Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

エルグレコ展を見に上野へ

2013年01月31日 15時55分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 エルグレコ展、実は一週間前にチケットショップで2枚を購入した。昨日講演会で無料券が配布となった。妻から「二人で行くときは好きなテンポで歩けないだろうから、今日はまず1人で無料券を使ってユックリ行って来たら?」との言葉をありがたくも頂戴した。
 二度見ることができて、しかも時間を気にしなくていいとは、贅沢。

 ということで、昼少し前に家を出て、改装なった東京都美術館へ。上野駅を出ると西洋美術館の入口には「ラファエロ展」の大きな看板。ドキッとしたがよく見ると「予告」と書いてある。
 
 会場は人はそれなりに来ていたが、それほどの混雑でもなくゆっくりと2時間半ほどかけてまわった。昨日の講座で説明のあったいくつもの作品を思い出しながら、説明を思い出しつつ、また音声ガイドも活用しつつ堪能した。個々の作品については別項の予定。

 私はこれまでは印象派以降の西洋美術はそれなりに見てまわった。特に美術史の勉強はしなかったが、自分の目だけを頼りに、それこそ独りよがりの解釈や鑑賞も含まれていようが、気にせずに自分なりに楽しんできた。
 実は中学・高校とミッションスクールだったので、キリスト教の絵画を見る機会は多かった。しかしそれは中学生向けのちゃちな子供っぽい、それこそ幼稚園生向けの一般の絵本よりも見劣りのするカードであったり、新約聖書の物語絵だったりと、いづれも「美」とは程遠いものであった。
 しかしヨーロッパの教会の外観の写真や内部の写真が飾ってあることもあり、またそのような本が備え付けられてあったりして、実際の絵を見てみたいという思いは継続していた。もっとも当時は、仏像の写真を月間「太陽」の立ち読みで見るのが趣味で、キリスト教絵画には背を向けていた。印象派の絵は心惹かれるものがあり、印象派の成り立ちからは否定されるべき存在だった宗教画という勝手な思い込みがあって、ますます敬遠してしまったように思う。
 30歳を過ぎてからだったと思うが、どういうきっかけかはまったく記憶に無いのだが、ふとミケランジェロのシスティナ礼拝堂の天井壁画の、神とアダムの描写で両者の指がつかず離れずのわずかな距離で呼応している絵を見て、何故か頭から離れなくなった。いつか見に行ってみたいと思ううちに、ルネサンス絵画の図録を本屋で立ち読みするようになった。
 印象派以降の絵の場合も、キリスト教的教養がないと理解できない印象派以降の絵もあり、いつかは勉強したいとは思っていたが、それが少しずつ頭の中で膨れてきて、最近勉強しようと思い立ったのだ。
 ヨーロッパのキリスト教絵画は、特にルネサンス以降の絵画の歴史は、ヨーロッパ全体の歴史の厚みのほどに厚みがある。下手に踏み込むとこれはミイラ取りがミイラになるように抜けられなくなるとの恐れもあるが、やはりのぞいてみたい。私の側の救いは、一応この歳になって文化を総体的かつ相対的に見ることができるようになったいると思う。のめりこんでしまって他の文化に思いがいかないようなことはない。そんな気持ちのゆとりを常に持っていたいと思う。

 取りあえずは昔から興味が続いているものや、今興味を持ったものは何しろ一旦は首を突っ込んで経験してみようという貪欲さを保持するのは悪くないと考えるようになった。二の足を踏むのは出来るだけ少なくしてみたい。

 そんなことを考えながら帰途についた。



 その前に、上野駅で千葉県の物産展をしていた。先日購入した焼酎がなくなっていたのを思い出し、かますの干物と「ぶっかけ浜めし」というものと「腰古井」という勝浦市のお酒を購入した。「ぶっかけ浜めし」というのは原材料の欄を見ると、焼黒ばら海苔、青混ぜ海苔、かつお節、糸青海苔の乾燥したものを混ぜたものらしい。醤油をたらしてご飯にかけたり、納豆に混ぜたり、が紹介されている。何とかお酒のつまみにならないか考えてみようと思う。
 電車の中では、冷やして売っていた4合瓶と冷凍してあったかますの干物ですっかりカバンが冷たくなっていた。


  

寒中に春の気配

2013年01月30日 22時00分37秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 東京・横浜あたりの本日の温かい日射しに春を感じた方も多いのではないか。日中は横浜は15度近くまで気温が上がったらしい。昼前に軽くジョギングを4.5キロほどしたがずいぶん汗をかいた。そしてみなとみらい地区を通ってランドマークタワーまで約50分ほど歩いたが、やはり汗ばみ、終盤はコートを脱いで歩いた。

