goo blog サービス終了のお知らせ 

Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「天気で読み解く名画」から

2025年04月02日 22時29分51秒 | 読書

 このところ病院へ行くことばかりである。3月中と明日4月3日までの34日間で、私の通院と検診7回、親の付き添い7回、妻の付き添い1回、親族の見舞い1回と計16回である。2日に1回は病院通いである。
 明日は午前中にいつも受診している科での採血と採尿による検査。結果は1週間後に出来るのを聞きに行く。
 明後日以降の私の通院は減る。病院通いの大半は親の通院の付き添いだけとなるはず。

 本日の午前中は、自宅で読書タイム。「天気で読み解く名画」(長谷部愛、中公新書ラクレ)の第2章を読み終えた。

   

 天気に関わる指摘は頷けるものもあるし、既知のことの再確認もできる。
オランダ絵画には雪の風景がよく描かれています。今のオランダではうっすら積もる程度ですが、ブリューゲルの時代は寒い時期に突入した最初ころ。1550年から1849年の間はヨーロッパ全体が非常に寒かったといい、絵画に雪景色が急に増えていった時期になった。日本でも浮世絵に雪のシーンがしばしば描かれており、江戸時代も飢饉が何度か起こるほど、寒い時期だったとされています。ヨーロッパでも日本でも寒さがモチーフをおおいに左右したと言えそうです。」(第1章)

   だがしかし安易な把握もある。以下はとてもいただけない箇所、乱暴ないい様である。
ヨーロッパでは、狩猟民族であることから晴れている時に狩りに出られること、緯度が高く強い日差しが貴重なため、光が何よりも重視されたと思われます。一方で農耕民族である日本や中国では、雨をもたらす雲が恵みの象徴となってたのでしょう。」(第1章 コラム1)
 ヨーロッパには農業や牧畜がなく、狩猟民だけが生存し、日本や中国には牧畜も漁撈もないような世界であるような言い回しである。戦後の私の親の世代でよく言われていた。
 欧米に占領されていた時期に「鬼畜米英」の延長のような「狩猟民族との体力差で敗北した」という負け惜しみ的な言説がまことしやかに流布していたのを耳にしていた。そんな劣等感の裏返しのような言説に飛びついて何かを言った気分になるのだろうか。あまりにみっともない言説に与しないでほしい。
 こういう点を抜きにして「天候論」として楽しみたい内容の本である。

 


読了「ゴッホは星空に何を見たか」

2025年03月27日 13時51分33秒 | 読書

   

 昨日上野駅からの帰宅時に、電車の中で「ゴッホは星空に何を見たか」(谷口義明、光文社新書)を読み終えた。
 天体物理学者である著者の論述は、優しく書かれている啓蒙書であるが、分析的である。よく整理された仮説と、それら一つ一つの検証の仕方は、私の頭にはすんなりと入ってくる。
 綿密な踏査の上に立つ大胆な仮説と論理展開も好きで、そのような書物や著者が好きではある。同時にこの書物のように丁寧に仮説を整理し、検証を繰り返す論理展開にも惹かれる。仮説の立て方には帰納的な方法と、演繹的な方法がある。二つの方法の間で読書と論理展開を愉しんでいる私がいる。

 科学者が、画家ゴッホや詩人宮沢賢治という芸術家が、「感じたもの」「見たもの」の科学的な分析を通して、作品に迫ろうとする。その論理展開を楽しみながら読み終えた。

 次に読む予定の本は、この読み終えた「ゴッホは星空に何を見たか」にも紹介されている「天気でよみとく名画」(長谷部愛、中公新書ラクレ)。


読了「芸術原論」

2025年03月20日 21時22分22秒 | 読書

   

 ようやく「芸術原論」(赤瀬川原平、岩波現代文庫)を読み終えた。利休に言及した部分は、私の理解がまだまだ行き届かないので、保留してある。

路上観察学は、都市の無意識、人類の無意識と深い関りがあると思うからである。シュールレアリズムという言葉はあまり聞かれなくなった。これは芸術表現のあるスタイルとしてすり変わり、ダリやキリコやエルンストの絵画スタイルの老化とともに消えていった。シュールレアリスムの探索物は、人体的な無意識であったと思う。・・・施主や管理者の意志の外側で出来てしまっている物件である。かつてのシュールレアリスムが人体的な無意識を見ていたのに対して、路上観察学は都市的意識を見ていると、強く思うのである。」(Ⅳ「路の感覚」から「植物的無意識の採集」)

