Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

シベリウスのピアノ曲集外を注文

2022年11月30日 21時39分29秒 | 読書

 本日は神奈川大学の六角橋キャンパスの生協で、渡邊規久雄のピアノによるシベリウスのピアノリサイタルの第5巻と、平福百穂の「日本洋画の曙光」の取り寄せを依頼した。
 平福百穂の文章は初めて読むことになる。秋田蘭画を初めて評価した画家という。画家の手になる画論というのはなかなか理解できないものが多く、これまでも購入したはいいが、途中で放り出した本のほうが圧倒的に多い。洋の東西を問わずこのような傾向が強いと思いこんでしまっている。
 パウル・クレーの「造形思考」もかなり難解であったし、ヴシリィー・カンディンスキーの「点と線から面へ」などはまるで歯が立たなかった。両者ともに目は通したが、ほとんど記憶にない。理解できていない証拠であろう。
 藤田嗣治の文章は自慢話のようで、勉強にはならなかった。宮崎進の「旅芸人の手帖」はとても興味深く読んだが、画論というようなものではなかった。「鳥のように」はどちらかというと絵画作品の横に添えられた「詩」である。優れた作品であることは間違いはないが。坂本繁二郎の「私の絵 私のこころ」も画論というよりも自伝である。画論の出版そのものは、採算が合わないのかもしれない。私の目が行き届いていない可能性は大である。
 日本画家である平福百穂が洋画について語るということにも興味を抱いた。

 シベリウスのビアノ曲集はこの第5巻で完結する。長い間購入しようとしたまま放置してきた。期待は大きい。


底なし沼

2022年11月30日 10時44分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨晩23時過ぎに瞬間最大風速20.7mの南南西の風を記録したようだ。時間換算で最大80ミリの雨の区域が通り過ぎていった。
 風呂に入っていても、布団に入っても雨風の音が不気味に耳に残った。プラタナスの葉は気からだいぶ落ちており、木の上で風に抵抗するような音はせず、芝生の上で雨にたたかれる音がしていた。それも葉が雨に濡れて何日か前に比べると次第に弱まっていた。

 今朝は雨も上がり、一瞬だが日がさしていた。雲は少しは高くなっている。本日一日降らないで欲しいものである。

 さて、秋葉賢也復興相の公選法違反、薗浦健太郎衆議院議員の政治資金規正法違反容疑、五輪関連談合、不誠実な答弁繰り返しの杉田水脈総務政務官、旧統一教会に端を発した被害者救済新法や解散命令を巡る審議、どさくさにまぎれた防衛費増と増税の画策等々数えるときりがない。このドタバタ、どこまでこの国の政治は腐っているのか、底なし沼の様相になってきた。五輪談合疑惑は組織委員会理事に及ぶのを避けているような様相が見え隠れする。
 その上に、昨日のテロではないかと疑われる宮台真司氏の襲撃事件である。
 いらいらと不安が募ると精神衛生上よろしくない。昨日のハイキングでも解消できなかった。本日はどこかで頭の中の切り替えをしたいものである。

 

 


宮台真司氏襲われ重症!

2022年11月29日 23時25分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 社会学者の宮台真司氏が大学構内で襲われ、首を切られて重傷を追ったとの報道に驚いている。命には別条はないらしいという発信があったので、少しはホッとしている。
 私は当然にもその発言に対するテロ行為だと直感しているが、本当のところはどうなのだろう。とても恐ろしい現象だと思う。
 氏の早い回復と、この手の行為が広がらないことを切に願うものである。犯人の逮捕ものぞまれる。

 10年ほども前になるであろうか。講演を組合の会館で聞いたことがある。言っている内容は異存があるわけではないが、言葉が少しきついなぁ、という印象がある。たぶん意図的に挑発的な言葉を選びながら、聴衆への提起を行っているのだと感じた。
 一見挑発的な発言の向こう側にある真意を読み取ることが出来ない社会、そういう発言の仕方が許されない、許さないという社会が私には怖い社会と思える。


再び風雨強まる

2022年11月29日 22時47分52秒 | 天気と自然災害

   