 4時半過ぎに家に向かって再び歩き始めたときは日がかげってさすがにコートを脱いでしまうことはなかったものの、夕方の風がなんとなく生ぬるく、春を思わせるような風に感じた。
 みなとみらい地区からポートサイド地区に渡る海の上の橋でそんな風を感じた。港に群れるかもめの羽を休める姿にもゆとりを感じた。夕焼けの橙色の西空にも温かみを感じた。

 予報では夜には北風になるとのことだったのだが、夕方はどちら向きの風だったか。風の向きまで気が回らなかった。天気予報では今度の土曜日には東京地方は18度まで気温が上がる予報になっていた。ようやく寒い冬の終わりが始まるのだろうか。

講座「エルグレコ展を楽しむ」

2013年01月30日 20時59分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 東京都美術館で開催されている「エルグレコ展」について、現富山県立近代美術館長雪山行二氏の講演会が横浜であり、参加した。
 雪山行二氏は、エルグレコ展は25年前に当時の国立西洋美術館で開催されたが、その時に西洋美術館で担当であり、今回監修者の立場で関与されている。
 この雪山行二氏、私が51歳から58歳の時まで横浜美術館の館長でもあり、その時分何かの催しで見かけたことはあったと思う。今回も教室に時間前に入ったときどこかで見たことがある人が教室の前にいるな、と思っていたらそこ方が雪山氏であった。面識があるわけでもないし、私などこんなすごい肩書きの方に声をかけてもらえるような立場でもないが、見たことのある人だと何となく話を聞くのも楽しくなるものらしい。
 当初13時半から15時半の予定が16時15分近くまでと45分も超過してエルグレコの絵画の見所や画家の特徴を詳しく語ってもらった。講義の前段には、25年前のエルグレコ展での苦労と今回の展示の比較の話もあり、なかなか勉強になった。


 エルグレコがギリシャのクレタ島出身で、ヴェネツィアでイタリアルネッサンス様式の絵画を身につけ、スペインのトレドに赴き宮廷画家をめざしたらしいがなれなかったこと、終生絵のサインにギリシャ文字を使用したこと、エルグレコとはギリシャ人という意味のスペイン語であること、スペインに渡った後イタリア様式の写実的な絵画から脱却し独自の画家として開花したこと、死後あっという間に忘れられたが19世紀末から20世紀初頭にセザンヌやピカソなどにより再評価されたこと、東方教会の影響下にあったクレタ島出身でもあり平面的なビザンツィン様式の影響が晩年まで続いたこと、などなどごく基本的なことを語ってもらった。
 神奈川大学での伊坂清二氏の5回連続講義(4月から続きがあるかもしれないとのことでこれも申し込む予定)とあわせて多少は西洋美術の基本を教わることが出来たようだ。再来月にはラファエロ展についての講座も申し込んだ。
 美術展の楽しみ方、こういう方法もあったことがようやく最近わかってきた。独りよがりの楽しみ方もまたいいのだが、基本的な視点を教わると視界がぐんと広がるような気がする。

休養日2日目

2013年01月29日 21時42分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 気分は極めて爽快、朝飽きたら、昨日までのもやもや、不快感はまったくなくなっていた。朝食もおいしくいただいた。

 休養日といって家にじっとしているのはどうも性に合わない。昨日も横浜駅の地下街まで買い物に妻と出かけた。本日も朝からじっとしているのに耐えられなくなって、6キロのコースをウォーキングに出かけた。風もなく日差しのある中を歩き、90分ほどだったがうっすらとだったが気持ちのいい汗をかいた。
 午後は折角の休養日と思い、実に久しぶりに1時間ほど昼寝。平日の午後にこんな贅沢な時間を過ごしていいのだろうかとも思いつつ。3時過ぎからは昨日に続き妻と横浜駅まで歩き、特に目当てはないものの地下街をぶらついてみた。

 やはり性分として一日家に閉じこもっているのはつらい。用事や買い物がなくても本屋や山の用品店をのぞいて、喫茶店でコーヒーを1杯でも飲みたいものだ。

 さて明日は午後から講座がある。みなとみらい地区まで運動がてら歩いて往復してみようと考えている。いつもは行きか帰りかのいづれかは歩いているが、往復は久しぶりだ。往復で2時間半くらいだろうか。汗をかくかかかないかくらいの速さで。


