Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

大雨・強風・雷注意報

2014年04月30日 22時59分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 短時間止んだ時もあるが、今日一日雨が降り続いた。降り方や風に強弱があって、新緑を引き立てるような降り方であった。見ていて飽きないし、傘を差しながら歩くのもいいものだと感じる降り方だったような気がする。無論心にゆとりがある日であっただけのことかもしれないが‥。
 しかしこの時間になって風も雨も強くなってきた。窓の外で風が唸っている。雨音もしてきた。この時期にしては長く降り続く。梅雨時のような降り方である。予報では明け方までかなり強い風雨であるらしい。

 ツイッターとの連携を行ってからかなり経過している。ツイッターでのお付き合いをさせてもらっている方がなかり増えた。ブログでコメントをいただいている方もいるが、ツイッターでのリツィートや返信をいただく方のほうが多くなっている。懐かしい友人とも連絡がとれるようにもなった。ブログからツイッターに場所を変えて、やり取りをしていただいている方もいる。
 それでも私はブログにこだわっていきたい。やはり140字未満の文章というのは意を尽くせないし、誤解を招く表現にならざるを得ない。ツイッターでのいろいろな人のやり取りを見ていると、私には理解できないやり取りが飛び交っているだけでなく、お互いの文章について誤解をしあいながら、罵り合いや罵倒しあう場面が多い。
 ブログよりも飛び交っている言葉がきついし、乱暴である。どうとでも解釈される言葉が独り歩きして、お互いに気づ付け合っている。やはり私には慣れることはないと思う。
 ツイッターというのは多分、お互いに普段言葉を交わす人同士や、お互いにかなりの信頼感を持ち、共通の体験を共有した者同士の方がより意志が通じ合うのであろうと思う。日常の会話と相互に補完し合わないと成り立たないコミュニケーションのツールだと思う。そのような限定・補完を前提としないといけないツールなのであろう。
 その点ブログは話し言葉ではなく、書き言葉の世界に近いと思う。文章のまずさ、誤解を生む表現はそれなりに鍛えられる。
 ブログとツィッターの違いについて思いつくまま綴ったが、もっと本質的な差があるような気がしている。おいおい気が付いたら少しずつ言及してみたい。



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「キトラ古墳壁画」展は断念か?

2014年04月30日 21時53分59秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 先ほど記載したとおり「キトラ古墳壁画展」は、この混雑が続く限りはとても見る気になれない。とても興味があり、実際に目にしたいのはやまやまなのだが、あの人の列を見るとどうしても足が踏み出せなくなる。
 ということで、とりあえず二種あるチラシだけはこのブログにアップしておくことにする。
 東洋館地下のシアターで上映している作品だけでも挑戦するのもいいかもしれない。しかしどんなにリアリティーがあっても映像であることに変わりはない。




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「バルテュス」展、「日本絵画の魅惑」展

2014年04月30日 15時53分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 雨の中、上野の東京国立博物館で開催中の「キトラ古墳壁画」に再挑戦を試みたが、昨日のようにやはり70分待ちということで断念した。
 妻も私も、どうしても並ぶということが嫌いである。人ごみにいることや、並ぶということがとても好きな人もいる。私が現役の頃の友人でも、並んだり、人ごみの中に自分を置くことが、社会と自分とのかかわりの確認として絶やすことはできないと主張する方もいた。理屈しては理解できても、とても実践などしたくない。

 そういうことで即座に、東京都美術館で開催されている「バルテュス」展に変更。しかしこのバルデュスという方、なかなか感想をまとめるのは時間がかかりそうな予感がした。頭の中でこなれないままに会場を後にした。図録2400円なり。テレビでも放映があるそうなので勉強してから自分の感想をまとめてみようかと思う。

