本日は歯医者で抜いた歯の治療方針を聞いた。インプラントにするか、プリッヂにするか、部分入れ歯にするか。インプラントはここの歯医者では対応していないこと、プリッヂは悪くなっていない手前の歯を少し削ることになること、部分入れ歯は手入れが大変なことなどを聞いた。
維持管理が楽で、長持ちするプリッヂを選択した。もともと保険治療でお願いしたいこと、この歯医者で行っていないインプラントはそもそも避けたいという気持ちが強かった。手前の歯を少し削るというデメリットはあるが、長持ちすることと手入れが楽なプリッヂが一番いいと思っていたので、特に異存はなかった。
抜いたあとがしっかり回復するまで待つ必要があり、次回は再来週となった。本日は歯石を綺麗にしてもらった。支払いが2000円を超えてしまった。明日に予約をしていれば、3割負担が2割負担で済んだので残念なことをしたと反省。再来週から2割負担のはず。
印刷会社から午前中に早くも初校を訂正した第2校が送られてきて、びっくり。早いものである。一応訂正をお願いしたところは、私の原稿の不備の分も含めてすべてクリアしてあった。これで印刷に回してもらうことにした。13日昼前までの納品してもらうことになっている。
朝は陽が照り、歯医者そして神大の生協まで往復しただけで、汗を大量にかいた。昼食前にシャワーを浴びざるを得なくなったほど。
午後は曇り空となり、湿度は高かったものの、陽射しがなくなった。横浜駅まで陽射しに晒されずに歩いた。7月、8月はバスや地下鉄に乗って横浜駅にたどり着いた。久しぶりに歩きとおすことができた。一昨年までは、カンカン照りで陽射しにさらされることが苦にならなかった。特に50代の頃はそのような夏の日が好みであった。
しかしここ2~3年、だんだんつらくなって、今年は陽射しのなかを歩くのが苦痛になった。妻に言わせるとそれが「普通」なのだという。言われればそれは否定できない。
いつもの喫茶店で読書タイムののち、帰途はバスに乗車した。久しぶりに1万3千歩を歩いた。夜雨が降らなければ15分ほどのウォーキングで、6月の時の一日平均1万5千歩あまりに挑戦してみたい。
本日の夕方にはもう印刷会社より退職者会ニュースの校正刷りが送信されてきた。早いのでびっくり。いくつかの訂正をお願いした。私の文章の間違いというか、重複が2個所もあった。その他は校正刷りの段階でのミスもあった。
しかしやはり見やすくなっている。見出しの強調の仕方など、悔しいが私のセンスを超えている。やはりプロである。
さらに昨日の健康麻雀大会の写真を10枚ほどフォトショップで仕上げて、担当役員のかたに送信。一応本日のこなすべきことは終了できた。
明日の午前中は歯医者。抜いた歯の治療方針を聞くことになると思う。そして神大の生協まで注文していた本が入荷しているか、聞きに行く予定。
明日は雨が降るらしい。生協に行く場合はどの程度の雨か、見極めてから。
本日も暑い中をバスにて横浜駅まで。久しぶりに東口の地下街を歩いてみた。いくつかの店が撤退していた。思ったよりは混雑は混雑していなかった。
地上は日光が強く、フライパンで炒められているような気分は、猛暑日とかわらず。しかも本日は雲がほとんどなく、積乱雲も見つけられなかった。
喫茶店で「万葉集に出会う」(大谷雅夫、岩波新書)を読んだ。第3章の途中までで喫茶店は退出。今晩中にどこまで読めるか。
実はリュックに「西洋音楽の正体」(伊藤友計)を放り込んで出かけたつもりが、「万葉集に出会う」を放り込んでいた。久しぶりにページをめくってそのまま楽しんでいた。こちらのほうを先に読んでしまいたいと思っている。
15分ほどの夜の散歩をしようと外に出たのだが、歩きはじめて3分ほどで雨が降り始めた。すぐに止むかと思っていたが、だんだんひどくなり、6分ほどの地点で引き返してきた。散歩が往復12分のかなり早いウォーキングになった。汗と雨でTシャツはすっかり濡れてしまった。
