Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

土砂降りにびっくり

2024年07月31日 22時11分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕刻、横浜駅に着くと土砂降りの雨。スマホで「レインアイよこはま」を見ると横浜市域を通過した2回目の強い雨の区域であった。最初は西部から南部の金沢区方面へ流れていった。2回目の強い雨の区域が横浜駅を含む市域の中央部を北部から南部に通過していた。
 そのまま予定通り居酒屋に入った。割と早く雨は上がったが、しばらく飲んでいるとふたたび雨が降り出した。3回目の強い雨の区域はかなり広範囲でなかなか市域を抜けない。ずるずると20時過ぎまで居酒屋で時間を過ごした。
 この間に大雨(浸水害)警報、洪水・雷注意報が発令された。3箇所ほどの河川で避難判断水位を超えたという防災メールも届いた。さいわい中心部ではそのような事態にはならずに推移した。
 鉄道も大雨の影響で運転を中止した路線が複数あったようだ。

 当初は減量中でお酒も控えているので、ハイボール2杯で切り上げるつもりであったがなかなか雨も上がらず、とうとう4杯目を注文してしまった。何とも意志の弱いことかと後悔したが、後悔先に立たず。

 21時近くにバスにて無事帰宅。雨はやんでいたが遠くの方から雷鳴が轟いていた。ようやく22時過ぎに大雨・洪水注意報も解除になった。
 本日も結局持参した本は手に取ることもなかった。明日は晴れるとのことなので、少しは読書に勤しみたい。

 


久しぶりに地ビール

2024年07月31日 09時58分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日の夕食は親族にもらった博多の地ビールをコップに2杯ほど。ビールを久しぶりに口にした。よく冷えていたこともあり、とても美味しく感じた。いつもはビールは飲まずにすぐにハイボールまたは味をつけない酎ハイを飲んでいる。
 日中はウォーキングを少しばかり控えたので、22時近くになって4000歩余のウォーキング。かなりのスピードを出したので、汗だくで風呂場に駆け込んだ。湯船に浸からず、35℃よりも低いシャワーで済ませた。とはいえ念入りに洗身。気持ちが良かった。
 本日は昼前から出かけて、夕方にチョコッと友人と飲む予定。読書時間は確保できるであろうか。 


酷暑の中の楽しみ

2024年07月30日 17時43分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は昼前に36.7℃まで気温が上がった。昼直後に家を出て、ターミナル駅のショッピングモールの喫茶店へ。いつもよりは短いウォーキング。勝手知った道なので、歩いている時間帯から建物の日陰の部分の想定ができる。一つ早く曲がったり、一本横の道に入ったり、その都度ビルの間の樹々などの様子を見ながらそれなりに楽しく歩くける。
 花が盛りのサルスベリや屋上・壁面緑化、ビルの狭間の細い空間の雑草類など見飽きることはない。(掲出写真は無関係)。暑いことは暑いがこのような楽しみ方もある。
 帰りは途中からバス。バスを降りたところで天気予報通りに15時過ぎに空が一面黒い雲に覆われ、少しだけポツリポツリと降ってきた。傘を指すような雨ではなかった。残念ながら気温を下げる効果はなかった。帰宅後は、無理をせずに30分ほどの昼寝。

 このように昼寝や、喫茶店でのうつらうつらが続くと自分でも若さが消えたように感じる。一方で、それが70代で健康を保つ方法のひとつということも言われる。

 


37℃超え

2024年07月29日 20時10分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 日中は50%台の低い湿度であったが、気温は正午過ぎに37.1℃と猛暑。今年の最高気温を記録した。平年よりも6℃以上高いとのことである。ここ数日よりも湿度が低いとはいえ、37℃超えというのはつらかった。陽射しの強さに閉口。
 11時半ころにバスにて近くのターミナル駅の商業施設で親に頼まれた買い物をふたりでいくつか調達。昼食後バスにて帰宅予定も、あまりの暑さに、妻はタクシーで帰宅。私は大胆にもウォーキングで横浜駅へ。ビルの日陰を歩き、何とか着いてみると約6000歩。途中のコンビニでお茶を購入して、一服せざるを得なかった。
 無事に横浜駅に着いたものの2軒の喫茶店は満員。値段の高い喫茶店に入ってひと息ついたが、本を開いたとたんに眠り込んでしまった。

 この猛暑では、ウォーキングと読書の両立は無理と、ようやく理解した。本日は1万歩止まりでウォーキングは中止。


スポーツは「競う」ものか?