 再び風が強くなり、雨も降り出した。南風である。向側の号棟と号棟の間から強い風が吹き抜けてきて、ベランダに直接ぶつかってくる。ベランダの倒れそうな鉢植えをいくつか屋内に避難させた。
 かなり強い雨の区域が神奈川県の西部から横浜市域に迫ってきている。

 帰宅後19時までぐっすり寝た。起床後、水分補給が必要なようで、ウーロン茶を4杯ほど続けて飲み干した。しかし夕食は食べる気力もなく、柿と洋梨をそれぞれ半分ずつ。

 本日のハイキングはカメラを持参しなかったのですべてスマホでの撮影。落ち着いて撮影できずに、納得のものは皆無。
 40数名の参加者の内、私の属する退職者会の会員12名の集合写真はうまく収めることは出来た。

 

 


呑みすぎ・びしょ濡れ

2022年11月29日 21時15分50秒 | 山行・旅行・散策

   

 本日の鎌倉散策は、40名を超える参加で、北鎌倉から東慶寺-亀ヶ谷切通し-岩堀地蔵-海蔵寺-英勝寺-寿福寺-鎌倉駅のいうコース。5千歩余りかという私の予測を超え、1万歩余りとなった。
 心配であった天気はなんとか降らずに済んだ。しかし強風・雷・波浪注意報が出ていた。厚い曇が空を覆い、そして切通しの崖の上では南風が舞って紅葉を散らしていた。
 北鎌倉駅からは杖を突いて参加。途中で立ち寄ったお寺の中の散策は、私は半分はカット。椅子に座って待っていた。特に急な石段のあるところは今回は遠慮した。歩けないことはないと思われたが、無理はしないことに決めていた。
 鎌倉駅では御成通りの入口近くにあるお好み焼きの「津久井」に18名で入り、呑み会。少々飲みすぎ・食べ過ぎであった。生ビール2杯のあとの焼酎の水割りが想定よりも濃く、かなり効いた。
 寝過ごすことなく横浜で下車。近くのバス停で降りるとちょうど雨が降り始めた。あと3分ほどで玄関に辿り着くという時に、傘を出す時間もなく、あっという間に大粒の極めて強い雨に変わった。ウィンドブレーカーとズボンはびしょびしょになってしまった。リュックはカバーを掛けていたので中は濡れずに済んだ。傘を出しているとかえってひどく濡れてしまう。走れない足を引きずりながら早足で玄関に辿り着いた。
 この早足のために酔いがまわり、着替えてすぐにベッドでダウン。妻に呆れられている。

 


明日は早出

2022年11月28日 21時32分57秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は底冷えのする一日であった。薄手のセーターの上に、木綿の上着を来て出かけたが、薄手のダウンのコートにするべきであった。木綿では風を通すので寒かった。

 明日は退職者会のイベントの一つとして北鎌倉での散策。午前中で終わるとのことで、歩く歩数は5000歩程度らしい。ここ3日ほど杖を突かずに外歩きをしている。しかし明日は用心のために杖と折りたたみの傘をリュックに入れて参加することにした。

 ただし、明日は午後には雨が降るとの予報である。また気温が20℃を超えるという予報もあり、着ていくものに迷っている。午前中に実施かどうかの連絡があるとは思うが、8時過ぎには家を出るので、現地の集合場所で判断を聞くことになりそう。中止となってもたぶん飲み屋に直行パターンと思われる。昼間から呑める店があればの話だが。

 


