Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日から「西行」

2024年06月30日 21時02分42秒 | 読書

   

 午後になって雨が降らないうちに、ということで横浜駅まで歩いた。湿度が高く、半分ほどの所でポツリポツリと降り始めた。弱い雨で、濡れても問題ない程度であったので、そのまま横浜駅まで4000歩ほど歩き、オフィス街にあるいつもの喫茶店へ。帰宅時も小雨が止まなかった。今夜のウォーキングは断念せざるを得ないようだ。

 喫茶店で読み始めたのは、「西行 歌と旅と人生」(寺澤行忠、新潮選書)。西行の入門書で、読みやすいので早めに読み終わりそう。

 昔から西行の歌に接する機会は多かった。たまにはその世界に浸りたくなるものである。
 懐かしい歌が並んでいる。

 「はじめに」、「1.生い立ち」から「4.西行と桜」まで読んだ。

★はるかなる岩のはざまに独りゐて 人目思はでもの思はばや  新古今和歌集
★花に染む心のいかで残りけむ 捨て果ててきと思ふ我が身に  千載和歌集
★あくがるゝ心はさても山桜 散りなむ後や身に変えるべき

 ただし「日本の文化は、かくして優しさと同時に勁さや厳しさを併せ持つことになった。そして優美を記帳とする美意識とこの厳しい「道」の思想がいわば表裏をなして、日本文化の根幹が形成されていく」(3.西行と蹴鞠)

 こういうところは保留しておきたい。


「小走り」にほど遠いが・・・

2024年06月29日 22時52分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日はとても蒸し暑かった。午前中は病院と薬局の往復を早足で、さらに薬局の時間待ちの間の若干のウォーキングで、午前中は6千歩。上着は汗でびっしょり。着替えた。
 午後は妻と買い物に出たが、横浜駅の一つ手前のバス停から歩いたり、いつもより遠くの喫茶店に行ってみたり、帰宅時も一つ手前のバス停で降りたりした。家についてみると7千歩歩いた。合わせて1万3千歩ほど。

 階段の下りはほんの少し違和感はあった。しかし27日のように快調に歩けた。信号では10mほど「小走り」に挑戦する冒険もしてみた。「小走り」と言っても他の人の早足程度。膝をあげて走るような姿勢はとても無理である。しかしそれでも10m続けられて嬉しかった。

 この調子で少しずつ回復となることを期待したい。明日になって膝に違和感が生じないよう、湿布薬をたっぷり塗って寝ることにしたい。

 


「老い」を実感するとき

2024年06月29日 21時11分22秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 午前中は、親の代わりに眼科で薬の処方をしてもらい、ついでに私の左目の毛嚢炎も見てもらった。土曜のために、病院も薬局も混雑。10時半前に病院に行き、帰宅は13時。もう少し早くに病院に行くべきなのだが、朝起きたときに通院のことを忘れていたのが敗因。
 午後からは妻と混雑している家電量販店でUSB接続でバッテリー付きの卓上扇風機を3000円台で購入。持ち運びでき、台所や鏡台、寝室等で有効活用したいとのこと。我が家では2台目のUSB接続の扇風機である。

 大型の扇風機とそれなりの大きさのサーキュレーターはあるものの、台所で立ったり、リビングルームの椅子に座ったりするときに、位置替えや移動が面倒になってきた。扇風機は重く、床に置いてあるサーキュレーターまで屈んで持ち上げるのもつらい。
 ついでに寝室用の温度計&湿度計も購入。従来のものは文字盤が小さく、ふたりともメガネを掛けないと見えづらくなってしまった。

 歳を取ると、いろいろのものが耐用年数を過ぎていなくとも使いづらくなる。文字盤が見にくくなって買い替えなくてはならなくなるものが、出てくる。これまで問題なく移動していたものの移動が面倒になる。これもつい10年前には想定していなかったことである。
 それほど歳を普段は実感しないが、こういう時にふと「老い」を実感し、それを重ねていく。同時に歳を取るとは、お金がかかることであるとも納得する瞬間でもある。買い物のあと、喫茶店に入りふたりでコーヒーを飲みながら、ため息をついた。