2024年07月28日 19時43分07秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は、敢えて言わせてもらう。もともとテレビはあまり見ないので、それほど「被害」がないとはいえ、毎日のオリンピック放送の氾濫に閉口している。見たくもない番組のオンパレードにはうんざり。
 以下、あくまでも私の思いである。こんな考えを持つ人間がいることを敢えて記してみる。

 スポーツやスポーツ応援が好きな人を腐すつもりはさらさらないが、私はどうしても現在の「スポーツ」のあり様というのが好きになれない。昔からスポーツというものが大の苦手。体育は学校を卒業するまで常に5段階評価で2ないし3あたりをうろうろ。
 スポーツとは本来関係ないのだが、「体育教師」とは常に相容れない関係であった。「体育教師」とはこういうものだという一般化は危険な決めつけであるが、少なくとも当時、スポーツ音痴というだけで私を蔑む態度と見る眼とが嫌いでいつもそっぽを向いていた。それが余計に彼らの私に対する評価をさらに悪くしていた節もある。
 私のスポーツ嫌いの大半はその「体育教師」に基因はしているが、運動生理学、心理学などそっちのけの彼らが主張するスポーツの「集団性」「画一性」「根性論・気合論」にどうしても馴染めなかったし、今もなじめない。
 グループの人間と同じタイミングでは体は動かないし、同じ格好にならない。私からすれば、そんなことどうでもいいことであり、個々人により違いがあるのは当たり前だと思うのだが、教える側はそれが許せないらしい。
 そんな思いは川崎に転校してきた小学4年生の時からである。私が歩くとき両肘の折れ曲がる側が体側側ではなく前に向くのがおかしいと幾度も歩かされた嫌な思い出がある。最後には「普通の体つきではない」と他の生徒の前で宣告された。
 そんな嫌な体験・思いを続けたくないので、公立中学を敬遠して私立中学・高校に進学したが、変わらなかった。不快な体験・思いは増幅することはあっても弱まることはなかった。
 中学に入ってすぐに東京オリンピックがあり、テレビで鑑賞しろと1週間ほど休校になった。休み明けに体育教師が「日本選手団の一糸乱れぬ入場行進の見事さを見習え、規律こそが第一。他の国の乱れた行進は見苦しかった」というものであった。
 私はあの軍隊式の行進の何処が見事なのか、自由に手を振る他国の選手団の自由さのほうが、人間らしく思えてこの教師の「訓示」に極めて強い違和感を感じた。あの体育教師の頭の中では帝国軍隊がまだ生き残っているのだとも感じた。この思いは後年、吉本隆明の評論を読んで間違っていなかったと納得した。
 エピソードは枚挙にいとまない。そのうちに追々と。
 大学では教養部では体育という科目はあった。授業も受けず、レポートも出さないうちに、紛争の中でいつの間に単位を取得していた。実にいい加減なものであった。

 就職してから学生時代の友人と丹沢から相模湾の景色を見たいということで、バンガローの予約から下見まで一人でしたことから、登山に目覚めた。最初は丹沢から始め、北関東・山梨などの山を経験の豊かな友人に連れられて登った。
 次第に一人で関東近郊の山から東日本の山にフィールドを広げ、「集団性」「画一性」「根性論・気合論」という呪縛から解き放たれるようだった。一人で体を動かす「スポーツ」がこんなにも楽しく、のびのびとしたものであるか、体感して嬉しかった。それ以来登山とジョギングが病みつきになった。
 登山は単独行、ないし個人の体力を基に、天候の読み、山行の難易度に対する知識と構えを互いに尊重しあえる2~3人の山行を心掛けた。30歳を過ぎてからは家族登山を除いて、ほとんどが単独行になった。
 スポーツとは「個人で行うもの」「自然の力と自分の体力を見極める知力が前提」というのが基本であると思っている。私のスポーツ観はこれに尽きる。これ以上でもこれ以下でもない。これだけである。

 だから「競う」という発想が私にはもともとない。タイムや距離という客観的な指標を目標にすることまでは理解できる。しかし人と競ったり、勝ち負けにこだわったりすることがどうしても理解できない。
 力量を披露しあうこと、自分がどの程度に進歩したか、客観的に自己を見つめる場をすべて否定するつもりはない。
 それでも私には、そのような場に興味がないとしか言い様がない。そんな人間であることを表明すると、ほとんどの人が「理解できない」という。
 さらに「オリンピック」もまったく興味がない。まして「国別対抗」という形態そのものが理解できない。国家によるメダル獲得競争の煽り、メダルの獲得の目的化、いづれも「国威」発揚そのものとしか思えない。