せっかく親切にしてくれたのだが‥‥

2022年11月28日 18時52分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 15時を過ぎてしまったが、いつものように横浜駅までバスで出てみた。毎日のルーティンのように有隣堂で本の立ち読みと棚を見ながら新刊情報などをそれとなく探り、家電量販店でカメラやプリンター、インクなどの値段や新製品の様子を見て回ったのち、喫茶店で1時間ほどのコーヒータイム。
 読書は30分程度。「菊帝悲歌」の第3章を半分ほど。ピカソの作品のように多視点で文章の主語や場面が変わることで文章に緊張感があり、密度の濃い文章と思う。悪く言えば頭は時々混乱する。画一的な義務教育の作文ではきっと文章の悪い例として書き直しを命じられるのかもしれない。
 さて帰り際、信号のない横断歩道の5mほど手前で、早々と乗用車が私の横断を待っていてくれた。反対車線には路線バスが乗客を載せてやはり一時停止をしてくれた。思わず頭を下げて交差点まで早足で歩いてしまった。横断歩道の中ほどで右膝にピリッと痛みを感じ、足を引きずりやっと横断歩道を渡り終えた。
 止まってくれたことに感謝しながら、申し訳なくて早足になってしまった。妻に報告すると、「杖は突いていなくても、身なりで十分70歳以上に見られているのだから、どうどうとゆっくり歩けばいいの」といわれてしまった。
 せっかくの親切を素直に享受しないと、かえって無理をして体を悪くしてはいけない。しかし分かってはいるものの、わざわざ止まってくれたのに、のうのうと歩いていては申し訳ないという気持ちになるのを振り払うわけにもいかない。
 なかなか難しいものである。杖を突いているほうが、この場合は足を痛めなかったかもしれない。さいわい膝の痛みはいつもの系統のバスに乗っている間に元に戻ったようだ。


「ピカソとその時代」展 その1

2022年11月28日 14時05分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 キュビズムの時代、パブロ・ピカソと私の好きなジョルジュ・ブラックとは、1908年以降親密な交友関係にあり、お互いのアトリエを行き来していた。展覧会では親切なことにこの時期の二人の作品を並べている。取り上げたブラックの作品は日本の美術館所蔵のものである。

                

 ここではこの時期のブラックの《女のトルソ》(1910-11)と、《パイプのある風景》(1914)、及びピカソの《帽子の男/ジョルジュ・ブラックの肖像(通称)》(1909-10)、《ポスターのある風景》(1912)を並べてみた。
 いづれも人物や対象が直線によってカットグラスのように区切られていると同時に、周囲との境界が曖昧にもなっている。対象の質感・量感が希薄でもある。色彩もまた同系統のグラデーションに解体している。
 しかしピカソは、おそらくこの志向に満足できず、対象の量感・質感にこだわる方向へ、そして曲線と色彩の復権をめざしたのではないだろうか。ピカソからするとブラックの志向とずれが生じたと思われる。



 私はピカソの《マ・ジョリ》(1914)を今回初めて見ることで、ピカソは描く対象物の量感・質感をキュビズムの新たな方法として曲線と色彩の復権で果たそうとしたのではないか、と推察してみた。
 ピカソには多くの女性が関わっているが、こちらの作品も当時の恋人のあだ名を作品名にしていると解説されている。
 ブラックが第一次世界大戦に従軍・負傷して後にピカソとの交流は絶たれてしまうが、その原因について今回私なりに納得したように作品を具体的に並べて感じることが出来たと思う。ブラックの作品がこれ以降どういう展開を見せるか、この視点で作品を追って考えてみたいと思う。


スポーツへの違和感

2022年11月27日 22時58分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 テレビを点けるとサッカー一色、世の中すべてサッカーが中心にいるような塩梅になっている。私はサッカーのルール自体がよくわからない、それ以上にスポーツ全般に興味のない私は退屈するばかり。オリンピックに続いてサッカーのワールドカップと続き、身の置き所がないと感じる。
 スポーツは人々を熱狂させるという。スポーツは闘争本能を刺激し、応援することで闘争本能を吸い上げ社会生活を円滑にする効果があるのだと、大昔に体育の教師がスポーツの効能として力説していた。スポーツ観戦に熱狂的になれば、スポーツそのものを体験すると同様にストレスの解消になるのだという。
 当時は牽強付会の珍説にしか思えなかったが、そんな教師と喧嘩する気にはならず、ほとんど無視していた。そんな小生意気な気分でいると、教室でおとなしく授業を聞いていても、体育館やグランドで体を動かしていても、教師には顔色で伝わるようで、高校の卒業まで嫌われ続けた。しかも体育の実技は、不器用でいつも呆れ笑われ続けた。一人の教師に嫌われると他の体育の教師も同じような目で見るようであった。そういう体育の教師の集団性もまた私には余計嫌悪感を抱かせた。

 オリンピックといい、サッカーのワールドカップといい、勝ち負けにこだわる熱狂の裏では、醜い金と利権が横行している。勝敗への熱狂は、それらの醜さを隠し、不問に付してしまう。スポーツの過剰な応援が昂じて応援団同士でぶつかり合いが起き、けが人どころか死者まででている。先の珍説も当たっていることになる。

