宗では、阿弥陀如来の脇侍として金剛法、金剛利、金剛因、金剛語の四菩薩が置かれるとのことであった。

   

   

 瑞巌寺は何度訪れたかは覚えていない。本堂は現在修復中ということで庫裏に入り、寶華殿(ほうげでん)を外から見ることができた。創建当初の姿に復元された建物は豪華なものである。寶華殿は愛姫(めごひめ)の愛称で親しまれている正宗の正室の御霊屋。
 春までやっていた蝋燭で参道を照らすイベントはすでに撤去されていた。また紅葉もまだであった。11月に入ると蝋燭で参道が照らされ、紅葉も見ごろになるとのことであった。

本日は休肝日、そして本日の作業は終了

2014年10月30日 22時58分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休肝日。昨晩遅く帰宅したので、朝からの講座に間に合うように起きるのは結構つらかった。慌てたので髭を剃るのを忘れて出かけてしまった。

 午前中の講座が終了してから、川崎市立川崎病院まで駆けつけ、先輩の診断結果を聞いてきた。来月中旬に再入院とのことであるが、当初から想定されていた個所以外への癌の転移はない可能性が強いとのことで、とりあえずホッとした。心配されていた自体は回避されたようだ。

 午後からの講座は17時からのため、川崎駅から新子安駅まで久しぶりに旧東海道を歩いてみた。14時位から16時過ぎ位まで歩いた。もう少し時間があれば東神奈川駅まで歩いてみたかった。丸3日間バスの中に閉じこもってばかりいたので、あまり急に全力で歩くのは控えて、時速5キロ位のペースで歩いた。

 夕食後、旅行中に寄った中尊寺・毛越寺、そして瑞巌寺のパンフレットなどをスキャナーで取り込み、一部の写真の整理を行った。
 写真は集合写真も含めて420枚ほども撮影したので、整理には時間がかかる。しかし参加者への報告集の作成もしなくてはいけないが、まずはブログ掲載用の写真の整理を潜航してみることにした。明日午前中まではかかりそうである。さいわい、講座は明日も明後日も予定がない。

 平泉の中尊寺・毛越寺は学生時代に1度、子供がまだ小学生に上がったばかりの頃に一家で1度、そして今回と都合3回目である。前2回は世界遺産登録前、特に学生の頃は毛越寺の周囲などはコンクリートの建物は無く、小さな旅館が一軒あっただけである。境内もあまり整備されていなかった。発掘調査も行われていなかったと思う。
 中尊寺も毛越寺も行くたびに変わってきた。両寺院とも訪れる人が格段に増えている。
 瑞巌寺は相変らずの人出である。春に訪れたときのように本殿は工事中で庫裡を中心に見て回った。

 本日も早めに寝て、疲れを取りたい。本日は休肝日とした。

本日の講座

2014年10月30日 09時20分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日の講座は「美術館めぐりを楽しむためのルール」の3回目と、「アジアの視点 その6」の2回目。



 「アジアの視点 その6」は前回所用で出席できなかったので、本日が最初の受講となる。
 毎回講師が変わる講座であるが、視点もさまざまで示唆に富み、なかなか考えさせられる講座である。

 本日は今西光男法政大学講師による「正念場の安倍政権」。


先ほど帰宅

2014年10月29日 22時49分51秒 | 山行・旅行・散策
 思ったよりも早くバスが横浜駅の解散地点までたどり着いた。蓮田のインターチェンジに着くまでの渋滞を考えると、横浜までは3時間かかるかもしれないと心配していたが、渋滞はすぐに解消し、首都高も順調に進んだ。そして20時半すぎに横浜駅西口に到着できた。
 しかしさすがに疲れて、横浜駅からは歩かずにバスで帰宅した。荷物とおみやげと洗濯物をリュックから出し、片付けたらウトウトしてしまった。

 明日は10時からと17時から二つの講座があり、旅行の報告記事は明後日に作成予定。実況中継(?)にいくつもコメントをいただきありがとうございます。
 これから返事を書いて、本日は就寝とするつもり。

 バスで移動して体を動かしていないので、体重が増えたようだ。帰った途端に、お腹の周りが大きくなったと指摘されてしまった。体重計に乗るのが怖い。


松島は快晴

2014年10月29日 08時06分36秒 | 山行・旅行・散策
ようやく最終日に快晴になった。
これから瑞巌寺ー五大堂を案内して船で塩釜へ。
昼食は牛タン定食のリクエストが多数となって、添乗員のお世話になる。

塩釜を出たらお勤めはおしまい。横浜までお酒が飲めそうである。

星が出ているが・・雨はやまず

2014年10月27日 23時28分11秒 | 山行・旅行・散策
花巻温泉からはオリオン座が大きく見えている。にもかかわらず、雨が止まない。

ブログにたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。
携帯電話からのアップでうまくアップ出来ないので、帰宅後コメントへの返信をします。申し訳ございません。

横浜は突然の雨

2014年10月26日 22時12分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど突然強い雨が降り出した。雨音に驚いてベランダに出て見たが、雲はほぼ南から北へ早いスピードで流れていた。
 22時前にはすぐに小降りになり、現在は雨はもう上がった。雲も薄くなり、一部は空も見え始めた。横浜市の「レインアイ」ではもうすぐ雨雲は通り過ぎる気配。
 明日まで雨が残るのかと心配したが、どうやらそれは回避できたようだ。

 本日は「菱田春草展」の図録の解説を再読しながら寝てしまいそう。旅行から帰るまで覚えているか心配。また考えていたことを旅行中に忘れてしまわないか、これも心配。
 なにしろ忘れることが得意技になりつつある。都合の悪いことは忘れたことにしていると、本当に頭の中からさっさと、そしてすっかり消失してくれる。歳をとるということは都合よく忘れるという特技が身に着くということでもある。しかし覚えていたいことも忘れるのがつらい。


旅行中の焼酎「常徳屋 道中」を購入

2014年10月26日 15時33分37秒 | 料理関連&お酒
   

 旅行中にバスの中で飲む焼酎を購入した。焼酎はいつもは芋焼酎なのだが、今回は麦焼酎にしてみた。あまり刺激臭が好みではない方もいるし、最近は麦焼酎もいいと思うようになったので、まずは試しにということで購入した。
 ラベルが幅広いので2枚に分けて撮影した。
原材料にハダカ麦、ハダカ麦麹と書かれている。
ネットで検索したところある販売店のホームページに「宇佐神宮のある宇佐市。その穀物地帯で知られる宇佐平野に構える明治40年創業の蔵元。 創業より約2/3は清酒蔵(現在は焼酎のみ)で、その醸造技術を生かし”量より質”を重視して醸造し、南九州酒類品評会で「優秀賞」を多々受賞した"中園誠”氏の技が冴える実力蔵です。醸した酒に叱咤激励されながら経験と精進を重ね、皆さんに喜んで頂く良酒を醸しています。」
 またこの商品については、「県下最大の穀倉地帯、宇佐平野で収穫されたハダカ麦(ぼうずむぎ・通称 道中)を原料に、蔵元100年の技術を駆使し、丹精込めて醸した常圧蒸留ならではの豊かな香りと濃厚な味わい。でも後味はスッキリ系の限定酒です」と記載されている。
 はたしてバスの中で好評かどうか。試し呑みしたいが、口を開けたものを持って行くわけにはいかないのでウズウズしている。