Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ストレス

2009年09月29日 23時06分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 一昨日から来月20日まで、平日の夜は手帳にビッシリ予定が書き込まれている。毎日帰宅が23時を越す予定。
 これから4月の連休まで例年のとおり7ヵ月間の長丁場の始まりでもある。中だるみはあるものの(なければ体がもたない)肉体と精神にはかなりのストレスだろう。毎年のこととはいえ、うんざり。
 多くの人間は人との摩擦を、表面からは見えない地中のマグマの熱のように深く溜め込んでいる。そのごくごく一部が時として小噴火や不規則な間歇泉のように噴出する。多くは自己崩壊に至らない範囲で。
 大半の熱は地熱や温泉のようにじわじわと染み出て静かに解放される。そのことは人の生にとっては大いなるプラスの弾みだ。きっとストレスそのものがない人生は平凡で退屈で、生への渇望自体が湧いてこない人生であろう。 反対に強度の精神的・肉体的な摩擦や付加は人生をクラッシュさせる要因でもあろう。
 強度の摩擦や付加を感じると、誰もが「自分以外の人はいつも平然とした顔でストレスを感じていないのではないか」と、他人を羨望する。会議で自分のいいたいことだけをさっさといって、人の意見を聞かない人間がいる。そんな人間、意外とあとでボソリと、鎧に身を隠した小心な人間であることが暴露されることもある。
 例えばマスコミを賑わす政治家。毎日24時間365日でも足りないくらいのはずだが、よくも身が持つなぁと感心する。政治思想とは別の次元で。その一方で追求されると、意外ともろく崩れ去る例を多く見る。犯罪がらみで‥。
 私はこの間歇泉のような熱の噴出の押さえ込みに毎日悶々としている。一つのことに長い間集中すると、精神的に大きな負荷、疲労感を感じるのは私だけではないと思う。少なくとも三つから四つくらいのことを順繰りに、三つ編み・四つ編みのようにラセン的に織っていくのが、私には自然な流れだ。気分転換が必要ということだ。
 私の場合は、
1)業務とそれに付随する第二の業務、
2)古典文学と、日本の古代史論、俳句の創作、
3)クラシック音楽と和洋の絵画
4)登山と、最古道・旧道のウォーキング
だ。
 若いうちは1)でのストレスはさほど感じなかったし、勢いでこなしてきたが50代になったとたんに大きな負荷を感じるようになって来た。特に肉体的に辛くなるのが先行したように思う。
 1)の割合を50才が近くなってきたら少しずつ減らしたり、責任を若い人に譲っていくのが多くの人にとっては理想かもしれない。
 政治家などに対するマスコミ報道を見ると、政治活動以外の顔を見せることはない。もしそれが事実ならそれは偏った人間でしかない。そんな人間が社会を、人間の生活をよくすることなどありえないだろう。おそらく報道の裏に別の人間の顔(悪い意味でいっているのではない)があるはずだ。
 その存在(暴き立てる必要はないが)を前提として報道を見る目を報道を見る側が獲得しないと、日本の政治はよくはならないだろう。
 さて「若いうちはガムシャラに、馬車馬のごとくひたすら働かなくては」という気持ちに追われて、いつの間にかここまで来たという実感がある。気がついたら、特に50代はじめの時の業務過多が、今のメタボの原因となったことも確か。
 人の所為にするためではないが、体調管理への気力か減退する50代はじめの時期にあの業務過多は、メタボへ拍車となったようだ。
 そう、登山へ出立する気力、準備のための気力もずいぶんと減退したように思う。ここらあたりで少し考え直して、生活の建て直しを図りたいものだ。 