 さて、次はどんなものを買い替えなくてはならないのだろうか。


「観察」は時間を忘れる

2024年06月28日 21時00分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 先日、近くの私鉄の駅前のバス停から、家の傍のバス停までバスに乗ることにした。時刻表の時刻まで5分ほどあり、3人目に並んでいた。
 空は厚く雲が垂れこめていたが、雨とは無縁の空。カンカン照りよりも空は見易かった。西空の雲を通して太陽の丸い姿が浮かんで見える。
 雲の構造がその光を透かして見えた。一様に見えても光をとおすとまだら模様に見えた。じっと見ていると不規則な丸い形が連続しているように見え、見飽きることがなかった。太陽と雲が作り上げる空の模様は、美しい。不規則なものほど見ていて飽きないものである。規則性がすぐに判明してしまう模様などは、規則性が気になって落ち着かない。

 しばらく眺めているうちに時計が気になった。すでにバスの時間を過ぎていた。いつものとおり遅れるのだろうと気にせずに空を眺めつづけたものの、バスが来ても気がつかないで空を眺めているのが恥ずかしくなった。
 その時にたまたま視界を燕が横切った。何番目かの営巣のあとらしく、商店街の庇の下に例年のように巣があり雛が孵り、親鳥が餌を運んでいた。燕らしく人の頭のすぐ近くを器用に飛び越し、巣の近くに止まってから、巣に餌を運ぶ。
 燕の姿を追っているほうが、焦点は近くなので、バスが近寄ってきても認識しやすい。頭を小刻みに巡らすのも面白い。そのまましばらく燕を観察。
 こうしていると、バスを待っていても時間が気にならない。世の中には観察したいものが人間以外にもいっぱいある。あるいは長時間観察していても気にならないもので溢れている。

 ふと先頭に並んでいる同年輩のお年寄りを見ると、歩道から車道に身を大きく乗り出して、ひたすらバスのやってくる方向を睨み続けている。なかなか来ないバスに痺れを切らしているらしく、後ろと横から見る姿がイライラしていた。
 そのお年寄りと私の間にいる中学生らしい女の子は、スマホに余念がなく、後ろの小学生の女の子は熱心に物語の本を読んでいる。
 私の心の中では、「体を歩道にひっこめないと危ないよ、来ないバスにイライラしているよりも、空の雲と燕どちらかを「観察」するゆとりを持ったほうが、心が落ち着くよ。小学生の方が心にゆとりがありそうだよ」という言葉が横切った。むろん口に出すことは無かったが、思うこと自体が余計なお節介で、何となく人を見下したような気分になったのは、おおいに反省。こんなことを考えなければ、美しい空と燕の飛翔の印象だけが残っていたはずだ。

 さいわいバスは6分ほど遅れて到着。夕方の道路混雑時には遅れるものである。いらいらオジサンは真っ先に勢いよく飛び乗った。何事もなくバスは発車。

 私と同年輩の年寄と、私の頭の中ではそれぞれに小さなドラマがあった。美しい雲と太陽、燕の飛翔の印象は長く頭の片隅に残った。


大雨(浸水害)警報

2024年06月28日 13時30分51秒 | 天気と自然災害

 横浜市域には、大雨(浸水害)警報が発令され、さらに洪水注意報も加わっている。
 現在私の住んでいる付近にも時間雨量換算で80ミリを超える雨の区域が通過している。
 市内の河川の7箇所で避難判断推移を超えたとの情報もメールで伝わっている。
 この強い雨の区域の西側は20ミリ以下の雨の区域であり、とりあえず一応おさまる可能性はある。しかし県央部にまだ強い雨の区域が東に進んでいる。この先もまだまだ心配である。

 BS放送もとぎれとぎれになったりしていた。

 


またも大雨注意報

2024年06月28日 10時57分31秒 | 天気と自然災害

 本日は大雨・強風・雷注意報。朝から「レインアイよこはま」を眺めている。明け方より最大20ミリ程度の雨が降り続いている。雨の区域は南々西からの風に乗って北々東方向に流れている。横浜市域では時間雨量換算で最大50ミリ程度の雨の区域も通り過ぎていった。
 現在は雨は弱くなっているが、終日雨が続くという予報である。神奈川県西部から強い雨の区域が寄せてきている。間もなく到達するようだ。
 気温は現在22℃ほど。暑さに慣れてしまった身には少々肌寒く感じる。 


年寄りの遠吠え

2024年06月27日 23時28分37秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 12年も前の現役時代と変わり、というか最近の時代の流れに乗らされていうべきか、現金よりも電子マネーによる支払いのほうが多くなった。現役時代は、電子マネーといっても交通系ICくらいで、現金を使わない場合はクレジットカード払いが主であったとおもう。
 私の場合は、スマホを持つようになって電子マネーが主となった。ただしバーコード決済のものは、コマーシャルが余りに軽薄なので、使う気には毛頭ならない。ああいう軽さとノリで、大切な買い物の決済を任せてしまうのが、今の風潮なのだろうか。ちょっと恐ろしい気がする。