いまと昔とでは経済のあり方が違うのである。同じ予算で同じものを造ったとしても、いまは経済がすべてに張り付いているので、、計上された予算の数字を上回るものはビタ一文も付加されぬ。・・・むかしの職人の意志とかケジメとか、あるいは腕の見せどころといったものを金に換算したら大変なものになる。経済の陰に隠れて造作物にそそぎこまれているのだから、いま造るものとははるかに出来が違うのである。・・・どうもいまの経済社会は経済の本質がわかっていない。」(Ⅳ「路の感覚」から「「正解波」ととのすれ違い」)

路上観察のいちばんの要点は、ここで得るおもしろさの価値が創造ではなく観察によるものだということである。下手人はいるが作者は見えず、観察者の力ではじめてその価値が生れ、作者の肩代わりをすることになる。この見えない作者は、在来の作者のように私人個体の域にとどまらずに、世の中、社会、人類、といった集団の類の網の目に支えられて、不定形にこの世に漂流している。従って作者の力のありかは、類の力=自然の力、ということになろうかと思われる。」(Ⅴ「芸術原論」から「芸術原論」)


「芸術原論」 7

2025年03月07日 21時46分19秒 | 読書

 本日はいつものとおり横浜駅までウォーキング。金融機関をいくつかまわり、いつもの喫茶店に辿り着いた。7千歩あまり。

   

 喫茶店では「芸術原論」(赤瀬川原平)を少々。第三篇「脱芸術的考察」の「脱芸術の科学-視線をとらえる視線」、第四編「路の感覚」の「アークヒルズのエントツ」を読み終えた。

1960年のころ、絵画はなお絵画として世の中にあるが、マグリットの絵に蓋をされた絵具箱の中でのできごとである。芸術を絵画の中におさめようとするのは無理な話だ。収めようとして収めきれない芸術は、絵画の表面にぷつぷつと凸起物となってはみ出してきた。印象派が盛り上げた絵具の厚みのおさらいである。印象派の画家たちは、無意識のうちに絵具を物体としてあらわしたのだ。それがこんどははっきりと意識されて、絵画表面の絵具の中に異物を呼び込んでくる。・・キャンパスと絵具は次第に物体色を強めてオブジェが生れ、作品形態はオブジェからさらにハプニングへと移行した。そこで芸術は形態を失い、すべての物体から蒸発し、行方不明となったのである。私は芸術の抜け出た絵画を梱包した。絵を描く本能を持って生きている画家の筆先から芸術の逃げてしまったことの報告である。」(脱芸術の科学)

 1960年代の現代芸術の大雑把な流れをこのように渦中にいた赤瀬川は理解していたのかとあらためて認識した。私には思いつかなかった把握である。

私の路上観察への入口は超芸術トマソン(ジャイアンツに在籍したゲーリー・トマソンの名にちなむ)だった。超芸術とは、無意味無用でありながらこの生産社会の一隅に存在を続けている物件である。階段を昇った先の入口をセメントで塞がれている無用の階段・・・。」(アークヒルズのトンネル)

 これは有名な話なのだが、もう記憶の彼方であった。思い出すように記しておく。

 


「芸術原論」から 6

2025年03月05日 21時39分42秒 | 読書

 うっすらと積もっていた雪も夜中過ぎから雨混じりとなり、白いところがどんどんなくなっていった。7時過ぎに外を見ると雪は消えていた。雪掻きの必要がなくなり、二度寝。

 本日は昨日に続いて親の通院の付き添い。昨日は眼科、本日は整形外科と内科。本日は定期的な通院だったが、昨日は突発的な通院。だんだんとこういう日が多くなってきている。

   

 昨日から本日にかけては「芸術原論」(赤瀬川原平)の第三部「脱芸術的考察」の「価値をつくる」および「自壊した絵画の内側」を読んだ。。

現代の芸術はすでにある価値の多少の価値の移動によって、その作家の手もとになにがしかの価値を生んでいる。経済的にも多少は儲かったりする。しかしそれ以上のことはない。もともとは絶対的な新しい価値をつくる担い手であった芸術が、いまは世の中のほかの担い手たちとおなじように、相対的な価値しかつくり出せなくなってきている。」(価値をつくる)