ウォーキング三昧

2009年09月27日 13時35分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日は秋の気持ちよい空の下、朝10時半から自宅から川崎の等々力緑地まで19kmあまりを歩いた。昼食45分を入れて、ゴールが15時15分。
 帰りの武蔵小杉までの歩行や帰りに職場に寄ったりして、約24kmで約35000歩。妻も同行して大分お疲れのよう。私もさすがにくたびれた。
 21日に、武尊山で11時間の歩行のあとだから、懸案の右膝が心配であったが、何とかもった。ただし2~3日は用心して無理をしないようにしよう。
 多少の雲はあったがかえって暑すぎずよかった。ずいぶんと日焼けはした。
 ウォーキングに限らず長時間の運動は、だんだんと体がなれてくると快調になってくる。しかし終着点近くで、妻は運動しなれない所為か、熱中症の前段症状のように顔が赤らんできた。水をしっかり取るように云ったつもりだが、どうもまだ不足したようだ。
 ゴールでのお汁粉はおいしかった。私は缶ビールがほしかったがガマン。
 今日は心も体も休業日としたいが‥、持ち帰り業務(のようなもの)で朝からパソコンとにらめっこ。はやく切り上げたいが‥。せめて読書の時間がほしい。

街中は余計なお世話ばかり‥

2009年09月26日 01時17分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 年の所為、といわれることがいくつかある。そのひとつが、過剰サービスへの反発が強くなったことだ。街中へ出かけるたびにストレスがたまる。
 居酒屋で、レストランで、大きな総合病院の受付で、駅の券売機で、大店舗の案内板の前で、銀行の入り口で、旅館の受付で‥、やいのやいのとうるさいこと、おせっかいのひどいこと、押し付けがましいこと、極まりない。
 いつから日本はこんなになってしまったのだろう。
 「小さな親切、大きなお世話」「おせっかい高じて、大きな迷惑」と背中に幟旗でも差して、桃太郎さながらに歩いてみたくなる。
 これだけの過剰サービスを仕事として強制される店員は、さぞかし仕事を離れたら、絶対に人に優しくはしないだろうと推測する。

 とここまで書いていてフト、妻の一言を思い出した。
 妻の一言の前に、私がついおこなってしまう癖について一言。妻はベランダにて草花の寄せ植などを楽しんでいる。それを眺めているうちに咲いた花々、めしべ・おしべを見ているとつい受粉のお手伝いをしたくなる。よくニュースでりんごなどの受粉に精を出す農家の方を映し出すことがあるが、あれと同じだ。そして団地の草花が咲いているのを見てもつい、そんなことをしたくなる。
 妻に言わせると本当に「余計なお世話」である。人の「善意」をきらう私とは正反対の「私の勝手」である。
 本当は甘えたい願望の裏返しなのだろうか。

 本日はもう一つ。福島の友人に文章が難しい、と云われた。人に見てもらうことはそれほど重視していないので、ついつい長く、思い込みを客観視せずに書き綴ったためそうなったと思う。友人にのぞきに来て、といいつつそんなことを考慮せずにいたことを反省している。
 でも文体というのはそう簡単に直るものでもないことも確かだ。他人の目を意識しながら、わかりやすい文章を心がけよう。