 午後は東京駅で下車して出光美術館で開催されている「日本絵画の魅力」を見てきた。
山越阿弥陀図・当麻曼荼羅図、月に秋草図屏風(伝俵屋宗達)、風神雷神図屏風(酒井抱一)、松に鴉柳に白鷺図屏風(長谷川等伯)等をじっくりと鑑賞した。
 山種美術館では今回は図録を買えず、連休明けに再度おもむくことにした。ポストカードがほぼ揃えてないので2300円で買わざるを得ないのだが、予算オーバー。
 山種美術館のロビーからは眼下の新緑を楽しむことができた。いつものことながら見晴らしのいい場所である。

 2館ともあまり人は多くないので、ありがたかった。


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葛飾北斎

2014年04月29日 20時25分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         


 先ほど5時半近くにテレビを点けたらBSプレミアムでBS歴史館の「葛飾北斎」の再放送をしていた。後半をずっと見ていた。出演者が誰なのかは私は顔を見てもさっぱりわからないのだが、いくつか面白い指摘、私も昔から気付いていた指摘もあり、興味深かった。

 まず、富嶽三十六景を描いた契機について。
 ある上人の富士での幕府に対する抗議的な動機による断食死をきっかけとして始まったという富士講に対する北斎の強い思い入れがあったようだという指摘があった。富士講に参加する人のためにだけ描いただけでなく、動機としてはさらに踏み込んだ指摘だったと思う。しかしそれがどのような内容だったのか、までは今ひとつ理解できなかった。今後機会があれば勉強する視点として私の記憶に残しておきたいと思った。
 次にこの富嶽三十六景の絵の具が従来の日本で使われていた青(緑青や藍)ではなく、西洋由来の「ベルリンブルー(プルシャンブルーあるいはベロ藍)」と云われるフェロシアン化第二鉄を主成分とする顔料が多用されているとのこと。これによりこれまで以上に明るい青のグラデーションが可能になったようである。表現の幅を大きく広げたようだ。またこれが江戸時代の庶民などの購買層に受けたようだ。
 三点目は以前どこかで教わった点でもあるが、富嶽三十六景は構図的には富士山ではなく、働く庶民が中心であるということ。これは指摘のとおりであると思う。私は富嶽三十六景が人気を博した根拠の一つに、江戸時代の庶民層がそこに自分達の労働の姿を発見し、極めて親近感を持ったことがあげられると感じていた。現代から見てもその働く姿は生き生きとしている。生産に従事する庶民が、単なる背景や通りすがりとして描かれているのではなく、主人公のように描かれているのは画期的なことではなかっただろうか。そのことが指摘されていた。あらためて鑑賞するときの視点として忘れずに覚えておきたい視点だと思う。
 さらに今指摘した通り、富士山があくまでも点景として描かれていること。三十六景(実際は追加して46枚構成の四十六景だが)、その富士山は画面の中で描かれていても、大きさも視点もすべて違っているとのことである。これは初めて知ったことであるが、これも構図のマンネリ化・様式化・画一化を避けている重要な点であろう。点景であるにもかかわらず、富士山がそこになくてはならないような位置に存在感を持ってどっかとある構図の魅力、あらためて作者の力量に感じ入った。
 またこれも有名なことであるが、あまりに鋭利にとんがった富士山の頂上である。これが風景の中で違和感なく収まっていることも不思議だ。この鋭利な富士山の頂上が違和感なく鑑賞できるのはなぜであろうか。どの絵を見ても富士の頂きが鈍角であったなら、とても間延びしたしまりのない絵に見えるはずだ。実際の姿とは違う姿になることで、富嶽三十六景の富士は富士山となったのである。
 私は、昨日横浜市と川崎市の境界付近から見た富士山の情景を記したけれど、関東近辺では富士山はやはりランドマークであり、微妙な位置の変化がウォーキングや旅の醍醐味となる。北斎は十二分にそのことを承知の上でこのシリーズを描いたとしか思えない。
 こんなことを考えながらテレビを見ていた。