芸術とは芸術家がつくるものだ。芸術作品にはその作者がいる。その作品の芸術的意味、芸術的価値は、それを作ろうとした作者によってつくられるほかはない。ところが超芸術作品には作者がいない。・・・では作者がいない超芸術作品は誰が作るのか。それはほとんど観るものによってつくられている。無意識の耕作者によってつくられたものが、その発見者の意識によって超芸術となる。芸術作品では意味と作業とを統一している作者一人の役割というものが、超芸術では工作者と鑑賞者の二人に見事に分担されている。分担というより、その価値のほとんどすべてがそれを鑑賞するものによってつくられている。それが発見されなければそこには何の価値もない・・・。」(同)

 ここまでの引用部分には、私が理解した限りでは同感である。

つくる、ということの原理をのぞくと、結局はエネルギーの変換に過ぎないということになる。・・・価値というのは人間だけが創り出したものではなく、生命のすべてが創り出している。価値というのは自分の力が創るというより、その価値を受けようとすることがその対象物に価値を創る。そういう芸術、超芸術の価値を代表して、エネルギー変換の剰余というものがさらに桜れていくだろう。芸術、超芸術の価値を代表として、エネルギー変換の剰余というものがさらに探られていくだろう。物質的エネルギー変換の剰余として生れた精神の、さらにその余りとしての霊的世界のことである。」(同)

 結論部分のここについては、よく理解できていない。理解できるには時間がかかりそうである。文章がこなれているとは言えず、飛躍も多い。とりあえず保留しておこう。

かつて平面に閉じられていた絵画が立体的に捻じれてふくらむ現場を目撃してきた私は、その芸術の価値がさら私の体内で捻じれながら現実空間へ蒸着していくのを感じていた。だけどそのときの私の頭の中には何の理論武装があるわけではなく、間もなくはじまった「千円札」の裁判で、芸術の不確定性についてのさらに重く苦しい勉強をすることになるのであった。」(自壊した絵画の内側)


「芸術原論」から 5

2025年03月04日 11時55分37秒 | 読書

 昨晩は「芸術原論」(赤瀬川原平)を読んだ。
 ゴッホについて、私の思いもつかなかったことを指摘している。
ゴッホというのは意外と頭脳家ですね。・・・転載というのは論理的なんです。その論理が猛烈に微細で、膨大なので、理屈ではその論理を辿ることが出来ない。・・・ゴッホは冒険家ですね。暗いものに対する冒険家であり、そして色に対する冒険家でした。」(第二部「在来の美」の「頭脳家ゴッホ」)
(ピカソは)はヘタウマの元祖なのだ。・・・ヘタウマというのは「晩年」という終末的な減少である一方で、新しい力による古い空の破壊現象でもある。・・・ピカソは少年時代の大変なリアリズムの技倆から発してまったく無垢のヘタウマに達した人で、やはり稀有な存在である。」(第二部「在来の美」の「ヘタウマ元祖のピカソ」)
印象派の絵の初初しさというのは、人類史上無上のものだ。何かのための絵ではなく、絵そのものを得た人々の喜びが溢れかえっていた。人々ははじめて、絵筆に絵具をつけてキャンパスに塗るという、このことだけの喜びを知ったのである。現代芸術の原点である。すでにそれは抽象絵画だといってもいいのだろう。」(第二部「在来の美」の「セザンヌ筆触考」)
筆触=タッチというのは絵の価値の末端部にあるオマケのようなものだと思っていたが、実は末端部にあるがために、絵の価値を支える重要な基点となっている。筆先の絵具がキャンパスに接触して、その接点から絵が生まれる。セザンヌが筆触をあえてつけてしまう気持ちもそのことを孕んでいる。筆触というのがおおっぴらに取り出されたのもまた印象派によってである。・・・絵の中にあえて塗り残したセザンヌの意図というものは、明確な言葉にはあらわされないものだろう。絵筆を持つ腕の奥深くに隠されているのだと思う。隠された内部の何ものかに押されて、筆先だけがいやおうなく絵の中を塗り残してしまったのだ。絵画表現とはまさにそのようなものなのだと、あらためて知らされた。」(第二部「セザンヌ筆触考」)

 すっきりとは記載されておらず、読むほうの私もすっきりとは理解できないが、惹かれる記述である。絵画を描くという修練からはまったく無縁の地点にいた私には、厚塗り・うす塗り、筆触、塗り残し等々の記述は新鮮である。
 
