Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

バッハ「インヴェンションとシンフォニア」

2021年03月31日 22時16分24秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

      

 夜になって聴いている曲は、バッハの「インヴェンションとシンフォニア」30曲。アンドラーシュ・シフのピアノ。録音は1977年、上野学園石橋メモリアル・ホールと記載されている。発売が2002年である。しかし私はこのCDを購入した記憶が全くない。
 バッハのCDをまとめておいてある場所にこのCDがあることに先日気が付いた。なんとも恥ずかしい。どういう気分で購入したか、聴いた感想などもまったく記憶にない。
 ということで初めて聴いた、と思う。アンドラーシュ・シフというピアニストの名は聴いたことがあるが、詳しくはしらない。解説によると1953年生まれというから私より二つ下。同年代ということになる。1970年代、ハンガリーの若手演奏家として有名になったらしい。ハンガリー動乱でイギリスにわたり、後にハンガリーに戻ったとのこと。夫人はヴァイオリニストの塩川悠子ということも解説で初めて知った。
 曲自体も初めて聴く上に、演奏家の特徴もよくわからないので、このバッハの曲集はこういうものだと思うしかない。

 しかしバッハの曲はいい。今度から夜にクラシックを聴きたくなった時の候補の一つにしたい。

 


サクラの季節も終盤

2021年03月31日 19時48分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 おととい訪れた横浜駅近くの新田間川沿いの喫茶店まで歩いて往復。いくつかの所用を済ませてからおととい入った喫茶店に再度入店。全国展開のチェーン店であるが、広々としており、オープンスペースも広い。人が少ないので、利用しやすい。

 新田間川沿いのサクラはすでに花は散ってしまって、名残の花もほとんどついてなかった。川に沿って吹く心地よい風にあたりながら「日経サイエンス5月号」の「太陽系外からの使者 オウムアムアとボリソフ」を読み終わり、特集の「色彩の科学」をすこしばかり目を通した。帰りには家電量販店で、プリンターのインクを購入。カラー3色を購入したものの、肝心の黒が品切れということで来週には再度訪れなくてはいけなくなった。特に急いでいるわけではないので、取り寄せ依頼は特にしなかった。

 妻は本日も買い物帰りに、桜で有名な一角に寄って来たらしい。こちらもほとんど散ってしまっていた、とのこと。ハナモモはまだ咲いているようだが、ソメイヨシノは咲くのが遅かった木も今週末までには散ってしまうと思われる。ヤエザクラはこれからが本番。

 さて、感染拡大が止まらない。解除が早すぎた大阪府などは、知事の責任重大であるのがわかっているが、責任を取る気などさらさらない上に、謝罪すらない。知事の発言を垂れ流すだけの報道なら報道機関としての役割はないのではないだろうかとすら思う。
 宮城県の拡大もまた深刻である。本日は200人という。単純に人口比だけで比べると東京都の1200人に相当する。こちらも政策的な失敗が大きいはずである。宮城県は知人、友人、縁者が多いので、他人事ではない。状況を引き続き注視している。


「日経サイエンス5月号」から

2021年03月31日 11時51分40秒 | 読書

   

 午前中は「日経サイエンス5月号」の「徹底解説 COVID-19ワクチン接種」の3本の記事「日本に上陸 mRNA ワクチンの実力」「米国に見る大量接種の課題」「次に控える新設計ワクチン」を読了。さらに「拡散を防げ 新型コロナの誤情報」という記事も読了。
 私の理解力でさらに整理ができれば、次の退職者会ニュースのコラム記事としてい活用できるか、検討してみたい。しかし医療に関することなので、扱いはきわめて難しい。