 最後の方で、「北斎漫画」にもテレビではふれていた。北斎は、あの膨大な人々の肢体を執拗に描き、シリーズ化することによって、自分の周囲の世界全体を自分の表現で描きつくしたいという欲求に取りつかれていたのではないか、というのが昔からの私の想像である。
 「全世界を獲得するために‥」というのは1950年代末に発足した有名な日本の反体制派の出発点であるが、北斎にはそんなエネルギーを私は感じている。北斎は江戸にあるオランダ人の宿舎を訪れて直に自作を売買していたらしいとのことである。確かに江戸市中にオランダ商館をとおした「南蛮渡来」の商品を扱う店があり、西洋由来のものがかなり出回っていたことも周知のことである。北斎は江戸という鎖国体制の限界を突き破るかのような庶民の逞しいエネルギーと、新しい世界への希求をあの「北斎漫画」をとおして夢見ていたのかもしれない。




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本日のウォーキング

2014年04月29日 19時01分52秒 | 山行・旅行・散策
 横浜市内は曇だったが暖かく、ウォーキング日和。久しぶりに20000歩を全力で歩いてきた。距離では13キロ少しであろうか。住んでいるところから、新横浜駅の近くにある鶴見川沿いの公園まで、片道10000歩の道を歩いた。実にたくさん気持ちのいい汗をかいた。
 この公園、春になってすでに2回ほど訪れている。ソメイヨシノの満開直線の時と、散った直後。今回は数本のヤエザクラが満開を過ぎてだいぶ葉が出ていた。それでもヤエザクラの花の房が重く垂れさがっているのはなかなか風情がある。
 あのヤエザクラのたわわな花の房を見ると、塩漬けにしたものを連想する。昔ある旅館で房を丸ごと塩漬けにしたものをまるまる供されたことがある。ウェルカムドリンクとしての花茶の横に添えられていた。私はそれを嘗めながらおいしい日本酒で一杯飲みたいと思ったことがある。今回もヤエザクラを見て、その塩漬けをツマミに日本酒を飲みたくなった。今回は公園のベンチに座り、コンビニて購入した塩にぎりとお茶で30分の昼食休憩をとってからまた来た道を全力で歩いて帰った。



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連休の予定

2014年04月29日 11時09分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 連休中は出来るだけ行楽地には行かずに済ませようと思っている。現役で仕事をしていない人間が、混雑にさらに輪をかけてしまうのも忍びない。と偉そうん建前をいっても要するに人ごみが嫌いなだけであるが‥。
 この連休の合間は関東地方は雨が降るとの天気予報になっている。この雨で、明日30日は雨で東京国立博物館と東京都美術館(バルテュス展)、出光美術館(日本絵画の魅惑)は多少空いているかもしれない、という甘い予想をたててみた。出光美術館では東博とならんで酒井抱一の「風神雷神図屏風」を見てみたい。芸大美術館の「法隆寺」展も惹かれてはいる。
 神奈川県内、横浜市内でももう一度検索してみるが、今のところ惹かれるものが見つからない。

 さらに2日(金)が晴れの予想になっている。どこかハイキングを近場でしたいということで、現在物色中である。3日以降6日までは家の近所でおとなしくしているのが一番らしい。

 本日は、曇空。ウオーキングにでも励むことにする。




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禁煙のきっかけ

2014年04月28日 22時15分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は日吉駅から歩いて川崎市立井田病院の傍に出向いた。用事が済んだあと、真新しい井田病院の2階にあるレストランで、鳥のささみと野菜を中心とした「ヘルシーランチ」を食べてから、7階の展望ラウンジで展望を楽しんだ。ラウンジからは川崎の中心部から、横浜の中心地、そして丹沢山塊にかけて実によく見える。鶴見つばさ橋、大黒大橋、ベイブリッジも遠望でき、みなとみらい地区のビル街も新横浜のビルも手に取るように見える。丹沢山塊に重なるように富士山を望んだ。なかなかいい眺めである。横浜駅からわずかしか離れていないが、丹沢山塊と富士山の微妙な位置の変化が面白い。歩く楽しみのひとつでもある。