政治主導ということ

2009年09月25日 01時57分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 空は気持ちよく晴れ、雲もまさに秋のうろこ雲。風が少し強めだったが心地よいといえる程度。しかし雨が少なく乾燥しているようで、埃っぽい感じがする。そして彼岸花も大方萎れかけている。
 彼岸花は咲いたときの驚きと、形の記憶、色の鮮やかさが目を引く。しかしどうもこの萎れかけた色・形が気に入らない。黒ずんだ細い糸がてっぺんに絡みついたようで、払い落としたくなる。ついこの黒ずんだ糸を手でつまんで取り除きたくなる。余計なお世話、ではあるが‥。造形の妙も終末期の姿までは考慮されなかったようだ。
 60歳の定年も、「未練たっぷり」「遣り残したことだらけで後輩に迷惑」「組織のダイナミズムを喪失させている」と言われないような引退の仕方を望みたいが、そもそも無理なものなのだろうか。人間どのようにもがいても「やっといなくなってくれた」「遣り残しばかり」といわれるのが当然なのかもしれない。しかし、どこかの市長のように任期途中で、責任を放り出し、残されたものにそれを押し付けて、トンズラするようなことだけはしたくない。
 さて政権交代で政府は大忙し、それにつれてマスコミも右往左往マスコミの身の処し方が情けない。これまで自らを棚に上げて他人ばかりを攻撃してきた。しかしいかに自らは、これまでの特権や既得権益にしがみついていたか、根拠もなく流行り病のようにいわれなく攻撃された者の痛みをもう一度キチンとわが身にひきつけて考え直さなければならないと思う。
 役所の担当官が、政策や政治方針にかかわることを記者会見で述べてしまうことを止めることを、「報道の自由」の制限ととらえてしまう感性、それをどうどうと記者会見で質問してしまう情けなさが、私には到底理解できない。
 さて本題、言葉が輻輳してまちがっているのが「政治家主導」と「政治主導」。これは「官僚」主導と政治主導との違い以上に違う言葉のはずなのに、混同されいる。
 「政治家主導」とは、議論も話し合いもなく、「一方通行」「人の話を聞く気がない」橋下府知事や石原都知事、中田横浜市長のような連中に当てはまる言葉。唯我独尊・専制者の振る舞いである。
 「政治主導」とは、政策や政治方針について、きちんとした議論を政治の場で(国会や党内で、あるいは閣内・閣僚同士で)のコンセンサスを得てから実施することを言うのではないだろうか。あるべき姿は「政治主導」のはずだ。
 「閣内」不一致があるならそれも問題だし、関係する大臣同士での事前すりあわせがなければおかしい。もし個々の大臣が自分の方針を打ち上げ花火のように述べて、回りの様子を伺うのが「政治(家)主導」というのなら、役所の担当官が大臣や政務官を通さずに記者会見で政策にかかわることを観測気球のようにしゃべってしまう「官僚主導」というのと何ら変わらないものである。
 議員自身も、マスコミも大いに混同していないだろうか。そもそも「官僚」主導というのは、政治家が方針を出さずに役所にもたれかかっていたのが原因なのであって、「政治家」が「政治」の場での議論をきちんとしてこなかったことの証である。「官僚」がすべて「悪」なのではなかろう。すべて「官僚が悪い」式の議論はあまりに乱暴であり、政治家とマスコミの自己責任の放棄ではないだろうか。

墓参り

2009年09月24日 00時04分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 23日は墓参り。カンカン照りでもなく、風もなく、連休最終日としてはのんびり墓参するにはよい日和であった。
 母親の姉妹80代3名をつれて多磨霊園へ。三人とも歩けるから電車で通えていいようなものの、誰かが歩けなくなるとどうしようかと、車も免許も持たない私は時々悩んでしまう。しかしそんなことを先走りして悲観してもしょうがないので、とりあえず無事に3人がそろって墓参ができたことを喜ぶこととしよう。
 広大な霊園の中、個性的な墓を眺めながらそぞろ歩くのはそれなりに楽しい。「著名人」も多く埋葬されており、墓めぐりを楽しむ団体もある。どうもそのような人々は集団で歩くのがお好きなようで、個人でめぐる方は少ない。人について歩くだけで、かつ関係のないおしゃべりに興じているのでは、楽しみも半減、記憶にも残らないだろうに、と余計な半畳も入れたくなる。
 私も親族の墓の周囲で幾人かの著名人をさがしたことがある。1人で、または妻と。集団でのめぐるなんてごめん蒙りたい。それぞれ個人の個性的な墓もあれば、直系親族を中心とした「○○家の墓」におさまってしまって、特定の個人の墓とはわかりにくい方までいろいろ。
 面白いのは三島由紀夫、竹内好、岡本一平・かの子・太郎がすぐそばに眠っていること。もしあの世があるとして、同じ町内会で仲良くしているのだろうか?
 しかし日本の墓は不思議だ。個人の墓は少ない。江戸時代の名残でもあろうし、移動の少ない農村での一族の墓の延長とも言えよう。
 わが墓は父から譲られたもので他の墓と同じに「○○家の墓」。しかし宗派までは統一していない。
 浄土宗・真宗・日蓮宗・キリスト教と、見るとすぐわかるしつらえだ。もし一家の中に、違う宗旨の人がいたらどうするのだろう。墓石の上や表面にたとえば十字架がかかっていて、その墓石したが納骨室になっているところに非キリスト者が入ることは許されるのだろうか。また入ることに抵抗はないのだろうか。
 「死ねば死に切り」、どうでも良いと私は思っているが、そういう人ばかりではなかろう。特に上記の宗教・宗派は墓石で統一しようとする傾向が強いのではなかろうか。キリスト教というところも‥。
 こういう無神経さの延長に、靖国の思想があるのかもしれない。
 私の父の眠る墓には、キリスト者も曹洞宗も神道もいる。それぞれの生前の名の上に「戒名」「洗礼名」などの「死後の名」が書かれている。そんな墓石と墓誌をつくった父親にはそれなりの敬意を表さなくてはいけないだろう。
 さて昨年、私の畏友が同じ多磨霊園に葬られた。時々はその墓にいって思い出のよすがにするのも悪くはないと思っている。
連休も終了、日が昇ればいつもの日常にもどる。