 こういう私は圧倒的に少数派である。そういう自覚はしている。しかしそういう人間がかなりの数存在していることも事実である。意外とこういう人間のほうが多数かもしれない。集団の同調圧力でかき消されてしまっているように思う。
 オリンピックの期間、いつも私にとっては実に憂鬱な期間である。


香月泰男のシベリア・シリーズから

2024年07月28日 13時35分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 毎日曜日のNHKの日曜美術館はさいわいにもオリンピック放映にかき消されることなく、今回も放映された。しかも「香月泰男のシベリア・シリーズ」であった。
 香月泰男の名を知ったのは1972年頃だったと思う。むろんまだ全容は知らなかった。またなぜ香月泰男だったのか、その契機も記憶にない。
 記憶が正しいとすると、1970年に発表された同シリーズの「朕」の添えられた画家本人の言葉に感激した。これが1972年なのか、もっとあとなのか、問い詰められると自信はない。
 「人間が人間に命令服従を強請して、死に追いやることが許されるだろうか。民俗のため、国民のため、朕のため、などと美名をでっち上げて・・・・・・。朕という名のもとに、尊い生命に軽重をつけ、兵隊たちの生死を羽毛の如く軽く扱った軍人勅諭なるものへの私憤を、描かずにはいられなかった。敗戦の年の紀元節の営庭は零下30度余り、小さな雪が結晶のまま、静かに目の前を光りながら落ちてゆく。兵隊たちは凍傷をおそれて、足踏みをしながら、古風でもったいぶった言葉の羅列の終わるのを待った。・・・・朕の名のため、数多くの人間が命を失った。
 香月泰男はシベリア・シリーズの一点一点について解説文を自ら書いている。
 「自分に忠実であろうとすると、ますます他人には分かりにくいものになっていく。一方で人に理解されたくない、これはオレのものだという気持ちがあるのに、やはり分かってもらいたいという気持ちも他方にあるのは否定できない。しかし、妥協はできない。解決策として、私は説明文をつけることにした

 東西冷戦下の日本の国家体制、世界秩序の根幹であった西側民主主義と「社会主義」圏の、共に国家の名による抑圧、それらの縮図である国内の保守・革新という図式と党派の論理の跋扈・・。当時の新左翼運動もこれらからの止揚をめざしつつ、それに押しつぶされて暴走を始めていた。
 そんななかで画家の立場から明確に、「朕」に解説文が発せられていることに当時の私はとても惹かれた。
 なお、作品の中央部の白い部分は「読み上げられている軍人勅諭」である。その背景の人物は営庭で聞かされている兵隊でもあり、同時に亡くなった兵隊でもあるのだろう。

 実はシベリア・シリーズは初期の2点を除いて「黒」が主体の作品である。その「黒」を際立たせる技法の秘密も紹介していた。



 しかしながら、シベリア・シリーズ以外の諸作品は色彩があふれるような抒情的な作品で溢れている。これもまた香月泰男の魅力の作品群である。

(遠吠え)本日の番組ではこの「朕」という作品の紹介もあり、また添えられた作者の解説文も読み上げていた。数年前には想像できなかったことである。NHKも部門ごと、番組ごとにずいぶんとニュアンスや意図に差が出てきたようだ。どれが正しいなどとはいわないが、少し前のように力あるものへの忖度をやめ、力におもねることをやめ、時代の病理をえぐり、多様性のある番組を望みたいものである。


ショパン「マズルカ全曲」後半

2024年07月27日 21時41分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 暑さ疲れで読書がままならないので(といっては作曲者にも、演奏家にも、音楽愛好家にも失礼かと思うもののご勘弁!)、食後は一昨日に続いてショパンの「マズルカ全曲」の後半を聴くことにした。

 マズルカとは関係はないが、夕食には横浜駅のスーパーで購入した「ヤリイカ」と表示のあった5㎝未満の茹でたイカを4杯。さらに薄切りにした生姜をたっぷりの鰹節と煮た私の大好物を妻が作ったくれた。それを茶碗に半分ほども食べた。さらに葉生姜を2つほど。これ以外には口にしなかった。しかし生姜ばかりで、しかも葉生姜はかなりからかった。十分にお腹がいっぱいになった。ずいぶんと胃が小さくなったものである。

 体を温める効果がある生姜が暑さでげんなりしている体によいのかは疑問であるが、食べている最中は口のなかが爽やかになり、気分のいいものである。殺菌作用も強いという。私の好きな食材なので、昔からつい食べ過ぎてしまう。