   


読了「図書3月号」

2025年03月03日 20時17分38秒 | 読書

 朝から冷たい雨が降り続いている。出かける気力はなくなり、先日手に入れた「図書3月号」を読み終えた。一応全編に目を通した。

・環境と自己                        養老孟司
都市化を言い換えれば意識化であり、私の表現では脳化である。・・・環境に「取り巻かれるほうの私たち」、自己の問題が暗黙のうちに、観念的に拡大してきた。個の尊重とか、個性を伸ばせとかいう減少。その「自己」は外部環境と同じく強く意識化され、意識の中の自分こそが自分だといわば最小限に縮小した。・・・明治維新、文明開化、第二次世界大戦と敗戦は日本人の自画像を大きく書き換えた。その変化は進行中で、終わってはいない。

・プーシキン「オネーギン」とロシア貴族の家族         鹿島 茂
 冒頭に次の文章が引用されていた。55年前初めて読んでよく理解できなかったが、何とか理解できるようになりたいものだともがいていた頃のことを今でも鮮明に覚えている。引用の引用である。
すべての〈性〉的な行為が〈対なる幻想〉を見出したとき、はじめて人間は〈性〉としての人間という範疇をもつようになった。〈対なる幻想〉が生み出されたことは、人間の〈性〉を、社会の共同性と個人性のはざまに投げ出す作用をおよぼした。このために人間は〈性〉としては男か女であるのに、夫婦とか、親子とか、兄弟姉妹とか、親族とか呼ばれる系列のなかにおかれることになった。いいかえれば〈家族〉が生み出されたのである。〈家族〉は時代によってどんな形態上の変化をこうむり、地域や種族でどんな異なった関係におかれても、人間の〈対なる幻想〉にもとづく関係だという点では共通している。」(吉森隆明、「共同幻想論」)

・アンリ・ルソーの輪郭線                  川端知嘉子
 こちらもまた引用の引用。どこで読んで記憶に残したのかは覚えていない。しかし強く印象に残っている。
人間にはバクーニンがいう「自由への本能」があり、まっとうな社会とは、個人が持つ自由への希求を最大限に保証する社会であるというものである。この想定から、人間の自由に対する制限は必ず充分な正当化を伴わなければならず、正当化がない限りあらゆる種類の権威、権力、階層・上下関係、力による支配、その人間の自由を制限するすべてのものに反対するという方針が導き出される。」(ノーム・チョムスキー我々はどのような生き物なのか」)
 次の文章はあまりに有名。私がいつも頭の中心に据えている文章のひとつである。
人は弱いから群れるのではない。群れるから弱くなるのだ」(寺山修司)

 


「ゴッホは星空に何をみたか」

2025年03月01日 22時01分23秒 | 読書

 本日より3月。最高気温気温が19.6℃と4月半ばの陽気であった。最大瞬間風速も11mの南風。妻は新松田駅ちかくのカワヅザクラの名所に友人に誘われて出かけた。
 午前中は団地でボランティア作業で樹木の剪定。73歳の私にはそれなりに重労働。それでも体を動かすのは気持ちがいい。薄いウインドブレーカーで作業に従事。
 昼食後は午後からはいつものとおり一人で外出。喫茶店では午前中の作業の疲れと、ウォーキングの疲れでウトウト。読書とウトウトが半々。

   
 
 本日は「芸術原論」(赤瀬川原平) は持たずに「ゴッホは星空に何を見たか」(谷口義明、光文社新書)を持って家を出た。
 ゴッホの《夜のカフェテリア》、《ローヌ川の星月夜》、《星月夜》、《糸杉と星の見える道》、《ウジェーヌ・ボックの肖像》の5つの作品に描かれた、星・惑星・月の解明、さらには構図の科学的分析などにも言及している。ひとつの作品ごとに一章を費やしている。
 本日は「はじめに」と第1章「夜のカフェテリア」を読み終えた。
 おもしろかったのは遠近法についての言及であった。《夜のカフェテリア》では一点消失図法で安定した構図で安定した画面を鑑賞者に与える。しかし《カラスのいる麦畑》、《夜のカフェ》、《屋根》、《ファン・ゴッホの寝室》などになるとこの遠近法が崩れ、描かれた空間はいびつになり、見る者に不安などを与える。この空間の歪みは、画家が「描きたいもの」を大きく描くということであると指摘する。
 それはそれでよく理解できるのだが、《ファン・ゴッホの寝室》など描きたかったものは何だったのか、それが何を象徴しているのか、についての言及は読者に投げかけられたままである。
 一般相対性理論まで出てきて「空間の歪み」に言及があり、面白みはあるのだが、投げかけられた疑問はなかなか解けない。それもまた読むことの楽しみということか。今後の展開に期待しつつ読み進めたい。