 電子マネー、初めは三種を利用していたが、今ももっぱら一種だけ。もう一種は予備でとして登録してある。最近はこの予備はほとんど使っていない。

 さて、スーパーでもドラッグストアでも最近はレジで商品を読み取って合計金額を知らされるばかり。支払い機や電子マネーの読み取りコーナーに誘導されてそこでの決済を求められる。
 年寄りの部類に入ってしまった私などは、初めはとても戸惑った。レジを打ってくれる店員に直接現金を払うか、電子マネーの読み取りをお願いすることが無くなってしまうことに戸惑うのである。
 思い過ごしと言われようと、何か邪険に扱われているという錯覚に陥る。確かにレジでの商品読み取りと、会計という作業は分離はできるかもしれない。
 労働組合の役員としてみれば、それは業務を強引に分離して、人員の削減のための合理化である。ある意味では作業の単純化・人間の機械化をおしすすめて、少しでも機械に任せる業務の割合を増やしている。仕事の熟練化をなくし、単純化して賃金単価の切り下げをはかる理屈付けになる。働く者から「熟練」という付加価値を剥がし取っていく。
 店員に対しては、覚えなくて済む決済方法の選択の面倒さを回避してくれるので、歓迎される面もあるかもしれない。また最近はクレーマーが多い分、客との対面の要素を少しでも減らしてもらいたいという欲求が強いのかもしれない。

 客からすれば、これまで店員が仕事としてこなしていたことを客にさせる、ということである。簡単なこととはいえ、無性に腹が立つ。客の側からすると、提案もなしに押しつけられていることに変わりはない。
 こうした結果、レジでの人の並び具合、待ち時間は少なくなっているかというと、決して少なくはなっていない。レジの商品の読み取りもバーコードになり、客がバーコードを自ら読み込ませるという無人のレジも増えている。総じてレジの担当の店員が少なくなり、かえって操作について聞かれたりして店員は慌ただしくなっている。
 客は、とくに高齢の客はその慌ただしい店員達を見て、読み取り間違いや二重の読み取りなどの指摘も「申し訳ないな」と思ってやめてしまう。経営者はそれを狙っているのかと、勘ぐりたくなるのが、端からそれを観察しているのが、やぶ睨みの私のような高齢者である。

 居酒屋やファミリレストランなどでは注文も同様にタブレットになってしまった。こちらのほうがさらに操作は面倒である。私は店員には悪いとは思いつつ、タブレットでの注文はしないで、直接注文することにしている。

 私などの高齢者の発想は古いのかもしれないが、こだわりがある。
 クレーマーを減らすには、過剰すぎる丁寧言葉はやめ、店員の数を増やしたうえで、客と店員の対面時間を増やすことで解決の道を探るしかない。店員は客とのゆとりのある対面時間によって、対話のノウハウを身につけられる。そして店員の数が多ければ、クレーマーの一方的な言い分にも、数人で対応できる。クレーマーの多くは、店員が一人であることによる居丈高になる場合が多いようである。店員が数人で同時に対応すると、クレームの数は確実に減少する。
 経験豊かで定着した店員は経営者にとっては財産である。「客は神様」という言葉だけが独り歩きしていないか。本当は「店員も顧客も財産」なのではないだろうか。
 年寄りの遠吠えだろうが、こういうことはいつまでもつぶやき続けたい。

 年寄りは、機械とばかり会話したくないのである。経験豊かな店員と、ごく短時間でもにこやかな対面でのやりとりを欲しているのである。一言だけでも明るく「ありがとう」と言えれば嬉しいのである。
 もっとも飲み物などの自動販売機やら、駅の切符の販売などすでに世の中の流れである、といわれれてしまう。すでに既成事実はできあがってしまっている。若いときに無意識に受け入れたことが、高齢になってみると違和感をもたらしている。これが「老い」ということなのだろう、と受け入れるしかない。
 とはいえ世の中は高齢化していく。高齢者に冷たい金銭のやり取りを通した社会であっては欲しくない。