昨日の月は綺麗であった。明日は半月、月を楽しみながらの優雅な散歩にしたかったが、雲が空を一面に覆って、星ばかりか月の影もまったく見えなかった。昨晩は、月のほかに、夏の大三角(はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイル、こと座のベガ)、木星、土星が美しかった。
その他の星、特に北側のアンドロメダ座を探そうとして、道路でちょっと躓いてしまった。気分的にゆとりを無くして、団地の中にすぐに戻ってしまったのが悔やまれる。明日からは少しずつ天気が下り坂。星を見るのがチョイと難しいかもしれない。
関内駅そばの雀荘でマージャの取材と写真撮影をしたのち、窓の外を見ると、微かに雨が降っている気配がした。外に出て雨であることを確認し、上がるまで雀荘でお茶を飲んでいた。雀荘にはわれわれの12名以外には客はおらず、静かである。お茶の入ったペットボトルを持ったまま1時間ほど寝てしまった。その間に雨は短時間であがり、路面も濡れてはいなかった。 関内駅で百円ショップに寄ったり、横浜駅の家電量販店に寄って頼まれた買い物を少々。
帰宅すると、どういうわけか眠気に襲われ寝てしまった。せっかくの読書タイムを確保しようとしたものの、一昨日と同じく松本俊介展の図録を見て過ごした。
本日はこの図録の第1章前期の5節「構図」と題した一連の作品を見ていた。1940年、41年という厳しい状況の中で、クレーやミロの作品などを丹念に研究していた様子が窺われる。
このような試みの作品に私はとても惹かれる。
知人から案内をいただいた。知人の友人の「仏鏡画展」(鎌倉芸術座、10.4~10.12)。
一昨年も案内があり、妻と二人で出かけた。初めて「仏鏡画」なるものに接した。なかなか良かった。私の仏像・仏画のイメージとかなり違いがあって、色彩も「太陽でありたい」という言葉にも驚き、そして不思議な感覚になった。細密画の根気にも驚いた。
一昨年からどのように変化した作品が見られるか、10月になったら探検に行ってみようと思う。
JR大船駅から10分程度の会場。大船駅東口は居酒屋が多く密集している。ひとりで行くとふらりと寄ってしまうので、妻と行くのが好ましい。前回は、鎌倉芸術座の向かい側に広々としたイタリアンレストランを見つけて、昼食を食べてから訪問した。なかなか美味しいランチを食べることができたが、店の名前は記憶にない。値段も手ごろであった。
明日は退職者会のサークルの取材である。健康麻雀の大会。マスクや手指の消毒プラス会話の制限も加わるらしい。
親睦と、脳の活性化が目的なので、毎回淡々とゲームは進行するはずだが、そうはならないようだ。
サークルの責任者には申し訳ないが、私は現役時代に麻雀がすっかり嫌いになった。就職してから10年くらいは職場の麻雀にお付き合いしていたが、いつも徹夜になったりするので付き合うのを止めた。
現役時代には半ちゃん4回で終了、という約束で開始しても、それで終わったためしがなかった。4人しかいないので抜けるに抜けられず、こういうケジメのつかない遊び、賭け事は私に向かないと決意した。
しかも賭けるということに対する執着心が私にはない。負けて悔しがるということが出来ない。どうしてそんなに勝つことに執着するのだろう、負けることがそんなに悔しいことなのか、と途中でそういう執着心があらわになる人の顔を見て、げんなりするばかりであった。
健康麻雀というのは、賭けない、飲まない、吸わないが原則だが、勝負への執着心がやはり顔に出る。
賭け事と時間にルーズなのが嫌いのもとであるが、同時に勝負への執着も私の趣味ではない。麻雀に限らず、ゲームそのものが私には向いていない。人生をゲームになぞらえること自体にも拒否反応である。
夕食後からオンラインのクラシック音楽会。本日はバッハのヴァイオリン協奏曲とブランデンブルグ協奏曲第5番、G線上のアリアを佐藤俊介ほかによる古楽器の演奏を堪能した。
昨日・本日と暑い陽射しに晒されながら、歩いてみた。体調は悪くならなかった。今年は暑さが身に沁みてつらい7月・8月を過ごしたが、9月からは少しずつ涼しくなるとのこと。体力も戻ってくれるとありがたい。