休養日2

2013年01月28日 21時54分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 お腹の調子は昨晩に較べたら格段にいいのだが、しかしまだ今ひとつ完全ではない。午後に買い物に付き合って横浜駅まで出かけたが、何となくすっきりとしない。それでも夕食はおいしく食べることが出来た。回復はもう間近いとは思う。

 本日、シベリウスでも聴きながら読書と思ったものの、結局一日フリーメールのアドレス帳の整理に追われてしまった。フリーメール2種と携帯電話の合計3種のアドレス帳にそれぞれかなりの登録があるのだが、現役の頃に出来上がったこれらの内容をつき合せ、取捨選択してほぼ同様の内容にするのは手間がかかる。まだ終わっていない。これ以上続けると肩もこって休養日にはならなくなってしまう。大体のところは出来上がったので、おいおい仕上げるつもりで後は少しずつやっていけばいいようだ。

 久しぶりに美術館や博物館での感想の記事のアップがないので、気持ちも楽だ。昨日までは何となく整理することに追われて、気持ちの上でせわしなかった。走り始めると制御が利かないのは昔からの性分だったと思う。この歳になったら自分で制御出来なくてはいけないのだが、今回もブログ友達にブレーキをかけてもらった。ありがたいと思うと同時に自分を律することの難しさをあらためて感じた。

 反省はこの程度にして今夜も早寝としよう。

休養日

2013年01月28日 10時53分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 正月早くも月末となった。

 昨晩就寝中はお腹がグルグルとなっていたが、今朝になってそれもなくなり、腹痛も起きていない。
 他の症状も出ていない。とりあえずホッとしている。
 夕べの食事、一緒に食べた家族は特に胃腸の症状は出ていないので、私個人の一過性の症状だったような気もする。
 しかし今日・明日は予定も無いので、無理をせず休養日としよう。

 12月からかなり駆け足でいろいろ体験してきたので、本もロクに読んでいない。音楽も落ち着いて聴いていない。読書では、なかなか理解できない白隠について、解説書とカタログに目を通したい。そして音楽は久しぶりにシベリウスのピアノ曲をまた聴きたい。
 エルグレコ展の予習も必要かな?これは無理をせずに‥。

夕食後から‥

2013年01月27日 22時29分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 勝坂縄文展の記事を作成していたら、夕食後に激しい腹痛が始まり、ひどい下痢模様となった。短時間で3回ほど。3回目の下痢の時夕食時に摂取したものがもう排泄されたようだ。その後数時間は治まっているが、このブログを訪れてくれる大納言様は下痢などの症状でずいぶんつらい数日を送ったようなので私も不安になっている。
 

 本日は昼前に8.5キロほどのジョギング。最近はウォーキングばかりだったのでジョギングはゆっくり目、でも疲れた。雪を被った富士山と丹沢の眺めがすばらしい。爽快な気分になる。
 その後神奈川県立歴史博物館に向けて歩き始めたが、昼前のジョギングによる筋肉痛で横浜からはJRにした。拝観後、喫茶店でパンフを読んでいたら15分ほど寝入ってしまったらしい。疲れらしい、ちょっと情けなかった。

 それでも帰路は博物館からみなとみらい地区とポートサイド地区を歩いて自宅まで。途中でコンビニの前を通るたびに缶ビールの誘惑が襲ったが、これは切り抜けて無事家にたどり着いた。

 夕食時に焼酎のお湯割りを飲みながらブログを書いていたらやはり15分ほど寝入ってしまった。そして腹痛が始まり眠気は飛んでいってしまったものの、先ほど書いたとおり今後どうなるか、不安がある。

 明日・明後日は特に予定は無いが、水曜にはNHK文化センターでエルグレコ展に向けた講演会を申し込んである。これは欠席したくない。本日は早めに就寝したほうがよさそうである。


「勝坂縄文展」

2013年01月27日 21時47分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は午後から神奈川県立歴史博物館で開催中の「勝坂(かっさか)縄文展」へ。入場料300円。

       