夏の帽子とウォーキング

2024年06月27日 21時20分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 天気予報は「曇り」とあった。確かに雲は90%以上もあり、厚く空を覆っていた。帽子を被らずに外出したら、とくどき雲が切れ、頭に強い陽射しが容赦なく当たった。晴れの間違いかと思ったが、空の雲の量はあまりかわらず、太陽のあたりだけ雲が切れるような気がした。

 出席した会議は二つだけだが、場所が離れていた。汗をかきながら桜木町、関内あたりを歩き回って、たっぷりと汗をかいた。頭の天辺もかなり日焼けしたのではないだろうか。夏の陽射しなので、例え雲が多くても、帽子は忘れないで出かけたいもの。反省である。

 しかも本日は眼科で緑内障の点眼薬も処方してもらい、薬局経由で帰宅。家についてみると1万5千歩も歩いた。かなり早いスピードで長時間歩行であったので、運動量も多かった。

 さいわい膝の痛みはない。ここ数日かなり歩いている。明日は終日雨の予報なので、膝の休養日にしたいものである。

 


本日から「予告された殺人の記録」

2024年06月26日 22時18分01秒 | 読書

 本日から読み始めた本は、「予告された殺人の記録」(G・ガルシア=マルケス、野谷文昭訳、新潮文庫)。まったくの衝動買いであるが、1982年のノーベル賞作家であることや、大江健三郎との交流などの知識はある。
 久しぶりに小説を読みたくなった。数ページを読んだだけなので、感想はまだ先にしたい。

 明日も10時には出かけて、午後も会議。明日は一日中曇りで最高気温は本日よりは少し低いようだ。

 


追い抜きたくなる衝動

2024年06月26日 20時34分03秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 朝から熱い陽射しのもと、出歩いた。ウォーキングのように歩き、途中の喫茶店で2回休憩。昼以降は疲れたので、汗をかかない程度に歩いた。
 それでも1万2千歩を超えた。横浜駅前では15時前に通り雨があった。横浜市の西部の方では短時間だったもののかなりの強い雨であったらしい。

 本日歩いていてびっくりしたことがある。階段を降りようとして、右膝に痛みを感じなかったのである。ここ3年程、右膝に痛みを感じて、足を引きずって歩くのが当たり前になっていた。あまりに不思議なので、いったん階段を歩くのをやめ一呼吸おいてから、恐る恐る手摺りにはつかまらずに再度階段を降り始めた。やはり痛くない。
 少し足を早めてみたが、やはり痛くない。階段が切れて踊り場でも痛くない。再度階段になってからもスムーズに降りることが出来た。
 ホームまでの7本の階段を終えて、実に不思議な気分になった。今度は地下鉄の平らなプラットホームを端まで早めに歩いた。それでも痛くなかった。これ以上早く歩いたり、続けて歩くと再度痛みが出るのではないか、と心配になって歩行をやめた。
 電車を降りてから、目的地までここ最近にはない早さで3千歩ほど歩いた。心地よい汗が吹き出てきた。ここで喫茶店でひと休み。

 不思議なもので、早く歩けると前の人を追い抜きたくなる衝動が湧いてきた。それを押さえて、自分に「無理するな、無理するな」と暗示を掛けるように歩いた。所用を済ませてから、ふたたび喫茶店に入り、昼食として軽くトースト1枚を食べて45分の休憩。

 右膝を痛める前は、前に人がいると追い抜きたくなる衝動を押さえられなかった。考えてみれば、右膝の痛みを抱えながら暮しているうちに、追い抜きたくなる衝動が消えていた。いつの間にか、これが「老い」を加速していたのかもしれない。
 これからは追い抜きたくなる衝動を押さえながら、追い抜かれても気にせずに、なおかつ満足のいく早さで歩きたいものである。追い抜きたくなる衝動は、害にこそなれ、益にはならない。
  


強大は下に拠り、柔弱は上に拠る(老子)

2024年06月25日 14時28分28秒 | 読書

 老子の第76章。「人は生きているときは柔らかくしなやかであるが、死んだときは堅く強張っている。草や木など一切のものは生きている時は柔らかくてみずみずしいが、死んだときは枯れて堅くなる。・・・武器は堅ければ相手に勝てず、・・・強くて大きなものは下位になり、柔らかくてしなやかなものは上位になる。」(蜂屋邦夫訳、岩波文庫)とある。

 保立道久訳では「人が生まれたときは柔らかく弱々しいが、死ねば筋肉と靭帯が硬直する。草木が生えるときは柔らかでなよなよしているが、死ぬと枯れてかさかさになる。・・・兵が強くとも勝ち続けることはできない。・・・強大なものは地下にいき、柔弱なものが地上に生き残る」(ちくま新書)と訳されている。