 午後はもう一つの記事「太陽系外からの使者 オウムアムアとボリソフ」、理解ができるならば特集「色彩の科学」も目を通してみたい。


「図書4月号」から  その2

2021年03月30日 21時26分41秒 | 読書

 本日の昼間に読んだのは、次の記事。

・去勢派とバフチン           亀山郁夫

・数と図形のまえづけ          時枝 正

・自滅する民主主義           長谷川櫂
「照井翠が高校教師として赴任していた釜石市も大津波に襲われた。翌年に出した句集「竜宮」から。
★御くるみのレースを剥げば泥の花
★春の星こんなに人が死んだのか
★ひとりまたひとり加はる卒業歌
★虹の骨泥の中より拾ひけり
 自分の心を空っぽにして、Gb5.はずのない死者の声を聞き取る。照井の俳句の姿勢がこの奇襲で定まったようだ。
 昨年暮れも押し詰まったころ、新しい句集「泥天使」が届いた。
★三・一一死者に添ひ伏す泥天使
★春の泥抱起(だきおこ)すたび違ふ顔
★屍より管伸びきたる浮葉かな
★あなたから成るしら露もこの霧も
★死の風の吹く日も麦の熟れゆけり
 「竜宮」ではかろうじて人の姿をしていた死が、「泥天使」では露となりきりとなって今や世界中に遍在している。これが照井の十年だったのだろう。」

「奴隷、戦争、公害、原発‥。では除外リストを決めるのはだれか。西洋風にいえば人間の理性、東洋風にいえば天地の道理。その道理を通すのが政治である。はたして政治は道理をとおしているか。新型コロナウイルスと闘うのではなく共生を-―。去年の春「コロナとの共存」がいわれはじめたとき、これからはコロナウイルスの存在を前提として人類の生活や文化を変えてゆくのだと多くの人は思ったはずである。ところが政府のとった方針は既存の経済を回しながらコロナ対策をとるという「既存経済との共生むだった。それさえいつの間にか「経済優先」にすり替えられ、「go to travel」「go to eat」という見当違いな政策が打ち出された。‥政府にとってコロナ問題は最初から経済問題だったのだ。ここでも政治は道理を通さなかった。」

 全16編の内、今月は10編を読んだ。

 


本日見つけた花

2021年03月30日 19時50分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後からは曇りが厚く空を覆い、風も強め。温かさは感じなかった。団地の中で一重のヤマブキが黄色の光を発していた。私の家のすぐ近くなのに、蕾にもまったく気が付かなかった。昨日咲いていたかの記憶もない。
 しかしヤマブキの黄色は周りをとても明るくする。一重の花のほうが明るい。八重の花のほうが、光を吸収するのではないかと昔から思っていた。八重の花は少し縮れてしかもギザギザしている。それが光を吸収しているように思わせる。
 ヤマブキは一重の風情と、八重の風情は大きく異なる。別の花のように小さいころは思っていた。



 そしてウォーキングののち、最寄りの私鉄の駅のそばの緑道にあるヤエザクラが開花しているのに気が付いた。
 例年はヤエザクラは4月末の連休の一週間くらい前に咲き始め、連休に入るころが満開であったと思う。4月の末、連休の半ばくらいまでにはヤエザクラも散ってしまう運命にあった。今年は少なくとも3週間は早いと思う。
 現役のころは、職場の敷地にヤエザクラが2本あり、連休前の暖かい日の昼休み、その下で小さな椅子に腰かけてコンビニで購入したおにぎりを食べながら、ヤエザクラの花びらを見に浴びていたことを思い出す。
 ヤエザクラは一重の桜と違って、時々風もないのに、花弁ではなく、花の房ごと落ちてきて、頭に当たるのが面白かった。


「図書4月号」から  その1

2021年03月30日 13時44分55秒 | 読書

 晴れてはいるが、昨日よりも雲が多い。

 午前中は「図書4月号」を読む。本日読んだ記事は7本。いつものように覚書として。
・[表紙] ビルマの竪琴       司 修
「ピストルの発射音がしました。電話ボックスの外の、緑色の景色は一変して、錆びた鉄の棒がねじ曲げられ、同じく錆びた鉄条網の塊がいくつも転がっていました。エンデの「モモ」を読んだのずいぶん昔なので、「時間泥棒」という言葉だけが、腕時計の針をなくしてしまったのだろうと思いました。一時も休まず土岐は進んで新しい世界を作ってい行くのに、積み重ねられた時間に圧縮された「欲望」も進まずにいられないのだなと思うのでした。ずっとミャンマーの国軍によるクーデターが気になっていた‥。」

・こころの癒しと時間       河合俊雄
「多くの児童文学では、「モモ」での時間の根源の現れが、過去の出来事や人物との出会いとして描かれている。‥過去の人物との出会いが主人公のこころの成長や癒しにつながると同時に、能と同じようにそれが過去の人物の救済でもあるのか興味深く、癒しは相互的なのである。」