 この横浜市と川崎市の境の尾根道の川崎側に立つ井田病院は、37年ほど前に日吉に住んだ折に入院した病院である。古い病棟は現在解体中で、この後にさらに新しい病棟が建つ予定らしい。工事看板を見るとかなり大きな病院になるようだ。日吉駅から歩いて私の足で12分程、周囲の道路はとても狭いのだが、武蔵小杉駅や日吉駅、川崎市内の上平間方面にバスが頻繁に出ている。今ではかなり便利な病院のようだ。

 この病院は懐かしい。結婚して半年、たまたま流行っていた急性肝炎に罹ってこの病院に3週間ほど入院した。ここに入院したおかげで学生時代から丸8年吸っていたタバコをやめることができた。恩義ある病院ともいえる。当時常に喉がいがらっぽくて、タバコを吸うと一層辛かったが、吸うのはやめられなかった。毎日寝る前と朝は痰が詰まってそれも辛かった。タバコは自分には向いていないと思い、やめる機会をうかがっていたともいえる。
 入院した時は内科のベッドが満杯で、一時的に呼吸器病棟に入った。この病棟では看護師がタバコの害をまわりの入院患者にくどいように説いて回っていた。いろいろなパンフレットも貰って読んだ。退院してからもタバコを吸わなくなって結局タバコをやめることができた。あの時以来37年間タバコを1本も吸っていないが、実にスムーズにやめることができたと感謝している。

 ただし私の病状についてはまったくといっていいほど説明がなされなかった。急性肝炎ということは伝えられたが、肝臓に血流を確保するために横になって寝ていることが重要であるとか、どんな点滴をしているのか、処置の概要、食事の指導、退院の見通しなど医師からの説明が一切なかった。ただ寝ていろ、としか云わないし、医師も時々顔を見せるだけで何も云わなかった。こちらがしびれを切らして微熱や頭痛は治まるのか、どのように治療するのか、職場になんといって説明したらいいのか、などいろいろ聞くのだが今ひとつはっきりしなかった。
 そして熱も下がり、頭痛もなくなって3日ほどしたら突然に「明日退院していいです」と通告された。その後の生活の注意点、病院へいつ来たらいいのか、血液検査の結果など何も云われずに、退院手続きだけの説明がされた。私は退院後に「急性肝炎」について本を購入して勉強せざるを得なかったが、A型なのかB型なのかすら教えてもらえなかった。職場に提出した診断書で初めてA型肝炎という記載を見ただけであった。職場の近くの内科に赴いてその診断書を見せて、今後の生活上の注意点、血液検査の頻度などを聞いたことを思い出した。当時の医師ももう退職してしまったと思う。

 当時は患者への説明は今と違ってしないのが当たり前、患者は黙って医者や病院の処置に従っていろ、という状況だったのだろう。私のようにしつこく聞く患者は嫌われていたのだろうと思う。
 今とは雲泥の差である。今は公立でも私立でも、どんな小さな病院でもこんなことは行われないであろうし、そんな病院は廃れてしまう時代だ。



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赤坂憲雄「武蔵野を読む-」

2014年04月28日 19時33分02秒 | 読書
 「武蔵野の自然といえば、屋敷まわりの木々・畑のわきの茶・玉川上水とその分水路などによって彩られている。‥。宮本常一はやはり、『自然と日本人』のなかで、それらがどれも「ただ単なる自然ではなく、人の手によって出現した自然」であることを指摘している。‥「自然の中に生きた者は自然と格闘しつつ第二次自然を作り上げていった」というテーマは、宮本の風景論の核にあったものだが‥」。「柳田国男はかつて、‥「風景を栽える」といくらか詩的に語ったが、宮本はより即物的に「風景を作る」といってみせたのである。‥。自然を鑑賞の対象とする態度がはっきりと拒絶される。地域の生活に根ざし、それを豊かにするための風景を作ることが、ひたすら志向されていたのである。」

 このように導入部に書かれた赤坂憲雄の「武蔵野を読む-」の連載(岩波書店「図書」5月号~)が開始された。赤坂憲雄については目についた時は目をとおしている。けっしていい読者ではないが、いつも気にかけている方である。
 「挽歌に抱かれて、独歩とその「武蔵野」の読み解きへと赴くことにしよう。」と第一回の「武蔵野の挽歌から始まる」は終わっている。次回以降大いに期待しようと思う。