猛暑と高湿度でげんなり

2024年07月27日 20時47分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 私の体感では今夏最高の気温のように感じた。13時40分位に最高気温36.0℃を記録している。この気温は、記録の上では今夏の最高気温とはなっていないが、調度その時分にふたりでターミナル駅のショッピングモールに向かって歩いていた。太陽が真上にあり、ビルの影は極端に短く、15分ほど我慢して歩いたがつらかった。
 スーパーで買い物をしながら涼み、さらに喫茶店で遅い昼食と冷たい飲み物で体を冷やした。喫茶店はいつもより人が多く、皆体を冷やしているようである。

 喫茶店を出てからさらに強い陽射しの中を歩いてバス停まで。この100mも照り返しでつらかった。横浜駅行きのバスはすぐに来たが、横浜駅は多くの人が行き交い混雑。しかも購入したいものは品切れ。

 ふたたびバスにて帰宅。暑い思いをした割には報われない買い物「ツアー」であった。帰宅後横になって「「川の字」文化の深層心理学」を紐解いたが、10頁ほどでダウン。

 夕方からは雲が出てさらに蒸し暑くなった。先ほど弱い雨が短い時間パラついた。本日も蒸し暑さに体がついて行かず、疲れだけがたまった感じである。

 


とても蒸し暑い

2024年07月26日 22時23分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の夜はとても蒸し暑い。案の定、夜のウォーキングに出たら、雨が降り出した。往復1500歩ほどで引き返してきた。
 連日かなりの歩数を歩き続けてきたので、足の筋肉も疲労気味。足の休養日ということにした。

 退職者会の打合せ・会議・取り組みは8月15日までなしということになった。幹事会は夏休みということで休会。ただし退職者会ニュースの原稿締切が8月16日までなので、編集作業は8月10日くらいから開始である。
 新聞発行のための作業には夏休みは残念ながらない。悲しい限りである。もっとも暑くて遊びに行く気にもならないので、実害はない。

 7月いっぱい、8月第1週までは暑さでダウンしても迷惑はかからない見込み。


「「川の字」文化の深層心理学」 2

2024年07月26日 20時01分43秒 | 読書

   

 昨日・本日と喫茶店での読書は「「川の字」文化の深層心理学」(北山修・萩本快編、岩波書店)。
 この本は、これまでに「まえがき」、「序としての随想」、「第Ⅰ部「「川の字」文化と心の問題」の第1章~第4章、第Ⅱ部「「川の字」文化から臨床を問い直す」の第5章を読み終わった。
 精神分析は知識はないので、なかなか理解できないところも多々ある。慣れるしかないようだ。


東北地方の大雨特別警報

2024年07月25日 19時50分51秒 | 天気と自然災害

 猛暑日となった本日も昼間はウォーキングで最寄りの区役所まで。所用を済ませてから、ターミナル駅のショッピングモールの喫茶店で体を冷やしながら読書タイム。その後、横浜駅までふたたび炎天下をウォーキング。
 横浜駅の地下街にあるコンビニで水分補給ののち、書店などをめぐってからバスターミナルのある地上へ。地上に出てみてびっくり、わずか30分ほどの間に空はすっかり雲で覆われ、薄暗くなっていた。
 バスを途中で下車して頼まれたものを購入している間に雷が鳴り始めた。早足で帰宅し、玄関に入ると同時にたて続けに雷鳴がした。雨はそれから1時間後の18時過ぎころから。しかし30分後には雨は上がった模様。それほどひどい雨ではなかった。

 夕食後にはふたたびショパンのマズルカを聴きながら食休み。食休みといっても食べたものは味をつけないサラダと、冷奴と梅干し等々。すぐに満腹になる。しかしなかなか思ったようには減量にはなっていない。それこそ水を飲んでも体重が増える。減量というのは難しい。

 マズルカを聴き始めたもののすぐにやめた。山形・秋田の豪雨被害のニュースが気になって、テレビにかじりついている。


ショパン「マズルカ全曲」

2024年07月25日 12時58分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 久しぶりにショパン「マズルカ全曲」をアシュケナージのビアノで聴いている。演奏年次は記されていない。
 ネットでの解説では「現在のマズルカはポーランド語ではマズレク(Mazurek)と呼ばれ、上で紹介したマズール、オベレク(Oberek/速い踊り)、そしてクヤヴィアク(Kujawiak/遅い踊り)の3つが混ざった曲を指します。ショパンが60曲近く作曲したマズルカは、この3つが混ざった作品となっています。ショパンの場合は、踊りの特徴をうまく捉え、自分が見聞きした旋律やリズムを取り入れて芸術的作品に昇華させました。」(大井駿 指揮者)とある。