 私はいつも醒めた目でばかりスポーツを見てしまう。「素直」ではない自分に嫌悪感も持つこともあるが、こういう自分から抜けられない。

 


《雄山羊》(クレー)

2022年11月27日 20時22分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昼間は暖かであったが、日がかげるとやはり寒い。長袖のTシャツと薄いウィンドブレーカーだけで出かけたら、帰りは寒さが身に染みた。
 帰宅後は「ピカソとその時代展」で気に入った作品を23点ほどスキャナーで取り込んだ。ピカソを16点、ブラックを1点、クレーを5点、マティスを1点。



 そのうちクレーの1点(《雄山羊》1921)をはがきサイズで打ち出してみた。新しいプリンターの高精細での印刷結果を見るために。満足できる結果にホッとした。
 この作品を私は初めて目にした。クレーの新しい側面をあらためて認識した気がしている。1930年代にあらわれるピカソの描くミノタウロスと肉感的な女性像とに重ね合わせてしまった。もう少し図録を読み、感想をまとめる予定。 


明るい陽射し

2022年11月27日 13時34分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 温かい気持ちの良い日。風もなく穏やかである。しかし11月末にしては温かすぎるのも事実。
 午前中は、昨日手に入れた展示目録やチラシをスキャナーで取り組み、、図録から気に入った作品に付箋を点けながら解説に目を通しているうちに昼になった。

 これより気分転換というか、日課となっているコーヒータイムのために出かける。本日も杖は持たずに出かけ、明るい太陽のもと、バス停で二つほどは歩いてみたい。

 


上野駅公園口の変貌

2022年11月26日 22時09分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 コロナ禍前は、上野駅の公園口が長い間工事中であった。完成形が示されなかったのでどういう風になるのか皆目わからなかった。本日初めて完成後に公園口の改札口に向かった。まずこれまでの公園口の改札口が閉鎖されておりびっくり。古い改札口に向かったので、余計に歩かされた。
 改札口を出てみると車道が大きくかわり南北に突き抜けられなくなっていた。そして、歩道空間が広くなり、なかなか思い切った形状にしたものだと感心。私にはとてもいい歩行空間となったように思われた。しかしずいぶん長い間、上野に行かなかったものである。
 黄葉したイチョウ並木が美しかった。

 上野まで行ったので、久しぶりというか初めて不忍池に面した和食の店で、一人4000円余りのメニューの食事。二人でビールやハイボールを1杯ずつ飲んで合わせて1万円札1枚でなんとか支払いが出来た。数年に一度の贅沢となった。
 夕方から夜にかけての不忍池の枯蓮の風景や周囲の紅葉の景色はなかなか良かった。ライトアップも最小限で、けばけばしさを感じなかった。


「ピカソとその時代」展

2022年11月26日 20時48分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は妻と共に上野にある国立西洋美術館まで出かけた。土曜なので入場制限などがあるかと心配したが、待たずに入場できた。しかし入ってすぐのあたりはかなり混雑。肩が触れ合うようで、電車のなかよりも混雑していた。それはあまり気にならなかったのだが、ジョルジュ・ブラックの作品をのぞいてほとんどがカメラ撮影OKとなっており、カシャカシャという音と、作品の前で陣取られて幾枚も撮影する人が多く、気が散って楽しめなかった。

 ピカソの作品は色彩の配置がいい、ということをあらためて認識。キュビズムや多視点の対象把握に多くの解説がなされるが、私は自由でいて計算されつくされた色彩にいつも感心する。今回も《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》や《黄色のセーター》、《窓辺の静物、サン=ラファエル》(いづれもチラシ参照)などにおおいに惹かれた。

 またクレーの作品の充実も堪能。好きな《塔の理念》に再会できた。また《雄山羊》、《知ること、沈黙すること、やり過ごすこと》が目を惹いた。2点とも初めて目にしたと思う。クレーの新たな側面を見たようで、これからじっくりと図録の解説に目を通したい。