 ここに加島祥造の「タオ 老子」(ちくま文庫)がある。最近購入してみた。この76章では次のように「意訳」している。
 「剣もただ固く鍛えたものは、折れやすい。/木も堅くつっ立つものは、風で折れる。/元来、強くこわばったものは/下にいて、/しなやかで柔らかで/弱くて繊細なものこそ/上の位置にいて/花を咲かせるべきなのだ。」としている。

 人は他者の意見を聞くときに、自分の意見というフィルターを通して聞く。特に意見の違いが大きいと思われる人の意見に対するときはそのフィルターは、ほとんど閉ざされてしまい、堅い壁のようになる。
 人の意見を聞くときは、特に異なる意見や文句をいう人に対するときこそ、まずは意見を十分に聞くゆとりを自分に持たせたい。常にそれが出来たとは言えないが、心掛けてはきた。
 相手の意見は、同意する箇所からまず整理する。その次に異なる部分を整理する。さらにその意見の基本となっている部分を想定してみる。
 反論するときは、同意意見から述べ、相手の意見の基本を確認する。自分の意見と異なる部分は最後に述べる。こうすれば対話となって議論ができる。

 自分で練り上げていない意見は、他人の思想や意見の借り物でしかない。それは剛直で柔軟性がない。一見強大で強く見えても、応用力はない。そして権力者にすり寄る政治家や組織に寄りかかる政治家に見られる論理性のない人は、一方的で強引にものごとを進めて異論を認めない。そういう人に、多くの人は沈黙してしまう。

 一方で私たちの仲間内にも人の意見を聞くことが不得手な人はいる。ちょっとでも違う意見を聞くと、端から否定することから対話を始めようとする。人の意見を最後まで聞こうとしない。意見を抑圧されてきたものほど、その傾向があるのかもしれない。
 少数意見として抑圧されてきたものほど、したたかで柔軟な思考力を身につけて欲しいのだが。

 しなやかで、したたかで、繊細で、柔軟な思想こそが生き残る。そういう思考を私たちは身につけたいものである。老子の言葉では、世の中の上・下という概念だが、時間軸でものごとを判断したい。


優柔不断

2024年06月24日 21時22分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は夕方から久しぶりに学生時代の友人と市内で会うことになった。明日も気温は高く、蒸し暑いとのこと。減量中なので、飲み過ぎ・食べ過ぎにならないようにしないといけない。

 退職者会ニュースの、自分で見つけた手直しはさらに増えて20箇所近くもあった。これでおしまいならば嬉しいのだが。もう夜も遅いが、これよりメール発送。

 これより読む本はまだ決めていない。優柔不断になっている自分が情けなく、そしてもどかしい。


梅雨の晴れ間で33.4℃とは・・

2024年06月24日 20時02分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 13時過ぎに親に頼まれた所用のために、妻とふたりでバスを利用して横浜駅の家電量販店へ。地下の喫茶店で一服ののち、妻は買い物、私は書店巡りののウォーキングへ。
 本日の横浜の最高気温は33.4℃と今年の最高気温。昨日よりも9.4℃も高かったようだ。15時半を過ぎても、ムッとするような暑さの中、長時間のウォーキングは避けて、横浜駅から公園で2回ほど休憩を取りながら、自宅まで遠回りで1万歩程度を歩いた。
 帰宅直前には雲が全天を覆ってしまった。

 帰宅後は、退職者会ニュースの原稿づくり。最後の記事を送信してもらい、早速字数を減らしながら枠に当てはめた。
 打ち出しをして、チェックをしてみると10数箇所の修正・改善点を見つけた。本日中に他の役員へ送信して、チェックをお願いする。今回は入稿前にチェックが終わりそうである。

 


読了「春画のからくり」

2024年06月23日 21時39分48秒 | 読書

 

   

 「春画のからくり」(田中優子、ちくま文庫)を読み終えた。

文学や歌舞伎や浄瑠璃を見ていれば・・これらの消費者に多くの女性が含まれていることから考えても、男の幻想だけで物語を作り出すわけにはいかないはずなのだ。江戸時代における女の好色や性の心理的規制の緩やかさを、男の幻想のように考えるとしたら、そこには近代管理社会への忠誠心が見え隠れするだけだろう。」(「春画における覗き」)