武尊山山行(2)

2009年09月23日 00時12分26秒 | 山行・旅行・散策
 とっぷりと日が暮れた駐車場には翌日に武尊に昇ろうとしている人の車が6台。夕食をとりながら長い夜をすごそうとしていた。また後から降りてきた3人、2台の車が出て行った。降りてきてすぐに運転する気力もたいしたものだ。 ほとんどの登山者は今は自家用車で林道の終点まで来て、朝早く出立して戻ってくる。連休中ともなると3~4の山をはしごするらしい。
 私は登山は、縦走、それもできるだけ長い尾根を歩いて登りたい。その山塊の一つでも多くのピークを歩いてみたいと思う。登って来た道を戻るのがもったいない、というのではない。それも一つの登山であることは間違いがない。特に信仰登山の場合は。しかし文化としての山の周辺に浸るという行為では、歩きながら民家のたたずまい、畑や田の様子、神社や寺の位置する場所・建物の構造、土地の地勢をできるだけ味わいたいと思っている。
 社会学、民俗学の勉強をするのが目的ではないし、人と語り合ったりするのは好きではないので、ただひたすら眺める、見つめることに徹している。見るだけでも植生・地勢・農作物などからいろいろなことを想像する。無論外れていること、頓珍漢なこともあるだろうが、それはそれで楽しい。
 それは車で山を渡り歩くように移動するのでは味わえないと、勝手に思っている。だからできるだけ歩きたい。
 そして地域の郷土史博物館、資料館などは可能な範囲で覗いてみるのも好きだ。しかしなかなか時間の制約で叶わないのが悲しい。
 武尊神社はこの周辺いくつもある。前武尊でも武尊でも、そして旭小屋でも白い紙をつけた御幣が盛んに飾られていた。穂高岳も昔はその形から御幣岳と言われていたそうだ。武尊山と穂高岳、ホタカは穂のようにすっきりと高いことをイメージした山名、と以前教わった気がする。すると武尊山も御幣岳の異名があったかもしれないし、武尊神社に御幣が多く飾られることがつながるかもしれない。
 江戸時代・明治時代の初期は信仰登山が確かにすごかったらしいと思う。あのヤマトタケルの像を人が担いでのぼったというのだから、信仰の力にほとほと圧倒される。信仰ということを私はとてもできないが、それをやったという事実は事実だ。同時にこれが人間社会に対する強制力として働いたとしたら、空恐ろしいことになると恐怖に駆られる。
 ホタカ山とヤマトタケルを結びつけた武尊標記となったのは江戸時代、神社名が武尊になったのは明治時代らしいので、それ以前はどのような標記であったのだろうか。もともと音が先にあって、後から意味を牽強付会的につけたのが漢字表記だろうから、漢字地名は漢字にとらわれないように理解すべきとは思うが、私のように素人に近い人間にはなかなかできることではない。
 地名学というのがあるが、真に学問的なものであるならばそういうものもいくつか読んで勉強してみたいとは思っている。
 こんなことを考えながら、暗くなった道をこれ以上歩くわけにも行かず、水上町のタクシーを呼んで、藤原湖の脇を通って、妙高高原駅のそばの「真沢(さねざわ)の森」というみなかみ町営温泉まで、12000円余。上限8000円位と思っていたので、これは予想が外れてギャフン。しかし温泉は良かった。
 妻は車酔いで温泉もそこそこでベンチでダウン。私だけが温泉と生地ビール二杯と五目釜飯でご満悦。21時48分の最終東京行きで帰路につく。
 秋の初めの山の彩りを堪能できた山行となった。しかし右ひざについては今後の山行に耐えられるか不安が増した。