・『悪い政治家』と『正しい政治』 カール・バルトの深読みから   宮田光雄
「政府の日本学術会議の任命問題に抗議して、ニーメラーの有名な「詩」の一節が引かれている。‥。普遍的な価値と原理に立つことによってこそ開かれる認識、それにもとづいて可能となる不法への抗議行動に「遅すぎたといわないために」連帯していくということである。」

・一四〇年のカルテ                      松下正明
「斎藤正彦(「都立松沢病院の挑戦 人生100年時代の精神医療」を出版)さんは、二〇年ぶりに院長として戻ってきた二〇一二年、病院が旧態依然であることに唖然とし、その現状には、患者の苦しみに対する共感の欠如、病院全体のホスピタリティの欠如、精神科医の社会性の低さ、組織凝集性の欠如、経営意識の欠如という五つの違和感を覚えたという。長い歴史の中で中で築かれてきた松沢病院の基本理念「自由解放主義」「無拘束主義」の達成のためには患者を受け入れる社会の側にも、不寛容から寛容に向けて大きく変わってほしいという強い願いがある。‥松沢病院が、二〇一九年、創立一四〇年を迎えた。‥カルテの整理は、単に過去の遺物をまとめることだけではなく、後世の人が、精神医療、精神医学における種々の問題意識をもってカルテから多くのことを学ぶことを目的としている。」

・面と向かわない力           白石正明
「どこかから自分をさいなむ声がやってくる。でもそれを上回る圧倒的な量の自分を応援する声がまたどこからか聞こえてきて、思わず身を任せてしまう。そんな体ごと巻き込まれるような受動的な体験が、人を救うこともあるだろう。」

・それでも私は瞑想する         高橋三千綱

・かざりの働き             橋本麻里
「「かざり」を感知し、コントロールできるのは、視覚に関わる領域だけではない。嗅覚、聴覚、触覚、味覚という感覚に触れるものすべて、あるいはそのバリエーションとして、温度なども含まれるかもしれない。時間の過ぎ方、空間の感じさせ方でも、できることがあるだろう。いったい「かざり」とは何のためのもので、どんな機能をもつのか。‥今の時点での仮の結論は、「この世ならざる聖性を招き寄せること」というものだ。‥いずれにしても、日常を律する道理や合理性と相反するベクトルを帯びることに変わりはない。‥日常の道理をいくらトレースしてもねそこに聖なるものが顕現するための「裂け目」は生じない。一時的、仮説的で、過剰であるものの存在こそが、この世界の枠組みにつかの間の亀裂を生じさせ、聖なるものが不気味な貌を覗かせる。人間は造形史の始まりから、その相貌に魅了され続けてきた。あるいは「簡素」が最後まで人為に留まろうとするもの、その極限をみようとするものであるなら、「かざり」は人為を梃子に、聖なるものを迎え入れようとする働きだともいえるかもしれない。」


新田間川沿いのサクラ

2021年03月29日 22時39分09秒 | 読書

   

 本日の午後は横浜駅そばの新田間川沿いのソメイヨシノが一望できる喫茶店の外のテーブル席で一服&読書タイム。なかなかいい眺めである。いままで桜が咲いていることは知っていたが、見ごたえのある散歩道という認識はなかった。新しい喫茶店ができて、うれしい一角となった。
 「万葉集講義」の第3章までを読了。
 風が少しばかりあり、散っていく花弁が美しかった。長く咲いた桜なので盛大な散り際ではないが、少しずつ散る風情もまたいいものである。花筏を見たかったが、それほど水面には花弁は浮かんでいなかった。
 妻は買い物がてらに別の場所でサクラを眺めてきたとのこと。



 帰りには、思い切って横浜駅地下街の有隣堂に寄って「日経サイエンス5月号」を購入。「徹底解説 COVID-19ワクチン接種」が目を引いた。
 まずは「図書4月号」を読んでから、こちらを読む予定。私にもそれなりに理解はできると思うのだが、自信はない。