「芸術原論」から 4

2025年02月28日 20時43分16秒 | 読書

 昨日は昼から退職者会のカラオケのイベントの取材。取材をしながらだいぶお酒を飲んで、愉しんだ。一次会では終わらず、二次会もお付き合い。その後数人で三次会まで。カラオケのイベント自体は退職者会の費用で賄ったが、それ以降は割り勘。だいぶ散財をしてしまった。それでもいろいろと楽しい議論も出来た。
 帰りは酔っていたもののかなりの距離を歩いて帰宅。それなりに早いスピードで歩いた。自宅についてみると1万8千歩を超えていた。
 さすがにくたびれて入浴してすぐに就寝したものの、1時間ほどして足の甲が攣って目が覚めた。慌てて湿布薬を塗布したところ、20分ほどでおさまった。

   

 本日は昼からいつものように横浜駅まで歩いてみた。昨晩の痛みは嘘のようにおさまり、快適にウォーキングが出来てホッとした。いつもの喫茶店で「幻術原論」(赤瀬川原平)の第2部「在来の美」を読んだ。

絵具を塗ることが一番楽しかったのは、印象派の人々ではなかったかと思う。あの人たちは絵を描くことが楽しいと同時に、絵具を塗ること自体が楽しかったのだ。・・・「近現代」の絵画というのは、印象派と同じことをしていられないというわけで、テーマや工夫ばかりが開発されて、自意識が絵具の外に丸出しになってくる。印象派の得には、自我の蒸発という感覚さえ味あわされて爽快である。現代美術に魅力的な絵があるとすれば、必ず印象派の絵具と命脈がつながっているはずである。」(モネ「睡蓮」のリフレッシュ)

ヴラマンクは、よく見るとあまり凄くなくなっていた。一点だけ見ると「凄い」と思いそうになるのだけど、同じのが何点も並んでいるとだんだん凄くなくなってくる。「凄い」というコツを覚えて、あとはそのコツだけで何枚もおなじ「凄い」絵を描いている。たんなる職人芸になり果てている。・・・ヴラマンクはコツの中におさまりかえっているのだけど、佐伯祐三は何だか迷子の絵具のようだった。斧具の原色の快感は印象派の人たちが味わってしまい、絵具の温ふりの快感はゴッホやヴラマンクが味わってしまい、バリの風景は全部ユトリロが描いてしまい、もう自分の描く領分がなくなっていて、それでもやはり絵が描きたいという人間のいらだちが絵具の上に滲み出ている。佐伯祐三はそういう絵具でそのまま絵を描いてしまったのだった。」(迷子の絵具―佐伯祐三、ヴラマンク)

 私の好きなヴラマンクと佐伯祐三の評、なかなか含蓄があると感じた。このような評があるが、共に私が気に入っている作家であることに変わりはない。

ポロックの作品などは20から30年前はあっと驚く革命的な現代芸術であった。それがあっという間に近代芸術になり果てている。・・・実に無残なものである。ポロックの作品などは、かつての素晴らしいエネルギーの幻影だけを世の中に残しい、あとは美術館の壁から消え去ってしかるべきではないか。粗末な写真と目撃談だけを残して、その実物は崩れ去るのがふさわしい。・・・現代芸術とは一瞬のものである。それはいつも新しい思想と新しい構造をって一瞬の間に現れる。それを支えるはずの経済体制には、その現代芸術に見合うだけの新しい構造も変革もないわけで、そこで一瞬にして現代芸術は消えてしまう運命にある。それが消えもせずに双方が癒着すると、その背中合わせの隙間に虚妄だけが立ち昇ってくる。要するに現代芸術というものは、金で買っては残せないものなのである。60年代初頭の現代芸術、例えば篠原有司男をはじめとするネオダダ・グループの作品群などは、いまはほとんどぼろぼろに崩れて棄てられて残ってはいないという。それはいまにして思えば幸せなことだ。その崩れ落ちた作品群は、いまもなお革命児の幻影を生きているのだから。」(金で買えない現代芸術―バイク、ポロック)