武尊山山行(1)

2009年09月22日 23時51分31秒 | 山行・旅行・散策
 日曜日の朝出発して上越線沼田駅まで。友人に沼田では団子汁が売りとの情報をその日に仕入れて期待していたものの駅前では残念ながら食すことはできなかった。
 駅前のコンビにで店で作っていた味噌バターをぬったラスクとパンの耳を揚げたものを非常食として購入。バスで川場村の温泉まで行き、いこいの湯につかってから、タクシーで旭小屋へ。
 ゆけむり街道と名づけた道路沿いはフラワーロードとして道路沿いの民地に赤いサルビア、コスモスがぎっしりと植わっていた。休耕田や工作していない畑にも咲いていて、目を奪われる反面、作物の実りではなく飾ることで覆われた一抹のさびしさ、そのような行為を選択せざるを得ないむごさも感じた。
 旭小屋は立派な村営避難小屋。手入れも行き届き、布団も大量にあったが私が見栄を張って敷布団一枚、毛布一枚を利用して寝袋に寝たが、妻は寒い寒いと寝られなかったようだ。水場の水はちょろちょろで濁っている代物。直下の川は上流が野営場のため利用は控えた。ただし300mほど下のコンクリート製の橋のそばに水場がしつらえてあってよい水が手に入った。
 朝6時半に出立。登りは鎖場・はしごが連続するという不動岳は妻が同行していたため除外。本当は昔ながらの信仰登山の道だったので登りたかったが、ここは自重。川場野営場を経由して前武尊山に直登。紅葉が始まったばかりの山だが、かえって点在している黄色や赤に見事に色づいた樹が際立って目立った。特に明るい黄色は花とも見まがうものも多かった。
 樹林帯の中の前武尊につく直前に妻がバテバテ。頭痛もあり、過労と高山病かなと思われる症状。途中スキー場の最高点の脇を通過、眼下に見下ろすスキー場は木々の豊かで美しい山肌に刻まれた巨大な亀裂のようで痛々しい。もっとも私自身も上越のスキー場をかつてずいぶんと利用させてもらったし、蔵王や北海道のスキー場もつい最近まで利用していた。だからスキーそのものへの批判などできないのだが、しかし山から見るとやはりこれは大きな傷だ。
 一方山の大いなる生命力もすごいもの、リフトなどの鋼鉄の施設を含むその傷を包含していづれは木々や下草で多い尽くそうとしているような勢いも感じた。今のところは山の生命力に許された範囲のスキー場なのかもしれない。
 前武尊山のヤマトタケル像の後ろで早いがオニギリとパンと紅茶の昼食。多少元気の出た妻をなだめ元気付けながら先に進む。この山、笹に覆われてその起伏や隠された山肌の厳しさはなかなか見ることはできないが、それでも時折顔を出す切り立った崖から山全体の荒々しさが見る者、歩く者を圧倒する。
 途中の川場剣ヶ峰は柱状節理の巨大な岩山。北半分は鎖場で超えることはできるようだが、これも本道になっている迂回路の方を通過。途中の「家の串山」は剣ヶ峰とはちがってなだらかな山。中ノ岳は頂上は踏まないコース。途中地図では「笹清水」という水場が記されていたがとうとう見つからず。三つの池があったが季節的にかなり水量がなく、一つは干上がっていた。
 予定より1時間45分ほど遅れて、ヤマトタケルのもう一つの像の前を通って14時半に、武尊山までようやくたどり着いた。中ノ岳近辺からは、川場剣ヶ峰と違って、板状節理。薄い板状の岩が登山道にも敷き詰めたような具合。そのために浮石が多く歩きにくい。
 もう一つの2000m峰の剣ヶ峰はこの時間なので割愛。しかし考えてみれば昼食一時間を除けばコースタイムより45分遅れだから、決して悪くはないタイムかもしれない。
 日ごろは「雨男」と言われ、自嘲気味に「嵐を呼ぶ男」と自称する私が山に出かけて晴れる確立は2割以下という実績だが、この日は雲ひとつ無いという表現がぴったりの天候。前武尊からは東側の皇海山・至仏山・黒檜山。武尊山から360度の展望を得ることができた。上野・越後・信濃境の山々は特徴的な山容を誇るので、この眺めは至福のひとときであった。
 下山は最短コースの浦見の滝コース。登りは妻がバテバテだったが、今度は私の右ひざが心配したとおり前に進まなくなる。一昨年までの山行で傷めてはだましだまし使っていた右ひざを早池峰山でとうとう潰してしまった。岩の苔に滑り全体重がかかるように捻ってしまった。
 内視鏡手術を受けてタウンウォーキングには耐えられるようになったものの、山での下りはやはりダメ。コースタイムがやっと。妻のほうがどんどん先に行ってしまって追いつけない状態。これはとても情けない、メンツが許さない事態だがどうしようもない。
 結局ほぼコースタイムで武尊神社・浦見の滝まで到着。途中、手小屋沢避難小屋そばの水場で水を汲もうとしたが、気力もなく水無しで武尊山から2時間歩く。ほぼ下り終わった頃、小沢沿いでようやく水を一息。良い水であった。
 武尊神社に着いたのが17時半。朝出てから11時間丁度。日がすっかり隠れて暗くなっていた。こんなに遅くまで歩いたのは初めての経験。下りの最後のところで一本だけ黄色く輝く高木を発見。その木にだけ夕日が当たり葉がきらめいていた。よく見ると蔓状の大きな葉が一本の高木を多い尽くして金色に夕日を浴びていたのだ。周りの深い緑の木々から孤立して一本だけが舞台を踏んでいるように、荘厳にも見えた。ひょっとしたら昔の修行者が仏や神を見た幻想のいったんだったのかもしれない。

