世界平和アピール七人委員会が、4月26日付けでアピールを発していた。いつものとおりそのまま転載する。
⇒【http://worldpeace7.jp/?p=1182】
2019年4月26日
世界平和アピール七人委員会
武者小路公秀 大石芳野 小沼通二 池内了 池辺晋一郎 高村薫 島薗進
沖縄県は、沖縄県議会における指摘と全国知事会に2016年に設置された「米軍基地負担に関する研究会」の議論を踏まえ、日米地位協定*とヨーロッパの4か国(ドイツ・イタリア・ベルギー・英国)に駐留する米軍の地位協定の現地調査と比較検討を、2年にわたって行い、報告書**を4月12日に公表した。
日本に駐留する米軍の規模は2018年3月31日現在世界最大であり、日米地位協定の問題点と不平等性は、これまでも問題が起こるたびに指摘されてきたが、発効以来一度も改定されたことはなかった。今回の調査結果によって、沖縄の基地、首都圏の横田と沖縄の空域などをはじめとする『在日米軍施設・区域』についての日本の立場が、ヨーロッパ諸国に比べて著しく弱いことが具体的に明らかになった。
『在日米軍施設・区域』は、2018年1月1日現在30都道府県に置かれている以上、本来は国が行うべき調査であった。にもかかわらず、沖縄県の発表について、河野太郎外相が直ちにまったく意味がないと批判したように、日本政府は日米地位協定の改定に否定的な姿勢を変えていない。
日本国憲法との関係で問題があるにも関わらず、1990年代初めのいわゆる湾岸戦争直後の掃海作業以来、自衛隊の海外派遣が繰り返され、海外派遣は「付随的任務」から「本来的任務」と変わった。派遣される自衛隊の地位についての取り決めも作成されている。さらに自衛隊員の米国派遣も増加している。今や受け入れ国と派遣国の立場にある日本は、日米地位協定の不平等性を抜本的に見直し解消に向けて努力すべき段階になっている。現状をこれ以上放置することは許されない。
私たちは沖縄県の地道で綿密な努力に共感するとともに、これを高く評価し、国際的にみても著しく不平等な日米地位協定の根本的改定を求める。他の都道府県と各団体、及び国民一人一人もそれぞれの立場から発言し、政府に米国政府との交渉を求め、改定を速やかに実現させるべきだと考える。
* 日米地位協定の正式名称:日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(1960年6月23日発効)
** 『他国地位協定調査報告書(欧州編)』平成31年4月、沖縄県
https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/sofa/documents/190411-1.pdf
『他国地位協定調査について(欧州編報告書概要)』沖縄県
https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/sofa/documents/190411-2.pdf
なお 沖縄県の地位協定ポータルサイト
https://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/sofa/index.html
に詳細な記述がある。
霧雨の中を大回りをして横浜駅までウォーキング。横浜駅周辺の地下街も繁華街も混雑している。地下街をぐるっと回り、そして再び歩いて自宅まで戻ってきた。
夜になって紙に打ち出して、チェック。誤変換、言い回しのおかしな点、入力ミスなど10か所ほどを見つけ、いつものとおり妻にも見てもらったら、さらに6か所も間違いを指摘されてしまった。やはり第三者のチェックは必要だと実感。
訂正済みのものを印刷所と三役に送信して一応終了。残りは5月3日の都内での集会の記事と写真を加えて4日までに送信すれば終了である。印刷会社は土曜日は仕事であるらしい。それまでに間に合えばいいのだが‥。連休中に仕事を依頼するのはとても心苦しいのだが、対応してもらえて感謝である。
旧東海道の旧戸塚宿から平塚宿くらいまで久しぶりに歩いてみようと思っているが、天気がすっきりするのは4日以降らしい。一人で歩いてみるつもりである。途中でダウンするようなことの無いようにしたいものである。