 単に遺物としての縄文土器を羅列・展示するだけではなく、その美に着目した展示ということに大いにひかれた。ここ、神奈川県立歴史博物館の展示はいつも素っ気ない陳列に終始するようで、私などは展示を見ても消化不良のような気分に襲われることが多い。
 昔から博物館などでの展示は親切心などから程遠い。大体は展示物の名称と出土地点や現在の保管地点、そして大まかな時代、その程度が表示されているだけだ。その遺物や展示物を取り巻く時代背景や価値の特徴など素人の知りたいことについてはとても冷たい。わからない奴は勉強して来い、わからない奴には見せても意味はない、見たいな姿勢が伝わってくる。
 今回、縄文土器を我々の視点に立ってどのように解釈したり鑑賞するかという意図が一応わかるような展示の工夫がされている。展示物の名称もいかめしい名称のラベルではなく「へびのような突起が付けられた土器」などのラベルが添えられている。あるいは土器の文様の解説などもそれなりに丁寧に添えられている。
 土器の用途については確定的な用途をつっけんどんに表示するのではなく、どのような用途なのか不明との表記、あるいは推定の用い方の展示などの工夫もあった。文様の乱れに着目した解説も、それが当を得ているか否かは別として、提起としてとても刺激的であった。用途は太鼓ではないか、との解釈の上に実際に敲いて音が出るように皮を張り、敲けるようにした工夫もあった。


 上の写真は私がもっとも美しいと感じた「取っ手のついたコップのような形」。解説にあるとおり整った形と丁寧な造作と何に使われたかわからないが、不思議に「機能的」という言葉が出てくる美しさがあった。内側の仕上げのなめらかさも実に丁寧だ。使い込まれた美しさも感じた。

        

 土偶はいづれも彫が深い顔、あるいはメリハリのある輪郭が美しい。この土偶を見ているだけでも今回の展示は満足の行くものだった。土偶自体の用途はわからないが、私はやはり制御できない自然に対する「畏敬」に基づく原初的な「祈り」を感じ取った。また土器の口縁部にある人の表情からは邪を払うような表情と作者・使用者の意図を感じ取った。切れ長の目は邪気に対する強い意志を見る思いがした。
 同時に火焔式土器や同時期のやはり複雑な文様が貼り付けられた土器も展示され、縄文土器の魅力ある典型的な形態も堪能できた。
 また実際に土器を作成してみたビデオや写真の展示も目新しい。

     

 さらに岡本太郎が縄文土器に着目した視点を紹介し、実際に岡本太郎が映した縄文土器の写真などの展示はとてもいい展示であった。
 岡本太郎の縄文土器の写真は照明にも凝り、その美的な要素を当時としては凝った照明や撮影技術で強調している。起伏が大きく、彫りの深い文様や人物像などをモノクロのコントラストの強い画面で現像している。
 岡本太郎の文章の引用では、「爛熟したこの文化の中期の美観のすさまじさは、息がつまるようです。芸術の本質は超自然的なはげしさだと言って、いやったらしさを主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」「縄文土器がどんなにすばらしいとしても、過去のものです。われわれが今日の現実に直面して、それ以上にはげしくたくましく生き、その表情を芸術のうえに打ち出すのでなければ、なんの意味もない」などが紹介されていた。またかいせつで、「岡本太郎は芸術写真としての縄文写真を求めたわけではなく、『自分の中に縄文を取り込んでやる』くらいの気概で、縄文土器と対峙している」などの解説はこれまでにない解説だ。
 今回の展示、図録は販売はしていない。その代わり無料で40ページのカタログが入口で配布となっている。これはとてもありがたかったのだが、どういうわけか展示されていた火焔式土器などの写真がまったく掲載されていない。これはどうしても納得できない縄文の魅力を広く伝えたい展示である以上はこれは省いてはいけない写真ではないだろうか。掲載できない諸事情があるならば、せめてその旨を掲載してほしかった。
 新しい展示の方向を模索しているらしい、その努力については評価は出来る。引き続きこのような人を惹きつける展示を期待したいものである。

 


海鮮居酒屋「ふじさわ」

2013年01月26日 10時56分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 特定のお店を紹介することはまずないのだけれど、昨晩行ったお店はなかなか気に入った。
 白隠正宗を飲めるかも知れないとちょっとの期待をもって出かけた。実はこの店、昨年・今年と箱根駅伝を見た場所のすぐそばであった。ネットで「白隠」を検索中に「白隠正宗」というお酒が白隠の出身地の蔵元で醸造されていることをしり、そのお酒が横浜中華街のすぐそばの一石屋酒店で扱っているらしいことがわかった。そして同時にこの「ふじさわ」でも客に供されていることもわかった。
 そうはいってももう品切れの可能性もあるだろう、とは思ったが店の紹介が「メインの魚料理は、三浦市にある金田湾で朝に獲れたものを市場を通さずに仕入れています。その他、横浜の栄町という立地を生かし、横浜中央市場へ直接仕入れに通っております。飲み物は利き酒師であるオーナーが選んだ日本全国の地酒常時25種類前後用意しております」とあるので、目当てのお酒がなくてもいいお酒が飲めるかもしれないと期待をして、寄ってみることにした。