この1年半、コロナ禍で体力の維持が難しかったことと、年齢が重なり、うまく夏が乗り切れないのではないか、と心配していた。これからどうなることやら。自分の体との対話を大切にしたいものである。
退職者会ニュースの原稿が出来上がったので、猛暑日に近い本日、毎年訪れている鎌倉駅前の喫茶店「オガタ」まで出かけた。妻のお気に入りの「氷あずき」。かき氷の表面を美味しい小豆が全面覆っている。
ひとりでは食べきれずにいつも1/4は私に回ってくる。私はホットコーヒーかアイスコーヒーを飲みながら、妻が残すはずのかき氷を待つことにしている。本日はとても暑く、私はアイスコーヒーを注文して待っていた。ここのコーヒーは私の鼻でもわかるほどに香りが心地よい。
店は駅から歩いてたった1分。にもかかわらずいつも静かに落ち着いている。さらに清潔である。この清潔感がとてもいい。店主の人柄なのだろう。急な階段を2階まで登らなくてはいけないのが難点ではあるが、JRと江ノ電の駅改札とタクシー乗り場、そして人通りを見下ろすのもいい。駅舎の上空に広がる青い空をときどき見上げるのもまた楽しい。
一年に2回ほどしか行かないのだが、落ち着けるいい店である。
かき氷とアイスコーヒーで体が冷えたので、いつものとおり御成り通りを往復してウィンドウショッピングを楽しんだ。喫茶店、ケーキ屋、かばん屋、花屋等々若い人向けにおしゃれな店のたたずまいである。しかし小町通ほどには混雑していない。
本日も帰りは反対側まで地下道をくぐり、小町通で買い物をしようかと思ったものの、人通りが多いので諦めた。
退職者会ニュースについては、これまではひとりの役員に事前にチェックしてもらっていた。新年度になってから、複数の役員と情報宣伝担当の幹事にも目を通してもらっている。これで編集責任者である私自身も、多くの指摘をしてもらい、紙面構成上もいろいろな意見を寄せてもらうことができ、少し肩の荷が軽くなった。
さらに校正を生業としている娘にも意見を聞くようにした。すると思いもかけない指摘がある。役員は皆、組合活動で共通の認識なり、共通の言葉がある。仲間内だけで通用する論理や言葉に頼ってしまうことがある。
公務員ではないし、組合言葉にもまったく無縁の娘の指摘はとても的を射ており、耳が痛いものもある。外部監査のようなものである。無論印刷会社の校正刷りの段階でもチェックはきちんとしてくれる。しかし校正者は組合の関係者ではないものの長年お願いしていると、私どもの意識に沿って見てくれるようになる。これは決して悪いことではないが、ある意味では甘えが生じているのかもしれない。
娘の指摘を当面は頼りにして、読みやすいものに少しでも近づけたいと思うようになった。
人にチェックしてもらう、ひとりで抱え込まない、第三者の声を大切にする。これらは現役時代から分かっているようでいて、なかなか実践できなかったことでもある。今更のように大切に思えるようになった。
災害という事態に対処する心構えについては仕事柄いつも自問自答していた。いろいろな教訓はあるが、共通して言えることは、行政の立場としては、楽観的な予測に頼ってはいけないということ。悲観的な予測の上に、待機人員の割り当て、行動計画、指示、在庫確認、食事計画などを立てるべきだということである。そしてもう一つの大切なことは、無駄といわれようが、早い処置と決断である。避難してもらって、何事も起きなくとも、避難して被害が出るよりもずっと優れている。
私は仕事がら、大雨や雪などの自然災害を相手に、道路・下水・公園管理が主な仕事であった。大雨注意報はこのまま解除されるかもしれない、ではなく、大雨警報になるかもしれない、ということで計画や心づもりが必要である。そうでないと、いざひどい状況になった時に対処できない。災害対応は、災害が発生してから対応を準備していては遅い。それは先輩からきつく言われ続けた。