一応予定通り原稿が出来上がったので、連休の後半はのんびり出来そうである。
夜のウォーキングに出かけたいのだが、雨の音がやまない。
1975年4月30日、サイゴン陥落によってベトナム戦争は終了した。ちょうど私は就職したばかりで、1か月の研修が終わり、翌日には最初の配属職場に行く予定であった。まさかそんな翌日に休むわけにもいかず、どこか興奮する自分を落ち着かせようとしていた。
大統領府に何の抵抗もなく侵入する戦車の映像は衝撃的でもあり、その直前の何日間か、アメリカ大使館のヘリコプターに殺到し、搭乗を拒否され追い払われる旧南ベトナム政府関係者の無惨な姿とともに、今でも印象に残っている。それらの映像が30日から1日かけてさかんに放映されていたと記憶している。
物量と金とそして武力で保たれていた権力がかように無惨に、そしてあっけなく、民衆に見捨てられて崩壊することを目の当たりにした。その崩壊は無論ベトナムの人々の長く諦めることのない闘いが前提であるが、権力というものにこびへつらう無惨な論理と人々への影響力・強制力など一瞬のうちに崩壊することも、教科書のように見せてくれた。
それは1945年8月15日にも日本で起きた現象でもあった。1945年と1975年、日本の軍部を倒した「米軍」は、今度はベトナムの抑圧者・民衆の虐殺者として駆逐されたのである。違いはある。1945年は外部の米軍の力により、1975年はベトナムの民衆の手で。
ここのところはいつか私なりの考えを詳述したいものである。
数年前にベトナムを訪れ、ホーチミン市で戦争証跡博物館に足を踏み入れ、1975年当時の大統領府に突入する戦車の写真に再会して当時の記憶がよみがえった。
2017年にはこの博物館で「日本の反戦闘争とその時代」という展示が行われたと聞いている。多くの当時の関係者、そして私の知り合いや仲間が参加したという。ブラスもマイナスも含めて私も主体的にかかわろうとしたひとりであることは確かだ。
どんな場合でも、金と力と嘘と屁理屈と、忘却と歴史の改竄で維持されている権力は倒されなくてはいけない。
★一億年ぼつちの孤独春の雨 高野ムツオ
このふたつの句、以前歳時記で見たときよくわからなかった。しかし昨晩雨に濡れて歩いて戻ってきて再度歳時記を見たとき、目にすんなりと入ってきた。頭の中にも居場所があった。確かに湿気に包まれた霧雨の向こうから「ジュラ紀の匂い」が頭の中に入ってきた。決して嗅覚としてではない。闇の向こうからやってくる雰囲気として。
一億年というのはジュラ紀以降の白亜紀にかけての年代である。ともに恐竜の時代といわれている。爬虫類全盛のもとで哺乳類は片隅に生息していたといわれている。そんなこととは無関係にこの句は受け止めて構わないだろう。
しかしそんな太古の時代、人類がまだ誕生する以前から「孤独」というものが存在していたのかもしれない。ふとそんなことすら思いついてしまうのが、春の雨、それも夜の春の雨がもたらすものである。人は「孤独」にどれだけ振り回されてきたか、考え込んでしまう吸引力が「孤独」にはある。
本日はあと1時間ほどの作業をしてから入浴・就寝予定。メーデーの写真がちょうどいい時に送信されてきて、助かった。
午後遅くなってから横浜駅傍の喫茶店で30分ほどの読書タイムで、岩波書店の「図書5月号」に目を通した。
わずかな時間だったので目を通したのは、以下の5編のみ。
★悪魔が見えるひとの夢 司 修
戦後74年、しかしながらその時の戦争の刻印は直接・間接を問わず多くの人に今もなお残っている。それは私たちが思いもよらなかった切り口で忘れ去られようとしている。鮮明に記憶していること自体が人の記憶装置とは相反することなのだ、というように。刻印が昇華ではなく風化で痕跡を残すことなく‥。
★「心見る」女 久保田淳
久保田淳という名を「西行全集」の編者として覚えた。今も広辞苑の次に分厚いその本はすぐに手に取れるような場所に置いてある。
また和泉式部のいくつかの歌が好きで、いつかはその歌全体を読みたいと思い、新潮社の羅本古典集成の「和泉式部日記・和泉式部集」は大事にしまってある。しかし未だに拾い読み鹿していない。