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東京国立博物館「栄西と建仁寺」展(その2)

2014年04月28日 09時12分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 「栄西と建仁寺」展の大きな目玉が俵屋宗達の「風神雷神図屏風」。これと通常展示されている尾形光琳の「風神雷神図屏風」と並び称せられる絵である。
 今回私は両方を同時に見てきた。ポストカードもそれぞれ購入したので、このふたつを並べてみてみたい。



 図の上が建仁寺にあるという宗達の「風神雷神図屏風」(国宝)。下が光琳の「風神雷神図屏風」(重文)
 まず背景の金箔であるが、上の宗達の金箔の方がきれいである。これは劣化なのか元からなのかは私にはわからないが、宗達の方が明らかにびったりしているが、光琳のものは黒い雲の割に金の部分が明るくないので絵が引き立っていない。
 次に風神の緑の体躯と雷神の緑の帯状のはためく襷、雷神の白い体躯と風神の白い袋、風神の紺色の帯状の襷と雷神の紺色の下帯、色の対比が面白いが宗達の方はどうも白が少し退色しているのであろうかはっきりしないところがある。
 また大きな違いは、雷神の眼である。まず、風神はともに雷神の方を見ている。しかし宗達の雷神の眼は中央の下を見ているのに対し、光琳の雷神の眼は風神を見ている。
 これは宗達の方は、初めに雷神が雷を鳴らしているところに風神がそれに和するようにあとから登場しようとしている関係になっている。光琳の方は両者が初めから和するように雷と風を起こしている状況に思える。あるいは競い合っている、力比べをしているようにも見える。
 実は私は今回NHKの日曜美術館で解説を聞いて初めて知ったことがある。これらの風神も雷神も笑っているというのである。昔40数年前の教科書に載っていた絵では怒っているのか笑っているのか判然としなかった。私は怖そうな神なので怒っている顔だとばかり思っていた。力みなぎる怒張の肢体とばかり思い込んでいた。
 指摘されてもう一度見てみると確かに怒っているのではない。どちらかというと楽しげにセッションしているジャズのドラマーとサックス奏者に見えなくもない。
 その場合でも両者の関係は微妙だ。やはり宗達は風神が後からおっとり刀で参加しようと駆けつけた場面。光琳は最初から丁々発止と力量を競っている場面である。
 両者の躍動感にも実感の違いがあることになる。宗達の風神は左から中央への運動方向を示している。雷神はその場でステップを踏んでいる形だ。
 光琳の雷神は上目づかいに風神の方ににじり寄るような動き、中央へのベクトルを示している。風神の方がその場でステップを踏んでいるように見える。黒い雲がその動きを暗示するのに効果的に描かれていると思う。

 全体としては、背景の金箔の色合いを除けば光琳の方がより色や構図やの対比を際立たせて完成に近づけたような感じである。その分荒削りの躍動感やコミカルな楽しさは減じているかもしれない。宗達の絵の魅力はそこにあると思う。あまり計算されつくされない荒削りの魅力、といってしまうには完成度は高いが‥。

 両者を比べてみてこんなことを感じた。ポストカードだけではこのことは気づかなかった。両者をじっくり見てはじめて気が付いた。あるいは私の錯覚なのだろうか?専門家の方はどのように考えているのだろうか。

 長谷川等伯「竹林七賢図屏風」「松に童子図襖」、曽我蕭白「山水図」、長澤蘆雪「牧童吹笛図」、白隠「百寿福禄図」の絵も展示されているが、残念ながら白隠以外あまり記憶にない。少し早目に歩き過ぎたのかもしれない。
 相変わらず白隠の字は独特だが、単体で他の作品と並べられると、あまりに独特で個性的な字でびっくりして敬遠してしまいがちである。他と比較する場所に登場すると違和感が強くて好印象にならないような気がする。