 「現代芸術」に対する突き放したような記述であるながら、私には的を射ているように感じる。現代芸術の定義そのもののように感じてしまった。「時間」というものに対してどう対処しようとしているのか、そして「普遍性」ではなく「個別性」「私的行為」にまで解体してしまう「芸術」の行きつく先を見通しているような記述である。

 


規則性と不規則

2025年02月26日 21時03分54秒 | 読書

 本日は午前中に印刷会社へ退職者会ニュースの原稿を入稿。
 気温はどんどん上昇し、15時には17.6℃、4月上旬並みの気温を記録。午後出かけるときにダウンのコートを着ていたが、20分も歩くと暑くてたまらず、コートを脱いでリュックへ。少し厚めの開襟シャツ1枚になって歩いた。横浜駅で頼まれた買い物一品を購入して1時間ほどコーヒータイムと読書。
 あとは陽射しに誘われて少しのんびりしたウォーキングで1万5千歩ほど。夕方になり風が少し冷たく感じたものの、そのまま開襟シャツ1枚のまま歩いた。

 喫茶店では「芸術原論」(赤瀬川原平)の第1部「芸術の素」の5編を読み終えた。

波頭というのは海面の前面に平均的に分布しいる。でもいくら斜め横から見ても、一本の直線というのは浮かび上がらないですね。あれは波の一つ一つが屋根瓦のユニットのつながりのようでいて、ちょっと違うんですね、。連続が柔らかいというか不規則的な、アトランダムな連続です。波頭の連なる海面は乱数表です。だから楽しいんです。」(美の謎は乱数の謎)

 まったく同感である。以前にも幾度かこのブログに記載したこともある。人間は規則的な動きや図柄をみているとすぐに飽きる。不規則なものの動きは見飽きない。一見パターンのような繰りかえし模様の場合、少しずつズレがなかったとしたら、規則性をすぐに見破ってしまうのが、人の目と脳のすごいところである。飽きてしまうものである。
 こういう指摘や視点をもつエッセイというか文章表現にとても惹かれる。

 本日もフラワー緑道でカワヅザクラの開花の様子を見てきた。3本のうち、日当たりのあまりよくない樹は開花していないが、他の2本はこの温かさでそれぞれ20輪以上が開いていた。
 蕾と咲いた花を見ていると、規則性はない。しかし枝の先端から開き始める規則性は見受けられる。樹の全体としては傘のような樹形でどことなく統一的な咲き方に見えるが、ひとつひとつの蕾と花に規則的な配置も咲き方も見当たらない。
 それが見る者を惹きつける。これが左右対称に下から順番にきちんと咲くとか、パターン化された蕾のつけ方、花の開き方であれば、こんなにも桜をはじめとした所謂花木に対する関心、動物でいえば群れになって飛ぶ渡り鳥の飛行対する関心、自然の風景や雲の動きなどに対する関心などは生まれないと思う。
 規則性があるようで実際は不規則な連続、これが人を惹きつける大きな要素のひとつに思える。

                                                                                                                                                             


「芸術原論」読み始め

2025年02月24日 21時02分38秒 | 読書

 本日はウォーキングののち、喫茶店でのんびり読書タイムと考えていた。しかし買い物の手伝い、買い物したものの運搬を頼まれた。
 妻よりも早めに家を出て、目的のスーパーのそばの喫茶店で待ち合わせたが、思いのほか妻が早く到着。読書タイムは5分も確保できなかった。
 2件のスーパーで買い物のち、荷物の半分をリュックに詰め、再度喫茶店で一服。妻は先にバスにて帰宅。私はしばらく喫茶店で読書にいそしもうとしたが、隣の二人連れの機関銃のような早口の滞ることのない大声のおしゃべりに閉口。
 結局読書はあきらめ、重いリュックに喘ぎながら再度遠回りのウォーキングで帰宅。

 そうは言っても本日は「芸術原論」(赤瀬川原平)を25頁程読んだ。「原論」ということばにつられて購入したが、目次をよく見ると「芸術原論」そのものは一番最後。そうはいっても各文章はエッセイよりはかなり読み応えある。
 著者は「同時代ライブラリー版に寄せて」の冒頭に「理屈っぽい人間てあまり好きではないが、自分で書いた文書をあとで読み返すと(この人かなり理屈っぽいなあ)と思い、自分にがっかりすることがある。」
 ここにおさめられている文章は、使われている言葉は優しいがそれなりに理屈っぽい。読みごたえと新しい知識もある。私には読んでいて楽しい。