 小さな店でテーブル席が10席とカウンターが6席で、清潔感あるカウンターに座ったら目の前に「白隠正宗」の純米吟醸の一升瓶がドンと立っていた。吟醸酒というのはどうも苦手なのだが、折角だからまずこれを注文した。お酒のメニューには手ごろな値段でお店のお勧めのお酒がびっしり。
 初めての客とすぐわかったようで、店長が名刺をくれてまずびっくり、かつ恐縮。メニューには掲載されていないし、珍しいお酒だし、こだわりのお酒だから間違いなく高いのだろうとちょっと心配になり値段を聞くと、980円とのこと。確かにこのお酒は高いが注文した以上、高いから止めますというのも恥ずかしいので、そのまま注いでもらった。
 「通常吟醸酒は冷蔵庫で冷やしてお出ししますが、これは蔵元から常温で供してほしいといわれていますので」ということで常温でなみなみと注いでくれた。珍しいと思いながらも一口味わってなるほどと思った。私は鼻が利かないので香りはわからないが、味は吟醸とは思えない。精米歩合は50パーセントとずいぶん削っている。濃厚な味わいがする。そして何よりびっくりしたのは、アルコール特有の刺激が感じられなかった。これは通常日本酒だと口の中がべたついてしまって1合くらいしか飲めないのだが、これはつい飲みすぎてしまいそう。
 白隠の名を冠した白隠出生の地のお酒、山岡鉄舟の命名などと聞くと、姿勢を正して飲まなくてはいけないのかな、あるいはかなり偏屈な味わいかな、と考えたがまったく違った。素直に口に運ぶことができた。

 お通しは若布の酢の物と思われたが、これは酢が強くなくてとてもおいしい。舌触りもいい。すっかりご満悦になってから、つまみのメニューをながめて「海鮮サラダ」680円を注文。ちょっと間をおいて出てきたサラダ、ドレッシングがとてもいい。日本酒にはたしてあうのかなと思ったが、そんなことは余計な心配、幾種類かの刺身用の魚の味も引き立ててくれておいしかったし、ボリュームのたっぷりであった。
 ついもう1杯飲みたくなって同じものを注文したら「同じ白隠正宗」でも別のものを出してくれた。吟醸酒ではなく生酒原酒と書いてあり、精米歩合がこちらは60パーセントと低いが、こちらも十分においしい。私としては珍しく2合も飲んでしまった。
 話の中では、1/3合のグラスも供してくれているみたいだったが、今度来店したときはそれで味見をするのも悪くないと思った。
 魚とおでん等がメニューに載っている。特に高くはないし、手ごろだと思う。昨晩は海鮮サラダだけにしたが、今度はもう少し注文してみたいものだ。
 もう一つ気に入ったのは、店長はなかなかお酒について勉強しているようだ。ただしおしゃべりではない。これがいい。聞けば丁寧に教えてくれる。そして厨房の中は二人。16席の店で3人で切り盛りしている。これは人件費を嫌う昨今には珍しい。人の手をキチンとかけて肴を作ってくれる。とてもうれしい。
 次回は東北のお酒を注文してみよう。
 難をいえば、焼酎もいいものを扱っているらしいのだが、メニューには書いていない。次回に聞いてみよう。
 そして会計をしてもらったら、2600円あまり。希少なお酒とおいしい肴でこれは安いと感じた。2杯目は700位だったから高くはない。ちょうどよく酔って30分、冷たい空気に酔いを醒ましながら帰宅した。

 こんどは誰かをさそって訪れたい店だ。歩いて6~7分で横浜駅の喧騒を離れ、家からも近い。何より落ち着ける。


海鮮居酒屋「ふじさわ」と「白隠正宗」

2013年01月25日 21時49分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

本日はブログへコメントをいろいろいただき、ありがとうございます。
私はすっかり酔ってしまい、しあわせの極地(^_^)v
ということで詳細は明日書き込みます。
そう、白隠正宗たいへんおいしいお酒でした。2合いただきました。
またそれを出してくれた居酒屋さんも素敵なお店でした。
海鮮居酒屋「ふじさわ」、横浜駅東北口から7分くらい。
小さなお店ですが、お酒の種類も豊富、おつまみも手作りの心のこもった味わいを楽しめます。海鮮サラダ、おすすめです。
病みつきになりそうなお店です。