 さて展示では、海北友松の絵がいくつも展示されていた。雲竜図は前回見た感じを書いたので省略するが、「琴棋書画図」10幅の内前期2幅、「山水図」8幅の内前期4幅、「竹林七賢図」16面の内前期6幅、「花鳥図」10面(内2面消失)の内前期3幅等々である。どれも興味を惹かれたが、どちらかというと竹林七賢図が私は面白いと思った。七賢の顔がいい。
 いづれも全体を見ることのできないもどかしさを強く感じた。是非全体を見てみたい思った。


 
 若冲の雪梅雄鶏図はツバキの赤と鶏の鶏冠の赤との対比、鶏の白い毛と雪の白との対比の妙が絵の眼目ということなのであろう。しかし私はツバキの枝振りとそこに張り付いた雪の造詣がこの絵の眼目と見たい。赤はアクセントとしてとらえた、雪の立体感がこの絵の眼目と見ると絵に立体感が出ていいと思った。

 このほかの展示では、十一面観音菩薩坐像と毘沙門天立像が気に入った。
 また小野篁・冥官・獄卒立像は面白いものであった。等身大よりも一回り大きいと感じる。小野篁は長身であったというがあんなに大きかったのであろうか。それよりも小野篁が閻魔大王の業務を補佐していたという話がどのようなものなのか、知りたいものである。



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鎌倉散策

2014年04月27日 21時51分41秒 | 山行・旅行・散策
 良い天気に誘われて、鎌倉に足を延ばした。旬のシラス丼を食べてみたいと思い立ったのだ。しかし特に行きたい店や場所があるわけではないので、行き当たりばったりである。お昼少し前に家を出て、13時には鎌倉の駅に着いた。
 連休二日目とあってかなりの込みようであった。まずは久しぶりに江ノ電のある西口に降りて、市役所通りや御成通りを歩いて、シラス丼の店を探したが「30分待ち」といわれたりしてなかなか店が見つからない。

                   

 御成通りから東口の方に戻りようやく900円の釜揚げシラス丼にありつけた。そののち、花で有名だという大巧寺(だいぎょうじ)で八重咲きのツバキ、白色のヤマブキ、ベニバナマンサク、ボタン、トクサなどをのんびり散策。



 一転して江ノ電で長谷まで行って海岸沿いを鎌倉駅まで約3キロを歩いた。風が強かったが、海ではウィンドサーフィンや大きな凧を見て楽しんだ。大凧は長さ2メートル以上の鯉のぼりを30尾ほど繋げてあがていて大変壮観であった。初めて見学することができた。
 途中で駅まで10分ほどのところで新しい清潔感のある喫茶店を見つけてアイスコーヒーを頼んだら、ドリップで淹れてからアイスコーヒーを作ってくれる店であった。とてもおいしいコーヒー500円を飲んでとても得した気分になった。
 鎌倉駅に戻り、小町通と若宮大路をそれぞれ半分ほど歩いて帰宅。帰りの電車の中で額に手を当てたら、小さな砂粒がかなり張り付いていた。風の強い海岸線を45分ほど歩いたのが原因らしいが、恥ずかしいので人目に触れないように駅の便所で払い落とした。




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東京国立博物館「栄西と建仁寺」展(その1)

2014年04月27日 20時15分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
     

 25日(金)の午後に東京国立博物館で特別展「栄西と建仁寺」を見に行った。「キトラ古墳壁画」の方は90分待ちということで、長蛇の列を見て即座に諦めたが、「栄西と建仁寺」展は特別展であっても入場制限はしておらずすぐに平成館には入ることができた。ただしそれなりの混雑で人気のコーナーでは背伸びをしたり、人が途切れるのを待たなくてはいけなかったが、それでもそれほどの気になるような混雑ではなく、助かった。通常展示の方は修学旅行や団体見学の小中学生が幾組も来ていたが、行儀も良く特に気にはならなかったのも助かった。