「かへるさ待ちこころみよかくながらよもだにては山科の里」(「後拾遺和歌集」雑五)を引用しながらの短文に接した。いつか和泉式部の千泰三を自分なりに見つけるために、この歌の解釈も試みたいものである。
★偽者と分身、そして永遠 --三島由紀夫をめぐって 安藤礼二
「(戯曲)『英霊の聲』は『豊穣の海』四部作に着手しはじめた直後に発表された。それゆえ、三島由紀夫が作家としての能力をすべて注ぎ込んで完成しようとした『豊穣の海』四部作の核心、さらにオリジナルとコピーの弁別不可能性を日本文化の基盤と喝破した同時期のエッセイ『文化防衛論』の核心を前もって、よりクリアに表現してくれているような思われる。三島由紀夫の作品世界の、いわばミニチュア模型である。」
「偽者と分身を無限に生み出し、偽者と分身とを完全に消滅させる舞台。三島由紀夫が、その最後に、われわれに突き付けた問いは、未だに充分に応えられていない。」
★同級生の語らい -佐世保からパレスチナへ 川上泰徳・佐藤正午
★大きな字でかくこと 私のこと その4 事故に合う
「母に愛されていることの幸福感と、父に対する齟齬の感覚が残った。」
昨日とは違い、朝からどんよりと曇って、外は梅雨時のように陰鬱な感じである。
一昨日に岩波のPR誌「図書5月号」が届いた。ウォーキングがてら、これを持参して横浜駅傍の喫茶店にでも出かけることにした。
本日は昼前後から短時間だが、横浜港の大桟橋に大型客船が入港しているというので、二人で見てきた。みなとみらい線はかなり混雑していた。そして入港している客船のあまりの大きさに圧倒されるとともに、大勢の人が見学に来ているのにも圧倒された。
現在の大桟橋になって訪れるのは5度目か6度目。船を見ながらお茶を飲んで大桟橋をあとにした。帰りは横浜公園のチューリップを再度見学しながら地下鉄で帰宅。
「山頭火句集」(村上護・編、小崎侃・画、ちくま文庫)をようやく読み終えた。はじめは自分なりに作り替えたりしながら丁寧に読み始めたが、次第に読むこと自体が苦痛になって来てしまった。
作品のもつリズムがどうしても私の語のリズムと合致しない。言葉の意味は平易でよく分かるのだが、前にも書いた通り、「起承転結」の「転」ないし「結」がないのがとても気になった。わざとそうしているのか、「転調」を嫌って作為的にそうしているのか、わからないところがある。
随筆については不思議なのだが、季節感をとても大切にしている。有季定型の句から無季で自由律へ移行しているのだが、随筆はまったく違う。この落差はとても気になった。
先ほどからNHKのFMでアンドレ・プレヴィンの特集をしていた。演奏した曲・作曲した曲の紹介。作曲した曲を聴くのは初めてである。10時半を過ぎてからラジを付けたので耳にした曲は、次の2曲。
・「ディヴァージョンズから 第1楽章」プレヴィン:作曲、(指揮)アンドレ・プレヴィン、(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
・「バイオリン協奏曲「アンネ・ゾフィー」から 第1楽章」プレヴィン:作曲、(バイオリン)アンネ・ゾフィー・ムター、(指揮)アンドレ・プレヴィン、(管弦楽)ボストン交響楽団
このヴァイオリン協奏曲、なかなか美しい曲である。ラジオ、テレビの番組は一度しか聴けないので、感想を記載するのが私にとっては難しい。
明日は10時過ぎまで寝ていたい。要するにサボりたいのである。何もしたくないのである。そして、5月1日までに原稿を作らなくてはいけないという義務感がいつもより重く感じる。
実は新聞の編集作業というのは本当は私にとっては楽しいのである。しかし年に6回の発行の内2回くらいは楽しさよりも気分的な重苦しさのほうが先行する場合がある。
そういう場合は記事の予定が少ない場合、あるいは内容が会として重いにそぐわない報告しを記さなければならない場合が多い。
記事の内容に左右されて、作業へのエネルギーが左右される、というのあまりいい事ではない。自戒しないと自壊に繋がる。気を付けないといけない。
本日はだいぶアルコールを飲んだので、明日・明後日は休肝日&休養日としたい。
★水を出て家鴨寄り添ふ暮春かな 安住 敦
★古書を売りまた古書を買う暮の春 大石視朗