 著者は自身の体験をとても大切に、それを起点に物事を考えようとしている。
人類の疑問のモトは幼児の疑問である。‣‣‣自分の中の奥の方はどうなっているのだろうとか、自分の外側の宇宙のずーっ行った果てはどうなっているのだろうかとか‣‣‣。その疑問は幼児の疑問とまったく並んで進歩しない。初々しい幼児の頭というのは、人類の疑問のいつも最先端に置かれている。幼児が大きくなって社会人となる過程で、疑問というのはそのまま徐々に凍結されて、ゴミの日ごとに少しずつ袋に詰めて捨てられていく。たしかに幼児が抱えている巨大な疑問を、そっくりそのまま捨てずに持っていたら、とてもこの世の社会人として生きていけない。」(考えことはじめ)
 私が心にためていたことを表現してくれたと感心しした。当初の疑問を抱えていることの大切さを思い起こしてくれた。

   


本日から「芸術原論」(赤瀬川原平)

2025年02月24日 11時57分10秒 | 読書

 昨日は午前中と夜に退職者会ニュースのおもて面の原稿づくり。午後は横浜駅まで歩き、いつもの喫茶店で読書タイム。昨晩アップした通り、「最後に、絵を語る。」(辻惟雄)を読み終えた。
 退職者会ニュースは、20時前には一応おもて面の9割程が出来上がった。残りは25日の現役世代を中心とした夜の集会の模様の報告文を入れるスペースである。25日の朝一番でこの部分を除いて印刷会社に送信することにしている。

 本日の午前中は団地の管理組合の業務のお手伝いで、一時間程かけて来年度の作業予定のための現地調査。午後からはいつものように出かけてウォーキング&コーヒータイム・読書タイム。

   

 本日から読む本は「芸術原論」(赤瀬川原平、岩波現代文庫)。芸術家による「芸術論」というのは、私の勝手な決めつけであるが、洋の東西を問わずほとんどの場合読みにくく、「論」とは言えない代物である。記述や論理に飛躍が多く、定義されない言葉が次々に出てきて、読者を混乱させ、閉口させ、そしてその本を放り投げさせたり、読み続けるのを断念させようとする。読者を煙にまいて、多分作者はどこかでニタニタしているのだ。
 もともと芸術は論ずるものではなく、作り上げて何かを表現しているものである。だから芸術家が芸術論を口にするのはもともと自己矛盾である。それでも芸術家の「何かを表現したい」という衝動の根拠を覗いてみたいのである。芸術家が語る一言で一挙に視界が広がって作品を楽しむことが出来る場合がある。作家のこのような一言が「芸術論」に含まれるのであるならば、「論」がその役割を果たしてくれることをおおいに期待したい。
 そんな私の偏見や願いをこの本は適えてくれるであろうか。過度な期待は常に裏切られる。なおかつ私は現代芸術には嫌いではないが疎い。疎い私の入門書になってもらいたいと密かに期待しているのだが・・・。


読了「最後に、絵を語る。」(辻惟雄)

2025年02月23日 22時25分40秒 | 読書

   

 「最後に、絵を語る。」(辻惟雄、集英社)の第4講「私の好きな絵」の後半部分(東山魁夷の評価部分)と、第5講「辻惟雄×山下裕二 師弟対談」を読み終えた。
 私はどうしても東山魁夷の作品になじめないできた。現在も変わらない。この第4講は辻惟雄の評価を読んで、今後に鑑賞の一助にしたいものである。

実景を丹念に観察しながら、それをまた別のものに変換する画家のマジックというものを痛感させられました。」(第4講)
ナイーブさというものが共通してあります。ナイーブさと同時に写実の力を持っておられるんだけれども、たいてい写実性はあまり出さないで、後ろへしまっておくような感じです。」(第4講)
天候なら薄曇り、光の柔らかい時間帯、あるいは薄暗い夕方などが多いですね。東山魁夷の描く風景は、寒いとまではいかないけれど、ちょっとひんやりするようなところがあります。私は奇想ばかりではなく、そういう表現にもやはり心惹かれるんです。」(第4講)