今回のコロナ禍、政府の、特に首相の対応はいつも「明るい見通し」に頼りすぎる傾向が続く。見通しが明るいという状況判断は口に出したり、それを実行してはいけないのである。少なくとも現状維持か精いっぱい、あるいは第〇波がすぐそこに来ているかもしれない、強力な変異株が表れるかもしれない、医療がひっ迫して耐えられないかもしれない、というところで対応をつねに考えるのが責任者の役割である。つねに手綱は強めに引いていなければいけない。それが災害対策の基本である。
安倍前首相が、中国地方の大雨災害時に宴会を催すような愚行をして以来、そのような政府の後手後手の対応が、当たり前になっている。為政者として、行政のトップとしてもっとも適さない思考がまかり通っている。
今度のアフガニスタン退避でも、米軍が8月いっぱいで撤退、と表明した時点で、大使館関係者を責任者にして、日本への帰国がスムーズに行くように、企業・NPOなどの関係者と家族と具体的な退避計画を立てていなければならないのである。しかし大使館員が先に帰国してしまうという自体が起きてしまっている。何のための大使館だったのか、外務省は厳しく責任が問われなければならない。
多分米国もその点の抜かりがあったのでかなりあたふたしている。そんな場合でも韓国も含め、それなりの対応は出来ているようだが、報道を見る限り、日本が一番後手に回っている印象が強い。
危機管理が出来ない日本という国、これからますます外交・内政が行き詰ると思う。「国を強くする」という保守政治家がもっとも「国を弱く」している、という背理に気が付いてほしい。
久しぶりに陽の高いうちに外に出て、団地の入口で写真を数枚撮影。しばらく日中外に出なかったら、花がいろいろと咲いていた。陽の当たる道をバス停まで10分ほど歩いた。13時前に最高気温33.8℃を記録していた。これでも昨日よりは1℃低い。
バス停で5分ほど待っていたが、街路樹のつくる日陰は私よりかなり高齢と思われる女性が汗を拭きながらたたずんでいたので、そちらに譲り、私は日なたで我慢。もっとも正確な時間通りに5分でバスが来たので助かった。
横浜駅の二つほど手前のバス停で降りて、15分歩いて汗を拭きながら横浜駅までたどり着いた。喫茶店で読書タイムをしようとしたが、ついうつらうつら。1頁も読まずに30分経ってしまった。
横浜駅の地下街をブラブラ歩いてみた。それほどの人出にはなっていなかった。繁華街まで買い物などで出てくるのには暑いのであろう。
帰りも3つほど手前のバス停で下車して家まで歩いたが、陽が西にかなり傾いていたのでそれほどの汗は出なかった。
帰宅後は、読書に目と頭が慣れるように松本俊介の画集などを見て過ごした。急に細かな活字を追っても頭に入りそうもなかったので、西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る」(伊藤友計)を読むのは本日は断念。
帰宅してメールをチェックすると、熱中症警戒アラート、光化学スモッグ注意報も昨日と同じように出ていた。この暑さも来週水曜日(9月1日)以降は少しずつ和らぐという天気予報であった。この予報、当たるとありがたい。
退職者会ニュースの点検、さっそくひとりの役員の方から、私の打ち間違えの指摘が2個所あった。他に記事の内容が変更になった個所が1個所、自分で見直して訂正の必要を感じた個所が3個所。計6個所を訂正。明日の朝に再度見直してから、印刷会社にメール送信する予定。
しかし幾度経験しても、このように訂正が必要なところが必ず出てくる。不思議である。
明日から読書を再開できることを期待したい。本日も夕刻にメールを送信してから、寝転がって本を少し読もうとした。だが、横になったとたんに熟睡してしまった。1時間ほどしてようやく目が覚めた。
やはり、パソコンと睨めっこしたために目も疲労していたのであろう。眼精疲労用の目薬を差したが、眼科で処方してもらった点眼薬ではないので、刺激が強すぎる。刺激のないもののが私は欲しい。いつもかかっている眼科医も刺激のないものを推奨したい、といっていた。刺激が強いと「効いている」と錯覚するのだろうか。専門家ではないので、断定することはできない。