遠眼鏡による覗きという画中の見る者と見られる者とを隔てる距離の設定であった。こうした距離が設定されなければ、覗きとは両者の馴れ合いによる共犯関係にしかならない。そこでのエチケットとは互いに素知らぬ振りをすることであり、そうでなくては覗きそのものが一つの茶番劇と化してしまう。画中からの「見返す目」すなわち絵を見る者への語りかけによって、覗きという行為の心理的葛藤を白日の下に曝した歌麿は、その趣向に一大変革をもたらした。」(同)

春画は布に満たされている。布の王国である。布と襞は、見る者の高まりを邪魔するどころか、さらに刺激している節がある。この傾向は18世紀には入ってから次第に強くなり、春信において甚だしくなり、歌麿において頂点を迎える。そのあとは次第に布地を描きこむことが単なる様式となり、仕方なく描いているように見え。布地はエロティシズムの一部ではなくなり、邪魔者になり始めるのである。これは明らかに時代の特徴であり、エロティシズムに時代的変遷があるといわざるを得ないだろう。それは歴史的であるとともに普遍的でもある。春画に限らず浮世絵一般のなかにも、西欧の絵画や彫刻の中にも見出される。エロティシズムに限らない。布とその文様や色彩の組み合わせは男女ともにその人のあり様を表現する一部として、明治初期に至るまで、日本の物語文学の中では頻繁に語られてきた。」(「エロティックな布」)

 私にとっては参考になった論考であった。「春画」を江戸時代全体の文化状況を見極めながら、そこに位置付ける手法は魅力的であった。江戸と「文明開化以降の明治」との間のつながりと継続の側面も参考になる。
 


「沖縄全戦没者追悼式」の「平和の詩」

2024年06月23日 17時06分09秒 | 読書

 平和祈念公園で「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、県立宮古高校3年の仲間友佑(ゆうすけ)さん(18)が「これから」と題した「平和の詩」を朗読する。全文はこちら。

    平和の詩「これから」
              沖縄県立宮古高校3年 仲間友佑

短い命を知ってか知らずか
蟬(せみ)が懸命に鳴いている
冬を知らない叫びの中で
僕はまた天を仰いだ
あの日から七十九年の月日が
流れたという
今年十八になった僕の
祖父母も戦後生まれだ
それだけの時が
流れたというのに
あの日
短い命を知るはずもなく
少年少女たちは
誰かが始めた争いで
大きな未来とともに散って逝った
大切な人は突然
誰かが始めた争いで
夏の初めにいなくなった
泣く我が子を殺すしかなかった
一家で死ぬしかなかった
誰かが始めた争いで
常緑の島は色を失(な)くした
誰のための誰の戦争なのだろう
会いたい、帰りたい
話したい、笑いたい
そういくら繰り返そうと
誰かが始めた争いが
そのすべてを奪い去る
心に落ちた
暗い暗い闇はあの戦争の副作用だ
微(かす)かな光さえも届かぬような
絶望すらもないような
怒りも嘆きも失くしてしまいそうな
深い深い奥底で
懸命に生きてくれた人々が
今日を創った
今日を繋(つな)ぎ留めた
両親の命も
僕の命も
友の命も
大切な君の命も
すべて
心に落ちた
あの戦争の副作用は
人々の口を固く閉ざした
まるで
戦争が悪いことだと
言ってはいけないのだと
口止めするように
思い出したくもないほどの
あの惨劇がそうさせた
僕は再び天を仰いだ
抜けるような青空を
飛行機が横切る
僕にとってあれは
恐れおののくものではない
僕らは雨のように打ちつける
爆弾の怖さも
戦争の「せ」の字も知らない
けれど、常緑の平和を知っている
あの日も
海は青く
同じように太陽が照りつけていた
そういう普遍の中にただ
平和が欠けることの怖さを
僕たちは知っている
人は過ちを繰り返すから
時は無情にも流れていくから
今日まで人々は
恒久の平和を祈り続けた
小さな島で起きた
あまりに大きすぎる悲しみを
手を繋ぐように
受け継いできた
それでも世界はまだ繰り返してる
七十九年の祈りでさえも
まだ足りないというのなら
それでも変わらないというのなら
もっともっとこれからも
僕らが祈りを繋ぎ続けよう
限りない平和のために
僕ら自身のために
紡ぐ平和が
いつか世界のためになる
そう信じて
今年もこの六月二十三日を
平和のために生きている
その素晴らしさを嚙(か)みしめながら