では本日はおやすみなさい。


白隠がらみで‥

2013年01月24日 21時16分58秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日の夜、気分転換にネットで「白隠」を検索してみた。私のこのブログも検索で出てきたのだが、それよりも「白隠正宗」という言葉がヒットした。そして「高嶋酒造株式会社、清酒白隠正宗の製造をしております」というホームページが出てきた。白隠の生れた東海道の原宿(現在の静岡県沼津市原)にある酒造メーカーとのこと。ホームページを見てみると、白隠の「半身達磨」の絵をラベルに印刷してあるようだ。
 開いてみるとなかなかこだわりの酒蔵のようだ。酒蔵としては文化元年というから1804年に創業とのこと。山岡鉄舟が1884(M17)年に命名したお酒という。
 決して大きな酒造会社ではないようで、直接販売もしていない。取り扱いの店を探してさらにネット検索をしていたら、横浜の中華街の傍の酒屋がヒットした。また、我が家から歩いて30分とかからない場所の海鮮居酒屋がヒットし、そこではこのお酒を供しているらしい。
 ということで日曜日にでも県立歴史博物館を訪れて4合瓶を購入してみようかと考えた。また明日にでもこの海鮮居酒屋によってみようかと思う。
 白隠がお酒になったらどんな味になるのであろう。かなり辛らつな味なのかもしれない。そう、決して安易に飲みすぎたり、酔いつぶれてはいけないお酒のような気がする。心して、背筋を伸ばして飲まなくてはいけないのであれば、どうしよう。そんな堅苦しいお酒ならば、さっさと帰ってこなければならないが‥。
 私の予想では販売している酒屋さん、居酒屋さんは、心優しくて機知に富んでいるような気もするがどうであろうか。
 明日のブログに感想が載せられるだろうか。

「いつか見た風景-北井一夫-」展

2013年01月24日 12時05分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   
 モノクロの写真の時間の深度は深い、カラーの写真ではマクロ写真のように時間は近くに寄って来る。そして何よりモノクロの写真は見る側のイメージが膨らむ。
 こんな感じが北井一夫の写真展を見て感じた。1944年生まれだから私よりは7歳年長。だが、私の経験と重ねると同時代の方のようにも感じることがある。


 そして、この人は定点観測のように地に足をつけた生活者の視点をいつも探している人だな、と思った。そして定点観測のように一つの地域に腰を据えてとった写真が私の心を惹きつけるようだ。
 神戸の港湾作業を撮った写真、日大闘争を内側から撮った写真、三里塚の現地の視点からの写真、そして東北に目を据えた写真、船橋という都市の生き生きとした描写、どれもが腰が据わっている。メッセージ性など寄せ付けない視点の確かさがあると感じた。
 1970年代の農村の解体を観察し続け、そしてその農村の解体の結果生れた船橋という新しい都市の大きな変貌を浮遊する都市民の視点で捉えている。むろん解体する古い都市の面も忘れてはいない。
 1970年から80年代にかけて、ちょうど戦後の社会的な価値や理念が解体していく時代を農村と都市という両側面から見事に捉えていると感じた。
 私が職を得た1975年から、1980年末にかけて職場は大きく変わり、職場を律する価値観も大きく変容してきた。そこをかなり意識的に関わってきたと私は思っているが、その時間の体験と北井一夫の視点の変遷は重ね合わせて見ることができた。
 私の妻も、1970年代前半からの東北の農村のモノクロの写真を食い入るように見ていた。モノクロは時間の深度が深いといったが、それは私たちの経験した40数年の時間がとても昔のように感じられるという意味だ。これがカラーだと、いくら古ぼけて粒子の荒れた画面であっても最近の事象のように感じられるのだ。
 決して懐古趣味ではないつもりだ。雪に埋もれた新潟の家の中から外のカメラマンを見る子供の視線に、新潟に限らずこの列島全体の1970年代に解体していく農村の普遍的な風景を、見る人は見出すことができる。

 そして私はこの展示を見て、視点の定まったものの見方の大切さを教えてもらった。今この歳になって知ったからといって、私の人生が変わるものでもないが、ただし、私はいつも少なくともこの40年間の視点は変えていないと思っている。
 なかなかいい写真展を見ることができた。

本日の御褒美

2013年01月23日 23時06分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
   

 褒美といっても特に褒められることもしていないし、自分なりに特に苦労した日でもないのだが、単に日本酒がなくなっていたということで、「龍酔」という芋焼酎を初めて購入してみた。名前がいいし、ラベルと文字が大胆で面白い。鹿児島県曽於市大隈町の岩川醸造と書いてある。口当たりもなかなか気に入った。