 地下街は月曜日だが、人出は多い。特に有隣堂はレジに人がかなり並んでいた。本の不況と言われて久しいが、この緊急事態宣言で、本を購入する層は増えたかもしれない、と思わせるようであった。ただし書店での販売よりも、ネットでの購入のほうが需要が多いようにも思う。実際のところはどうなのだろうか。


天体シリーズの切手

2021年03月29日 21時38分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 帰宅してみると、本日は私あての郵便物が4通もありびっくり。手書きのあて名書きは知人からの手紙。切手は透明ホログラム箔付の天体シリーズで、土星の第2衛星「エンケラドス」であった。うれしい切手を選んでくれたことに感謝。「天体シリーズ」という切手があることを初めて知った。
 ちなみにエンケラドスは、氷でできた地殻と多孔質の岩石からなる核の間に、液体の水をたたえた内部海が存在すると考えられている。内部海の海水は核の岩石に染みこんで熱せられ、海底から熱水として再び内部海に噴出している。この熱水は内部海の水と混ざり、氷地殻の割れ目から水蒸気や氷の微粒子となって宇宙空間に噴き出している。2019年10月に噴出する氷粒子にアミンや酢酸、アルデヒドなどの有機物が含まれていることがNASAから発表された。とても興味深い衛星である。



 同時に配達されたものに岩波書店の広報誌「図書4月号」。これは早めに目を通したい。表紙を飾る司修の作品と作者自身の言葉がいつも印象深い。
 横浜駅地下の有隣堂に行くと、無料で「図書」を月初めに常備している。しかしもらい忘れる可能性があるので、毎年送料込1000円で定期購入している。

 


のんびり読書

2021年03月29日 12時54分10秒 | 読書

 バッハのヴァイオリン協奏曲集を聴きながら、「万葉集講義」(上野誠、中公新書)を読んでいた。すぐにお昼となってしまった。
 午前中ととてもいい天気、午後からは雲が多くなるとの予報だが、まだ太陽が気持ちよく照っている。

 これよりいつものように午後のウォーキングに出かける予定。久しぶりに横浜駅近くのオフィスビル街の喫茶店で一服&読書タイムをしてみたい。

 


バッハ「ヴァイオリン協奏曲集」

2021年03月28日 21時59分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 日中は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集(全曲)」の4枚目のCDをかけていた。ここ数日飽きもせずこの4枚目をずっと聴いていた。
 夜には、同じくバッハの「ヴァイオリン協奏曲集」(アーノンクール指揮、ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)。
 収録してあるのは、「二つのヴァイオリンのための協奏曲」(BWV1043)、「ヴァイオリン協奏曲」(BWV1042、BWV1041、BWV1056R(復元版))、並びに「オーボエとヴァイオリンのための協奏曲」(BWV1060R(復元版))。
 たいていは、バッハのヴァイオリン協奏曲というとBWV1041~1043の3曲であるが、5曲も収録されているというので、得したような気分で購入した。これらの曲に対するアーノンクールの造形は割と地味だと感じる。そして私好みの演奏でもある。あまり派手に造形した演奏は好みではない。

 本日はこの曲を聴きながら就寝、ということにしたい。


目がショボショボ、つらい

2021年03月28日 19時21分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 強風・雷・波浪注意報が出ている。

 眼精疲労というのであろうか、目が疲れているようなので、それを理由に昼寝。1時間以上も寝てしまった。
 目の疲労が原因というのは、言い訳に過ぎないが、先ほど投稿した記事にはみっともない誤変換などがいくつもあった。短い文章にしては間違いが多すぎた。
 いったん記事をアップしてから気が付く間違いがたくさんある。客観的に自分の記事を眺めることができないためだと思われる。
 アップする前の記事は何度見ても間違いが見つからない。多分自分の意識が残っていて、その意識に沿って文章をなぞっても、間違いには気付かないのだと思う。自分の思いに従って字が見えてしまうのであろう。

 天気予報ではこれから深夜までかなり強い雨が降るらしい。本日のウォーキングは予定まであと1500歩ほど足りないが、雨では断念するしかない。その分明日に余分に歩く予定。

 まだ目がショボショボするので本日は、ウォーキングだけでなく読書も断念。目を温めてもう一度寝ることにした。


目まぐるしい天気

2021年03月28日 15時22分05秒 | 天気と自然災害

   