気分は落ち込んだまま登山準備

2009年09月19日 22時49分53秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 つい忙しさにかまけて‥ブログの更新を一週間もサボった。
 仕事は今の時期、幸いに困難案件は出来せず、量をこなしている。が、他の第二の業務というところで、人事案件が出来して地を這うような気分。思うようにならない人事案件というのは、これは精神的に暗い下降線をたどるようなもの。
 昼間の仕事もため息をつきながらようやくこなしたものの、先の見えない闇に押し付けられているようなもの。

 12チャンネルの「美の巨人たち」で伊藤若冲を見る。「象と鯨図屏風」などの大作の解説。晩年をすごしたという石峯寺の五百羅漢の下絵も若冲とのことは初めて聞いた。是非とも訪れたいものだ。

 明日からの武尊山に備えて、ようやくリュックを詰めはじめた。三週間前に一度用意をしていたから、つめるのは楽。朝のうちに川塲村役場に電話をして旭小屋の様子を聞く。説明では立派な避難小屋のよう。
 明日は朝9時に家を出て、川塲温泉で入浴した後旭小屋どまり。朝早く出立して夕方には沼田駅まで降りたい。連休で宿は満杯の様子。
 
 

気持ちも日曜日

2009年09月13日 23時44分45秒 | 読書
 忙しいというか、気が重い日常が続くときほど音楽や読書に浸りたくなる。
 逃避であると同時に、それはあるいは心の緊張が続くことへの自己防衛なのかもしれない。そんなことを考えながら本日は少しだけ業務の宿題に手をつけた後は、机とベッド脇に積み上げられ崩れ落ちそうな本の中から
「みすず」9月号
 「みすず」は初めて定期購読。「火星の土地」(枝川公一)、「スズメバチの襲撃」(佐々木幹郎)、「影の獄にて」(外岡秀俊)、「子供たちの姿」(阿部恵一郎)「蚊帳ハウス」(上田実)、「求敵主義」(外山滋比古)までは楽しく。渡辺公三のレヴィ=ストロースの1931年の書評の翻訳は興味はあるものの、読む気力もなくて「はい、そこまで」という頭の指令に基づき放棄。
 「火星の土地」、私も小学生の頃、何かの子供向けの雑誌で火星だったが月だったかの土地の予約のコマーシャルを見て気持ちが傾いたことを思い出した。結局は申し込まなかったが‥。
「万葉びととの対話」(上野誠、NHK「こころをよむ07年10-12月)
 これは北山茂夫「大伴家持」を読む前に少々万葉に慣れておこうと思って手にしてみた。上野誠は初めて。大伴家持と坂上郎女との贈答歌などが中心で、取り合えず頭は万葉に少し切り替わった。幾年か前にしていた、夜寝る前の万葉のつまみ読みのことを思い出した。岩波の「新日本古典文学大系 万葉集1-4」もいつの間にかベッド脇から本箱に戻っている。
 しかし万葉はそれだけ読んでもなかなか理解はできない。解説書を読みながらでないと‥。
 そして聞く音楽は先日3枚買ったばかりのキース・ジャレット「祈り-グルジェフの世界」。キースジャレットがロシア正教の神秘主義思想家グルジェフからどのような思想的な影響を受けたか、またグルジェフの思想化どんなものか、まったく知らないが、静かな内省的な音の流れは私には心地よい。