夜が明けた頃に降っていた雨も出かける頃には上がった。しかし10時半ころから再び弱い雨が降り始め、12時まで降る続いた。不思議なことに12時頃に解散となったら雨はピタッとあがった。
そのまま13時近くから野毛の飲み屋さんで20人ほどで楽しい時間を過ごした。私の隣の席には初めてお会いする方が座り、趣味の話をしたら、ともに登山が趣味ということが判明。北アルプスや南アルプス、東北の山の経験談などで楽しい時間を過ごすことができた。実に楽しかった。
山の話はどんな時でも嬉しい。コースの厳しさ、山小屋のご飯の評価や寝具の良し悪し、景色の模様など話は尽きないものである。装備の蘊蓄もまたいい情報が得られる。年令的にはもうお互いに駆け足登山は無理であっても、楽しい登山の在り方、下山時の注意点など教えてもらったこともたくさんあった。
話がはずんでいるうちにまた登りに行きたいと思った。
さて本日から世の中は連休。どのように過ごしたらよいのだろうか。退職者会ニュースの原稿作りは1日が締切、それ以降をどのように過ごしたら良いのだろうか。
雨が上がっているうちに若干の夜のウォーキングに出かけた。湿気が多く、あまり気持ちのいい汗ではなかった。21時に10.2℃となっており、0.1℃気温が下がった。実感としては逆に暖かくなったくらいに感じた。
これより明日自賛するものや、経費をリュックに詰めて用意をする。朝8時半前には家を出ることにしている。ふだんの起床時間からするとなかなかつらい時間である。それでも早目にはなかなか寝付けない。
★死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり 臼田亜浪
ちょっと不思議な句。死をここまで突き放してみたときどんな風景が脳内の中に広がるのだろうか。作者はこの地平にはたたずんでいない、と思うのだが‥。詩が文学である限り、さまざまな思考実験は不可避である。そしてその結果に縛られる。
明日は帰りも夜になる予定。
今は市内どこも雨は降っていない。
明日は連休前の連合のメーデー。9時半集合となっているが、それまでには何とか雨はあがってほしいものである。
開場での飲み物、昼のお弁当を数人分購入してから集合場所に集まることになっている。メーデーは現役時代から役員の厄日、と考えるようにしてきた。楽をした覚えはまったくない。退職後もずっとそのままである。
退職者会は会員同士では顔を合わせる場面が少ないので、いろいろの根回しも含めて穴しておかねばならないことは多い。忘れないようにメモをみながらいろいろと話をする。結構大変である。14時位からは桜木町の野毛で現職の組合員も交えてワイワイガヤガヤと賑やかになる。
組合の再建以降、野毛にはほとんど顔を出さなくなった。メーデーのときだけである。さびしいと言えばさびしいのだが。
野毛もずいぶん様変わりしている。最近は若い人が行列をなす店も多いらしい。私ども高齢者にとっては行列を作って待つ、ということは耐えられない。それは現役時代からもそうだった。並ぶくらいならば、さっさと他の店に行く。
最近の方は、飲み屋でも肴に凝っているのだと教わった。悪くはない話なのだろう。「最近の若い奴は‥」とはトンと思わないが、呑み方が違っているのことは確かなようだ。お酒の楽しみ方はそれぞれこだわりや個人の流儀がある。それを尊重しあいながら、呑む相手によって臨機応変に変えられるゆとりが欲しい。他人に呑み方を強要したり、蘊蓄ばかりを述べたり、つまらない説教をしたり、処世訓をたれたりしないで、静かにじっくりと呑めればそれが一番である。
若いとつい他人にお酒を強要してしまう。さらに自制か効かなくなる。自制が効いていないことに無自覚である。自制が効かなくなるまで飲んでしまう。他人のお酒の呑み方に注文を付けようとする。お酒はこれがいけない。
年寄りはお酒でいっそう耳が遠くなり、声がでかくなる。そして他人の意見を聞くゆとりを無くしやすい。ささいな意見の違いが果てしもなく大きな溝になってしまう。
若者、年寄り、ともに自分を無くして喧嘩になる。一緒に呑んでいる集団内部で言い合いになるだけでなく、隣の他人とも争ってしまうことも多い。そんなお酒に付き合うのはごめんである。大人の呑み方をする人と付き合いたいものである。
本当はお酒はひとり静かに呑むのが一番いいのだが‥。