 「栄西と建仁寺」展、多くの茶道関係者が来ていたようだが、私の方の興味はひたすら絵。海北友松の雲龍図をはじめとした諸作品、俵谷宗達の風神雷神図屏風、そして伊藤若冲の雪梅雄鶏図の三点。長谷川等伯、曽我蕭白、長澤蘆雪、白隠も気に入ったものがあればうれしいと思っていた。
 まずは海北友松(1533~1617)の「雲龍図」。海北友松の作品はどれもが安国寺恵瓊による移築によるもので1599年ごろの作品と云われる。





 上が右双、下が左双。左右で屏風の大きさに違いがあり、高さはほぼ同じで左双の方が一幅の幅が長い。訪れた日は全8幅がすべてそろっている期間で幸運であった。
 しかし思っていたよりも龍の頭の大きさに度肝を抜かれる。画面いっぱいの左右の龍の迫ってくる迫力は食いつかれそうである。右の方が体躯が丸く幅は狭い。左は体を長く横たえている。しかし右の方が精悍である。右は左を威嚇しつつ上からの攻撃の形、左は身構えて迎え撃つ形で下から見上げる姿勢。
 だがよく見るとともにはっきり言って決して若くない、否かなり老齢な龍である。長い口がやつれているように見えるほどに細い。特に左の龍は眼も少し瞑っているか、閉じているようにすら見える。不貞腐れていないか。右双の威嚇に対して「うるさいな、そんなに怒るなよ、今更この歳でお互い争って何になるんだい」のような口髭である。そういえば右双の龍の顔も空威張り、虚勢のようにも見える。
 左右ともにおどろおどろしい丸い渦を巻いたような体躯、あるいは雲とは対照的な顔つきである。このアンバランスが面白いのかと感じた。
 しかしこの絵、狭い空間で展示よりも低い位置で見たらさぞや驚くであろうと思う。特に左双の黒い雲を従えた迫力あるクローズアップの姿、構図の妙に感心した。
 海北友松の絵は同時期に作られた「琴棋書画図」10幅の内前期2幅、「山水図」8幅の内前期4幅、「竹林七賢図」16面の内前期6幅、「花鳥図」10面(内2面消失)の内前期3幅が展示されていた。
 この中では私は竹林七賢図が鮮明であり好みであった。他は照明のためか、あるいは退色のためか不鮮明であまり印象に残らなかった。もうすこし時間をかけてじっくり見る必要があったかもしれない。




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「洋画家たちの青春-白馬会から光風会へ-」展

2014年04月26日 23時28分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨日初めて東京ステーションギャラリーへ出かけた。改装・復元なった東京駅の丸の内北口にあるギャラリーだが、何となく行きそびれていた。今回も開催している展覧会自体は私の趣味からすると興味深々というわけではなかった。しかしいろいろな人の絵を見るという気持ちは大切にしなくてはいけないのは当然なので、まずは入ってみなくては何事も始まらない、ということで入場。
 まずは、会場の印象から。会場は3階、2階と別れていて階段で移動するのだが、この階段に古いレンガの遺構が露出している。これは見ものである。撮影が出来そうなのでこの次に来るときはこの遺構の写真を是非撮りたいと思った。人もあまり通らないので面白い被写体である。これはいいものを見つけたと思う。昨日の収穫である。

   

 光風会100回展記念ということで、黒田清輝に始まる官展の流れに遡る団体の回顧展ということになる。黒田清輝、藤島武二、岡田三郎助、有島生馬、曾宮一念、小磯良平、猪熊弦一郎、國領經朗などの私のとりあえず知っている名が並んでいる。
 アカデミズム・具象などがキーワードになるのだろうか。



 私が惹かれた絵は、國領經朗「砂の上の群像」(1974)、内田巌「イギリスの女A」(1931)、辻永「ハルピンの冬」(1917)、田村一男「きたのくに」(1982)、寺内萬治郎「裸婦」(1953)。