 午後二時過ぎ、リュックの買い換えに出かける。妻と私のもの二つとマット一つ、合わせて35000円の出費。
 5連休の山の好天を祈りつつも、夜の天気予報では、台風の影響が出始める予想。無神論の塊の私は天候については神から復讐をされているのだろう。友人のG氏は合羽を使ったことが無いと胸をはっていたが、うらやましい限りである。

南アルプス憧憬

2009年09月10日 23時32分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人より北澤美術館の招待券をいただくことに。山梨や長野県の諏訪などの山行の折にといわれてはっとした。
 山に行ったついでに美術館というのは、これまで私の行動・思考パターンにはなかった。出張先ではその地域の美術館・博物館等は可能な限り訪れている。そしてついでにその地域を取り囲む山に敬意を表して登ったことはいくつかある。こういうときは山は従。登山そのものを目的とした旅は考えていなかった。
 今度意識的にこのことを山行の行動パターンに組み込んでみたくなった。登山から降りてくると、ひたすら温泉に飛び込んでビールを飲むか、地元ならではと思える居酒屋に直行して、ビールと日本酒・焼酎に飛びつくか、いづれかのパターンしかなかった。
 特に長野県内に下山すれば温泉とホウトウと生ビール、お酒のお変わりは日本酒と決まっていた。
 ただ美術館・博物館に行こうとする体力的な余力、柔軟な感性と思考力を保持して下山できるかというとはなはだ心もとない。
 ここまで考えてから、ふと最近行っていない南アルプスに再び行きたいと思い始めた。南アルプスの山歩きにずいぶんと見せられていた時期があった。
 南アルプスは確かに好きである。北アルプスより森が深く、稜線も長い山脈だ。北アルプスは日本海からの冬の季節風をまともに受け、稜線が急峻。アルペン気分は北アルプス。森の豊かさと山の奥深さ、森から突き出た稜線と森の木々の対比に強調される南アルプスの景観は、歩く者の気持ちを大きく広げてくれた。南アルプスは北アルプスよりも日本海からは遠い所為だろうか。遠くからの眺める南アルプスの冬の景色は、雪の覆われた山々、雪の下で眠っているという感じだ。森の生命力が雪の上に、また岩稜の氷の表面にまでにじみ出ている感じといったらよいのだろうか。北アルプスの雪は岩山を白い氷の中に力づくで閉じ込めたように見受けられる。
 むろん実際には夏・秋の両アルプスしか体験していないが、その厳しさは遠くから眺めるのとは大違いであるとは十分に理解はしているつもりではある。
 どうも中国の方の思考と言われる対表現になってしまった。でもささやかな違いをこのようにことさら対比すると、気持ちの上で整理した気分にはなる。政治の場の言語のように、ことさら辛らつにしてしまうことのないように注意しないといけないとは思いつつ。
 来年当たりはふたたび南アルプスに足を向けてみよう。長野県内の鉄道の駅も懐かしいものとして思い出される。きっと今でも仕事に倦んだ頭と体にはぴったりの山々であってほしいと思う。
 美術館のチケットから気ままな思考を辿ってみた。