 この焼酎のお供には、スーパーの惣菜コーナーで買ったオクラや昆布などのネバネバ5種のサラダと、メインのつまみとして、いただいた福岡県柳川市の水産堂というところの貝柱の粕漬。この粕漬、初めて食べたが、なかなかにおいしい。貝柱が程よく漬かっているというのか、身が締まっていて歯ごたえがとても良い。その上粕漬の粕がまるでクリームのようななめらかさで、コクガある。こんな粕を食べたのは初めてだ。柳川ブランド認定品と記されている。これは病みつきになりそうだ。焼酎にもあうが、日本酒にもあう。ひょっとしたらワインやブランデーでもいいかもしれない。

 さて本日は恵比寿にある都写真美術館に出向き、北井一夫の写真展(1月27日まで)を見てきた。会期ギリギリに開催を知って本日あわてて行った。なかなか良かったので、感想は明日掲載することにした。
 実は神奈川県立歴史博物館での「勝坂(かっさか)縄文展」にも行きたい。勝坂土器というのは岡本太郎が縄文土器に美を見出したきっかけであったとのこと。『考古学史料の縄文土器に、「美」という新しい価値を見いだしたのが岡本さんだった。勝坂式に代表される装飾性豊かな土器を「美観のすさまじさは息がつまるよう」と絶賛。芸術の本質である超自然的な激しさが宿っていると評価した』(東京新聞)という土器。この展覧会は、2月7日までとのことなのでこれも早めに行き、感想をまとめてみたい。なかなか忙しい。

東博「飛騨の円空」展

2013年01月23日 21時22分56秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨日、東京国立博物館で「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」展を見ることができた。
 確か以前にやはり東博の平成館だったと記憶しているのだが、円空上人と木喰上人の二人の作品をかなりの数であったと思うが見たと思う。そのとき私としては円空上人の作品の方が好みだなと感じた。
 今回は高山市内に現存する円空仏100体が展示されている。



 会場に入ってすぐに展示されているのが上に示した「賓頭廬尊者座像」。信者の手でなでられたのであろうピカピカに黒ずんで光っていて、そして木目が実に美しい。よくこれだけ磨き上げられたと思うほどだ。これほど信仰されたのであれば、像自身も、作った円空上人も満足ではないかと思うほどだ。この尊者は撫で仏と呼ばれるそうだし、これ以上に撫でられている仏像は他にもあるかもしれないが、木造の像で350年くらいも撫でられ続けたら像は跡形もなくなってしまう。元の形をとどめて大切にされながら伝えられてきた歴史を垣間見たような気がする。このような作品がまず目に飛び込んでくる展示もなかなか心憎い。

   

 次に目に飛び込んでくるのが、高さが2メートルを越える二体の「護法神立像」。一本の木を4つに割いて作られたものらしい。説明では怒りの表情で、村に邪気が進入するのを防ぐためのものだったとあった。そういうことなら村の境界付近に据えられたか、そのような場所のお堂などに納められていたのかもしれない。しかし両目がつりあがっているものの、私には「怒り」の表情にはどうしても思えなかった。見る角度にもよるのかもしれないが、口元が目と平行して上向きに円弧を描いているので、微笑んでいるように見える。そして口の周りがへこんでいるので笑窪のような具合だ。円空上人という人の性格の反映なのか、それはわからない。邪気や悪を退散させるかもしれないが、訪れるものを歓迎する柔和な顔にも見えてしまう。それが円空仏の魅力なのだと思う。



 そして上に掲げた「十一面観音菩薩立像」はいかにも円空の像らしい目元をしている。頭の上の観音の顔は三十三観音の顔とそっくりだと思う。実は十一面ではなく六面とのことで、それぞれ飛騨山脈(北アルプス南部)の乗鞍岳、穂高岳、焼岳、錫杖岳、双六岳、笠ヶ岳をあらわすとのこと。山登りが好きな人はこれはお守りにするといいのかもしれない。

   

 次は、「三十三観音立像」。目元は、浅くてそれでいて戸惑いなくさっとひかれたと思われる勢いのある彫り、いかにも円空像らしい円空像だと私は思う。典型的な円空仏の表情のような気がする。
 実際は31体しかないそうで、病気平癒を祈る人に貸し出された後戻ってこなかったのがあるため、2体少ないのだということの説明があった。いかにも円空像らしい説明であるが、話の真偽のほどはいかがなのであろうか。特に真相究明は必要ないと思うが。この像、図録の中では他の像と同じような光線を利用した写真と、図録の表紙のように光を最小限にした写真と二つがある。光線の具合でこんなに雰囲気が変わるのも仏像の魅力のひとつである。私は後者のような雰囲気で仏像と相対するのが好きだ。好みは分かれるであろうが、この方が私にはしっくり来る。静かで無言のたたずまいがとても好ましい。