 踊りの曲ということになっているが、私には踊りという要素があまり感じられない。アシュケナージの演奏が「洗練」されているのだろうか、古い土俗的な匂いがしない。ショパンがそのように作ったのかもしれない。
 しかし、それが結果的には私には合っているのだと思っている。

 この曲集、あまり聴くことはないが、聴くと心地よく、そして懐かしい気分に浸る。気分が落ち着く。


水木しげるの短編から 2

2024年07月24日 23時12分16秒 | 読書

 本日も頭は暑さでお疲れ状態。読書に自信がなく、「水木しげる厳選集 異」(ヤマザキマリ編、ちくま文庫)をリュックに入れた。(申し訳ない言いかたで、著者の水木しげる氏には失礼します。)
 とはいえ、選択は間違っていなかったと思う。頭のなかが少し涼やかにおさまった。読んだのは「きつねの座布団の巻」(1975年)、「屁道」(1969年)、「猫の町」(1967年)。いづれも私は初めて読むのだが、1960年代後半というのを実によく反映している、と感じる作品である。
 たぬきの睾丸に描いた顔の妖怪など、多分当時も大人には顰蹙ものだったのだろうが、週刊の少年漫画雑誌掲載ということに笑いが止まらなかった。
 「屁道」もオナラの達人めざして茶道・武道と同じく「道」にしてしまう仙人や哲学者もどきの老人が登場する。ナンセンス漫画的だが大人の「まじめさ」を虚仮にした辛辣さが匂う。これも週刊の少年漫画雑誌掲載。
 「猫の町」は逆に大人向けの漫画雑誌掲載だが、前2作よりもほのぼのとした大人の童話的な要素が強い。大人向けの作品のほうは辛辣さがなく、救いが見えている。

 一人で入った2軒目の喫茶店でアイスコーヒーの氷が融けるまで、こんなことを考えて、楽しんでいた。


ごはん抜きの鰻蒲焼

2024年07月24日 20時14分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日よりおおいに元気回復。

 正午くらいに横浜市域では最高気温35.4℃と猛暑日を記録したという。そのくらいの時間から曇りがちになった。私は横浜駅まで歩いて出向き、妻はバスにて横浜駅の地下街へ。喫茶店で待ち合わせをした。
 雷注意報、竜巻注意情報も出たので、天気の急変に備えて、歩いたのは商店や出入りのできるオフィスビルの並ぶバス通り。普段ならばカンカン照りの時には歩きたくない道である。太陽が顔を出したり、雷が鳴ったり、雨・風がひどくなったら避難させてもらえるようなコースである。あるいは途中からバスに乗ることも考えていた。
 さいわい雨・風・雷に会わず、太陽も顔を出さなかったので、最後まで歩いた。埼玉県内では突風が吹いて被害が出たようである。都内でもかなり強い雨の区域が通過したようだ。

 コーヒータイムでひと息ついたのち、横浜駅の百貨店で老舗の鰻の蒲焼きを、親の分と合わせて大小一串ずつ購入。そのうち私たちふたり用は大串ひとつ。減量中の私はその半分。それでも口の中に脂が残った。私はすっかり脂っ気が抜けてしまった食生活になっている。
 スーパーなどで販売しているべとべとのタレがかかっている鰻は昔から敬遠。買うとしたら白焼きを買ってきて、もらってきたタレを少しだけかけて食べたこともある。
 ここ数年は、タレがしつこくない近くの店で食べることにしている。今回購入した老舗店の蒲焼は色合いはうっすらとしており、味もくどくなく良かった。値段も特に高くはなかった。

 帰りも妻はバスを利用。私は曇りがちな天気をいいことにウォーキングがてら遠回りして半分以上は歩いた。
 暑さで体重はそれなりに減ったものの、夕食時のごはん抜きの蒲焼で昨日の体重に戻ったようだ。明日からまた減量に再挑戦。
 


無為の一日

2024年07月23日 19時04分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 あまり体調は良くない。ということで本日は休養日。13時過ぎにバスにて近くの駅まで出向いてみたが、ウォーキングとはほど遠い短距離・短時間の歩行で済ませた。帰宅時も同様。
 なめこの味噌汁とエシャロットが無性に食べたくなり、スーパーで購入してみた。夕食に供してくれるとのこと。
 その後は読書もせずに、何となく時間を過ごして無為の一日。これもまた貴重な一日である。