山下:昨今は、日本美術というと『奇想の系譜』で先生が紹介された画家たちをはじめとする、「奇想」のほうに人気が偏っています。しかしやまと絵や狩野派といった「正統派」という本筋の存在があって「奇想」もあるわけだから、正統派について辻先生の味方をしりたい‥。
辻:『奇想の系譜』のあとがきに、‥奇想のほうが日本美術の主流なんじゃないか、。その言い方は「奇想」の価値を強調するために気負い過ぎた面があるにしても、この本は、それをまたもとへ戻そうとしているんです。
山下:正統派と奇想派の両方あるのが、日本美術のおもしろさなんだと思います。
辻:正統派と奇想派は対立しているわけではないんです。『奇想の系譜』のあとがきでも、奇想については「〈主流〉の中での前衛」という表現をしてました。」(以上第5講)

 第5講については私が書くのはあまりに烏滸がましいのだが、次の視点を私から付け加えてみたい。
 集団や師系の中に正統派、奇想派という人格を一人の人間に当てはめるのではなく、一人の画家の内面で「正統」への志向と、「奇想」への志向の両方の存在すること。あるいは一人の画家の内部での葛藤というものを見る、見つけるという視点を持ちたいと、感じた。


「最後に、絵を語る」第3講

2025年02月14日 21時45分49秒 | 読書

 朝一番で親の通院の付き添い。親と帰宅後、今度は私一人で薬局に処方箋持参で薬をもらい、その足でいつものように横浜駅まで歩いて喫茶店へ。

   

 一昨日に引き続き「辻惟雄 最後に、絵を語る。」(辻惟雄)の第3講「応挙と蘆雪」の後半「蘆雪」に言及した部分を読み終えた。

師匠(応挙)の筆法でもってズバズバと大胆な絵を描く蘆雪は、応挙門下の他の弟子たちとは毛色の違う存在です。高弟ではあっても、やはり「鬼っ子」。奇想の持ち主としての「奇才」であり、鬼の字の「鬼才」でもあったといえます。応挙と蘆雪の師弟関係は、「型」の創造と「型破り」という点で、狩野派における元信と永徳の関係に似ています。

 なるほどと思わせるなかなか面白い把握だと関心。

 帰宅後は退職者会ニュースの原稿づくり。あまり進捗がなかったのが悔やまれている。明日は少しネジを巻いて先に進めたい。


読了「大人のための残酷童話」

2025年02月12日 21時21分09秒 | 読書

 朝のうちは寒かったが夕方以降は風が強くなり気温も上がってきた。現在は風がとても強くなり、北側の窓が煩いほどに鳴っている。本日は欲張った読書タイム。

   

 朝のうちは「大人のための残酷童話」(倉橋由美子、新潮文庫)の最後の1編を読み終わった。ほぼ読み終わっていたが、そのまま忘れてしまっていた。
 全部で26編、あとがきで作者は「これが童話であって小説でないのは、描写を通じて情に訴えるという要素をすっかり棄てて、論理によって想像力を作動させることを狙っている‥。子供にはいささか毒性が強すぎるのと、話の性質上思わずエロティックに傾くことがあった‥。」と記述している。
 ただし、それなりに楽しめた毒であるが、毒が充分に有害な毒であったか、疑問は残った。



 昼食時間を挟んで日経サイエンスの別冊「太陽系新時代 探査機で迫る生命の起源」を読み始めた。第4章の「小惑星」の半分ほどを読み終えた。

    

 昼食後は、いつものとおり横浜駅まで歩き、いつもの喫茶店で「辻惟雄 最後に、絵を語る。」(辻惟雄)の第3講「応挙と蘆雪」の6割ほどを読んだ。辻惟雄の円山応挙評価は初めて目にするが、かなり高い。

応挙の絵は、実際の空間で見ないとわからないものが多い。特に障壁画は、絵画空間と現実空間の連続性ということを非常に重視して描いている。蘆雪や若冲、蕭白の絵の魅力はフラットな図版でも、空間性を重視した応挙の作品の真価は伝わりません。
応挙の功績は、民衆のための絵に対する需要が非常に高まって来た18世紀の京都を舞台に、新旧のさまざまなスタイルを「総合」したということ。江戸時代中期までの日本の伝統に、中国画、西洋画の要素を取り入れて、分かりやすい表現にしていったんです。
(四季の月図など)月と雲と夜の空気、光と闇の関係、こういうものを表現できるのは、近代的としか言い様がない。