虫の音に久しぶりに浸る

2009年09月06日 23時55分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 海のエジプト展、再訪するも日曜だけに大勢の人出、あきらめる。チケット購入で20人くらい並んでいた程度であったが、会場の中は前回よりは大勢の人であふれていた。
 カタログ2400円はちょっと遠慮。

 本日も良い天候。やはり山行きの断念、悔やまれる。最近はこのように後に尾を引いて、なかなか気分の転換ができない。少々悪い兆候か。

 本日夜は虫の音が心地よい。これから虫の音の季節。しかし団地内の大きなテレビないし映画のビデオの音が向かいの棟より深夜より明け方まで聞こえ、興ざめ。

 本日は「道長と宮廷社会」(講談社学術文庫)を読み進める。ようやく半分近くまで。
 明日・明後日も帰宅は深夜の予定。

天候は良いのに‥

2009年09月05日 22時26分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日も9時から15時までの業務。山にいけずご機嫌はナナメ。
 先々週といい今週といい、山行きをあきらめると天気は良くなる。昔から、雨男ならまだしも、あきらめると天候が突然回復してしまう。無神論の塊の私としても、恨む対象を神に求めたくなる。自称「嵐を呼ぶ男」はあくまでも自己卑下なのだが、最近はやけ気味に自己宣伝してしまう始末。
 現役の間は山になかなかいけそうもない。定年を過ぎて、思いついた段階で山にいけるようになりたいもの。そうはいってもその頃に体力は大丈夫か、その前に死んでしまうのではないか、と不安も強い。
 本日も、街中の13kmのウォーキングであきらめる。最後にいつものように、近くの銭湯(ミニスーパー銭湯ともいうべき優れもの)で1時間半のサウナ&低温風呂の極楽・天国気分。
 ということで、肝心の読書がまたもおろそかに‥。
 本日は立待月(満月から2日目)。なかなか良い月。帰宅途中今年2回目の虫の音。月になかなか似合う音色である。団地の薄も見ごろとなっている。薄の向こうに富士山と丹沢を眺めることができる。

 選挙雑感1・2が、長い付き合いのK氏塾のホームページに転載される。 


海のエジプト展

2009年09月03日 23時26分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
パシフィコ横浜で「海のエジプト展」鑑賞。かなりの人気らしく2300円の券がチケットショップで2280円。
広い会場であったが、平日にもかかわらずかなりの人出。開国博が不人気で券が投売り状態だが、協賛のこれはなかなか。確かに見ごたえはある。
エジプト神聖文字のはっきりしたものを始めて眼にした。やはり「神聖文字」だけあって石碑の文字も一字一字ごくごく丁寧に刻んであったのが印象的。
ただし甲骨文字や金文文字と比べるとそれらより古いが、抽象化、文字化は漢字の方がより進んでいるような印象。
また石像の大きさに圧倒された。同時に土偶に似た小さな金属製品・石造製品や貨幣の精緻さにも驚く。
欲を言えば、展示物の推定年代の明示がないこと、せっかくそろっろたあれだけの遺物にもかかわらず、歴史的な展開の説明が足りなかったような気がする。

本日みすず書房の月間「みすず」一年分の定期購読の申し込み。