 まず國領經郎の「砂の上の群像」という作品は知っていたし、どこかで見たことはあると思うが、こんなに大きな絵だったかなと思った。それだけこの作品がとても目立って見えたということだろう。女性が大変艶めかしく感じられた。とくに右端に裸で立つ若い女性像がこんなに迫ってくるとは思わなかった。女性像が多い展示なのだが、どれもがあまり実在感のない印象なので余計に目立ったと思う。生きている感じがした。
 女性像が多い展示なのだが、どの絵もポーズもぎこちないし、「生きている」感じが乏しい。どの絵も妙にとってつけたポーズ、あるいは動きがぎこちないポーズで生きている感じしない。動作が自然ではあっても目が死んでいるようなものもあった。その中で内田巌「イギリスの女A」は腕・手首の造詣が少々変だが、他の作品に比べて生身の人間を感じさせないで成立しているような、媚びるポーズではないものがあって惹かれた。寺内萬治郎「裸婦」は妙に艶めかしかった。

 辻永「ハルピンの冬」の画面を上下に二分する大胆な青い柵が不思議におさまっている。田村一男「きたのくに」は花が咲いたコブシの造形が気に入った。




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メーデー

2014年04月26日 22時19分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は退職者会のメンバーとともにメーデー会場の横浜みなとみらい地区の臨港パークに9時半に出かけた。
 いい天気のもとで、すっかり日焼けした。出身支部の組合員のいる一角と退職者の集まる一角を行き来しながら、話をして回った。
 支部の役員を続けていた頃はデモの手配、事前の場所取り、参加表の点検、弁当・ツマミ買い出し、普段の会合には参加しない久しぶりに会う組合員との対話、他支部に異動した組合員との挨拶、後片付け、写真撮影‥と限りなく忙しいので、「メーデーとは役員の厄日」と自嘲していた。メーデーが終了する頃にはもう疲労困憊であった。
 退職後3回目の参加となるが、いたって気楽なものである。写真も出身支部の仲間、退職者の集まる一角、中央の演壇をそれぞれ1枚撮って仕事は終了。
 あとはビールを片手に気の置けない仲間と気楽に話をして、十分に日焼けしてきた。会場をあとにしてからは6名ほどで久しぶりに野毛まで歩き、安い居酒屋で二次会。3時過ぎには横浜駅にもどり、歩いて帰宅。
 最後に飲んだ日本酒1合がだいぶきいている。

 帰宅後すぐに寝てしまったが、先ほど「もう朝になったか」と勘違いして起きてきた。そういえばまだ風呂にも入っていなかった。




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イエローナイフ、オーロラツアー写真交換会

2014年04月25日 23時41分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 無事楽しく終了。写真データを交換できた。特にSさんのオーロラ写真はいい出来で、みんなが関心。私もこのように撮影したかった。
 楽しい思い出を作ることが出来て、うれしかった。また忘れていたことも思い出した。楽しい旅行になったことを心から感謝しつつ、今晩はおとなしく寝ることに‥

 オヤスミナサイ




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東博&ステーションギャラリー

2014年04月25日 16時02分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今日はツイッターで示唆を受けて上野の国立博物館で「栄西と建仁寺」を見てきた。何と言っても海北友松の「雲龍図」と俵屋宗達の「風神雷神図屏風」、伊藤若沖の「雪梅雄鶏図」が大きな目的。
 「雲龍図」の迫力は実際に見ないと本当にわからない。
 その他長谷川等伯、曽我蕭白、長澤蘆雪にもお目にかかることが出来た。
 仏像では「十一面観音菩薩坐像」(南北朝・14世紀)に見とれた。「毘沙門天立像」(鎌倉・13世紀)も良かった。
 また通常展示の尾形光琳の「風神雷神図屏風」も堪能してきた。

 同時に開催中の「キトラ古墳壁画」は90分待ちということで、最初から断念した。残念。



 帰りにはさらに東京ステーションギャラリーに寄り「洋画家たちの青春」を見学。国領經郎「砂の上の群像」・内田巌「イギリスの女A」が心に残った。
 初めてステーションギャラリーに入ったが、階段室に露出している古い煉瓦壁の風化した造形に見とれた。

 詳細は後日アップ予定。



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