 雨の予報は、午前中は30%、午後は60%を鵜呑みにして失敗。11時前に出かける予定で、返却する本の必要部分をコピーしているうちに雨が降り出してしまった。
 弱い雨と思い、歩きはじめたら本降りになり、やむなく屋根付きのバス停で雨宿りをしているうちに、図書館の近くを通るバスがたまたま来たので乗車。
 図書館で、読み忘れていた個所を読んでいると雨が小降りになってくれた。本日は借りることはせずに、30分ほどで図書館をあとにした。

 昼食後の13時には雨は上がり、ウォーキングに切り替えることができた。家につくと今度は急に風が強まり、ベランダ側の窓ガラスがガタガタと鳴り出す。不思議な、目まぐるしい天気である。

 午前9時半頃には八丈島と三宅島東方沖を震源とする地震。1分以上揺れが続いた。震度は2であったが、先日続いた宮城県沖の地震ではないかと疑った。幸い津波は起こらず、揺れによる被害もなかったようだ。太平洋プレートのフィリピン海プレートへの沈み込み帯で起きた地震であるらしい。

 夜の雨の確率は80%と高い。明日の明け方以降は20%未満と低い。


忘れ物

2021年03月27日 22時17分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 明日図書館に本(司馬江漢「東海道五十三次画帖 広重『五十三次』には元絵があった」)を返しに行く予定。本当は本日の予定だったが、出がけに返す本をリュックに入れ忘れていた。
 花見をしながら、図書館まで歩いて10分ほどのところでコーヒータイムを取った。そこで念のためリュックを点検したら、本が入っていなかった。点検をせずに、そのまま図書館に行けば、もっとがっかりしていたと思う。
 情けないこと甚だしい。家に戻ってからもう一度出かけることもできたが、その気力もなくなっていた。

 明日は午後からは雨が降る確率が高い。午前中に図書館まで出かける必要がある。

 本日は早寝に限る。本の返却期限は明日まで。日延べができない。


花・桜・さくら

2021年03月27日 20時50分22秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★死ねばゐず北へ北へと桜咲き      三橋敏雄
★東京を蛇の目に走るさくらどき     澁谷 道
★うしろ手を組んで桜を見る女      京極杞陽
★花たのしいよいよ晩年かもしれぬ    星野麥丘人

 第1句、かの戦争で戦死した友人を念頭にした句であるとのこと。友は南方で亡くなったのか。そして戦死のほうが自分にも切実なものとして伝わってくるのであろうか。死が北上して本土の自分にも迫ってくる。
 第2句、以前山の手線を回りながら桜を愛でることが話題になったことがある。それよりもさらに以前にもこのような句があったと聞いてびっくりしたことがある。不思議なことに昔は駅や沿線に桜の木が植えられていた記憶がある。
 第3句、桜を眺める女性の姿も大きく変わっている。なにも後ろに男の部下を従えているわけではなく、一人で桜を眺めながら歩く姿にも時代を感じているのであろう。世代論というのは好きではないが、確かに戦前の時代を見てきた人には驚きの時代なのかもしれない。
 以前このブログにも記したが、妻は毎年「来年は見れないかもしれないから‥」という思いで桜を楽しむのだそうである。そんなに歳を取ったわけではないのに、昔は笑って聞き流していた。だが、この数年この言葉の意味がとても切実に思えるようになってきた。
 妻も私も死期をさとるほどに歳を食ったわけではない。また病弱になったわけでもない。どちらかというと元気いっぱいである。
 しかし、あと半年もしないうちに70歳となる自分を顧みると、切実に第4句が迫ってくることがある。
 


本日も花見

2021年03月27日 16時34分40秒 | 山行・旅行・散策

 気持ちのいい陽気に誘われて、親を伴い妻と3人で、歩いて20分ほどの公園のサクラを再度見に行った。多くの家族連れでベンチもほとんど埋まり、シート持参の家族連れも。
 さすがにお酒持参の宴会はなかった。
 鳩にとっては食事のおこぼれがもらえる恰好の日和。お茶だけをのむ私たちの周りにも集まってきたが、未練たっぷりの様子。人に媚びるのも生き抜く知恵だろうが、悲しいものである。
 人に媚びることがない蝶の飛ぶ軌跡は自由である。