    

 その他今回私の心に残った像は、上記の「不動明王立像」と「如意輪観音菩薩座像」。彫りの深い顔と対照的に、不動明王は剣が少々曲がって顔にくっついているところに可笑しみも感じられる。自在な造形技術ではないだろうか。
 後者の如意輪観音菩薩座像は頬に当てた手が何とも心憎い。これも菩薩像としては彫りが深くて表情が豊かである。衣文の曲線も美しい。不動明王立像と対照的な落ち着きがある。

 今回の展示、私は展示の仕方、並べ方にとても感心した。照明を暗くして、程よいスポットライトで照らし出された仏像の数々、そして像の後ろに張られた濃い緑色を貴重とした布地、よく見ると黒く木立をかたどった文様が施されている。鬱蒼とした飛騨の国の奥深い森をイメージしたのであろう。それを前にした荒削りの、土着信仰と調和を仕切ったような円空の仏像
に似つかわしい展示室のしつらえである。並べ方もいい。
 そしてもう一度見に行きたい企画であった。

 ただこれほどの人が鑑賞に訪れることを考慮するのであれば、部屋はあまりに狭かったように思う。並べ方もいいのだが、混雑するとその意図する展示コースでは人の流れを処理し切れなくて、人とぶつかってしまう。出雲の時のようにせめてもう一室準備してほしかった。
 平日であの人ごみだから、休日や、春休みにあたる会期末にはゆっくりと鑑賞できないような気がする。



 この円空展の記念講演会が1月26日、3月9日に行われるとの情報が入ったのだが、いづれもすでに予定が入っていて申込すら出来なかったのが残念であった。行かれた方の感想が是非とも聞きたいものだ。


東博「南九州の古墳文化」

2013年01月22日 20時41分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は当初の予報では雪模様であった。さいわいにも雪にはならず、昨晩の予報では雨に変更となった。お昼には雨が上がるとのことで、早速上野の国立博物館に出向いた。

 お目当ては「飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-」展。ついでにといってはとても語弊があるが、平成館の1階で展示されている特別陳列「南九州の古墳文化」の二つを見てきた。同時に展示されていた「北九州の青銅器文化」は3月10日までの会期なので次回にまわすことにした。
 「飛騨の円空」展の感想は明日にして、本日は「南九州の古墳文化」の簡単な感想にとどめる。



 南九州の古墳文化と言えば、西都原古墳をまず思い浮かべる。私も以前、10数年も前だったか、宮崎市を訪れたとき足を伸ばしてこの西都原古墳群を見てきた。特別に考古学の知見や経験があるわけではないので、古墳の群落の間を歩いてその規模の大きさに驚いただけで、古墳からの出土品になどについて予備知識はなったくといっていいほど持ち合わせがなかった。
 この状況は今でも変わらないが、当時は機内地方の古墳文化とは一線を画した独自の古墳文化とのイメージで語られることが多かったが、最近では機内の古墳文化とは密接な関係、一体のものとして考えられているとのことである。以前に西都原を訪れたときは、県立西都原考古博物館を訪れなかった。とても悔やんでいた。
 今回少しでもこの悔恨を解消できるかな、と思い東博のこの企画展示を見てきたが、残念ながら逆にもう一度西都原におもむいて、西都原古墳群の歴史的な位置づけをこの博物館で勉強しようと思うようになった。博物館に一度いったからといって全体像がわかるわけではないが、素人には勉強になるはずだ。
 今回の展示で以前から写真で見たことのある、重要文化財という埴輪の「船」を実際に見ることができた。大変精巧な船の形で5世紀当時の造船技術の水準を高さを推し量る埴輪であると聞いている。何人の人が乗って外洋を航海出来たのであろうか。私には30人以上は乗ることが出来たように見受けられるのだが。
 さらに蛇行剣というのを始めて目にした。太刀のようであるが4回か5回のそれこそ蛇行しているように曲がっている剣である。これが南九州独自なのか、機内でも存在するのか、起源はどこなのか、見ていていろいろと知りたいことが浮かんできた。
 素環頭大刀も大型の鉄剣もなかなかに迫力のある遺物だと感じた。機内の古墳出土品との比較、あるいは同時代の中国の武器との比較など私などの素人にもわかり易い展示があればうれしいと感じた。