 マティスも充実しているが、本日気になったのが、第1次世界大戦と第2次世界大戦の狭間のヨーロッパで、あそこまで明るい色彩を使って外の外気にまで突き抜けるような室内風景を描いた感性といものの出所に迫ってみたいという思いが頭をもたげた。これもまた今回の図録がふれている視点であろうか。興味深い。

 ジョルジュ・ブラックは3点のみであるが、いづれも私が好きな作品。

 混雑してじっくり眺めることのできない作品も多くあり、結局2800円で図録を購入してしまった。

 感想はまた後日にできるだけ早くアップしたい。


上野まで

2022年11月26日 12時10分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午後まで降る予報の雨、10時半過ぎには雨はあがり、少しは明るくなった。
 昼食後、上野の国立西洋美術館に行くことにした。「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を開催中である。ネットで見ると予約制にはなっていない。しかし入場料が2100円と高額。横浜駅のチケットショップで手に入るといいのだが‥。
  図録2800円というのも悲しい。

 値段もさることながら、雨が再び降らないように願いたいものである。一人ではないので、杖も持参しないで行ってみることにした。


擦り傷から切り傷へ、たん瘤へ

2022年11月25日 22時34分29秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 以下つまらない話をつらつらと‥‥。

 実に久しぶりに指先を紙で切ったようだ。午後遅くバスに乗って出かけたのだが、バスを終点の横浜駅で降りて、地下街に備え付けてあるアルコールで指先の消毒をした。アルコールを噴霧した瞬間、思わず飛び上がってしまった。周りの人も驚いたかもしれない。
 指先を見ると少し血がにじんで2センチほどの長さの細い傷が出来ていた。形状からして紙で切ったに違いない。退職者会ニュースの原稿を読むために打ち出した紙を折ったときに傷をつけたらしい。
 大学生の頃は謄写版の紙をめくるとき、そして1500枚をわずか30分で配布し終わる学生向けビラの配布時によく指を更紙で切った。
 仕事が現役のころは組合のビラや新聞を輪転機にかけて作っていた。印刷が終わったものを揃えたり、職場ごとに枚数を揃えて発送したり、ビラを職場に撒いたり、そんな作業の時にときどき紙で指先を切ったものである。
 しかし退職してからはそのような傷を作った記憶はごく数回しかない。輪転機の性能もよくなり、給紙のために紙をしごいたりする必要もなく、出来上がりも紙がかなり揃っているのでしごく必要がなくなっていた。
 紙で切ってしまう傷は、ほんのちょっとの油断で出来てしまう。ピリッとしたときはもう血がにじんでいる。
 今回は意外と長い傷であった。便所で石鹸で手を洗っても痛いし、アルコール消毒は無理。ということで百円ショップに駆け込んで、指先用の防水の絆創膏を購入した。
 傷は痛みが少しあるが、痛みよりも「懐かしい傷」という感想のほうが先に立った。何となく愛おしいような傷である。
 帰宅して傷用の薬を少しだけ塗って再び絆創膏を貼った。昔の自分を思い出している。私は小学生の低学年までよく転んで膝を擦り剝いて当時の「赤チン」をよく塗った。絆創膏などはなかったが、時々は包帯を巻いた。その不器用さは娘に伝わったようだ。娘もよく転んで擦り傷が絶えなかった。
 私は小学校も中学年になると転んで怪我をすることはなくなったが、大学に入って紙で指を切ることが常態化して、また赤チンのお世話になった。

 ここまで書いて、ふと思い出したのが、たん瘤。現役時代は切り傷と同時に、職場の倉庫や書庫で棚の角や段ボールに頭をぶつけて小さなたん瘤をよく作った。さらにときどき、酔っぱらって道沿いの電信柱やコンクリートの壁に頭をぶつけて少しばかり大きめのたん瘤をこしらえた。
 電信柱にぶつかったときはかなり大きなたん瘤であった。娘には電信柱にぶつかったとは恥ずかしくて言えなかったので、建物の外階段にぶつかったと咄嗟に言いわけした。しかしどちらもおなじように恥ずかしいことに変わりはなかった。小学生だった娘もそれはうすうす感じたのではないか。しかし黙っていてくれた。

 擦り傷から切り傷へ、そしてたん瘤へ、それなりに怪我とは縁が切れない人生であった。小さな傷で済んで良かったと思うべきなのだろう。